腹が減っていた。
今日はとーちゃんに言われて肉の配達をする必要があったために、朝から自転車を漕いで漕いで漕ぎまくり、体力に物を言わせて店とお客さんとの往復を繰り返していた。おかげで時刻はすっかりお昼過ぎである。
ようやく配達も終わり、自由の身になったのは良いものの……腹が減って仕方がない。
家に帰って適当に何か食べても良いが、今居るのは4駅隣の町であり、自転車で帰っても時間がかかりそうである。どこか、適当に良いところを探すかと、そう自転車を漕いでいると……横断歩道の手前で目立つ赤いロングヘアの人物を見つけた。向こうも、こちらに気が付いたのか、おぉ、と軽く手を上げる。
「巴?どうしたんだ、こんなところで」
「そっちこそ。なんでこんなところに」
「俺は配達だよ」
「アタシはこれさ」
ガサっと手に持っていた紙袋を見せる巴。中から取り出したのは、二本組の木の棒……。
「スティック……にしては太いし、太鼓のバチ?」
「あぁ。この近くにお神輿とか太鼓とか祭礼具を売ってる店があってさ、そこで買ってきたんだ。手にしっくりくる樫(かし)バチでさ、名前まで彫ってくれるんだけど、いやぁ、良い買い物した!」
何やらご満悦の巴にバチを見せてもらうと、確かにバチの下部に流暢なフォントで宇田川巴と彫られて居る。結構カッコいい。バチを返すと巴はそれを紙袋に戻して再度口を開く。
「で、これからどうするんだ?」
「ん?あぁ、俺はどっかこの辺で昼飯にしようと思ってた」
「へぇ、じゃあ、アタシも行くわ。まだ食べてないし」
「ああ、じゃあ……そうするか」
自転車から降りると、信号はちょうど青になったところであった。
はぐみの兄ちゃんは苦労人
自転車を押しながら、駅から離れた住宅街を歩く。
何の縁か、巴と一緒に昼飯を食べることになったのは良いものの……先ほどから飯屋が全く見当たらない。住宅街だから仕方がないとは思うが、チェーン店一つ見当たらないというのも珍しい気がする。
「お、あそこになんかそれっぽい店あるぞ」
「本当か」
巴が指さした方を見ると、そこにはいかにも個人で経営しています。といった風な蕎麦屋があった。黒い太字の暖簾に手書きっぽいお品書き……少し、初めて入るにはハードルが高いような気がする……。
「あっちにもあるな」
また巴が指さした方を見ると、赤い提灯のついた中華料理屋で、こちらも個人でやってそうな門構えだった。一応、どちらも定食メニューという看板が出ているのでやってないことはなさそうなのだが……。店内の様子が見えないのもあって、俺の中での警戒心が強くなる。
「……もう少し探してみないか?」
「そうか?アタシはなんでもいいけど」
お前女の子なのに適当だよなぁ……。
こういうの、普通女の方が入るのを躊躇するものだろうに。
俺たちは店を通り過ぎると、再び歩き始めた。
カラカラと自転車を手押ししながら道を歩く。接骨院に郵便局に果物屋……何だかなぁ。
しばらく歩いていたが、めぼしい店が見つかりそうにない。いっそ駅まで行けば何か安心できそうな店はあるだろうが、ここからだと結構遠い。もう正直腹が減ってそんな手間までかけたくない……少し戻る形になるが……。
「……さっきの店で食うか」
「だな、他になさそうだしな」
巴は、俺のせいで歩いてきた道をまた戻ることになったというのに、特に文句を言うわけでもなく同意してついてきてくれた。こういう巴のさっぱりした所、良いよな。細かいところを気にしない男友達のような感覚で、一番話しやすい幼馴染かもしれない。踵を返すと先ほど通り過ぎた店へと足跡を辿った。
蕎麦か、中華か。
「どっちがいい?」
「アタシは……中華かな」
「俺もそう思ってた」
中華というか、ガツンと食えればなんでも良かった。蕎麦は、少し軽い。夏ならありだったかもしれない。
赤い看板の中華料理屋に近づくと、外に張り出してあった少し埃をかぶったメニューを見てみる。まだランチの定食をやっている時間らしい。ガラリと扉を開けて中に入ると、もう一つ、横開きの扉があったので、開けようとしたらそちらは自動扉だったらしく手は虚しく宙に浮いていた。チリンチリンと、来客の鈴が鳴る。
「……あれ、店員さんいないな」
薄暗い店内……立派なカウンターと座敷がある。カウンターにはぼんやりと電気がついているものの、座敷はほぼ真っ暗だった。きょろきょろと辺りを見回すがお客さんまで一人も居ないようであった……いや、よく見ると、カウンターの奥に幼稚園くらいの少女が一人ちょこんと座っているのが見えた。この店の娘さんなのだろうか、こちらを一瞥したものの手に持っていた空のプラスチックの容器を持ち、イー…アール…と一人遊びを再開したようである。
「ィラッシャイマセ、ドゾ、オスキニ」
「あ、どうも……」
ぱちりと電気が付くと奥から赤い顔をした背の低いおばさんが姿を現す。イントネーションから漂う外国人っぽさ……不安だ。しかし、今更引き返すわけにもいかない。巴と二人カウンターに腰かけると、おばさんがカウンターの奥に置いてあった小さなテレビつけてくれ、お昼のワイドショーが流れ始める。これは日本語か……何だか日本語を見ると安心するな。それをなんとなく眺めていると、カランと空のコップにお冷の入ったピッチャーと小さなおしぼりが出てきた。セルフなのか。
何とも不安だ。この店、本当に大丈夫なのだろうか。それに奥から日本語ならざる言語で先ほどのおばさんと店主らしき人物が話しているような声が聞こえてくる。目の前の少女は、なぜか、店のおしぼりの袋を無意味にパリパリと開けて、それを積み重ね始める……。不安だ、すごく、不安だ……。
「なぁ、何にする?」
ぱっと隣を見ると、巴のやつはおしぼりで手を拭きながら、メニューを開き、既に馴染みの客のようなオーラを放っている。
「巴……お前すごいな」
「えっ?何が?」
やっぱり、お前は男前だよ。
定食メニューの中から、俺はがっつり食べたかったので油淋鶏(ユーリンチー)定食を注文し、巴はエビと玉子チリソース定食を頼んだようであった。注文した後で、奥からまた外国語で怒ったように話をしているのが聞こえてきて、更に不安になった。ただ……
「でさ、アタシが験担ぎにやってる「アレ」、蘭たちは誰もやってくれなくてさ。ひどくないか?」
「むしろ、何でやってくれると思ったんだ?」
この通り、全くもって普段通りの巴を見ていると。何だか些細なことで店に怯えを持っている自分が馬鹿らしく思えてきた。良く見回してみると、店内は清潔感もあって決して悪くない。店主が本場の人っぽいのも、逆に言えば料理の味に期待が持てるというもの。
「いやいや、アレをやるのとやらないのとじゃ、その日の調子が全然違うんだって」
巴の言うアレ……太鼓の時に商店街のおっちゃんたちと一緒に大きな声を張り上げてやってるソイヤとかいう掛け声の事である。あんなの、どう考えてもクール系ロックバンドのやる掛け声じゃないだろ。蘭が本番前にソイソイ言ってたら爆笑する自信がある。
「じゃあ、ひまりちゃんのやつをやってあげれば良いだろ。確か、えいえいおー、だっけか」
「あれはいいや」
ひまりちゃん、不憫な子だ。そうこうしているうちに、奥から料理が運ばれてくる。
俺の目の前には、揚げた鶏肉の上に刻んだネギとタレをかけた油淋鶏定食が置かれる。ご飯は山盛りで、卵とわかめのスープと添え物にザーサイもついている。巴の方は、赤くテラテラと光るエビチリ定食が運ばれており、おぉうまそー、と感嘆の声を上げていた。
巴に箱に入っていた箸の一つを渡して、自身も手に取ると早速、料理に対峙する。見た目は……まぁ、悪くない。ただ、どうにも量が多い。最悪、ここで満足できなければ別の店で腹を満たそうと思っていたが、これじゃまずかった時に全部食べ切れるか不安だな……。
早速端っこの小さいやつから口の中に放り込むと、思わず、目を見開いた。
美味いじゃん、コレ……。
ザクザクっとした衣、ジュワッと鶏肉の油が広がる絶妙な触感だ。醤油ベースの甘酸っぱいタレが効いていて、コレが米に合う。箸が止まらない。
そして、とろっとした甘いたまごとワカメのスープ。こいつが酸味の広がった口を一度中和してくれ、また、油淋鶏に箸が伸びる……。
「美味いぞコレ!?」
「だな!!こっちも美味いぞ!」
隣を見ると、巴のやつはチリソースを米に少しかけてその上にエビを乗せて口に運んでおり。非常に、美味そうだった。しばし、椀を片手に、料理にがっついているとチリンチリンと鈴が鳴る。
「すみませ~ん!」
「ハーイ」
チラリと横目に見ると、帽子をかぶった中肉中背のおじさんが店に入ってきたようであった。おばさんが奥から現れて対応する。
「座敷、今日4人、6時から予約しといて」
「ロクジ?ハイ、イツモアリガトゴザイマス」
「じゃあ」
そういって、おっさんはさっさと引き上げてしまう。ふぅむ、地元の人には結構人気の店なのだろうか。その後も俺と巴はもくもくと箸を動かし続ける。遊んでいた小さな少女は、いつの間にか奥へと引っ込んでしまったようであった。
「ふぅ、腹いっぱいだな」
「だな。いやぁ、穴場ってやつだな。今度ひまりたちも誘ってみよう」
あの量はきついんじゃないか?と、言いかけたが、ひまりちゃんやモカなら楽々食べそうだなと思いなおして口にするのはやめた。
「しっかし、中華ってのはやっぱ良いよな!こう、カーッと腹から力が湧いてくるっていうか!」
「わかる。なんか、力が出るよな」
食べ終わったばかりだというのに。満腹感からくる気怠さのようなものがなく、体の中は不思議とエネルギーに溢れていた。これが中国四千年の歴史の力なのだろうか。
「よし!こうなったら、発散のために今からカラオケいこう!」
「今からか?」
「あぁ、それでその後つぐんちでお茶でのんでゲーセンいって、太鼓もやろう!よし、決まり!」
「そりゃ、お前……まぁ良いか」
デートなんじゃないか?と思ったが、こいつに限ってそんな考えあるわけないか。
自転車に乗ると、巴が荷台に腰かけて、細い腕を回す。前を向いて走り出したころに、巴が恥ずかしそうに小さくへへっと笑ったことに、俺は全く気が付かなかった。