戦車とともに ~国防女子、秋山優花里の日誌~ 作:名無し参謀
チョキン、チョキン。
柔らかな夕日が差し込む部屋の中に、はさみの音が響きます。
わたしは頭を動かさないようにしながら、目の前の鏡越しに写る風景の隅々を感慨深く眺めました。
18年間過ごしたわたしの家――秋山理髪店。
ここで暮らす最後の一日が、少しずつ、少しずつ終わりに近づこうとしていました。
変わらないはさみのリズムを聞きながら、鏡の左上に写る棚に目を向けました。その真ん中に置かれているのは、Ⅳ号戦車のプラモデルと、透明の小さなケースに入った2枚のメダル、それから写真。
プラモデルはわたしが高校1年生の時に作ったもので、両親にプレゼントして以来、そこにずっと飾ってくれています。そして、前に並んだ2枚のメダルは、去年と今年に増えたもの。 写真に写るみんな、大洗女子学園戦車道部のみんなとの日々の結晶です。
両方に「全国高等学校戦車道優勝大会 優勝」と書かれた2枚のメダルは、傾いた日差しの影に隠れて、さっきよりちょっぴり控えめな輝きに変わっていました。
見たお客さんが話題に出すたびお父さんうるさくて困っちゃうわ、と何度も言うお母さんの、嬉しそうな顔を思い出します。
「……メダル、見てたの?」
鏡の中のお母さんと目が合います。
「うん」
「いいのよ、持って行っても」
「大丈夫。飾る場所ないし、ここに置いておきたいから」
――というより、持って行ってはいけない。声には出さないけれど、わたしはそう思っていました。どこかで甘えてしまうような気がして。
卒業式から2週間。
クラスメイトの皆、戦車道部の皆とは、既に離れ離れになってしまっていました。ここは学園艦、3年間あるいは6年間を過ごし、巣立って行くための場所。戦車道部の後輩はもちろん残っていますし、卒業生の中には艦内で就職した子もいます。けれど、一番の仲良しだったあんこうチームの皆も、一人、また一人と別の道をへ進んで行きました。
そして、明日はわたしの番。
勿論寂しいです。できるのなら、皆でずっと、ずーっと一緒に居たかったと思います。
でもそれは子供の理屈。皆にはみんなの、私には私の人生が、これからも続いて行くんです。大人の世界の一員として、自分自身の力で、自分自身の責任で歩いていかなくちゃいけないんです。
一旦、はさみのリズムが止まりました。
「長さ、これでいい?」
お母さんが言います。
「サイド、もう少し短くして欲しいかな。耳全部出るくらい」
「はいはい・・・・・・これでどう?」
はさみがまた少し踊ると、すぐに私の希望が形になりました。
いつもの髪型からバッサリと落とされた、少しくせっ毛が跳ねたショートカット。ちょっと磯部殿を思い出します。
「うん、ありがとう」
「こんな髪型にしたこと、あったかしら? まるで別人ね、優花里」
わたしがこんなイメージチェンジをした理由、それが示された紙に書かれた絵と見比べながら、お母さんが言います。
紙のタイトルは『入隊者の頭髪基準』――そう、明日から私は、自衛官になるんです。
もちろん、入隊するのは陸上自衛隊。憧れて、憧れ続けた自衛隊の戦車に乗るために。
シャンプーをしてもらい、お母さんが片付けをする間に自分でドライヤーをかけて。椅子から立ち上がろうとした私の両肩に、お母さんの手が触れました。鏡に映るお母さんの表情が、いつもよりもっと優しげに感じられます。
「これで、優花里の髪を切るのも最後かもしれないわね」
「そんなことないよ。また、すぐに帰ってくるから」
「自衛隊を辞めて?」
「もう!」
お母さんのからかいに、私はぷくりと頬を膨らませました。
「ふふっ、冗談よ。優花里が辞めるわけ、ないものね。あなたは意志の強い子だから」
「――頑張ってくるね」
「身体には気をつけるのよ」
「うん」
「同期の子とは仲良くね」
「うん」
「たまには西住さんや、高校の友達にも連絡するのよ。みんな心配してるし、応援してくれるわ」
「……うん」
「優花里が世界のどこで何をしていたって、お母さんいつまでもあなたを見守っているから」
「……うん」
いつの間にか、わたしはぽろぽろと涙を流していました。
お母さん、ああ、おかあさん。
「……さあ、お夕飯の支度しましょうか」
「お母さん」
「……何? 優花里」
「今まで、本当に、ありがとう……」
「ありがとう、優花里……」
夕日は、すっかり落ちていました。
お母さんが作ってくれた好物の と、お父さんが買って来てくれたお祝いのケーキを晩御飯に食べてから、私は自分の部屋で最後の荷物点検をしていました。
下着やタオル、体育用の運動靴、外出着、その他こまごまとした日用品。必要な物の大部分は向こうで用意されているとはいえ、それでも大きなボストンバッグはパンパンです。
お気に入りのバックパックやキャンプ用品は、流石に教育期間中は使えないので置いて行くことにしました。
また今度取りに帰って来ればいいでしょう。
「ふう……」
一通りの再点検を終えて満足した私は、ベッドに腰掛けてちかちかと新着通知の光を点けているスマートフォンを手に取ります。メッセージアプリを開くと、友達のみんなから沢山の激励の言葉が届いていました。
「いよいよ明日からだね。優花里さんがどんどん私達より先に行ってしまうようで、ちょっと寂しいけれど頼もしいな。また駐屯地で会いたいから、機会があったら教えてね」
「入隊おめでとう。秋山さんなら体力面は大丈夫だと思うけど、悪目立ちしないように気をつけて」
「頑張ってくださいね。10式戦車に乗った素敵な姿が見られる日を楽しみにしています」
「ゆかりんガンバ! あと、イケメン自衛官と知り合ったら私に紹介すること!」
「グデーリアン改め秋山2士、祝入営! ご武運を」
みんなの個性あふれるメッセージに、ふふっと笑みがこぼれます。
わたしは指を滑らせて、その一つ一つに丁寧な返信を返します。
今日までのこと、明日からのことを考えると眠れなくて、結局みんなから「早く寝ろ」と返されるまでわたしはやりとりを続けてしまうのでした。
「優花里、本当に、ぐっ、うぅ……気を付けてなぁ~」
「立派に……日本の為に、頑張るのよ……」
いよいよ出発の朝が来ました。
身支度を済ませて、玄関口でお父さんとお母さんから最後の見送りを受けます。お父さんは号泣。お母さんは泣きこそしないけれど、目が潤んでいるのが分かりました。
一方の私はと言うと、昨日とは打って変わって晴れ晴れとした気持ちでした。大人としての第一歩、その門出を見送る二人を、心配させる訳には行きませんから。
「それじゃ、お父さん、お母さん……そろそろ」
下船口へのバスの時間です。最後に二人の手をぎゅっと握ってから、私は直立不動、ビシッと敬礼します。
「それでは、秋山優花里、行って参ります!」
そのまま回れ右、一歩踏み出して。
お父さんのわんわん泣く声と、それを宥めるお母さんの声を背に、私は巣立って行くのでした。