「今日母ちゃんは家を空けます」
よく通る母ちゃんの声が、居間から店の前まで響いてくる。
今日は母ちゃんの高校の同窓会とかで一日家を空けるらしい。母ちゃんの声に続いて、はぐみと父ちゃんの元気の良い大きな「はい!」の声が聞こえてくる……。本当に、元気だけは、良いんだよなぁ……。
ショーケースに加工した商品を並べていると、奥からいつもよりほんの少し気合いの入った化粧をした母ちゃんが出てきた。その目は、後は頼んだよ、と言わんばかりである。
「まぁ、楽しんできてよ」
「……なるべく早く帰って来るからね」
そういうと、コツコツとハイヒールを鳴らして店を出て行ってしまった。
今日は日曜日、バイトの従業員は一人も居ない。
俺と、はぐみと、父ちゃんだけが店番をすることとなったのだ。
「そろそろかなぁ」
仕舞ってあった店の看板を外へと出そうとドアを開いたとき、父ちゃんが何やらストレッチをしながら店の奥から出てきた。
「ちょっと、その辺走ってくる。お前も行くか?」
「は?もう店開くでしょ」
「でも良い天気だしな」
そういって、腰に手を当てて天を仰ぐと、はぐみー!走りにいくぞーなどと言って奥に居たはぐみに声をかける。はぐみははぐみで、行くー!なんて呑気な声を出している。ちょ、待て。待ってくれ。
「今日は、母ちゃんもバイトも居ないんだぞ」
「大丈夫、すぐ戻るから」
「そんなのいつも当てにならな……」
「いこ!とーちゃん!」
「おう、すぐ戻る」
「あ、おい」
そういって、はぐみと二人、連れ立って外へと走り出してしまった。
駆けていく二つの背中は、もう豆粒くらいに小さくなっている……。俺はただただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
開店時間をすぎ、10分、20分と、時間は過ぎるがはぐみと父ちゃんは帰ってこない。時刻もちょうど11時ごろになり、客足も、だんだんと増えてくる時間帯だ。
「すみません、豚バラ肉200gくださーい」
「はい!」
「後……」
コロッケを揚げる作業を中断して慌ててショーケースへと戻ると、お客さんの注文している品を用意し、包装を始める。先ほど、お客さんの居ないときに親父とはぐみに電話をかけたのだが……予想通りというかなんというか、二人が電話に出ることはなかった。一体どこまで行ってるんだよ……。
「おまけに、コロッケつけておきます」
「いつもありがとね~」
「いえ、こちらこそ!ありがとうございました~!」
そういって、去っていくお客さんの背を見送って一息つくと、何やら、見知った顔がこちらを覗いていることに気が付いた。
「あれ?お兄ちゃん一人なの?」
「おお、つぐ、ちょうど良いところに!」
「え?」
見つけたのは、私服姿の羽沢つぐみ……くりくりっとした目と、茶色いショートヘアが特徴的な、近所に住んでいる珈琲店の娘で、俺の所謂幼馴染というやつである。はぐみと同い年とは思えないほどにしっかりしており、頼まれたことは断れないような、そんな人の良い性格をしている。だから頼む。
「頼む!店番を手伝ってくれないか?」
「店番って……おばさんたちは?」
「それが、母ちゃんは同窓会で、父ちゃんとはぐみは……どっか行った」
「ははは、いつも通りだね」
「その辺走っているとは言ってたんだけど、なんせ二人とも馬鹿だからなぁ……」
きっと、走っているうちに気持ちよくなって、遠くまで行ってしまったのだろう。そして、帰り路がわからず迷っている、もしくは楽しい気分のまま景色を楽しんでるとか……目に浮かぶようであった。
「え!?じゃあ、今一人で店番を?」
「ああ」
「大変だ!……うん、私にもお手伝いさせてね!」
あぁ、もう天使か……。
勝手知ったるなんとやら、つぐみは何度か家で手伝いをしてくれたことがあったから、特に俺の指示を聞かずとも店の奥に入って、制服に着替えてくれているようだった。そうしている間にも、小さな子供のお客さんから少し鼻の詰まった声で、コロッケくらさーい!と注文が入った。
「ありがとうございましたー!」
「……今日はお客さん多いなぁ」
「そうだね、良いことだよ」
「そうだけど、なんか父ちゃんたちが居ないタイミングを見計らったかのような気がして……」
「ふふ、そういう事あるよね」
つぐみが後ろ手に手を組んでそう笑いかけてくれる。本当、助かったよ。一人しかいなかったら、肉の補充もできないし、揚げ物を揚げたりもできなかったからな。最悪、少し店を閉めることすら考えた。
肉屋の仕事は意外と大変だ。特に、肉の加工や量り売り、種類とかを知らないお客さんになんの肉か説明したり、調理方法を教えてあげたり。逆に注文された部位が何なのかを知らないと売ることも出来ない。しかし、つぐみならそういうこともそつなくこなせる、安心して色々と任せられる。
「本当、つぐが居なかったら危なかった。ありがとう」
「ううん、困ったときはお互い様だよ」
曇り一つない笑顔、お前は本当に天使だ……。
「……って、そういえば、何か用事があったんじゃないか?なんか、めかしこんでたし……」
「ああ、うん、大丈夫。目的は半分達成、したから」
「?そうか」
「あはは、うん」
ちょっと顔を赤くしてそういうつぐみ。ここに来る前にどこか行っていたのだろうか。
「あ~、つぐ~」
ぱっと、声をする方に振り返ると店先に立っていたのは、黒いパーカーを着こんだ、銀髪の少女、眠そうな瞳をした青葉モカ。うちでもそこそこの常連客に入る。
「いらっしゃい、モカちゃん!」
「今日はどうしたの~。ついに嫁いだ~?」
「え!?」
「いつの間にか、こんなに立派になって~」
「ち、違うよ!?違うよモカちゃん!」
「つぐ、真っ赤っか~」
ケラケラと楽しそうに笑うモカを見て、とりあえずモカの相手はつぐに任せて、今のうちにショーケースの中身で、鮮度が落ちてきた肉を入れ替えてしまうことにした。
「お兄さ~ん、こんなに良物件はなかなかないよ~」
「俺もそう思う」
「も、もう、二人とも、からかわないでよ~!」
あー、もう、本当恥ずかしそうにしてる、つぐ可愛い。
「今日はどうしたんだ?」
「ん~、なんだったかな~。何かしようと思ってたんだけど~とりあえず、コロッケひとつ~」
「はい、まいど」
顎に人差し指を当てながら悩むふうなモカだったが、次には目の前の揚げたてコロッケに目を光らせていた。こういう、のんびりした独特な雰囲気が、青葉モカを青葉モカたらしめるところか。ちょうどついさっき揚がったコロッケがあったので、それを茶色い包み紙にいれると、台越しにモカの方へと渡してやる。お代は、俺が用意している間につぐみが貰ってくれたようだ。
「ほい、出来立て」
「どうも~、つぐ~、ソース~」
「うん!はいこれ」
「ふっふっふ~」
?ガサガサと、背負っていた鞄の中から見覚えのある紙袋を取り出すと、その中から出てきたのは白いふわふわのパン……あれは、山吹ベーカリーの。
「ここのコロッケと、パンは最高だからね~。こうして~」
ふわっと、ほとんど力を入れずにパンに切れ目を入れると、そこに、先ほど買ったばかりのコロッケを乗せて、ソースをS字に垂らす……
「モカちゃん特製、揚げたてコロッケパンのできあがり~」
得意げにそれを見せつけ、そして大きく口を開くと、サクッ、サクッと子気味の良い音を立てて、コロッケパンへとかぶりつく……。
思わず生唾を飲んでしまう、そうか、俺昼ごはん食ってねーな、そういえば。それに、何だ、山吹さんちの自慢のふっくらもっちりパンと、うちのサクサクジューシーコロッケ。この夢のコラボがまずいわけがない。
「すっごくおいしそうだね!」
「そうでしょ~、後は~つぐの家のお茶があればな~」
「う~ん、水筒ので良かったら持ってるけど、ちょっと待っててね」
「本当、わ~い!」
つぐ、本当に優しすぎる……。そしてモカ、お前はもう少し遠慮しろ。
って、なんだ、通行人のおばさんや、サラリーマン風の男性がモカの食べているコロッケパンをじっと見つめている。そして、店の方に近づいてくるなり
「すみません、コロッケパン、一つ」
そう注文してきた。
「すみません、こっちもコロッケ一つ~」
「こっちはふたつ~」
「はい!もうすぐ揚がりま~す!」
「こっちは、ステーキ肉3枚ください」
「あ、はい、わかりました!」
大繁盛だった。
さっき、モカの食べていた美味そうなコロッケパンを見て、他のお客さんが同じように、コロッケパンを求めてきたからだ。当然家にパンはないからコロッケだけ売って、パンはすぐそこのパン屋で買ってくれと言った感じで売っていたら、次から次へとお客さんは途絶えることがない……。山吹ベーカリーの沙綾もさぞ驚いていることだろう。俺だって、驚いてる。
「はぁはぁ、どうなってるんだ?」
「わ、わからないけど、す、すごいね」
しかし、流石にこれは客が多すぎる!?
モカもコロッケパンなんてとっくに食べ終わっているし…。
「ん~、あ、でもやっぱりこれ、モカちゃんのせいかも」
「え?どういう事?」
「うん、これ~……」
モカが出したスマホの画面をつぐと一緒に覗き込むと、どうやら、先ほど売ったお客さんの中に、有名な芸能人が混ざっていたらしい。インスタで画像を上げたところ、美味そうだと客が集まってきてしまったようだ。
「モカちゃんって、もってるからね~」
「そ、そんなこと言ってないで、ちょっと手伝ってくれ」
「え~……」
「今日は焼肉食べ放題!」
「任せて~」
「はい、こちらお待たせしましたー!」
そこからは、何があったのかあまり記憶にない。肉を切って、コロッケ揚げて、材料作って……目が回るほどの忙しさであった。
「ただいま」
「ただいま~!」
家に帰ってきた泥だらけの二人の前に、鬼のような顔をした……母親が立ちはだかる。
その姿を見たはぐみと父は、あわあわと身体を震わせる。
「店番は?」
「えっと……忘れてた」
「はぁ!!?」
ジューと肉の焼ける音が聞こえる。くんくんと鼻を動かすと、香ばしいお肉の匂いが鼻腔をくすぐり、脳を満たす……もう少しで、これが育ち切って……あ!?
「ちょ、おま、それはどう見ても、俺が育ててた……!」
「でも、お肉はモカちゃんに食べられたいよ~って」
「そんなこというか!?」
「喧嘩しちゃだめだよ。はい、これ食べて」
「え、いやでもこれは」
「良いから、私、お兄ちゃんが食べてるところ、大好きなんだ」
お前は、本当に天使か何かか……
「美味しそうな匂いがする……」
「はぐみお腹空いた~……」
「兄ちゃんとつぐちゃんたちが頑張ってくれたからよかったものの、今日は本当に大変だったのよ!?二人とも、きっちり店番をこなせなかったから、今日は罰として晩御飯抜き!」
「なに!!?」
「で、でも……」
「でももへちまもないよ!」
「ぐ、ぐす、でも母ちゃん、父ちゃんは今日、いっぱい困ってる人を助けてたんだよ……?迷子の女の子を助けてあげたり、歩けなくなった御婆さんを背負って運んであげたり……」
「……え?」
「……わぁ!やったぁ焼肉だ~!!!すっごく美味しそう!!!」
「二人ともいらっしゃい」
「あ、お邪魔してます」
「ます~」
部屋の中に入ってきたはぐみと父ちゃんを見て、やはりかと息をつく。会話は聞こえなかったが、なんとなく母ちゃんは許すと思った。だって、二人ともすげー腹が減ってるからなぁ。そんな二人にご飯抜きだなんて、母ちゃんがするわけがないと思っていた。
「ごはん」
「……はいはい」
ドカッと腰を下ろした父ちゃんに対して、母ちゃんが山盛りのご飯をよそってあげると、父ちゃんは手を合わせて、肉を口いっぱいに放り込み、お椀を90度傾けてご飯をかっ食らう。その姿を見て、さっきまで俺の話を聞いて怒髪天だった母ちゃんも、優しげに微笑む。
「……うん、やっぱりいいよね、北沢家って」
「はぁ、そうか?」
「うん、とっても温かいよ」
にこにこと笑うつぐみと対照的に、鉄板上では早くもはぐみや父ちゃんが参戦し、モカとの肉争奪戦が勃発していた。こんな騒がしいのの、どこが良いんだか……。
俺も育てていた肉を死守するため、ごはん片手に戦場へと突っ込んでいくのだった。