はぐみの兄ちゃんは苦労人   作:雨あられ

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第10話

最近日菜の様子がおかしい。

 

「はぁ……」

 

夕方になると外へと出て行き、夕食近くになると今みたいにしょんぼりと肩を落として落ち込んだ様子で家へと帰ってくる。そして、大きなため息をついたかと思えば、どこか上の空で何も映っていない携帯を眺める……。いつも元気で鬱陶しいくらいに付きまとっていたあの日菜がである。

 

「日菜、あなた最近変よ」

 

「え、ヘン?前からだよ」

 

「確かにあなたが変なのは今に始まったことではないけれど、いつにも増しておかしいわ」

 

「そうかなぁ……」

 

「……何かあったの?」

 

「え?」

 

そんなことを言うつもりはなかったのに、自然と日菜を心配するようなセリフが出てしまう。私の言葉を聞いた日菜は落ち込んだ様子から次第に目をキラキラと光らせる。

 

「おねーちゃん、心配してくれてるの!?」

 

「べ、別に、心配というわけでは……」

 

そういうものの、日菜には聞こえていないのかじーんと感動したように身を震わせている。これだから……こんなことは言いたくなかったのに。

 

「あのね、おねーちゃん!」

 

「ええ」

 

どうせ、大したこともないことで深く悩んでしまっているのだろう。そう思って次の日菜の言葉を待つ。

 

「恋(こい)ってなに!?」

 

「ああ、恋ですか……!!?」

 

こ、ここここ、恋(コイ)!!????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後。いつもより早く着いたスタジオの中、ギターを持ったまま練習もせずに立ち尽くす……。

 

日菜は、友達は多いが特別仲良くするような存在はおらず、事あるごとに私のそばをついて回るような、そんな妹であった。だからこそ、私から彼女を突き飛ばしでもしない限り、どこまでもついてきてしまうと、そう思っていたのに……。

 

『恋ってなに!?』

 

「……日菜」

 

「紗夜。流石ね、もう来ていたの」

 

「っ!湊さん、お疲れ様です」

 

扉を開いて入ってきたのは羽丘女子学園の灰色の制服を身に纏ったロゼリアのボーカル兼リーダー……湊友希那。このロゼリアというバンドも彼女が居なければ始まらなかったであろう、そんなチームの中心的存在……。彼女は扉を閉めると、持っていた鞄をそっと壁の近くに置いた。

 

「今井さんは?」

 

「少し遅れると言っていたわ」

 

「そうですか」

 

湊さんがマイクの調節を始めたのを見て私もアンプの音量を小さくする。

今日は、この前完成した新曲の仕上げを行うのだろう。あのフレーズは転調の部分が合わせづらいから……と、そう考えていると湊さんが腕を組んで何かを考え始める。

 

「湊さん?どうかしましたか」

 

「紗夜。いえ、どうもミキサーの調子がおかしいみたいなの。音が上手く出ないわ」

 

「なるほど、ではスタッフの方に連絡してみましょうか」

 

「ええ、お願いできるかしら」

 

その場から数歩歩き、白い受話器に手を伸ばすとスタッフの人が出るのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、1時間も練習ができないなんて……」

 

「仕方がありません。その分長く部屋を借りられるとのことですし……宇田川さんたちには連絡を入れておきました」

 

結局、機材トラブルのせいで練習が出来なくなってしまった。

仕方なく一番近くのファミレスで時間をつぶし、他のメンバーを待つことになったのだけれど、あたりには同じように制服を纏った学生や、家族連れに主婦の集まりと相も変わらず騒がしくて、ここの雰囲気には慣れそうにない……。

湊さんと二人案内された席に腰を下ろすと、すぐにウェイトレスの女性が近寄ってくる。

 

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか」

 

「ドリンクバーを二つ、それからこのサラダと……」

 

「こ、このポテトを一つ」

 

「ポテトはケチャップと期間限定明太子マヨとお選びいただけますが」

 

「き、期間限定明太子……で」

 

「はい、ご注文繰り返させていただきます。ドリンクバー2つとサラダ、特盛超お得ポテト限定明太子味ですね。少々お待ちください」

 

そういってウェイトレスが去っていったのを見届けると、はたと湊さんと目が合ってしまう。

 

「これは、あの二人が期間限定などという安っぽい宣伝文句に釣られて注文をしそうだったから先んじて注文しておいてあげるだけで……」

 

「私は何も言っていないわ、紗夜」

 

「……の、飲み物を取ってきます。湊さんは……」

 

「ありがとう、紅茶をお願いするわ」

 

「わかりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

黙って紅茶を飲む湊さん。その姿が夕べの憂鬱そうな顔をしていた日菜と被って見えたため、それを振り払うように少し首を振って自分のカップに口をつける。

 

『恋ってなに!?』

 

別に、日菜がそう言ったことに興味を持つのは何もおかしくないというのに……。どうして、こうも気になってしまうのか。心の奥がざわざわとして落ち着かない。だって、あの日菜が……

 

「恋……なんて」

 

「ぶっ!!??げほげほっ!!?」

 

「み、湊さん!?大丈夫ですか」

 

備え付けのナフキンを手渡すと、それで口元を拭う湊さん。

胸元を抑えて、一通り咳き込み終わると、頭を垂れて、大きく深呼吸をする。

 

「紗夜、あなたもしかして……恋をしたの?」

 

「わ、私が!!?い、いえ、私ではなく、日菜が……」

 

「日菜が……?」

 

「はい、恋とは何なのかと聞いてきたので……」

 

「そう」

 

私の話を聞いて納得してくれたのが、腕を組んで目を閉じて頷く湊さん。どうやら、自然と悩みが口に出てしまっていたようだ。うっかり言葉が漏れてしまうなんて、混乱して疲れてしまっていたのかもしれない。

そう、恋とは何のか、その質問に対して、昨日の私は何も答えることが出来なかった。そして、今もその答えはわからない、考えれば考えるほどわからなくなるのだ……どうして日菜はそんなことを……。

 

「湊さんは、恋、とは何なのだと思いますか?」

 

「……難しい質問をするわね、特定の人物を好きになること、なのだと思うけれど……残念ながら、私にも経験がないからよくわからないわ」

 

「そうですか……」

 

少し頬を赤くした湊さんのその言葉を聞いて、納得をしてしまう。彼女もまた、自分と同じなのだと。彼女は、音楽に生き甲斐を求めている。音楽を全てだと感じている。恋愛になんて現を抜かしている暇があれば、少しでも多く練習をしたい。きっとそう思っていることだろう。

 

「でも、音楽にはよく恋や愛をテーマにした曲が作られている。何時かは、私も向き合わなければいけないテーマだと思っているわ」

 

次に真剣な顔をした湊さんのその言葉を聞き、目を見開く。

 

「確かにその通りですが……しかし、私たちロゼリアの楽曲には合わないのでは?」

 

「……以前の私ならそう言っていたかもしれない。けれど、今は少しでも音楽を高める可能性があるものは否定するべきではないと考えているの。少なくとも、恋や愛、とは音楽においてはとても多様で、力を持っているテーマだと思っている」

 

「なるほど……!」

 

意外ではあったがその理由を聞き納得する。実際自分がそういった想いを抱いたことはないが、曲を聴き、演奏者の心に触れて、それに身を委ねたことは幾度かある。もしかすると、日菜も恋についてはバンドのテーマで悩んでいたのかもしれない。彼女たちのグループではそういった恋愛を題材した曲が多かったはずだ、きっと日菜も曲と向き合うために……。そう思うと、少し心の靄が晴れた気がした。

 

「流石は湊さん、私は少し視野が狭かったのかもしれません」

 

「ええ、ただ……このテーマに関して私には経験がない……想像で気持ちを込めることは出来るけれど、どうしても歌った時には実感のない薄っぺらな言葉だけのものになってしまうわ……」

 

そういってカップに口をつける湊さんを見て。私はさらに感心していた。恋愛などというのは、音楽を突き詰めていく上では妨げにしかならないと思っていたけれど。少し認識を改める必要があるだろう。そう思うと……

 

「湊さん、もう少し恋と音楽の関係性について考察を深めるのも悪くないのかもしれませんね」

 

「ええ。……ところで紗夜、あなた、そういった経験は……?」

 

「わ、私はその………………ありません」

 

嫌でも体中が熱くなってくる。きっと耳の先まで赤く染まってしまっているに違いない。

 

「そう……それは……困ったわね」

 

「そう、ですね……こういった時に、経験者の話でもあれば良いのですが……」

 

そう、私たちは気が付いてしまったのだ。

このまま二人で考察を進めても良いが、そこには答えのない、机上の空論でしかないことを……それではあまり実りのある議論になるとは思えない。

二人で押し黙ったまま腕を組んで考え込んでいると……

 

「はぐみ、なんだかおいしそうなドリンクね!?」

 

「へへーん、コーラとメロンソーダの合わせ技だよ!混ぜると美味しいんだ!こころんも色々混ぜてみると楽しいよ!」

 

「そうなのね、ならあたしは全部混ぜてみようかしら!」

 

「えぇ全部!!?すっごいよこころん!」

 

この声は……。

 

「湊さん、ちょうどこのテーマに詳しい人物に心当たりがあります。少し待っていてください」

 

「紗夜?」

 

席を立ち、ドリンクバーのコーナーに向かう、私の目論見が正しければ……彼女は、北沢はぐみはこのテーマに関してはエキスパートのはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、食べていい…ですか!?」

 

「え、えぇ、どうぞ」

 

「わーい、いただきます!」

 

「うーん!変わった味のケチャップね!」

 

「それはケチャップではなく、明太子マヨです」

 

目の前には二人の少女。

一人は、オレンジ色のショートヘアをした少女、北沢はぐみ。手を合わせると、「待て」を解かれた犬のように勢いよくポテトを食べ進めている……。

そして、もう一人は金色の髪を靡かせる笑顔の少女、弦巻こころ。彼女の行動は学校でもたびたび問題になっていて生徒会としては、頭を悩ませる種なのだが……まぁここは学校の外、あまり口酸っぱくして何かを言う必要もないだろう。

 

二人はもくもくとポテトに手を付けている……あぁ、みるみるうちに私のポテトが……。と、量が少なくなってきたころに、不意に目の前にいた北沢はぐみが顔を上げて、おずおずとこちらに尋ねてくる。

 

「紗夜先輩は食べないん、ですか!?」

 

「わ、私は別に「じゃあ、はぐみたちで全部」でも!北沢さんがそこまで言うのなら、もぐ、仕方なく、もぐ」

 

……!!美味しい!やはり明太子マヨとポテトの相性は悪くないわね。

もう少し味について検証を……

 

「……紗夜、大丈夫なのかしら?」

 

はっとする。私の事を言われたのかと思いドキリとしたが、どうやら湊さんは、この二人が今回の話題に関して通じているのか心配だといった意味で、大丈夫かといったようであった。

 

「大丈夫ですよ湊さん、弦巻さんはともかく、北沢さんはこの道の経験者ですから」

 

「え、そう、なの?」

 

かなりの衝撃を受けたらしい湊さん。珍しく目を丸くしている。私も初めて見たときは驚いた。なんせ北沢さんにはあの羽沢さんのお兄さんというれっきとした恋人が居るのだから。

 

「んん、お二人にお伺いしたいことがあります」

 

「何々、ソフトボールの話?」

 

「違うわはぐみ、きっと笑顔になるような素敵な話よ!」

 

「いえ、実は……こ、恋とは、何なのか、ということを今議論していて……」

 

「「こ、こい!?」」

 

「二人とも、声が大きいです!」

 

言っている自分が恥ずかしくなってしまい、耳がまた熱くなってくる。

弦巻こころの目はキラキラと星のように輝き、北沢はぐみはもじもじと少し恥ずかしそうに顔を赤らめている。

 

「恋ならいっぱい知ってるわ!」

 

と、次に口を開いたのは予想外にも弦巻こころであった。

何も考えていなさそうな彼女が、まさか恋愛経験豊富、だった!?

 

「そ、そうなのですか?」

 

「ええ、赤くて白い恋とか、黒くておっきな恋とか、金色の恋もたーっくさん!そうだわ、今度友希那たちも観に来てちょうだい!」

 

赤や白、黒や金色?随分と詩的な例えだが……いや、まさか。

 

「……それは魚の鯉では?」

 

「?パンパンって、手を叩くとみんな寄ってくるの!」

 

「こころんちの鯉のエサやり、すっごく面白いよね!!みんな、ぱくぱくーって寄ってきて!!」

 

「そのコイじゃないわ」

 

珍しく、湊さんがツッコミを入れる。

……ふぅ、そういえばハロー、ハッピーワールドとはこのような奇天烈なバンドグループであった。合同でバンド練習をしたときに苦労したことを昨日のことのように思い出せる。この二人と話していると、まるで日菜が二人に増えたような、そんな気苦労を覚える。

 

「こころん、きっと紗夜先輩たちは人間のコイについて聞いてるんだよ」

 

「人間の鯉?そんなものが居るのね!!」

 

「違います!親しい男女間であるような、その、そういった恋です」

 

「男女間のこい?」

 

「えっと、相手の事を好きになっていく、ような、その過程というか、きっかけの感情というか……」

 

ますます、耳が熱を帯びる。この二人に声をかけたことを早くも後悔し始めている。

二人はおぉ、なるほどー、何て言って頷き合っているが、本当に理解しているのか怪しいところである。

 

「大体北沢さんは私たちの誰よりもこういった話に詳しいではないですか!」

 

「えぇ!?はぐみが!?」

 

「そうだったのね!!はぐみ!」

 

どうして本人が驚いているのよ!この二人と話をしているとこちらの頭がおかしくなりそうであった。

 

「で、でも……はぐみ、その……」

 

「別に深い話を聞きたいわけではないわ。ただ、恋とはこんなものだと、心で感じたことを教えてほしいの」

 

湊さんの言葉を聞き、顔を真っ赤にした北沢さんが太腿の間に両手を差し込んで、恥ずかしそうに眼を泳がせている。しかし、興味がある。多くの音楽家たちが揺り動かされたというその感情に。

 

「好きだなって思ったこと……あ、えっと……はぐみが小学生のころね……」

 

!北沢さんの貴重な体験談を聞けると、そう思った時だった。

 

「くっくっくー、お待たせしましたー友希那さん!紗夜さん!って、あれ、こころにはぐみ!?」

 

「この4人って、なんか珍しい組み合わせだね~」

 

「おまたせ、しました……」

 

ぱっと横を振り向くと、そこには今井さんと宇田川さん、白金さんも……!?

どうやら各々の用事が終わり、ここに合流したようであったがタイミングが悪すぎる。3人を見て、北沢さんの開きかけていた口が一の字に閉まってしまう。

 

「?こころー、友希那さんたちと何話してたの?」

 

「今、あたしたち4人で恋について話しをしていたところなのよ!!」

 

「「は?」」

 

「「「えぇ!?」」」

 

そう両手を広げて笑顔を浮かべる弦巻さんを見て固まってしまう。確かにそうなのだが、その伝え方では確実に今井さんたちは勘違いをしてしまう!私達は下世話なものではなくて、もっと深い音楽に関する考察の為に……。

と切り出そうとしたこちらの考えなど露知らず、今井さんたちが顔がくっつきそうなほど身を乗り出てくる。

 

「ゆ、友希那と紗夜の恋バナなんて超気になる!?」

 

「そうですよ!あこたちも呼んでくださいよ!!」

 

「お、落ち着きなさい。リサ、あこ。今、貴重な体験談を……」

 

「あ!そうだ!はぐみ今日はうちに帰ってコロッケ揚げる手伝いしなきゃ!じゃあまたね、みんな!」

 

「あら、面白そうね!あたしも行くわ!それじゃあみんな、また会いましょう!」

 

「ちょ、北沢さん、弦巻さん!?」

 

場をかき乱すだけかき乱していき、北沢さんと弦巻さんはファミレスを後にする。それに続いて黒服の方々は会計を済ませ、ぺこりと一礼をすると走り去っていく……。

 

「それでどんな話したの!?ねぇねぇ、友希那ーアタシにも教えてってばー」

 

「い、いえ、私の事ではなくて……」

 

「じゃあ、紗夜さん!?」

 

「私、気になります……!」

 

っく……結局何もわからなかった!

はぁと大きくため息をつくと目の前にあったポテトに手を出そうとしたが、バスケットの中には既に小さなかけらほどのポテトも残っていなかった。

 


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