はぐみの兄ちゃんは苦労人   作:雨あられ

5 / 20
第5話

夕暮れ時にぼんやりと歩いていた足がとまって、急に夢から醒めるような気がした。

 

橋の上に立っていた少女が、今にも身を乗り出して、落っこちそうになっていたからである。

慌てて足を駆けだすと、大きな声で少女へと声をかける。

 

「おい、何やってるんだよ!」

 

「だって、携帯が……」

 

鼻を赤くし、目に一杯の涙をためた青い髪の少女の顔と手を伸ばした川辺とを見比べる。川は、汚く薄緑色に光っており、何かを落としたとしても見えるような状況ではなかった。それに、携帯電話ならば水に落とした影響ですでに壊れてしまっている可能性もある。

 

「また買えばいいだろう」

 

「でも、写真が……」

 

……仕方がないと思った。少女に背負っていたギターケースを半ば無理やり持たせると、橋を渡って、岸辺までいき、そのまま上着を脱ぎすてて川の中へと足を沈めた。川はそこまで深くはなかったが衣服や靴が水を吸って、そのうち冷たい水が腰元までまとわりついてきて気持ちが悪かった。

 

橋を見上げて、少女が立っていた位置まで足を進めると、ちょうど指さしていたであろう地点に来たので、前かがみになって手を差し込んでみる。やはり、冷たい水がすぐにまとわりついてきて、鋭さに身を切るような感覚がした。

 

じゃぶじゃぶと、手さぐりに地面を漁っていると、不意に親指と人差し指との間を何かで切ったような感触がした。それを掬い上げてみると、泥がいっぱいに入ったコーヒーの缶で、中身を捨てるとそれを放り投げた、遠くでぼちゃんと再び水しぶきが立った音がした。

もう一度、と、足を動かしたときに、靴に何かが当たったような感触があった。再び手を突っ込んで見ると、今度は頬に水しぶきが立ち、顔も少し濡れてしまった。闇雲に手を動かして手が触れた何かをざばっと取り出してみると、青いケースに入ったスマートフォンが出てきた。それを掲げてやると、橋上の少女は指を指して大きな声を上げたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ありがとう!お兄さん!!」

 

少しグスりながらも、満足そうな笑みでそういわれると悪い気はしない。拾った時に、わずかに光っていたことからも、携帯電話がまだ使えることが窺える。最近の防水性能というのは大したもんだ。

 

「もう失くすなよ」

 

軽く服で携帯を拭って渡すと、ギターケースを受け取る。

少女は貰った携帯電話を胸元に引き寄せると、目を閉じて何やら感慨にふけっているようであった。それにしても、このターコイズブルーの髪色……どこかで見た気が……まぁ良いか。そのまま、踵を返すとさっさと家路につくことにした。……何だか急に気恥ずかしくなったからである。

 

「……ぁ!」

 

後ろでなにか聞こえたような気がしたが、無視して足を急がせる。

体中にべったりついた衣服も、ズブズブに水を吸った靴も気持ちが悪くて仕方がない。

 

しかし、気分は、決して悪いものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おねーちゃん!ただいまー!」

 

「そんなに大きな声を出さないでちょうだい……お帰りなさい、日菜」

 

家に帰ってきた日菜が私の部屋へと入ってくるといつも通り、元気な声を上げて私のすぐ傍へと腰かけてきた。こういう時の日菜は大抵私に何かを相談したいとき、もしくはどうしても報告したいような良いことがあった時……。

 

「あのね、おねーちゃん!今日とってもるん、って感じがすることがあったんだ!」

 

「良いことがあったのね?」

 

どうやら、今回は後者だったらしい。

 

「うん!ついさっきなんだけどね、あたしがそこの橋で携帯を落として、わーんって、なってたら、ぱっと現れて、ザバザバーってして!もう、るるんって!!」

 

「……日菜、何を言っているかさっぱりわからないわ」

 

「とにかく、すっっっごく、るんってしたんだー!」

 

両手を一杯に広げると目を輝かせて当時の状況を語る日菜、少なくとも、日菜にとってはとても素晴らしいことがあったらしい。橋で携帯を落として、誰かが拾ってくれたのかしら?まぁ良いわ。

 

「そう、それは良かったわね」

 

「うん!でも……」

 

さっきまでとは打って変わって暗い表情見せる日菜。

 

「どうかしたの」

 

「うん、あのね……「日菜―紗夜―、ごはんを運んでちょうだい」あ、はーい、お母さん!いこ、おねーちゃん」

 

「え、えぇ……」

 

でも、良かったの?と声を出しかけて飲み込んだ。日菜が話を切り上げたということはそこまで大したことではなかったのだろう。それに、もし話したいことであれば、この後食事をしながらでも話してくれるだろうし……そう思って、深く留めることはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンコンと、控えめなノックの音が私の部屋に響いてきた。

もう寝ようというのに、こんな時間に誰が……と思っていたら、先ほどまで上機嫌だったはずの日菜が、ひどく暗い顔をして私の部屋へと入ってきた。

 

「日菜」

 

「あのね、お姉ちゃん、今日一緒に寝ても良い?」

 

「え?……あなた、いくつになると思っているのよ」

 

「うん、でも、何だかおかしいんだ」

 

「おかしい?具合が悪いの?」

 

「ううん、さっきまですっごく、るん、ってしてたのに、あの時のことを思い出すと、ドキドキ―ってしちゃって何だか、苦しい……」

 

「苦しい……本当は嫌なことがあったの?」

 

「ううん、るんってすることだよ。でも、今はドキドキーってしちゃうの」

 

ますますわけがわからない。

しかし、様子がおかしいのは本当であった。困ったような顔をして胸元を抑えている日菜……こんな日菜は見たことがない。きっと、自分でもどうすれば良いのかわかっていないのだろう。

 

「はぁ……今日だけよ」

 

「本当!?……ありがとう!おねーちゃん!!!」

 

「わかったから、早く布団を持ってきなさい」

 

「えぇ~!一緒のベッドで寝ないの!?」

 

「何を言っているのよ」

 

「すぐ用意するね!!」

 

……はぁ全く。先ほどのしおらしい日菜はどこへ消えてしまったのだろう。そう思うほどに、日菜はすっかりいつも通りの調子を取り戻したようだった。トランプももってくるね!と再びドアから顔をだす日菜。もしかして、本当は一緒に寝たかっただけなのかしら、だとしたら、心配をして損をした気分だ。

 

……それと同時に、日菜の調子が元に戻ったみたいで安心をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、日菜さん、また今のフレーズ間違えました?」

 

「あ、あれ?うん、そうみたい」

 

「珍しいわね、日菜ちゃんが同じフレーズを間違えるなんて」

 

自分でも、何が起こっているのかわからなかった。ギターを弾いていた自分の手をじっと見つめてみるが、変わったことなど一つもない。

 

「何だか日菜ちゃん、ぼーっとしてるし、調子悪いのかな」

 

「え、う、ううん、別に、いつも通りだよ?」

 

「そんなことないです!さっきも、アヤさんが面白い振り付けのミスをしたのに、一つも触れなかったですし!」

 

「え?嘘、言ってよみんな!?」

 

「えっと……いつもなら日菜さんが指摘してくださるので……」

 

「そんな~」

 

パスパレのみんなも練習を一時中断して、心配そうにあたしの周りに集まってくる。本当におかしなところなんてないのに、でも、そう、一つだけ可能性があるとすれば……。

 

「あのね、みんな、実は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、川に落とした携帯を拾ってくれた、ですか」

 

「うん、すっごく、るるん!!って感じだよね!」

 

「そうね、今時珍しい好青年みたい」

 

みんなに昨日あったるん、とした出来事を話すと、みんなも同じようにるん、としてくれたみたいで、何だかあたしまで嬉しくなってきちゃった!……でも

 

「でも」

 

「「「でも?」」」

 

「でも……どうして、こんなことしてくれたのかな」

 

「え?」

 

「だって、こんなことしても、あの人、何の得にもならないよ。それどころか、寒いし、汚れちゃうし、良いことなんて一つもない」

 

ずっと、疑問に思っていたことだった。あたしがお金を持っていたり、その人と知り合いで、何かしらの恩を着せたいとかあったのなら、簡単に納得ができるのに。生憎、昨日の人とは一度も出会ったことがない赤の他人だった。それが、どうして……。

悩んでいると、隣にイヴちゃんがぐっと握り拳を作って口を開く。

 

「それは、きっと、武士だからですよ!」

 

「ブシ?」

 

「はい!武士の情けといって、武士は困った人を決して見過ごせないんです!」

 

「な、何だか、あっているような、微妙に、間違っているような……」

 

お情け……であたしの携帯を拾ってくれたのかな。

 

「日菜ちゃん、きっとその人、そんなに深いことを考えて助けてくれたんじゃないと思うなぁ」

 

「え」

 

皆の視線が、彩ちゃんの方へと集まる。

 

「私もその人の事はわからないけれど、純粋に、日菜ちゃんが困ってそうだから、助けてあげたい、どうにかしてあげたい、ってそう思って助けてくれたんだと思うよ。誰だからとか、どこだからじゃなくて」

 

「彩ちゃん……」

 

そうか、そういうものなんだ。みんなも、きっと、そうねとか、ブシドーですね!と、納得しているようだった。自分の助けたいという欲求から、助けてあげた。それで満足した……うん、それなら、少し納得できる気がする。

 

「でも、羨ましいなー」

 

「え?」

 

「きっと、日菜ちゃんの調子が悪いのって、その人の事が気になってるからだよね」

 

「あ、あたしが?」

 

「そう、るん!じゃなくて、ドキドキーってことは……間違いなく……「恋」、だよ!」

 

おぉと、感嘆の声があがり、照れくさそうにしている彩ちゃんに対して、千聖ちゃんが何かを言っていたりするが、あたしの耳には入ってこない。るん、じゃなくて、どきどきーは、恋なんだ……。

……じゃあ、恋ってなんなんだろう。どうしてこんなに、苦しいんだろう。でも、気分は悪くない。むしろ……すっごく……ふわふわして。

 

「っと、これ以上話をしていると、練習の時間が無くなってしまいますね……日菜さん、その、大丈夫ですか?」

 

「うん、ありがとうみんな!あたし、何だかすっきりしたよ!」

 

「それは良かったわ、でも無理はしないでね」

 

「じゃあみんな、後半も頑張って行こうね」

 

「「「「おー!」」」」

 

わからないことがなくなって。すっごくすっきりした。それと同時に、親切に相談に乗ってくれたみんなのこと、ますます好きになった!

 

それに、わかったんだ。わからないってことは、これから知って行けばいいってこと。さっきみたいに、相談したり、調べて知って、わかるようになれば良いんだ!このドキドキって、気持ち。もっと、もっと!!

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。