「すみません、急にお邪魔しちゃって……」
「いや、大丈夫だよ」
そういって、目の前に居るボーイッシュな服装をした黒髪の少女・みーくんこと奥沢美咲に暖かいお茶を出すと、申し訳なさそうな顔をしてそれを受け取った。
みーくんははぐみが通っている高校の同級生であり、また同じハロー、ハッピーワールドのバンドメンバーでもある。その役割は、なんとクマ兼DJ。
そうクマなのだ。
初めクマのミッシェルを見たときはそのあまりの異様さに驚いたものの、今では彼女が、ミッシェルが居なければハロー、ハッピーワールドが物足りないと感じるほどに強烈な印象を残している。そして、その「中身」の彼女はバンドにとって更に重要な存在で、DJのほかに曲の作成、ライブの準備、はぐみやこころたちのお世話役(最重要)といった役割を一身に担っている。いつか無理しすぎて倒れるのではないかと少し心配だ。
そんな彼女から、俺に対してお願いがあると連絡があったのだが……。
「今日もバンドのことで相談?」
「ああ、はい、まぁ、そうなんですけど……う~ん……大丈夫かなぁ」
?何とも煮え切らない返事だな。
「いつもはぐみがお世話になってるんだ。遠慮せずなんでも言ってくれよ」
「あ、今、「なんでも」って言いました?」
…………やばいやつだ、これ!
はぐみの兄ちゃんは苦労人
現在、屋外に出た俺とみーくんは人目の少ない河川敷のあたりまでやってきていた。
そこで……
「……これは少し無茶があるんじゃないか……」
俺は……ミッシェルになっていた。
いや、正確にはミッシェルの着ぐるみを着ようとしていた。頭は何とか入ったのだが、胴体を着ることができず。脱皮しかけのセミのようになっていた。すぅすぅと、背中に当たる川の風が冷たい。
「う~ん、やっぱりお兄さんには少し小さかったかぁ、あの黒服の人たち、あたしにピッタリに作ってくれてるみたいだし……」
「じゃあ、同じくらいの背丈の子に頼んだ方がよかったんじゃ?」
「他の子にミッシェルに入ってほしいなんて頼めないですよ」
はぁとため息をついてそう答えるみーくん。
そう、みーくんのお願いとは、1日ミッシェルの代役をしてくれというものだったのだ。
言質を取られたのもあって渋々ミッシェルの着ぐるみに着替えようとしたのだが……結果はご覧のとおりである。
「しかし、どうしてミッシェルの代わりなんか?」
「あ~それはですね、なんというか……ハロハピのライブを見たかったから、ですかね」
ポリポリと頬を掻いて、恥ずかしそうに眼をそらすみーくん。
「?ライブが見たいのなら、ビデオカメラにでも撮れば良いじゃないか」
「いや……その……お兄さんははぐみたちが、ミッシェルの中にあたしが入ってることを知らない、っていうのは知ってますよね」
「まぁ……」
いまだに信じたくないが、はぐみもこころも薫もミッシェルとみーくんを別人だと思っているらしい。まぁ、薫は……多分気が付いてるだろう。恐らくミッシェルを「演じている」美咲に対して、そんな無粋なことは言わないだけだと思うが。
「あたしがミッシェルになってるときに、こころたちが美咲にもライブを見ててほしかった~ってよく残念がられることがありまして……だからちゃんと見てるよって証明したくて」
「なるほど……」
「まぁ一番良いのは、あたしがミッシェルだって、気づいてもらうことなんでしょうけど……そっちはもう、諦めました」
ミッシェルがステージに上がっているとき、観客席に奥沢美咲は存在しえない。
だから、俺にステージに上がってもらい、その間に、みーくんは観客席に、か。
……何というか、面倒くさがりに見えて真面目な彼女らしいお願いだと思う。
「でもまぁ、見ての通りなんだ」
そう、とてもじゃないが着られそうにないのだ。まぁ頭だけでも3バカの面々はごまかせそうな気はしないでもないが……。観客が驚くこと間違いなしだ。
「そうですね、やっぱり諦めて……」
「失礼します、北沢様少しじっとしていてください」
うお!あんたらどっから出た!?
影の中から突然現れた黒服の方々。そう、弦巻こころのSPの皆さんである。
その彼女たちが俺の事を取り囲むやいなや、一瞬でセミの抜け殻状態のミッシェルを脱がし、メジャーで次々と俺の各部位の寸法を測っていったかと思えば、一斉に、どこかへと消えてしまう。
「な、何?何だったんだ?」
「ははは、うん、まぁ、それが普通の反応ですよね。なんかもう、慣れちゃって……」
「えぇ……」
遠い目をしているみーくん。その顔は、全てを諦めているようでもあった。
「出来ました。北沢様専用ミッシェルです」
「え?」
早!?もう出来たの?って?ちょ、どこ触って、やめ!碌に抵抗もできず、あっという間に着替えさせられてしまう……。
「……」
「あ、ミッシェルだ……なんか、こうしてみると変な気分ですね……」
のぞき穴から見えるみーくんがうんうん頷きながらそんなことを言っている。どうやら俺は今ちゃんとミッシェルになっているらしい。にしてもこれがキグルミの中なのか……思った通り中は重いし暑い、かなり蒸す。厚着した上からさらに毛布を羽織ってるような、そんな気分だ。視界も見えないほどでは無いが、そんなに良くもない。
「まぁ、これで少しくらいなら代役はできるかもしれないけど……」
「あ、普通の声で喋ると声でばれちゃうかも」
「……み、みんな~」
裏声を出す。と、プっとみーくんは噴き出し口元を抑えた。
「ふ、ふふ、そうそう、良い感じです……それにしても、これがみんなの見てるミッシェルなのかぁ……」
そういってクスクス笑いながら、みーくんが俺の乳首のある辺りを触ってくる。もちろん、何の感触もないが……って、なんだ、抱き着いてきたぞ。
「……確かに、モフモフしてる……」
「……」
ギュッとくっついてきたみーくんに対して、ぽんぽんと頭をなでてやると、はっとしたように体を離し、顔を赤くすると咳ばらいを一つして、腰に手を当てる。
「あー、良い感じです。引き続き、特訓しましょう」
「え?特訓?」
「そうですよ。だってお兄さん、DJなんてやったことないでしょ?」
「……」
う、嘘だろ。これを着てDJを?
視界は悪いし、手の感触もそんなにないし……正気の沙汰とは思えない。
「まぁあたしもあんまりよくわかってないんですけどね……まずは、せかいのっびのびトレジャーから行きます。あれはクラッチもダンスの振り付けもあって、一番大変なので」
!!??だ、ダンスも!?
「あれ、あそこ……?」
「?どうかしたの、燐子ちゃん?」
「松原さん……う、うん、ほらあそこ……」
「あれは……美咲ちゃんと……ミッシェル!?」
『ヘイヨーメーン♪』
DJ。昨今のバンドにおいては居ても珍しくはないのだが……やはり存在するバンドは稀のように思う。音の抑揚をつけたり、クラッチやジャグリングといった手法で音を出したりすることもあるらしいが……このハロー、ハッピーワールドにおいてはそのほとんどの役割が、ダンスやパフォーマンスといったマスコット的な立ち位置となっているという。ただ……。
「良いですか、そのまま、てきとーに踊り続けてください」
「……」
「そこへ、どーん!」
「!!!?」
ぐえ!?このタックル、まさか……
「はい、これが、テンションが上がって急に抱き着いてくるはぐみです。こけちゃわないように気を付けてください」
「……」
「次に……」
!!?急にこちらの手を持つと、舞踏会でやるような社交ダンスをしかけてくるみーくん。当然、俺はその動きについて行けず、足元はふらふらになっている。視界が悪くて目が回る。
「はい。これが、急に思いついたワルツのステップを取り入れてきた薫さんです。ギターのコードが絡まないように気を付けてください」
「……」
このハロー、ハッピーワールドにおいては、普通のDJよりもぐっと難易度があがっている!……今みーくんが見せてくれているのはライブ中のやり取りのほんの一例で、まだまだメンバーとの「絡み」があるというのだから恐ろしい。
「そしてこれが……「美咲ちゃん!」?花音さん!?」
ぱたぱたと階段から降りてきたのは、かのちゃん先輩と……確か、この前一緒にいた、燐子さん、だったか?よっぽど急いできたのだろう、二人は必死に息を整えている。
「み、美咲、ちゃん!はぁ、ど、どうして美咲ちゃんが二人いるの!?」
「へ?ああ……そう見えますか?実は……」
「そっか、こころちゃんたちに……」
「ええ、まぁ……あんまり毎回言われるのもあれなんで……」
休憩がてらすぐそこの階段に腰かけると事情を説明するみーくん。その間、俺はみーくんにミッシェルの口の差し込み口からストローでバナナ・オレを飲ませてもらっている。
本当、暑くて喉乾くな……俺はまだまだいけるが、女の子でそこそこ華奢なみーくんが毎回こんなハードなことを一人でやっていたとは……。
「な、何だか、正体がばれてはいけないヒーローものの定番みたいで、か、カッコいい、です」
「いやいや、燐子先輩。そんな良いものじゃないですって……」
「……」
これ、少しくらい外してもいいだろうか。通気性は悪くないが、外のひんやりとした風を感じたい……。おっさんくさく体勢を崩して座ると、パタパタと首元を手であおってみる。風は、あまり入ってこない。しょうがない、これ外して……
「あぁ~!!!!」
げ!!?この声は、まさか!
「ミッシェル!ミッシェルがいるよ!」
「まぁ本当ね!ミッシェル~!」
ど、どうしてこのタイミングで、こんな人気のない河川敷に来るんだよ。あまりにも間が悪い。まだまだミッシェルの何たるかを把握していないというのに。
あっという間にここまで距離を詰めると、嬉しそうに飛びついてきたのはハロハピメンバーの二人、こころとはぐみ。二人とも、キグルミを見て飛びついてくるとは、対応がまさに子供のそれと同じである。二人を抱えながらチラと、みーくんと目を合わせると、少し悩むそぶりを見せた後、コクリとうなづいた。
「ふたりともー、急に飛びつくと危ないよ~」
!!?みーくんはさっと俺の後ろで屈むと、そんなアフレコ音声を入れてくる……。いやいや、そんな某名探偵みたいなこと、すぐにばれ……
「わわ、ごめんね!ミッシェル!でも、ミッシェルに会えたのが嬉しくって!」
「そうよ!最近ミッシェルは、ライブの時にしか来てくれないんだもの、寂しかったわ!」
全くばれてない。声の聞こえてくる方を見たら、すぐわかるだろ!
「ごめんね~、ミッシェルにも用事があって~」
「そうだったのね!なら仕方がないわ!」
「うんうん!今日は会えてうれしいよ、ミッシェル~!!」
スリスリと頬ずりをする2人。二人とも、よほどミッシェルの事が好きなのだろう。ただ、二人が落ちないように抱えるのも立っているのもキグルミの中だと結構大変である。
「あ~、んん、二人ともミッシェルが困ってるでしょ、いったん離れて」
「あ、みーくん!」
ぱっと二人が引き剥がされたのを見て、ふぅと息をつく。暑かった…。
「こころちゃん、はぐみちゃん、こんにちは」
「こ、こんにちは……」
「あら、花音と燐子もいるのね!今日はミッシェルとみんなでどんな楽しいことをしていたのかしら!?」
目をキラキラとさせてそう聞いてくるこころ。どうするんだ、この状況……何とか、ボロが出ないようにしないと……。なるべく、変な動きをしないように棒立ちでいることを務めた。
「えーっと……特訓!そう、特訓だよ!ミッシェルは今、特訓してたんだよ、うん、そうに違いない」
わざとらしく頷いて見せるみーくん……どうやら誤魔化す方向で行くらしい。
「そうだったのね!それで、一体どんな特訓を!?」
「えーっと、ほら、ハロハピって、キーボードが居ないでしょ?だから、ロゼリアのキーボード担当の燐子先輩にお願いして、教えてもらってたの」
「えっ……?」
急にパスが飛んできて目を見開く燐子さん。こころたちのキラキラとした目は、燐子へと降り注ぐ。
「そうだったのね!!確かに、ミッシェルがキーボードを弾けたら、もーっと楽しいことになるに間違いないわ!!」
「うんうん!はぐみ、今からワクワクしてきちゃったよ~!」
「え?え?えっと、そ、そうなんです……はい。わ、わたしがみ、ミッシェルさんに、お稽古を……」
咄嗟に話を合わせてくれた燐子さん。なんか、えらく緊張しているようだが……大丈夫だろうか?
「ねぇ、ミッシェル、あなたがどんな特訓をしてたのか、あたしにも見せてちょうだい?」
「あ、はぐみもみたいみたい~!ミッシェルがキーボードを弾いてるところなんて、絶対可愛いよ~!」
……どうするんだ、みーくん。
「あ~こころ。秘密の特訓だからさ、まだ二人には見せるわけには……」
「そうなのね」
「秘密じゃしょうがないね……」
そういうと、少し残念そうに肩を落としたが、あっさりと諦めてくれた。2人とも、みーくんの言うことには素直に聞く節があるな……やっぱり信頼されてるのだろう。しかし、すぐに笑顔に戻って、ミッシェルである俺の脇腹辺りをモフモフと触ってくる。
「ミッシェル、じゃあ、今日は帰るわね!キーボード、楽しみにしているわ!」
「うん!はぐみも!またねーミッシェル!!」
ぼふっと、最後に抱き着いてくるはぐみ。ふぅ、良かった何とかごまかせたか……。
ポンポンと頭を撫でてやると。不意にはぐみが、不思議そうに顔を上げる。
「……兄ちゃん?」
「っ!!?」
「「「え!!?」」」
「どうかしたの。はぐみ?」
「ううん、なんか、今凄くミッシェルが兄ちゃん〜って感じしたんだ!……なんでだろう」
「そうね……そう言われると、どことなくいつもと雰囲気が違うわね」
やばい、やばいぞ。なんでばれたんだ?
かのちゃん先輩たちでさえ、説明されなければ俺がミッシェルだと気が付かなかったのに……。
はぐみとこころがじっと、不思議そうな目でこちらを見ている。ど、どうする、何かごまかす方法は……。
「い、いやいや、ミッシェルは女の子だよ、そんなわけないでしょ」
「それもそうだよね!なんでそんなこと思っちゃったんだろ」
「そうよはぐみ!そんなわけないわ、ミッシェルはミッシェルだもの!」
コクコクと首を縦に振っておく。あ、危なかった……
「まさか、こころたちに気づかれそうになっちゃうなんて……」
「うん、お兄さん別に気づかれるようなことはしてなかったのに……」
コクコクとうなづいて見せると、いや、もう普通に喋っていいんで、と鋭いツッコミが飛んできた。流石はみーくん……。
「もう、俺がミッシェルになるのは無理だと思う」
「えっ?」
かぽっと頭を外すと、久々に外の涼しい風を感じて、気持ちがいい。
「さっき、はぐみになんで気づかれそうになったか俺にはわからなかったし、こころもあれで妙に鋭いところがあるから、さっきはごまかせたけどきっとどこかで勘付かれると思う。それに今日一日ミッシェルになってわかったけど、ハロハピのミッシェルはやっぱりみーくん、美咲ちゃんじゃないとダメだ」
「あ、あたしじゃないと……?」
「そうだよ、美咲ちゃん。私もその、一緒にステージに立つミッシェルは美咲ちゃんが良いなーって」
「花音さん……」
今日の特訓で十分わかった。みーくんはミッシェルに入るのが暑いとか、ダンスがすごく大変だとか言ってはいるものの、本人はそれを楽しんでいるし、ミッシェルという存在をとても大事にしているようだった。ミッシェルのDJとしての動きまでしっかりと考えているのが、その何よりの証拠だった。
だからこそ、彼女以外がミッシェルを演じる、と言うのはみーくんにとっても、こころたちにとってもやっぱり違うのだ。
「……わかりました。そうですね、ま、あのバカ3人に付き合えるのは、あたしくらいですからね~」
口調はやれやれと疲れたように聞こえるが、表情は、今日一番の笑顔を見せるみーくん。折角作ってもらったけれど、北沢様専用ミッシェルは今日でお蔵入りだな。
「あ、そういえば燐子先輩、さっきはすみませんでした。あたし、急に話振っちゃって……」
「い、いえ、それは大丈夫、ですけど……その、良いんですか?」
「ん?何がですか?」
「さっき、ミッシェルがキーボードを弾くって……その……」
「「「……あ」」」
後日、ライブ会場……。
「今日はありがとうございました。お兄さん、燐子先輩」
「お疲れ様」
「お、奥沢さんのキーボード、上手に弾けて…ましたよ?」
「本当ですかー、良かったぁ……滅茶苦茶緊張したんですよね、アレ」
ライブ会場のエントランス付近では、先ほどまでミッシェルの姿で演奏していたみーくんがほっとしたように胸に手を当てている。演奏と言っても、指一本で引けるような簡単なものではあったが、ミッシェルに入ってとなると難易度が全然違うからな、そういう意味では本当に上手く弾けていた。きっと彼女でなければできなかっただろう。
「そういえば、はぐみたちはどうだった?」
「もう、ばっちりでしたよ。今日は美咲が見に来てくれた―って大喜びで。なんで気づかないんだ、って内心ちょっと思いましたけど……」
「はは」
そう、代役は別にミッシェルでなくてもいい。先ほどまで、燐子さんがみーくんの私服を借りて奥沢美咲の代役をやって居たのだ。そこそこ遠いところに居て、隣に俺が居るとなると、少し髪の長さが違ってもはぐみたちはあれはみーくんだと認識してくれたようであった。一部分ごまかせない部位があったので、心配だったんだよなぁ……。
「何か、言いたいことがあるみたいですね、お兄さん」
「えっ?いや、何も」
「?」
ジト目でこちらを見てくるみーくんと、何のことかわからず頭に疑問符を浮かべる燐子さん。いや、だって、ねぇ。パーカーがあんなにエッチになるなんて……。
「あ、兄ちゃんにみーくん!それから、燐子先輩!?」
「おう、はぐみ。お疲れ様」
だだっと、駆けてきたと思ったら、思いっきりタックルをかましてくるはぐみを受け止める。
そのままぽんぽんと頭をなでてやると、はぐみがニヘラと口の端を釣り上げ、八重歯を見せて笑う。
「やっぱり、兄ちゃんははぐみの兄ちゃんだよ!」
「え?ああ、それはそうだろうけど」
「うん!ミッシェルはミッシェル、兄ちゃんは兄ちゃんだよ!」
よくわからないが……そのあともはぐみは甘えたようにやたらとくっついてきた。何なんだ、一体?