戦車とともに ~国防女子、秋山優花里の日誌~ 作:名無し参謀
学園艦を降りたわたしは、膨らんだボストンバッグを肩から提げてバス停へと歩きます。集合場所は水戸市役所の前なので、まずはバスで水戸駅に行かなくてはいけません。
中身の詰まったバッグは思いの外重く、例年より暖かいことも手伝って脇に汗がにじみます。
置き場所がないので車輪付きのスーツケースは持っていかない方がいい、と聞いていましたから、この時ばかりの辛抱です。送り返したり、処分する羽目になっては困りますし。
バス停に着いたわたしは、念のため担当の広報官殿に到着予定の時間を連絡してバスが来るのを待ちました。
水戸駅の南口でバスを乗り継ぎ市役所に着くと、「茨城地本」とフロントガラスに紙が貼られた白いマイクロバスが1台、入隊者が集まるのを待っていました。
何の変哲もない普通のマイクロバスですが、これも「人員輸送車2号」という立派な制式装備品なんです! ……わたしもついこの前知ったんですけれど。
扉の前で人員集計をしていた、黒縁の丸メガネをかけた緑の制服姿の殿方――わたしの担当広報官、斎藤3曹です――が、歩いてきたわたしに気づきました。
「おはようございます!」
わたしは反射的に、広報官殿に右手を挙げて敬礼――しようとして思いとどまり、手を腰の横へ引っ込めてぺこりとお辞儀の姿勢を取ります。
危ない危ない。ここは屋外でわたしは無帽、取るべきなのは「挙手の敬礼」じゃありません。この癖は早く直さないと。「入隊して浮かれてるにわか」と思われてはたまりませんからね。
落ち着かないわたしの動きを見てか、斎藤殿は口端を上げてにこりと笑っていました。ちょっと恥ずかしいです……
「おはよう、秋山さん。そんなに緊張しなくてもいいよ。まだ来ていない子が一人居るから、マイクロに乗って待っていてくれるかな。後ろを荷物置き場にしてあるから、カバンはそこに置いて空いてる席に座ってね」
「了解しました!」
元気よく返事してバスに乗り込むと、中には陸と海の制服を着た広報官殿が2人と、10人弱の女の子がバラバラの席に座っていました。その内の何人かは、顔を上げてわたしの方を見ています。
皆、同い年か2つ3つくらい年上でしょうか。
「……おはようございます」
誰にでもなく挨拶をして通路を奥に進むと、確かに一番後ろの列はスーツケースや鞄で敷き詰められ、荷物置きスペースになっていました。
どのスーツケースも海外旅行に行くような大きなもので、この持ち主の彼女達からすれば、入念な下調べをして最小限の荷物だけを詰めた私のボストンバッグは随分頼りなく見えたことでしょう。
向こうには割り当てのロッカーぐらいしかないんですから、荷物が多すぎると大変ですよぉー、と心の中でつぶやきながら、荷物の山に自分のバッグを加えます。
誰の隣に座ろうか、と思いながらバスの通路を戻りますが、皆緊張しているんでしょう、何となくよそよそしい雰囲気です。わたしはむしろ誰かと話したくてうずうずしているんですが……ここは空気を読むとしましょうか。
バスの左側、ドアの後ろの一人掛け席に座り、窓の外に目を移すと、丁度最後の入隊者らしき女の子がスーツケースを引っ張って歩道を歩いてくるのが見えました。
「……」
特に会話もなく無言のまま、動き出したマイクロバスはインターチェンジをくぐり、常磐自動車道に入りました。目的地は朝霞駐屯地、東京と埼玉の間に位置する、首都圏では一番大きな陸上自衛隊の駐屯地。
朝霞には東部方面隊所属の部隊を主体に多くの部隊が駐屯していますが、その東部方面隊の部隊の一つが女性自衛官教育隊――これからわたし達が新隊員教育を受ける部隊です。
自衛隊に入るには、パイロットや医療系など特殊な道を除けば、大きく4つの方法があります。4年かけてエリートコースの幹部を育てる防衛大学校、一般大学の卒業生を幹部として採用する一般幹部候補生、将来の陸曹(下士官)候補を採用する一般陸曹候補生、そして任期制の陸士(兵)として短くて2年、長くて6年程度勤務する自衛官候補生です。
このうち、わたしが合格したのが一般陸曹候補生。定年まで勤務することを前提に昇任試験の制度上自衛官候補生より優遇される、生涯戦車乗りを目指すわたしの為の採用区分と言えましょう!
……実は斎藤殿に「ノルマがあるから、もしよかったら協力してくれない?」って言われて。 一応、いちおう防衛大学校の試験も受けたんです。
受けました、が……定期試験で赤点を取りかねない位だったわたしの学力では、その……
蝶野1尉。あまり頭良さそうにないなぁ、なんて思って申し訳ありませんでした。あの試験に合格できるなんて凄いです。
何とか合格できた一般陸曹候補生も、女子の倍率は10倍以上。3年生1学期時点でのわたしでは危なかった位で、冷泉殿には随分とお世話になりました。
まあ、そんなこんなで幹部にも憧れましたが、そもそもわたしは戦車に乗りたいから自衛隊に入るんです。
幹部はなかなか希望通りの部隊に行けないと聞きます。蝶野殿とも時折電話でお話しさせて頂く機会がありますが、次の異動先は多分偵察隊じゃないかしら、それだったらまだいいけど陸幕か総隊だけは勘弁してほしいわね、などと愚痴をこぼしておられました。
西住殿のように部隊を指揮する才能があれば幹部もいいかも知れませんが、わたしにはきっと、現場でバリバリ体を動かすベテラン陸曹の方が向いているでしょう。
とりとめの無いことを色々考えているうちに、マイクロバスは特に渋滞などにも引っかからず、2時間程で朝霞駐屯地に着きました。
正門に立つ歩哨の殿方が広報官殿の身分証をチェック、車止めを退かして、わたし達は駐屯地の中へと進みます。
迷彩姿の人々が当たり前のように歩く姿を見ると、ついに来たんだと実感してますます胸が高鳴りました。
バスは交差点を何度か曲がりながら、まだまだ進みます。朝霞駐屯地って本当に広いんですね……と思ったちょうどその時、バスがまた左に曲がり、アスファルトの広場に入って止まりました。斎藤殿が立ち上がって、わたし達の方に向き直ります。
「お疲れ様でした。この後は受付がありますので、一般陸曹候補生は私、自衛官候補生はこちらの飯塚3曹が案内します。荷物を持って車を降りたら私達について来てください」
三々五々に荷物を取りバスを降りると、いかにも官公庁でござい、と言わんばかりの味気ないデザインをした白いコンクリートの建物が目の前に立っていました。
玄関の上には発泡スチロールか何かでできた「祝入隊」の飾りが付けられ、結構長く使われているんでしょう、やや昭和チックな紅白の文字が今年の新入りを歓迎してくれています。そして、扉の右脇には筆で「女性自衛官教育隊」と部隊名が縦書きされた大きな木の看板。
目に映るもの全ての新鮮さにはやる気持ちを抑えながら、わたしは斎藤殿のすぐ後ろに続き、看板の字、綺麗だなぁと思いながら隊舎の中へと進みました。
女性自衛官教育隊は、全国から集めた一般陸曹候補生の教育を一手に担うほか、東部方面隊で採用された自衛官候補生の教育も担当します。
乗ってきたバスには、わたしを含む一般陸曹候補生の入隊者と自衛官候補生の入隊者が混ざっていました。隊舎は同じですが、一般陸曹候補生と自衛官候補生は別々の教育を受けるため、どうやら別々の中隊に編成されるようです。
わたし達は斎藤殿に案内されて左側の廊下へ進むと、長机を広げた簡素な受付の前に通されました。
髪を頭の後ろでお団子にした3曹の方が、椅子に座ったまま私達の顔を見上げてはきはきとした調子で話し始めます。
「入隊おめでとう! まずは皆の面倒を見てくれる班長が居室に案内するから、一人づつ名前を言ってね」
とびきり優しそうな声が廊下に響きました。手を指した方向に居た他の女性班長達も、それに合わせてこちらに、にこり。
でも、これって入隊式までの演技なんですよねぇ、多分……
ネットで何でも情報が手に入る世の中ですが、単に良いこととは言えないのかも知れません。
ともかく、ここは積極性を見せてアピールしていきましょう。希望の配属先に行くには成績も重要ですから。
いの一番に机の前に歩み出ます。
「はいっ! 一般陸曹候補生、秋山優花里です!」
「おぉ~、元気だね。秋山、秋山……2区隊1班、あぁ、伊藤かぁ……誰か伊藤呼んできて」
「はいはーい、こちらに」
右手をひらひらさせながら、廊下に並んでいた班長の一人がこちらに歩いて来ました。野暮ったい短髪に、つんと切れ上がった猫目。話し方といい素振りといい、ビシッと規則正しく、といったタイプの人ではなさそうです。教育隊にもこんな感じの人がいるとは……
「秋山優花里ちゃんね、入隊おめでとう! 班長の伊藤だよ、よろしくねー!」
伊藤3曹と呼ばれた女性はケタケタと笑いながらわたしの横まで歩み寄ると、背中に手を回し、右肩をバンバンと叩いてきます。
「よ、よろしくお願いします……!」
「いーっていーって、そんなかしこまらなくてもさぁ。ホントよろしく、秋山ちゃん! ま、とりあえず居室に案内すっからついて来てね」
肩に回された腕に押され、左後ろから漂うタバコの臭いを感じながら、わたしは捕虜のように階段の方向へと連れ去られます。
まさか、まさかこれは――ハズレを引いたというやつでは?
不肖、秋山優花里――新生活に、早くも怪しげな雲がかかるのを感じました。
※注釈
・地本:地方協力本部の略。募集、広報、有事における自治体との連携などを主な任務とする機関。合同の機関なので陸海空どの自衛官もいる。
・陸幕、総隊:陸上幕僚監部、陸上総隊(2018年度新設)のこと。諸外国で言う参謀本部、総司令部にあたる機関。超の付く激務で有名であり、市ヶ谷にある庁舎は「不夜城」の異名をとる。蝶野1尉のような防大出の優秀な幹部だと大抵一度はここで働くことに。
・敬礼:自衛隊では挙手の敬礼(右手を額に当てるお馴染みのあれ)は無帽では行いません。「10度の敬礼」という、いわゆるお辞儀の姿勢を無帽時の敬礼としています。