はぐみの兄ちゃんは苦労人   作:雨あられ

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第9話

「はっ、はっ、はっ、はっ……ん?」

 

「……困ったな……」

 

「おはようございます、山吹さん。どうかされましたか?」

 

「ああ、これは北沢さん。おはようございます。いや、昨日から妻の調子が悪いみたいで……」

 

「なんと、それは良くない!すぐに病院に連れていかれた方が良いでしょう!」

 

「……そうですね、やはり店を閉めていくことにします」

 

「店を!?」

 

「はい。私も妻もいなくなれば仕事をするものがいなくなってしまいますから。流石に、娘だけでは……」

 

「だったら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝。親父にたたき起こされた。

そして、やたらとデカイ握り飯だけ持たされ、すぐに山吹家に行けという。意味が分からない。

しかし、文句を言っても仕方がない。道中、塩しかかかってない握り飯を頬張りながら俺は山吹家……この商店街唯一のパン屋である「やまぶきベーカリー」の前までやってきていた。

 

薄ぼんやりとした暗い店内に足を踏み入れると早速この店の主人であり、沙綾や純の父親である山吹亘史さんが商品の準備をしているのが目に入ってくる。俺の姿を確認すると、手に持っていた天板を置いて軽く手を上げて挨拶を一つ。

 

「おはよう。すまないね、急に」

 

「おはようございます。いえ、気にしないでください。俺は何をすればいいですか?」

 

「あぁ、早速だけれどプレーリーを持ってきてくれないか。いつもの倉庫に入っているから」

 

「はい」

 

近くにあった従業員用のエプロンを手に取るとそれを身に着けて原料倉庫の奥へと足を運ぶ。

これ以上、特に亘史さんと話すことはない。父ちゃんが俺に行けと言ったのは十中八九、店の手伝いをする必要があり、その原因が沙綾のお母さんに何かあったからだろうということは容易に想像できたからである。

 

ぱちりと倉庫の電気をつけると、中には山積みになっている数種類の小麦粉や砂糖といったパンの原料……そのうち先ほど指示された25kgの小麦粉の袋を抱えて元の厨房へと向かう。長い長い一日が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お父さん、コーヒー淹れた……よ」

 

亘史さんに言われた通り、今度はめん棒で力いっぱい生地を伸ばしているとこの家の看板娘の一人、山吹沙綾が顔を出した。家に居るから当然であるが、眠そうに瞼をこすっており、髪はぼさぼさでパジャマはずり下がって油断しきっている。

だからだろう、俺と目が合うなりぎょっと目を見開いて慌てて背を向けてしまう。別にそんなこと気にしないんだがなぁ。

 

「おはよう沙綾」

 

「お、おはよう……」

 

背を向けたまま挨拶すると、ずりずりと、器用にも俺に背を向けながら厨房を抜けて店の方へと出ていく沙綾。そして、亘史さんを見つけたのか、出会うなり怒ったような声が聞こえてくる……。

再び厨房に現れたと思えば背をむけたままずりずりと俺の前を通っていき、渡り切るとダっと廊下を駆けだしていくような音が聞こえる。朝から元気だな……。

 

 

 

 

 

 

「こんなもんで良いですか?」

 

「うん。十分だよ。後は私がやるから、焼きあがったパンから順に店に並べていってくれるかい?食パンはカッターで切ってほしいけど、十分に注意してほしい。パンの並びは名札があるからわかると思うけど、もし何かわからないパンがあったら聞きに来てくれ」

 

「わかりました」

 

「助かるよ」

 

パン屋というのは見た目の華やかさ、可愛らしさとは別にものすごく重労働であった。重い原料の袋や天板を運び、力強く生地をこねて、ひたすらに暑いかまどやフライヤーの面倒を見る……並行して行う作業も多く、店が開いたら仕込み以外にも接客も加わる……それをこの亘史さんは毎日ほぼほぼ一人で行っているというのだから本当に尊敬する。朝からランニングに出て帰ってこないような父ちゃんも見習ってほしいと思う。

 

「おまたせ、コーヒー淹れたよ」

 

オーブンの前でパンが焼きあがるのを待っていると、着替えたらしい沙綾がコーヒーの入ったカップを持ってきてくれた。さっきは顔を合わせてくれなかったが今はきちんと顔も合わせてくれる。トレードマークであるポニーテールもばっちりだ。

 

「ありがとう。砂糖は……」

 

「うん、入れておいたよ」

 

流石である。沙綾は昔から気の利いた少女であった。鼻水が出そうなときにさっとティッシュを出してくれたり、野球の練習で疲れたときにレモン水を持ってきてくれたこともあったし、試合後に腹が減ったときに手作りパンを持ってきてくれたこともある……って、なんだ、なんで餌付けされているような記憶しかないのだろう。貰ったコーヒーを口に含むと思ったよりも熱くて少し飲んですぐにカップを近くにあったテーブルに置いた。

 

「千紘さんは大丈夫なのか」

 

「うん、少しフラフラしてるけど、意識はしっかりしてるし大丈夫。それにお父さんが病院にも連れて行ってくれるし……」

 

「……遠くまで行くのか?」

 

「ちょっとね」

 

「そうか」

 

近くの病院に行くくらいで亘史さんが出張るとも思えないし、沙綾はこう言っているがあまり症状は芳しくないのかもしれない。そこで少し重い空気が流れて、会話はぷっつりと途絶えた。

 

「……さて、そろそろ焼けるな」

 

「あ、うん。ご飯の支度が済んだら、私も手伝うから」

 

沙綾が踵を返した拍子に、ふんわりと、爽やかな良い匂いがして、少しドキリとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前7時を過ぎると、やまぶきベーカリーのプレートがくるんと回る。

店の中には色とりどりのパンにドーナツ、飲み物にジュースに牛乳なんてのも置いてある。開店後、五分もすればすぐにお客さんがやってきた。主婦も多いがくたびれたスーツを着たサラリーマンやジャージを着た学生なんかもちらほら見かける。土曜だというのに、仕事をする人や部活に行く人はいるのだろう。

 

「合わせて860円になります。はい、千円からお預かりします。140円のお釣りになります……ありがとうございました!」

 

会計を終えて礼を一つすると、奥から天板を持った沙綾が焼きあがったパンを補充にやってきた。

 

「持つよ」

 

「ん、ありがとう」

 

天板を持ち上げると香ばしい良い匂いがしてきて腹の虫がうずいてくる。これだけ美味そうなパンが並んでいるのだ、朝早くに大のおにぎりを食べたとはいえ空腹を覚えてしまうのも仕方がないというもの。じっと見ていることに気が付いたのか、沙綾がソーセージパンを一つトングで挟むと、こちらに振り向き、悪戯っぽく笑う。

 

「1個食べる?」

 

「え?いや、良いのか?」

 

「うん。はい、あーん」

 

「ん!?」

 

口を開くと、ソーセージパンを強引にねじ込まれた!慌ててそれを持つとふんわりしたパンとジワリとしたソーセージのスパイスのきいた肉の味が、口の中に広がっていく……。パンに掛かったケチャップも何だか気が利いていて良い。非常に食べやすいからか、口の中にどんどん詰め込んでくとあっという間にパンはなくなってしまった。

 

「美味しい?」

 

「ん、当り前だろ」

 

「あはは、そっか当たり前かぁ」

 

歯をむき出しにして笑う沙綾を見て、なんとなくその笑顔を前にも見たような気がした。何時だったかなぁ、忘れた。そう思っていると次のお客さんがやってきたのか、入店のベルが鳴り響く。沙綾もすっかり営業スマイルに戻りいらっしゃいませー、と声をあげた。接客が落ち着いたら、次は洗い物だっただろうか、腹が満たされ、少し眠気が戻ってきたのか頭の中はぼーっとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、行ってくるよ。午後に焼きあがるパンはタイミングを見て店に並べてくれ、それからフライヤーやカッターは十分に気を付けて、後……」

 

「わかってるって、任せてよ」

 

車の前でそんなやり取りをしている親バカの親父さんと沙綾を横目に見ていると、奥から純と沙南に手を引かれた沙綾のお母さん、千紘さんが顔を出す。少し足元がふらついていて、顔色もあまり良くないように見える。

 

「ごめんなさいね、いつも」

 

「気にしないでください……困ったときはお互い様、ですよ」

 

それを聞くと、千紘さんは目元を細めて優しい笑顔を浮かべてくれる。美人だよなぁ、千紘さんは。しおらしくって、おしとやかで、体力魔人のウチの女連中とはえらい違いだ。

 

「沙綾の事、よろしくね」

 

ぎゅっと両手で包むように手を持たれたかと思えば、そんなことを言われてしまう。沙綾のこと……ああ、留守番の事か?

それにしたって、なぜそんなにも手を強く握る必要があるのか。滅茶苦茶目をじっと見られているし……。

 

「はい、任せて下さい」

 

そう言い返すと、少し手の力が緩み、先ほど以上に嬉しそうな笑みを浮かべる千紘さん。

これで死んでも安心ね、何て言う縁起でもないことを言っていたが足元に居る純と沙南はそれを聞いて泣きそうになっている。本気で言っているわけではないとわかっているが、彼女が言うと冗談に聞こえない……。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼の昼食ラッシュを過ぎると客足も少しはましになっていた。お客さんの数も極端に少なくなり、パンの補充や洗い物なんかも一通り終わった。流石に商品になるようなパンを焼いたりするのは難しいので後は会計とチルド系とフライヤーくらいか……。

 

「ふぅ、やっと落ち着いたね~」

 

奥から現れた沙綾が再び白いカップを二つもって現れる。見ると、真っ黒いコーヒーが入っているようである。眠気覚ましとはいえ、1日に二杯もコーヒーを飲む羽目になるとは……。

少しだけ口をつけて、カップは元に戻した。

 

「相変わらず凄いお客さんの数だった」

 

「この前なんてこの比じゃなかったよ。って、確かモカのコロッケパンが原因だっけ?」

 

「そうそう。あの日は大変だった……」

 

「本当、純や沙南まで駆り出して山吹家総動員だったんだから」

 

「あはは、そうだったのか」

 

家は、戦力外が二人も居たというのに羨ましい話である。まぁ助っ人天使が居てくれたので助かったが。

沙綾はカウンターに腰かけるように手をつくとこっちをみてにっと笑った。

 

「……なんかさ、久しぶりだよね、こうして二人で話すのって」

 

「そうだっけか」

 

「うん、あんまり二人で会うようなこともなかったし……」

 

そういわれたら、そうかもしれないな。この前温泉に行ったときとかを除けば、せいぜい店の用事で顔を合わせるくらいだったし。まぁ沙綾の家に手伝いに行く必要があるというのは、大抵親御さんが大変な時なので、頻度が少ないのは喜ぶべきことだと思う。

 

後はやっぱり、野球だろうか。まぁ野球に限らずスポーツをやっていたころはとにかく腹が減ったので毎日のように部活や運動帰りにここに寄っていた記憶がある。頑張ってポイントカードを貯めたっけか……。

 

「今は二人ともバンドやらで忙しかったしな」

 

「野球はもう、やらないんだ」

 

「まぁ、野球は好きだけど、今はバンドだな。それに、商店街の草野球チームくらいなら今だって混ぜてもらうことはあるし」

 

「え!?そ、そうなの!?呼んでよ!!」

 

急に大声を出す沙綾。俺が驚いていると、はっと我に返って慌てて手を振る。

 

「だって、その、野球の試合観るの、好きだし……」

 

恥ずかしそうにそう言う沙綾。確かに、沙綾は小さなころからよく試合を見に来てくれていた。沙綾が野球の試合を見に来てくれていたころ……あの頃は俺も野球しかスポーツが存在しないと思っていたくらい超がつくほどの野球バカだったからなぁ。プロを目指すとかではないが、ユニフォームで1日を過ごし、バットとボールを持ち歩き、沙綾の前だろうが何だろうが、毎日毎日野球の話ばかりしていた気がする……って、本当に馬鹿すぎる……。

 

「昔は気にならなかったけど、女の子って、野球の観戦とかして面白いものなのか?」

 

「そりゃ面白いよ。手に汗握る真剣勝負!あの時、ツーアウト9回裏、最後のライナーを泥んこになりながらダイビングキャッチしたときなんか、もう、涙出ちゃうくらい興奮して……!」

 

「それって県大会のやつだろ。よく覚えてるな」

 

「全部覚えてるよ。一番気に入ってるのはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからも沙綾の熱弁は続いた。あの時のサイドスローの投手が強かったとか、あの時の1番の足が速すぎて驚いたとか、全部俺の出ていた試合のことである。それに、俺が覚えていないような選手の特徴とか、試合の天候まで細かく覚えているようだった。

 

「よくそこまで覚えてるな」

 

「やっぱり生で見たときの熱気と迫力が忘れられなくてさ。応援してるチームが勝ったらめっちゃ嬉しかったし」

 

はにかみながらそう話す沙綾を見て、脇腹の下がくすぐられたようなむず痒い気持ちになった。

 

「後ね……」

 

「俺は……試合の事より沙綾が持ってきた差し入れの方がよく覚えてるな」

 

「へ!?」

 

「さっき言ってた県大会では確かかつサンド持ってきてくれただろう。試合に勝つ!とか冗談言いながらサラダとチーズも挟んだやつ。それから、地区の準決勝の時には焼きおにぎりと梅干とバターロールで、それは他の奴らが群がってきて一個しか食べれなかった。それから……」

 

そう指を折って思い出せる差し入れの数々を列挙していくと次第に沙綾の顔が赤くなっていく。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!どうしてそんなこと……」

 

「だって美味かったしな」

 

今でも味が思い出せる。空っぽになった胃袋を満たしてくれた沙綾の甘いパンや冷たい飲み物……。

真剣に食べ物の感想を伝えていくと、沙綾はぷっと吹き出し、あはははと口を開いて大笑いし始めた。何もそんなに笑うことは……あの頃の過酷な練習の後の沙綾の差し入れは本当に助かっていたのだ。はぐみが持ってきてくれたこともあるが、ウチのコロッケばっかりであんまり有難味がなかった。

 

「はぁ、そっかぁ。美味しかった、かぁ」

 

ニヤニヤと口元をだらしなく緩める沙綾と、そこへ新しい親子連れのお客さんが来店する。

 

「「いらっしゃいませー」」

 

ぱっと、姿勢を正してカウンターに立つ沙綾。先ほどまでの砕けた雰囲気は消え去って、営業スマイルを浮かべた店員モードに切り替えたようであった。

お客さんがレジまで持ってきたパンを袋に詰めると、沙綾がレジ打ちを行って大きく礼をしたのを見て後に続くように礼をする。ぼーっとお客の歩いて行ったドアの方を眺めていると、ちょんちょんと、控えめに横っ腹をつつかれる。見ると、沙綾がこちらを上目遣いに見上げていた。

 

「今度、さ、試合観に行って良い?」

 

「良いけど、草野球何て観ててもそんなに面白くないぞ、きっと」

 

「……ダメ?」

 

手を合わせて、目を潤ませる……。

 

「別に良いけど……」

 

「っありがとう!」

 

ぱっと花が咲いたように笑う沙綾。その眩しい笑顔に思わず顔を逸らしてしまう。卑怯だぞこいつ、笑うと千紘さんそっくりになってきた。再びカランカランとお客さんが訪れると、二人で大きく声を出す。

 

その後も店の仕事をしながら二人でぽつぽつと他愛のない話をして、やまぶきベーカリーの1日は静かに過ぎて行った。母親の無事がわかり、どこか暗い顔を浮かべていた沙綾もほっと息をついたようであった。今後はこんなことになる前に手伝いに来る頻度を増やしたほうがいいかもな…。そんな事を言うと、沙綾は困ったような、けれど、嬉しそうな複雑な顔を浮かべていた。

 

 

 

 

後日、草野球の試合で大きなお弁当を持った沙綾とつぐみが鉢合わせるのだが、それはまた別の話……

 


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