スバルに向けて舵を切った二体の白鯨。範囲外だった為か、はるか天高くから戦場を見下ろす二体の白鯨は降りてこなかったが。
「ワ───」「ハ───」
「アルゴーア!」
ここで運が良いことにスバルがリスクだと考えたそれは、実は好機だったのだ。
白鯨が本能的にスバルの方を向いたというのは、裏を返せば現在進行形で戦っていた彼らに対して背を向けたということであり───それは討伐隊にとっては隙でしかない。
逃げたはずの白鯨は弾かれたように方向転換をしてから、角の根元から『消滅の霧』にてスバル達を狙撃しながら迫ってきた。先程の焼き直しのように。
「ーー、ーー」
ヴィルヘルムを腹に収めた白鯨を引き付けて戦場を駆けるパトラッシュ。と、そこへリカードが寄ってくる。
「おう兄ちゃん、よう
「秘策……って訳でも無いけど、そんな感じのを使ったんだよ。 リカードさん、もう一回白鯨に突撃頼めるか?あと少しで何か掴めそうなんだよ」
「おう、任せとき。ほんならその嬢ちゃん、借りてってもええか?一人より二人の方がええやろ?」
「分かった。……レム、もう一度行けるか?」
レムが白鯨に攻撃する手段は基本的に肉弾戦一択。マナの消費量は極力減らそうと、背の上では魔法もそこまで使わない。
白鯨という岩肌をよじ登り、鉄球で削岩するというのはタフなことだ。全身にある、霧が溢れ出る『口』を潰しながら。かつレムはヴィルヘルム救出の為に、逆スプリンクラーとでも呼べるような血飛沫を上げさせるほど、力強く鉄球で白鯨の肉を抉る───覚悟は必要だった。
一度それを経験したからこそ寧ろ。
「分かりました」
しかしレムはそれを即断する。実を言うと体力の消耗はかなりある。鬼族と言えど、少女にとっては余りの重労働だった。
「ほんなら頼むわ……あ?」
一旦
直後のことだ。余りに荒唐無稽であり現実感の無いような光景を目にする。
「ーー、ーー」
「え?」
それは一瞬のことだった。
「何か」が空から降ってきた。まるで赤い彗星かと思わせるほどの速度で。
それは、白鯨の首元に着弾するや否や───白鯨の首を横挽きするように、いや、一思いに掻き切るように。
兎に角、白鯨の首が飛んだのだ。
証拠に、魔獣の目は虚空をさ迷い。切れ口からは洪水のように、血が溢れ出ていた。
「え───えぇええええ!?」
「……っ」
「嘘やろ……?」
スバルはそれはもう興奮気味に叫んで。レムとリカードは口を大きく開けてただただ呆然として。声すら出すことが出来なかった。
或いは一番信じられなかったのは、白鯨本体かもしれない。鬼と獣人の猛攻がいくら激しくても「痒い」「痛い」「痒い」と軽く受け流していた白鯨だったが───一閃。たったそれだけで自身の首が撥ねられることとなるとは、まさか思うまい。
「まさかここまでとはな……」
「クルシュさん……!」
いつの間にか横にいたクルシュもまた感嘆を漏らす。まさかここまで圧倒的とは───と。スバルもその一言で完全に立役者が誰かを理解した。
「───アーさん!」
手に握る
アーチャーの手に持つ夫婦剣の形状はまるで羽のよう。白と黒の巨大な羽だ。たった一振りで白鯨の首を飛ばしたことを見れば、切れ味は異常。
───補足だが、白鯨を斬り飛ばしたのはアーチャーの愛剣である干将・莫耶だ。しかし形が異なるのは、アーチャーの強化の魔術によるもの。大剣故に威力は絶大。事実それは
頭を落とされ翼力を失った白鯨は、地ならしのような振動と共に地面に激突し───霧のような、光のような粒子に変わった。その粒は天に昇り、霧の向こう側へと消えた。
「───ヴィルヘルムさん!?」
当然白鯨の肉体が消失すれば、その体内にいたヴィルヘルムも外界に晒される訳で。突然地上数メートルに投げ出された形となった。
ヴィルヘルムが抵抗無く自由落下するも───アーチャーが難なくキャッチ。その瞬間にはもう黒白の双剣は手にしていなかったが。恐らく、たまたまスバルの見ていない時にそれらを消したのだろう。
「リカード、彼をフェリスの元まで頼めるかね?」
アーチャーはリカードへと歩み寄り、横抱きにしたヴィルヘルムを受け渡した。彼の傷はそれはそれは凄いもので。身体中から流血し、右腕に至っては千切れる寸前である。
「うおっ……ヴィルヘルムさん大丈夫なのか?」
「フェリスに任せればなんの問題もあるまい」
スバルの心配も分かるが、クルシュの言うように『青』の称号を持つ彼に頼めば即座に完治する筈だ。
「…分かった、任せとき。せやけど、アンタらはどないすんねん」
「私は───」 アーチャーとクルシュはスバルを一度見て 「───少しスバルと話したいことがある」
「ほんなら、ヴィルヘルムさん届けた後、ワイは向こうの方に加勢するわ」
「了解した」
快く承諾したリカードはライガーに指示を出して、向きを反転。フェリスが治療を行っている大樹の根元へ走らせた。
それを見届けた後、アーチャーはスバルに向き直る。
「さて、スバル。初めに謝罪をしたい。手助けに遅れてすまない」
「あ……いやいや!」
一瞬で全てを片付けた男の謝罪に困惑するスバル。
確かに早く来ていれば、その分だけヴィルヘルム救出も早まっていただろうが───そもそもアーチャーがこの場にいること自体が、奇跡なのだ。彼という絶大な戦力とは、若しかしたら出会うことすらなかったのかも知れないのだから。故にスバルは彼を責めるような事はしなかった。
「そして遅れた理由だが、クルシュと話していたのだ。白鯨が増えた、その原因をな」
「!……それは俺も考えてたけど…何か分かったのか!?」
「ああ」
そう。アーチャーはクルシュとその事について話しながら、『鉄の牙』や老兵達の加勢をしていたのだ。その仮説を検証しつつ。
スバルがアーチャーが辿り着けた仮説に至らなかったのは、単に白鯨と戦わなかった為だ。増える前後の白鯨と戦ったアーチャーだからこそ、答えに辿り着いた。そのヒントをスバルも握っていたら。
「私が白鯨と戦闘した感触ではあるが、
「ッッ」
最後のピースがスバルの中にハマる。
つまりだ。
「───白鯨は三体いたんじゃなくて、分裂していた……ってことか!?」
「……ああ、私達もその結論に至ったよ。証拠に、
「なるほど……ヴィルヘルムさんが抉りとった眼球の傷ごと分裂したという訳ですね?」
全くもってレムの推察通りだ。現れた五体が傷ごと共有している理由など一つしかない───元々同じ一体から作り出されたからに他ならない。
根拠はまだある。
あれだけの人数でようやく拮抗していた白鯨討伐。その後『霧』の影響で大きく人数が削られたにも関わらず、数が増えた後に白鯨と渡り合っていたのも。レムとリカードが二人で白鯨に十分にダメージを与えられたのも。それが分裂によるものだったならば、納得が行く。
アーチャーに狩られた白鯨が光のような霧の粒になって空に昇ったのも理解できる。分裂体が消滅したため、それを維持していた何らかの要素を本体に戻したのだろう。
導かれた仮定に沿えば、スバルが感じていた感覚も説明がつく。ヴィルヘルムがまだ飲み込まれる前。アーチャーが倒した一体目の白鯨が降ってくるよりも前。スバルがレムに言った言葉───"きっと白鯨は初めから上にいた"。スバルは魔獣に惹かれる体質にあるが、白鯨という巨大な質量を持つ魔獣に至っては万有引力さながらの何かが、彼らを結ぶのかもしれない。その為にスバルは「本体は初めから上空に浮かんでいた」という事実を直感的に感じていたのだろう。
───仮にアーチャーがこの場にいなければ。仮にスバルが声を上げていなければ。この戦線は間違いなく崩壊していた。
『消滅の霧』という一撃必殺を持つが為に、白鯨は耐久力より手数、即ち「数の暴力」を選択した。白鯨という低知能の魔獣が人間の性質を把握した上でその手を打ったとは考えにくいが、事実、その前に討伐隊の心は折られかけたのだ。
最もそれはこの男の前では、失策だったようだが───。
「残った三体の白鯨を殺す……」
「私ならば落とせるが……スバル、君はどうしたい?」
彼の言う通り、アーチャーの手を借りれば五分もしないうちに片付く。一体は首を落として、空に浮く二体は撃ち落とせば良い───それだけで全てが終わる。白鯨討伐が簡単な「作業」になる。
然し。
「……俺は、反対だ」
「スバルくん……?」
スバルはそれを「良し」と頷かなかった。
眉を寄せて首を振るスバルを怪訝な顔で見るレムと───不敵に笑うアーチャー。まるでそんなスバルの反応を読んでいたかのように。
"アーチャーが白鯨を排除する"
それで簡単に終わるが───それでは決定的に足りないものがあった。
「……俺は、白鯨のトドメはヴィルヘルムさんに刺してもらいたい……いや、ヴィルヘルムさんがトドメを刺さなきゃいけないんだ」
今は大怪我を負いフェリスの治療を受けているが、あと数分で動くには問題ない迄に回復するはず。ならばそれまでに白鯨を落とし、最期の一撃をヴィルヘルムに刺してもらわなければ、嘘ではないか。
何故なら───。
「ヴィルヘルムさんは十四年も白鯨を追っていたんだ……」
ただ孤独に、そして孤高に。白鯨を殺さんと追い続けた。妻であるテレシア・ヴァン・アストレアの仇をとるために。
それを、言い方は悪いが、ぽっと出のアーチャーにすべて持っていかれたら。ヴィルヘルムの復讐はどうなる?彼のテレシアへの想いはどうなる?
「だから、最後はヴィルヘルムさんに締めてほしい……ッ!」
真剣な眼差しでクルシュとアーチャーを見詰める。
「……君はその発言の意味をわかっているのかね?」
スバルとて、無茶を言っているのは分かっている。戦の事を考えると、アーチャーに倒してもらうのが最善かつ最速の手段だろう。
「分かってる、つもりだよ。それでも───それでも。俺はヴィルヘルムさんに頼みたい」
「そこまで言う君に、何か策はあるのかね?白鯨を
ナツキスバルは、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアという尊敬に値する人物を、どうしても無視出来ないのだ。
作戦はあるにはある。アーチャーや、或いはレムに頼る事にはなるが───
「……アーさん、クルシュさん……レム。アーさんに頼むよりかは、少しばかし賭けの要素が強くなるけど……それでも乗ってくれるか?」
自分の意見を通そうとしているのだ。スバル自身が
「頼む。白鯨を落とすのは俺にやらせてくれ」
アーチャーに撃って貰えば、それで終わりだ。倒すことも、そして落とす事も可能だろう。だが───それではゼロからの始めたはずのナツキスバルは、何も変わらず終いでは無いか。ここで白鯨に立ち向かう。白鯨を落とす───確かな覚悟を持って。
スバルの意見をクルシュとアーチャーはどう受け取るのか。クルシュに至っては指揮官として、常に最良の手を判断する必要があるのだが……しかし返答は予想外のものだった。
「……良いだろう。ぜひ乗ろう、ナツキスバル、君の作戦に」
快い答えが返ってきた。
「お、おう……意外にすんなりゴーが出てこっちは驚いてるよ…」
アーチャーも討伐隊が編成されるまでの流れは聞いた。それには間違いなくスバルの貢献が大きく、当然ヴィルヘルムの意思もそこにはある。クルシュもアーチャーも、彼ら二人を尊重しない訳が無いだろう。
それを踏まえると、実を言えばアーチャーの狙撃にも不安要素はあった。確かに白鯨を落とすのは簡単だ。しかしアーチャーであっても、当の白鯨がどこまで耐え切るかを全く読めなかったのだ。アーチャー自身が手加減しようが、死の寸前まで耐え続ければ、落ちた時には白鯨の生命活動は停止する。クルシュもアーチャーもトドメは間違いなくヴィルヘルムだとは考えていたが、結局、白鯨のタフネスさを考慮するとどうしても不確定要素が出てくるのだ。
「さて、ナツキスバル。いよいよ大詰めだ。卿の作戦とやらを聞かせてくれないか?」
「おっと……そうだったな」
───クルシュに促され、スバルが作戦を語り出す。
「作戦は単純明快。さっき頼んだ通り、俺が白鯨を落とすだけだ」
「だが具体的な手段はどうする?言うのは簡単だが、実際出来るかどうかとなると話は別だ。まさか卿が、アーチャーのような力技で……とは行くまい」
スバルが非力なのは百も承知───それで尚、彼の表情を見て、彼に賭けると決めたのだから。しかし、具体性に欠けた作戦を聞いたクルシュが疑問を持つのも止むを得まい。
「けど、クルシュさん、俺が魔獣と引き合う体質だってことは知ってるよな?」
「無論。卿から聞いたからな」
そんなクルシュに対し、スバルは明快な答えを送る。
「! まさか……」
スバルが持つ魔獣と引き付け合う体質。そして、作戦の到達点である白鯨を落とすという帰結───ここまでヒントを貰えば、クルシュは……いや誰だって気付く。スバルが言った「賭けの要素が強くなる」という言葉の真意に。
アーチャーのように火力にものを言わせて落とすのではない。
「ああ───」
むしろ逆。白鯨の方から大地に向かうように仕向けるのだ。
「
そう言ってスバルは天を指差した。