戦車とともに ~国防女子、秋山優花里の日誌~ 作:名無し参謀
「ひだぁーり、ひだぁーり、左っ右っ!」
右から聞こえる快活な歩調に合わせ、隊列が道の左脇を進みます。
わたしは列の左先頭で、ちょうど道の白線に体の中心を合わせ、またぐようにして歩いていました。
時々右の小坂殿を横目で見て、左右の並びが合うように自分の速度を調節します――列の基準は右なので、わたしが合わせなければいけませんからね。
「歩幅は1歩70センチ! 背の小さい者は普通に歩くと足りないよ、意識して大股で歩くように! 小坂は逆に速い! 左っ右っ!」
指摘を受けた小坂殿が左に顔を向け、横目のわたしと目が合います。
――いけませんよ、右列が基準なんですから。
小さく首を振ってから顎を前へしゃくると、言わんとする所を理解してくれたようです。ぎゅっと唇を結んで顔をもう一度前へ。
「左っ右っ左っ右っ! 鈴木、肘まっすぐ! 秋山、足大げさに上げすぎ! 自然に歩けばいいよ、映画じゃないんだから!」
おっとっと、わたしも人の心配が出来る義理じゃありませんね。
そうこうしている内に、道路の左手に平屋建ての建物が見えてきました。迷彩服を着た隊員の人達がぞろぞろと入って行く様子を見るに、きっとあれが食堂なのでしょう。
「よし、もうすぐ着くよ! 停止の号令は「分隊、止まれ」ね! 「止まれ」に続いて、2歩目で足を揃えて止まる! オッケー!?」
いつの間にか歩道側に回ったらしい伊藤班長の声が、今度は左から聞こえてきます。
「ぶんたぁーいっ、止まれっ、いち、にっ!」
掛け声のリズムに合わせて、わたしたちの足音がザッザッとぴったり二回で止ま――らず、やや不揃いな足音に続いて何人かが3歩目を刻み、隊列が停止しました。
「はーい、いいよこっち向いて」
先程までとはうって変わった、スイッチオフ、と言わんばかりの間延びした声に、皆がばらばらと左に向き直ります。
「まー上出来上出来、一発で完璧にしろとか言ってないし。とりあえずは歩く止まるだけでも最低限にこなせれば、それ以上は求めないよ。今やったようなのを「基本教練」って言うんだけど、どうせコレは課目として今後みっちりやるから、さ。じゃ、メシにすっかね」
そう言って伊藤班長は、外した迷彩帽を両手でくるくる回しながらニカっと笑いました。
わたし達は伊藤班長に続いて食堂に入り、迷彩服の列の後ろに並びました。
「この時間帯はどうしても混むんだよ。もし並ぶ時間が勿体ないと思うなら、15分か20分くらい時間を後ろにずらせば大概は空いてる。12時半以降ならよっぽどの事がない限りガラガラだね。ま、その辺りどうするかは自分達で考えな。はい、ここのお盆と箸、それから茶碗とコップ、一人ずつ取って」
積み上げられたお盆を上から1枚取り、その上のラックに並んだ筒の中からお箸を1膳抜き出します。お茶碗は普通サイズの物と大き目の物、大小2種類あったので小さい方を取りました。本格的な訓練に入ったら、大きいお茶碗で五十鈴殿みたいに沢山食べるようにした方が良いかも知れませんが、流石に今の段階ではそこまでお腹は空いていませんし……。
「まるで給食みたいね。懐かしい」
わたしのすぐ後ろに並んでいた小坂殿が、小さいお茶碗を手に取りながら言いました。取り扱いの容易性と頑丈さを主眼に置かれた樹脂製、デザインも白地に藤の模様とシンプル、確かに小さい頃の給食や、高校の学食を思い起こさせます。
最後に透明のプラスチックコップをひとつ取って前に進むと、腰くらいの高さのステンレスのテーブルに、青い四角形の大きなおひつが6つ並んでいます。空いている所に入り、ご飯をお茶碗に半分くらいよそってから、先の列に続きます。
前に並んだ伊藤班長のお盆を見ると、大きい方のお茶碗に、喫水線の上ぐらいまでご飯がどっかり盛り付けられているのが目に入りました。
「伊藤班長、結構食べられるんですね」
「おー。昔から食べる方だったけど、自衛隊に入ってから更に増えてこうなったね。連隊に居た頃と違って動く機会減ってるから抑えないといけないんだけどなー、ま、いっぺん覚えたら中々減らせないね」
わたしの方に首だけを向け、そう言って伊藤班長は開いている右手で頬をぽりぽりと掻きました。
「自衛隊に入っただけでそんなに増えるんですか?」
続けた質問には、
「すぐに分かる」
目を細め、ふっ、と笑ってから短く一言だけが返ってきました。
「あっはい」
「ごめん、喋ってる間に列空いてたわ詰めて詰めて。次おかずな。盛り付けたお皿が置いてあるから、勤務員の人に頂きますってちゃんと言ってから取るように。いただきま-す」
「頂きます!」「いただきます!」
八宝菜、小松菜のお浸し、わかめのスープ、それからパイナップルのシロップ漬け。
全部のメニューを取り終えお盆に乗せたたわたし達は、班長に続いて食堂に並んだテーブルの脇を進み、隅の一角に揃って座りました。先に来たらしい他の班の新隊員も、この周辺に固まって、それぞれの班の班長と一緒に食事を摂っています。
「新隊員は人数多いから、一般隊員に迷惑がかかんないように規制されてる。使っていい席はあの立看板よりこっち側ね。それから、食べる前は全員揃って『頂きます』、食べ終わったら全員揃って『御馳走様でした』。自衛隊は集団行動が命、こういう所から皆で調子を合わせて行動するのを習慣にしてもらうよ。合わせて、社会人としてのマナーも当然身に着ける。分かった?」
「「「はい!」」」
「よしよし。それじゃ姿勢を正して――合掌、頂きます!」
「「「頂きます!」」」
昼食の後は、伊藤班長が隣の厚生センター、通称PXの中を案内してくれました。
「ここにはコンビニと訓練用品を扱ってる売店、それから喫茶店、図書室、床屋なんかも入ってる。ある程度の日用品は外出しなくても揃うよ」
「へー、意外と凄いじゃん」
「普通のコンビニが入ってるって、何か意外ですね」
「コピー機もチケット端末も、ATMまであるし!」
植田殿、山本殿、阿部殿――でしたっけ、3人が口々に感想を言います。
「特に最初は約3週間、身分証明書ができるまでは外出できないからね。持って来るのを忘れた物があったら今のうちに買っとくこと。特に腕時計を持って来てない子は絶対買いなさい、高いのじゃなくてもいいから。とりあえず今から30分自由時間にするから、各人買い物して来い。秋山は余計な物を買うな」
「は、はい?」
いきなり、また伊藤班長が矛先をわたしに。そんな顔、してましたか……?
「冗談。とはいえ、私物の訓練物品はまだ買わなくていいよ、ホントに。新隊員教育で必要だったり、あった方が便利な物はおいおい教えてあげるから。どうせ統制外の物は買っても使えないし。って言っても見に行くだろうけど」
「まあ、その通り、ですけど」
「うんうん、お前単純でいいわサイコー。好きだぜそういうの」
大げさに頷きながら、わたしの肩をポンポン叩く伊藤班長。
「馬鹿な話ばかりしてても時間がもったいないね。もう解散していいよ。ただし小坂は残れ。朝の約束通り床屋に行くから」
「はい……」
呼びかけられた小坂殿が、か細い声で小さく答えて肩を落とします。
そういえば、小坂殿だけは髪が長いままでしたね。入隊案内にはあらかじめ切って来るように書いてあったのですが……
「気ぃ落とすなって。でも自分が悪いんだぞ、ちゃんと案内に謳ってんだから」
「……はい。前日に気づいた私のせいです。でも、まさか床屋しかないなんて……」
「可哀想だけど、さっき言った通り外出はできないからね。床屋で我慢しろ床屋で」
なるほど、そういう事情だったんですね。
しかしお二方……確かに他に理髪店がない学園艦のような場合は当たり前ですが、普通の床屋でも女性のカットはちゃんとできるんですよ。
理髪店の娘として、その言い草はちょっとどうかと思いますよぉと、声には出さず密かに思うわたしなのでありました。
一時解散となって、わたしはいの一番に訓練用品コーナーへやって来ました。
狭い通路の中に、リュックサックやポーチ、水筒などの装備類から、ワッペンやパラコードといった小物、迷彩シャツや迷彩服、雨具などの衣類まで、様々な種類の物が所狭しと詰め込まれています。その多くは迷彩か黒色で、通路に入り込むと周囲はまるでジャングルのよう。
「やっぱり安いです……流石はPX」
目に付いた物を次々手に取り値札を見てみると、ミリタリーグッズの目利きに慣れたわたしの評価に対して、どの商品も2割から3割引きぐらいの数字が付いています。それもその筈、街のミリタリーショップと違ってここはあくまで隊員の福利厚生施設。売店側の利益が最小限に抑えられていますからね。
「へぇ、モンベルが迷彩のレインウェアなんか作ってるんですね……こっちのブーツはダナー、あのリュックは確かファイブイレブン、海外製も沢山あります……流石に割り引かれても中々のお値段ですけど。しかし、このブーツが2万切りですか、ネットでも2万5千はしたはず――あっ、これはサイズ限定特価で1万6千、しかもわたしの足と同じ――いや、ですが……」
宝の山を現物でどっさり見せられて、気持ちがぐらぐらと揺さぶられます。初任給の使い道はもう決まっていると言うのに。もちろん全額が先約済みという訳ではありませんが、もう両親を頼る訳にもいきませんし、余裕を残しておかないのはあまりに危険でしょう。
「余計な物を買うな、秋山2士!」
班長の言葉を自分自身で反芻して、頭をブンブン左右に振りながら、わたしは洗剤と洗面用品を買いに迷彩のジャングルを後にするのでした。
ああ、でもあのブーツは取り置きしてもらえないかな……今度聞いてみましょう。
あっという間に30分が過ぎ、集合したわたし達は再び列をなして隊舎へ。
今度は書類もみんな書き終えて、10人全員でひたすら自分の縫い物です。ですが、10人の集まるとやはり個性も振れ幅が大きいようで――
「あぁ疲れる! ――もっかい休憩、ロビーでコーヒー買って来るわ」
ギシギシとベッドを揺らす音が止まり、小坂殿のベッドの上段から植田殿が裸足で飛び降ります。ドスン、と着地してからスリッパを履き、イライラした様子で居室を出て行きました。これで確か2回目の休憩、彼女はこういった手先の作業が嫌いなようですね。
左腕のGショックに目を移すと、時刻は14時を回ったところ。わたしも手を止めて一旦休憩することにし、清水殿に一言断ってからベッドを降ります。
「調子、どうですか?」
小坂殿の所に行き、進捗を確かめます。ようやく戦闘服の1着目が終わった所らしく、小坂殿より遅れて取り掛かったわたしよりも進んでいないようです。
耳の上まですっきりとショートに切り揃えられた髪とは裏腹、心は曇り空、ですか……
「髪のことも残念ですけど、我慢できなかったら早めに言った方がいいですよ、上。3か月一緒に暮らすんですから」
わたしはベッドの脇にしゃがんで、小坂殿にそっと耳打ちしました。小坂殿は植田殿とは対照的に繊細な性格、これは早めに何とかしておかないと映画なら必ずトラブルに発展するパターンですからね。
「ありがとう、秋山さん。でも、別に大丈夫だから」
「そうですか? 小坂殿がそう言うならいいんですが……」
「いいの。心配してくれてありがとう」
「でも――いえ、差し出がましい真似をすみませんでした。では」
植田殿がコーヒーを片手に居室に戻ってきたのを見て、わたしはそこで話を打ち切りました。
わたしもお茶でも買ってきましょうか、と思ったちょうどその時、今度は別のベッドから大声が。
「ふぅ、これで全部終わりっ!」
声の主は、午後から縫い付けを始めたばかりの阿部殿。えっ、もう終わりですか?
流石にこれに驚いたのはわたしだけではなかったようで、阿部殿のベッドの上段から、山本殿が首を出して下を見ます。
「えー、早ない?」
「そうかな? 簡単じゃんこんなの」
「ちょっと見してー」
「わたしも見ていいですか」
山本殿が梯子を下り、わたしも阿部殿の方へ近寄ります。2人で阿部殿の縫った階級章と名札を確認してみると――
「いや、あかんやろコレ……」
「縫い目と縫い目の間に親指が入りますね……」
山本殿は絶句、わたしは乾いた笑いが自然に出てきました。
やはりと言うか何と言うか、縫い目は荒いにも程があり、見本の紙で指定された細かさ、およそ4mm間隔が全く守られていません。縫い方も、指定のまつり縫いではなく一番シンプルな波縫いです。
「……これ、普通にやり直し食らうと思いますよ」
「そうやねー」
「えっ、マジ?」
「見本見ました?」
「見てない。ってか、そんなのあったの?」
「ありましたし、班長が皆の前で言ってましたが……」
「うんうん」
「そだっけ。まあ、大丈夫でしょ?」
「えぇ……縫い直ししないとマズいですよ」
2人に追い詰められた阿部殿。3、4秒だけ彼女が考えて出した答えは、
「うーん、班長に言われたら直すわ」
「むっちゃ度胸あるなぁ」
「一応、わたしは止めましたよ……」
後々、何百倍、何千倍のペナルティになって帰ってくるのでありますが――それはまたお話し致しましょう。
「調子どうよ、皆? 終わった子いる?」
時計が4時を回った所で、伊藤班長が居室に帰って来ました。左脇には、バインダーに挟んだA4サイズの紙が挟まれています。
「終わりましたー」
「わたしもです」
「わたしも今終わりました」
「あと5分くらいでーす」
ベッドに座った班員から、わたしのものを含めていくつか返事が返ります。早く取り掛かっただけあって、清水殿も縫い物は終わったようです。
「ふーん、今年の子は結構速いね……まあよし、全員作業やめて中央に集まって」
既に集団行動のスイッチが入りつつあるのか、皆その言葉を聞いてすぐに手元を片付け集合すると、自然に班長の周囲に半円を作ります。
「さて――今から大事な話をするよ。と言っても、大事な子には大事だし、そうじゃない子にとっては何を今更って話だけどね。右から1枚ずつ配って」
半円を時計周りに、紙が手渡されていきます。わたしも阿部殿から紙束を受け取り、1枚とって宮原殿へ。手元に残った紙を見ると、『宣誓書』という題に続いて、下に長々と文章が書かれていました。
「全員行き渡ったね。これは宣誓書――自衛官になる上でここに書かれた事を守りますと、誓って貰うための文書。今からゆっくり読み上げるから、意味が分からない箇所があったらその後で聞くこと。読むよ」
――私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います――
静かな居室に、抑揚をあえて抑えた班長の声が、響くことなくどっしりと染み入りました。
「以上。ま、言葉は難しいけど内容は簡単。自分の職の重さを自覚し国民の期待に応えます、法律や規範は守ります、任務は必ず遂行します、政治的活動は致しません、大雑把に言えばこれだけだよ。既に覚悟して自衛隊を選んだ子なら、何を今更ですか、って感じだと思う」
自分の手元の紙を指で弾きながら、班長が続けます。
「今、この場で貴方たちにとって大事なのはその部分でね。その『覚悟』をしてない子が居たら――例えば、本当は自衛官になりたいと思ってないのに、誰かに強いられてここに来ているなら――この紙にサインをする前に正直に申し出て欲しい」
強いられて、という言葉に、誰かが俯き加減の顔をぴくりと一瞬持ち上げたのが、わたしの視界の端に写りました。確か、宮原殿、でしたっけ。自己紹介以来殆ど喋っていなかったので気にはなっていましたが……
「この紙にサインをするまではあなた達はただの一般人、自衛官じゃない。この誓約書に書かれた事項を守ると誓う――『服務の宣誓』が、自衛官になる法律上の必要条件だからね。逆を言えば、サインしなければ自衛官にはなれない。もっと言い方を変えれば、サインしなければ家に帰れる――極めて穏便に」
確かに、一度自衛官になった後に辞めるのは、わたしの目線で見ても非常に手間も時間も掛かりそうです。部隊長の決裁を得たり、その為の書類を作ったり。
要するに、これはそうしたごたごたをお互いに省くための最後のチャンス。宣誓を拒否する者を引き留める権限は、誰にもありませんからね。
しかし――
「……よし。前口上はこのくらいにして、それじゃ皆サインを――」
それでいきなり、教育が始まってすらいない内から、『極めて穏便に』同期が減ることになるなんて――
「……あの!」
あんまりじゃないですか、と、左隣で震えながら上がる右手を見つめ、わたしは思うのでありました。