6月が終わり、今日から7月になった。2日前に最上先輩の家にお呼ばれしたところ、謎の襲撃があって俺の制服が焼け焦げた。
それ自体は最上先輩が弁償してくれるし、もう衣替えで夏服になるからどうでもいいっちゃいいんだが。
気になるのは最上家を襲撃した2人組だ。どう考えても戦闘を生業にしているプロの動きだったが、なんでまたそんな奴らに襲われたのか。
九鬼関係で色々あるのかねぇ。
なんて思案しながら自作の弁当をつつく。今日は学食じゃなくて屋上だ。理由は最上先輩に呼び出しを食らったからである。
まあ話の内容は大方予想がつくけど。
ガシャン、と屋上の扉が開く。そして梯から待ち人が顔を現した。
「ごきげんよう、巽。遅れてしまってごめんなさい」
「良い場所教えてもらったんでチャラですよ」
「燕のおすすめスポットなのよ、ここ」
燕……ああ、松永先輩か。あの人転校してきて1ヶ月ちょいなのによくこんな場所見つけたもんだな。
ただ松永先輩のお気に入りなら不用意に近付くのは止めとこう。
さっき偶然にも死角になるだろう場所に、どこかの誰かが忘れていったらしい盗聴器が、たまたま電源が入った状態で放置されていのを見つけたからな。
ちなみに壊すのも怪しまれるので盗聴器の近くにスマホを置き、その場のBGMとして不自然じゃない音量で適当な曲を流し、会話の内容は聞き取れないようにしている。
ただ松永先輩の興味が俺に向いてるのか最上先輩に向いてるのか分からないのが怖い。
「して、お話とは?」
「まずはこれ」
最上先輩が紙袋を手渡す。中身は真新しい制服だった。
仕事が早い。さすが議長。
「ありがとうございます」
「お礼はいらないわ。むしろ謝罪と感謝をしないといけないのは私の方だもの」
「なら感謝の印を受け取りたいですね」
「あら、大胆ね。健全な男子の欲望を受け止めきれるかしら」
「というわけで俺のことは九鬼にも他言無用でお願いします」
「巽はつれないわね」
「露骨なからかいには乗らないんで」
それだけ
上位世界はムリだろうけど、その“入り口”くらいまでなら到達してしまえそうな人が川神にはいるからな。
川神先輩やヒュームくんはその筆頭だ。特に川神先輩なんかはそっちに行ってみたいとか言い出しかねないし、存在を認識してしまえば自力でたどり着いてしまうかもしれない。
しかし川神先輩でも“入り口”では生き残れないだろう。ビームを撃てようがブラックホールを形成できようが、ただ強いだけじゃ戦いにすらならない連中が
秘密を隠しているのは俺の保身も目的ではあるが、同時に実力者を無駄死にさせないための配慮でもある。
「まあいいわ。その条件、飲みましょう」
「助かります」
「当然それくらいは、ね。そうそう、昨日捕縛した2人は
そりゃまたビッグネームが出てきたもんだ。っていうかこっちには梁山泊が実在してんのか?
「その梁山泊っていうのは?」
「“歴史が動く時、その影に梁山泊あり”と言われるほどの中国の傭兵集団よ」
「おっかないですね」
最上先輩の反応からするに俺が梁山泊を知らないことを疑問に思ってる様子はない。つまり元の世界とは違って梁山泊の名前はそこまで有名なもんじゃないらしい。
少なくとも俺が知らなくても不審がられない程度には。
「でもなんで傭兵なんかに襲撃されたんですか?」
「お父様が梁山泊と、彼らが対立している組織に試練を与えたのよ。その逆恨みといったところかしら」
「それ逆恨みじゃないと思うんですけど」
真っ当な復讐である。
それをいけしゃあしゃあと“逆恨み”と言ってのけるあたり、最上先輩もなかなかに図太い。
「ああ、それとりっちゃんから伝言を預かってるの」
こうして堂々と話を逸らすところなんかもな。
というか……
「りっちゃん?誰ですかそれ」
「
「いやだから誰……もしかして梁山泊の人?」
「ええ。黒い髪の槍術士がいたでしょう?」
不自然な動きをしていた方だな。あれは精度の高い先読み、もしくは少し先の未来が見えている動きだった。
だからどちらにしても回避できないような攻撃をしたわけだが……。
「そのりっちゃんからよ。『あの攻撃は何なんだ?見えていたのに見えなかった』ですって」
やっぱり良い眼をお持ちのようだ。
ただまあそれに答える義務もないしな。
「黙秘権を行使します」
「まあそう言うわよね」
「あっさりと引き下がりますね」
「昨日も言ったけれど無理強いをするつもりはないの……今は、ね」
最上先輩はそう言いながら意味深な笑みを浮かべる。
信頼感は“まだ”ない、って言葉は安易だったかもな。あれを口実にがんがんアプローチしてきそうな気配を感じる。
それが純粋なものならどれだけ嬉しかったか。
「それはそうとあの話は考えてくれたかしら?」
「あの話?」
「私と義経の競い合いよ。その審判をしてもらえないかってお願いしたでしょう?」
「本気で言ってたんすか……」
それを受ける利点が俺にはない。
……と今の今まで思っていたが、このタイミングで切り出されるとそう断言するのにためらいが出てくる。
正確に言えば利点があるのではなくて要らぬリスクを回避するという意味で一考の価値があった。
どうも最上先輩は俺が隠している秘密に執心している。それを聞き出すために俺との距離を縮めようとしてくるだろう。
ここで問題なのが今の最上先輩が大層目立つ立場の人だということだ。
接点の見えない、学年も違う有名人に構われるモブ男子。周囲からすると俺の立ち位置はそうなる。
同級生にやっかまれるだけならいい。
だが木曽義仲という正体を晒した直後から親密にし始めた謎の男子として、各勢力から注目を浴びる恐れがあった。
だが競い合いの審判に巻き込まれた、という言い訳を隠れ蓑にしていればその恐れもいくらか低くなるかもしれない。
「もちろん巽にだけやらせるつもりはないわ。せめてもう1人くらい誘うから貴方だけが目立つ、ということはなくなる」
「1番穏便なのは最上先輩が俺に近付かないことだと思いますけど」
「それは無理よ」
あっさりきっぱり言い切られた。無茶苦茶だよこの人。
暗に“九鬼や川神院に興味を持たれたくなければ言うことを聞いて”、ってことだろう。正直最上先輩に目をつけられた時点でもう手遅れ感が半端ねぇけど。
……ファントム・サンに出会ったのが運の尽きだったのかもしれん。
立ち回りミスったなぁ。
気を張ってはいたつもりだったけど、知らず知らずの内に緩んでたと言わざるをえない。
緊張感を維持するには川神はお気楽で、安全で、平穏すぎた。今回の件は脇の甘さが招いた俺の責任か……。
「はぁ……分かりました。審判くらいなら引き受けますよ」
「ありがとう巽。嬉しいわ」
最上先輩はその言葉に違わぬ笑みを浮かべる。
ほんと、これでめんどくさい事情さえなけれゃもっと楽しい未来を想像できんだけどねぇ。
「む、戻ったか」
「ただいま、りっちゃん」
「……そのりっちゃんというのは止めてくれないか?」
「いいじゃない。可愛いでしょ?」
「そういう問題ではなくてだな……」
自宅に帰ればりっちゃんこと林冲がリビングでお茶を飲んでいた。私はそこに相席して一緒にティータイムを楽しむことにする。
「ところでまっちゃんはどこに行ったの?」
まっちゃん、というのは武松のあだ名。女の子のあだ名にぶーちゃんはちょっとね、という配慮の末にそうなった。
まあまっちゃんならそういうことはあまり気にしなさそうではあるけれど。
「仲間が泊まっているホテルだ。説明が電話だけだったからな」
「意外ね。そういうのはりっちゃんの役目かと」
「……仲間の中に武松に懐いているのがいてな。顔を見せに行ったんだ」
「ふーん。なら貴女も一緒に行ったらいいじゃない」
「私と武松は一応軟禁されている身だ。そこまで好き勝手に動くつもりはない」
「義理堅いのね」
軟禁、といっても出ようと思えば出ていけるようにはなっているのに。
そもそも話を聞きたかったから昨日1日は滞在してもらっただけで、別にもう帰ってもらっても構わないのだけれど。
「むしろそちらが手緩いと思うのだが。私達はMを、旭の父親に危害を加えようとしたんだぞ?」
「そのお父様が問題ないと言っているのだからいいのよ」
お父様がああ言うということは解決する手段があるということ。
昨日「手を打ってはおいたけど、一手遅かったみたいだね」と呟いていたのを考えても数日中に事態が変わってくるはず。
それにまた何日間か九鬼の方で缶詰めになるみたいだし、あそこにいるなら梁山泊も手出しはできないでしょう。
「それから巽に伝言は伝えておいたわよ。答えは教えてもらえなかったけれど」
「……それはそうだろうな」
「それでりっちゃんが巽の攻撃を避けられなかった理由は分かったのかしら?」
「いいや。情けない話だがさっぱり分からない」
昨日の聴取でりっちゃんが特殊な眼を持っていることは聞いている。その眼は数瞬先の未来を――攻撃を見ることができるらしい。
つまり予測ではなく、予知。私の攻撃が狙い通りにいかなかった理由。
にも関わらず巽の攻撃はまっちゃんに、そしてりっちゃんにも命中した。
「彼の攻撃は見えていたんだ。攻撃の速度も速かったけれど決して対応できないものではなかった……はずなんだ」
確かに少なくとも私達の眼で見切れないほどの攻撃ではなかった。
タイミングとしては完全に回避しきることが難しかったのも事実ではあるけれど、無抵抗のまま受けるというのも彼女達の実力からすればおかしな話だ。
「巽は強さに見合わないほど気が小さいわ。そのせいで読みきれなかったということは?」
私もそうだけれどある程度の強さを身に付けた人間はあらゆるものを、特に戦闘中は相手の攻撃を気で察知することに長けている。
言い換えればそれに頼りがちであり、気はないのに強いという世にも珍しい異質な巽の攻撃に惑わされたのかもしれない。
「その可能性は低いと思う。読みづらかったとか、タイミングのズレとかそういうものではなくて……」
そこまで口にしてりっちゃんは押し黙る。きっと自分の中で言葉を整理しているんでしょう。
けれど続いた彼女の言葉は要領を得ないものだった。
「なんというか……攻撃を予知した時にはすでに攻撃が当たっていた。そんな感じなんだ」
どういうことだろうか。
未来を予知するというのは攻撃を先読みできるということだ。その未来を見た時点で攻撃が当たっていた?
「……そういえば」
脳裏にあの時の光景が甦る。
巽が『紫電の腕』と呼んでいた一撃。あれは“2人に直撃してはいなかった”。
直撃していないと言うと語弊があるかもしれないけれど、でもあの拳は物理的な接触はしていなかったように見えた。あの瞬間だけ加速していたとも考えづらい。
果たしてそれが意味することは……
「どうした?」
「……いいえ、なんでもないわ」
りっちゃんは怪訝そうな表情を見せながら、でもそれ以上聞いてくることはなかった。それにほっとする。
まだまだ仲良くなれていないのは残念だけれど、思いついた仮説がさすがに突拍子もなさすぎて聞かれたら困っていたところだもの。
――攻撃を当てる前に、攻撃を当てたという結果を生み出したんじゃないか、なんてね。