「ふぅ」
長いパールグリーンの髪色をした少女……氷川紗夜はとあるドアの前に立つと大きく息を吐いた。
今までは、自宅と学校、それから練習スタジオへの行き来をするしかなかった日課に、最近、もう一つ行くところが増えた……たまに行くファーストフード店を除いた自分の日課。それは……
「いらっしゃーい、あ、紗夜さん!来てくれたんですね」
「え、えぇ、たまたま通りかかったので」
「そうなんですね!紗夜さんが来てくれて、嬉しいです」
「そ、そうですか」
ここ!羽沢珈琲店!
お菓子教室を経て、仲良くなったこの羽沢つぐみさんのいるコーヒー店へ通うのが、最近の私の生きがいに、いえ、楽しみになってきています。
羽沢さんは、私の不器用な性格をとてもよく理解してくれていて、こんなつまらない私相手にでも本当に楽しそうにお話をしてくれるし、同じバンドや生徒会をやっているもの同士、話も合います。何よりは、彼女と話しているときは、無理にクールな自分を演じなくて済む……とても心が落ち着く……。
「サヨさ~ん!最近、よく来てくれますね!」
奥から現れたのは、白い髪を三つ編みにした妹と同じアイドルバンドのメンバーである若宮イヴさん。
彼女の情報がもとで妹の日菜に私がここに通っていることがばれてしまったので、少し苦手意識を持ってしまった。いい子なのだとは思うのだけれど……。
「……そうかしら。まぁ、ここのコーヒーを飲んでいると落ち着きますから」
「はい!ここのコーヒーは絶品です!それじゃあ、本日のご注文はなににしやしょう!」
「そうね……いつものを一つ」
「はい!ポテトとコーヒーですね!」
「ちょ、若宮さん!」
折角ポテトという単語を伏せて注文したというのに、これではまるで意味がない……。
それにしても、今日は店内が大変に賑わっている。いつもより人が多いような気が、って、あれは……。
「?どうしましたか、サヨさん」
「いえ……あそこのカウンターにいる男性は、どなたですか?初めて見る顔ですが……」
羽沢さんと一緒にカウンターで親し気に談笑している男性が一人……。
同じエプロンをつけていることから、バイトか何かだろうとは思うが、気になる……。
「あぁ!あれは、アニキですね!」
「あ、アニキ?……えっと、お兄さん、ですか?」
「はい、そうです!よく日本の事を教えてくれます!」
羽沢さんの……お兄さん!?
し、知らなかった……まさか、あの羽沢さんにお兄さんが居たなんて……。じっと、そちらを見ていると、羽沢さんがこちらを気が付いて、小さく手を振ってくれた。カワイイ。
「お待たせしました」
席で待っていると、そう低い声でコーヒーの入ったカップがことりと置かれる。どうやら、羽沢さんのお兄さんがコーヒーを運んでくれたらしい。
改めて見るが、そんなに顔は似ていないように思う……筋肉質な身体に、高い身長……どれも小さくて可愛らしい羽沢さんとは似ても似つかない。
「……?顔、なんかついてますか?」
「い、いえ。その、……ざわさんの、お兄さんだとお伺いしまして……」
(えっと、北沢?)「ああ、そうですけど……」
「氷川紗夜です。妹さんには、いつも大変よくして頂いています」
「え、あ、そうなんですか?こちらこそ、いつも妹がお世話になっています」
やっぱり、本当に、羽沢さんに、お兄さんが……。
「うちの妹の相手は大変でしょう。体力がいりますし」
体力?買い物などのことかしら
「いえ。そんなことはありません。疲れたことなど一度もありませんよ」
「え!?あ、そうなんですか……すごいなぁ」
そう私が答えると、なぜかお兄さんは目を丸くしていた。羽沢さんの相手に体力も何も、寧ろ癒されている要素が多いと言える。
「でもほら、妹って結構友達相手だと急に抱き着いていったりして腰痛めたり……」
「え、きゅ、急に抱き着くんですか!?」
「え?ええ、よく……俺にも飛んで抱き着いてきますし……」
雷に打たれたような衝撃。なんという事だ、羽沢さんは、私にそんなこと一度も……
そういえば、よく若宮さんとも抱き合ったり……いや、あれは若宮さんから抱き着いているような……?でも実のお兄さんがそういっているのだ。実は家では甘えん坊なのかも……いや、本当に心を許している友達にだけ抱き着いたりしている……?
「……」
「……ええっと、兎に角、これからも妹をよろしくお願いします」
「え、ええ、こちらこそ……」
「……羽沢さんは、お兄さんとは仲がよろしいのですね」
「え!?えっと、う、うん。その家が近所だから」
「え?一緒に住んでいるのではないのですか?」
「い、一緒に!?そ、そんなことないよ!それは、小さなころはお泊りとかしてたけど」
顔を真っ赤にして手を振る羽沢さん。なるほど……何やら複雑な事情があると見ました。別居中とか……両親の都合とかでしょう……深く話を聞くのはやめておきましょう。
「そうなんですね……こういっては失礼ですが、兄妹にしてはあまり似ていないような」
「そうですか?あ、たしかに日菜ちゃんと紗夜さんからしたらそうかもしれないですね」
「それは…」
「ふふ、ごめんなさい、ちょっとからかっちゃいました」
あぁ、こんな失礼な発言にも、気を遣ってくれて……。
こんなに良くしてくれているのに、何を疲れることがあるのか。でも、家で甘えん坊というのは少し、興味がありますね……。
「羽沢さんは、普段、お兄さんとどんな会話をするんですか?」
「え?えっと、普通の事だよ、学校の事とか、後、バンドの事とか」
「なるほど、もしかして、お兄さんもバンドを?」
「うん、ギターなんだよ。その、カッコいいんだ」
照れながらそう笑う羽沢さん。こんな表情の彼女、見たことがない。
私も、日菜にそんなふうに言われたりするのだろうか……。その日も、羽沢さんと一緒に何気ない会話をして過ごすことができた。ただ、羽沢さんが抱き着いて甘えるというお兄さんの存在が妙に引っかかっていた。
後日。羽沢さんと一緒に外を歩いていると、反対側の道をお兄さんが歩いているのが見えた、その隣には……!?
「は、羽沢さん、見てください。あれ……」
「あ、はぐみちゃんたちだ」
そう、あれは確か、ハロー、ハッピーワールドのベースを担当している北沢さん……同じ高校の後輩でもある。その彼女がなんと、お兄さんと腕を組んで歩いているではないか!
彼女は恋人を作ったりするタイプだとは思っていなかったが、まさか、彼女たちは付き合って……?
「仲いいですよね~」
「え!?し、知っていたんですか?」
「え?ええ、知ってましたよ」
何と、自分の兄が自分の友達と付き合っていると言うのにこの余裕……。
羽沢さん、あなたは本当に大人なのですね……。
私がもし、日菜と誰かが歩いているのを見てしまったりしたら……一体、どんな気持ちになるのだろう?想像もしたくもない。
「……羽沢さん、私はあなたを尊敬します」
「え?えっと、うん?あの、ありがとうございます?」