その日、川神学園ではとある噂が広がっていた。それはファントム・サンと名乗る謎の人物が腕の立つ武道家を倒して回っている、というものだった。
噂の信憑性はともかくまた変な奴が川神に現れたらしい。
まあだからといって何かあるわけでもなく、俺ができることと言えばファントム・サンに出会わないよう警戒しておくくらいしかない。
俺はバイト先の梅屋で同僚にそんな噂話を披露していた。
「
「いいや、聞いたことねぇな」
ちょっとおっかない風貌にぶっきらぼうな物言いをする人だが、話してみると案外楽しく会話できる。
……まあその見た目通りめちゃくちゃ強い人ではあるんだけど。なんでここで働いてんのか意味分かんないレベル。
九鬼の斡旋できた人だからそっちの関係者なのかもしれない。
釈迦堂さんの知り合いだという女性――
この人はだいたいいつもこんな感じだ。見かねた釈迦堂さんが勝手に選んで出すまでがお決まりの流れになっている。
ちなみにこの板垣さんも釈迦堂さんほどではないとはいえかなり強い。どうなってんだこの街。
それからしばらく駄弁っていると自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
俺と釈迦堂さんの声が重なる。
店に入ってきたのは学園長と川神学園の教師、ルー先生だった。
学園長は言わずもがな、川神院で師範代を務めるルー先生もかなりお強い。戦ったらたぶん釈迦堂さんにも勝てると思う。
「おお、やっとるやっとる」
「まさかお前がここで働いているとはネ、釈迦堂」
2人が釈迦堂さんに話しかける。
釈迦堂さん知り合いなのかよ。九鬼の関係者かと思ったら川神院の関係者だったのか。
「なんだよ。俺に何の用?」
「お前がここにいると聞いテ、様子を見に来たまでダ」
「しかしその服似合わんのう」
「余計なお世話だっての」
ルー先生の砕けた口調ってなんか新鮮だな。それだけ知った仲なのかもしれない。
一定以上の強さを誇る武道家を『壁を越えた者』と称するらしいが、ルー先生も釈迦堂さんも壁越えしてる超人同士だから古い縁があっても不思議じゃないな。
なんて考えていたら学園長とルー先生は牛飯野菜セットとてりたまハンバーグ定食を頼んだ。食べていくのか。いやまあ牛丼屋だから当たり前なんだけどさ。
一触即発するような空気ではないがあまりにも強すぎる人達が集まっていると何が起こるか分からないので、早々に食事を終えて立ち去ってほしいところだ。
「……あぁ、やっぱり川神院の皆か」
「すごい気だったからね。何かと思ったよ」
「異常がないなら何よりです」
しかしそんな俺の希望を打ち砕くような来店。やってきたのは川神先輩、松永先輩、そして黛さんの3人だった。
つーかどうして黛さんは川神先輩と一緒なんだ?もしかして知り合いなのか?
「お、モモ達じゃないか」
「悪いなじじい、おごってくれるなんて」
「誰もそんなこと言ってないわい!」
「ありがとうございます。私豚丼、単品とろろで」
「分かってるねぇお嬢ちゃん!おごってやれよ!」
学園長の声など聞こえていないかのように松永先輩が注文する。
そしてまさかの釈迦堂さんによる援護射撃。
「しゃーないのう……内緒じゃゾ」
「ありがとうございます。それでは私は、えーっと……」
「まゆっちここはあれだ、牛丼汁だくだ。お願いしまーす」
「あぁ、松風が勝手に頼んでしまいました……」
黛さんもいい性格してるなぁ。いや、これは松風がやったことになるのか。
とりあえず場違いな俺は気配を消してやりすご……
「あ、小篠先輩」
せなかった。
いくら気配を消しても注文取ってればまあバレるよなぁ。
「なに?ってことはお前がまゆっちの友達なのか?」
そして武神にも認識された。黛さんのことを直江と同じ愛称で呼んでるってことはやっぱ友達っぽいな。
なんてこったい。もしかして直江も川神先輩と友達だったりするんだろうか。
「ふーむ……普通だな」
それが俺を値踏みした川神先輩の感想だった。
「そりゃまあ川神先輩と比べたら大抵の人は普通ですよ」
「お、言うねぇ」
松永先輩はいたずらっぽく笑う。
ちなみに松永先輩と比べても大抵の人は普通だと思う。
とりあえず頼まれたメニューを準備しに厨房へ引っ込む。そしてお盆に豚丼ととろろを載せて戻ってくると、新しい人間が増えていた。
「この店で何が起きているのかと思えば……」
その正体はつい最近、義経達と同じタイミングで転入してきた1年S組のヒュームくんだった。
1年生って言っても50すぎたおっさんだけどな……。
肩書きは九鬼の従者部隊の零番。そんでこの人も余裕で壁を越えてる。
「なぁに、ただ客として集っているだけじゃよ」
「赤子の群れか。フフフ……」
「これはこれは……何という険悪なムード」
また1人増えたぞおい。ヒュームくんと同じ服装ってことはこの人も九鬼の従者か。
しかし当然のように壁を越えてるなぁ。
「また危険なレベルの人間が増えたネ」
街角の牛丼屋に壁を越えた人間が7人とか悪夢のようだ。世界征服だって可能なんじゃないか?
「フ……赤子共はすぐ怒るということだ」
「喧嘩を売るのが好きな人ですね。高く買いますよ?」
やめてくれよ。お前らがそんなことしたらここが吹っ飛ぶだろうが。
「お前はすぐ挑発に乗るでない」
「マイ納豆を取り出して……これらとブレンドっ!」
松永先輩は周囲の空気に我関せず。カバンからパックの松永納豆を出して豚丼にかける。
だがよく見れば腰に下げた武器のようなものに手をかけているのでいざ戦闘となればやる気らしい。
けど松永先輩、その前に当店は飲食物の持ち込みはお断りしてるんですが……。
「さてどうする赤子共?」
「どうするもこうするもないでしょう」
依然挑発を続けるヒュームくんの頭を、同じ従者部隊らしい白髪のじいさんが軽く叩いた。
「ここは食事をするところです。闘気をおさめて下さい」
「……まあいいだろう。おいっ、牛焼肉定食
「かしこまりました」
1秒でも早くこの場から離れたかった俺はヒュームくんの注文を取ってそそくさと姿を消す。飯食ってさっさと帰ってくれ。
その後も直江が九鬼妹と一緒に来店したり、凄まじい気に釣られるように九鬼姉、義経、弁慶の3人衆までやって来たり、さらにその後葉桜先輩まで姿を現した。
極めつけはそんな人外魔境と化した梅屋に強盗が押し入った。新手の自殺かな?
そんな命知らずの強盗は人質に取った葉桜先輩に逆に突き飛ばされて、無人で動く自転車に股間を攻められたあと、九鬼の関係者に連れていかれた。
怒濤の展開すぎるだろ。
普段のバイトより数倍疲れた。店長も俺と同じ気持ちだったのか、
ともかくバイト先が壊滅しないで良かった。
さりとて今日という1日はまだ終わらない。
「うぅ……」
帰り道で通りかかった多馬川の土手。深く生い茂った草むらの奥から人の呻き声が聞こえてきた。
げんなりしつつ、しかし緊急性のある事態だとヤバいので草むらの中を覗き見る。
そこにはジャージを着たお姉さんが行き倒れていた。
「大丈夫ですか?意識はありますか?」
「だ、大丈夫……だから……」
「具合悪いんですか?自分の名前は言えますか?」
「名前は、
ぐぅ~~~、と豪快に腹が鳴る。むろん橘さんの腹だ。
どうやら怪我や病気ではなく空腹で倒れていただけらしい。いやまあそれもなかなかの案件ではあるけれども。
「これ食べてください。バイトの賄いで悪いですけど」
「そんな、受け取れないよ」
「かといってこのまま貴方を無視していくのは俺の精神衛生上よくないんです。だから俺の心を助けると思って」
「でも、私に関わったら君にも不運なことが起こってしまうかも……」
「それならもう前払いしてきてるから平気かな……」
あんな人外集団の中に放り込まれるとか地獄以外のなにものでもないわ。
川神学園に入学して以来最大の不運を切り抜けてきたんだからあれ以上のはそうそう起こりそうもない。
「とりあえずこれ置いてくんで気が向いたら食べてください。じゃあ俺はこれで」
「あ……ありがとう……」
あんまり人と関わりたくなさそうな雰囲気を感じたので目の前に牛丼弁当が入った容器を置いて立ち去る。
ああいうタイプはあれこれ手を焼こうとすると逆効果になることが多いからな。どうせこれっきりの関係だろうから押し付けてさよならしてしまえばそれまでだ。
しかし相当弱ってたけど橘さんもあれ壁越えてるよな?
それほどの人がどうして空腹で行き倒れになんてなるんだか。世の中は謎に包まれてることがあるもんだ。
例えばそう、川神で旬の話題であるファントム・サンの正体とかね!
「びっくりさせてごめんなさい」
橘さんと別れてしばらく。人通りがさらに少なくなったところで上空から男が降ってきた。
さらに数瞬遅れてフードを被った女性も土手に降り立つ。
そいつは男を降らせるという異常気象を引き起こしながら、だいぶ軽い謝罪で済ませた。
足元には白目を向いて気絶した男。格好からしてこいつが武道家であることが見てとれる。
そして数メートル先に立っているフードの女。この女も壁を越えてる。
今さらだけど川神って頭おかしいんじゃねぇの?ため息が出るぜ。
「あんたが噂のファントム・サンか?」
「あら、私も有名になったのかしら」
「まあそれなりなんじゃないの」
「あまりこの名前が有名になるのは望ましくないんだけれど」
じゃあファントム・サンとか名乗るなよ。
そう突っ込むのは簡単だが、俺にはそれよりも気にかかっていることがあった。その疑問を思わず口に出してしまう。
「なあファントム」
「そう呼ばれるのは新鮮ね」
「1つだけ聞きたいことがあるんだけど」
「時間がないから本当に1つだけよ?ちなみにスリーサイズは秘密」
ファントム・サンは思いのほか愉快な性格をしているようだ。
けど今はそんな情報どうでもいい。俺はこの正体不明の相手に既視感を覚えている。
「あんた、もしかして義経達と同じクローンか?」
瞬間、ファントム・サンの雰囲気が変わった。というかイメージの中で斬りかかってきやがった。
いきなりすぎたので思わずそれを捌いて喉元に剣を突きつけてしまった。もちろんそれもイメージ内での行為だが。
「……っ!」
ファントム・サンが弾かれたように飛び退く。
「あー……悪い。今のは別にあんたを攻撃しようとしたわけじゃなくてだな……」
「……いいの、分かっているわ。先に手を出してしまったのは私の方だもの」
「話が分かる相手で助かる」
「でも女の子の素性をぶしつけに探るのはよくないわよ?」
反省してね?と言い残してファントム・サンは姿を消した。質問に答えることなく逃げやがったな。
逃走したのは……西の方か。追いつけなくもないが、興味本意で尋ねただけだしそこまでして聞き出したいわけでもない。
ああいう厄介事が服を着て歩いてるような奴と関わると大概ろくでもないことになるだろうしな。
俺は制服の内ポケットからスマホを取り出して救急車を呼んだ。
足元で伸びてる男を放置するわけにもいかないからな。