Tales of Grasces f ~守るために殺す少女~ 作:白黒狼
シェリアが泣き止むまで背中をさすっていた私は、もう大丈夫だと言う彼女の後を歩きながらラントの領主邸へと足を踏み入れた。はじめに視界に入ったのは扉のすぐ先にある階段と、それを上がった場所に飾られている絵画だった。
堂々と佇む茶髪の男性がおそらく領主アストンさんだろう。手前に座っている女性が奥様で、その隣にいる二人の男の子がシェリアが話してくれた幼馴染のアスベルとヒューバートなのだろうか。
私が絵画を見ていることに気がついたのだろう。シェリアが私の隣に並ぶと、茶髪の子供を指さした。
「あっちの茶髪の子がアスベル。それから、隣の青い髪の子がヒューバートよ。あちらの女性が奥様のケリー様。後ろの人がアストン様よ」
私の考えていた通り、大人二人はアストンさんと奥さんだったようだ。
ふと、隣のシェリアを見ると、彼女はアスベルの絵をジッと見つめていた。その瞳に浮かぶのは寂しさと迷い。あと……。
「シェリアちゃん、貴女……アスベル君のこと、好きなんでしょ?」
「……はぁ!?」
私の呟きにシェリアは真っ赤になってこちらに振り向いた。そんなに真っ赤になったら肯定しているようなものだろう。私も思わず頬が緩んでしまう。
「べ、別に…アスベルはそんなんじゃ……‼」
「顔、真っ赤になってるわよ?」
「〜〜〜〜ッ‼」
指摘されたことが恥ずかしかったのだろう。彼女は顔を両手で隠すと背を向けて小さく呻きだした。可愛い反応だなぁ、とにやけてしまう。
暫く深呼吸して落ち着いたのか、彼女はようやくこちらに顔を向けた。まだ頬が少し赤いし、拗ねたようにこちらを睨んでいるのが尚更微笑ましい。
「ふふ、ごめんなさい。でも、貴女の恋は応援してるわ。かんばってね」
「だ、だから違うって……‼」
シェリアはこのままでは不利になると感じたのか、私の手を取るとすぐさま客間の扉を開けて中に入る。私が入ったのを確認すると小さく息を吐いて再びこちらを睨みつけた。
「そういうヒトハさんは恋人とかいないの?私よりも年上みたいだし、スタイルもいいからモテたんじゃない?」
その言葉に一瞬息が止まる。
私に恋人がいたのかどうか。それは記憶が無い私にはわからない。しかし、もしかしたらいたのかもしれない。
私が病気に掛かり、隔離されていたあの病室で毎日新しい花を飾ってくれたのはもしかしたら恋人かもしれない。もしそうなら、今頃私が死んだ事を知って悲しんでいるのだろうか?
そう考え出すと胸の奥がチクリと痛んだ。思わず胸元でギュッと両手を握った。視界が滲んでシェリアの顔がボヤけていく。慌てて駆け寄ってきた彼女に支えられ椅子に座ると、胸の痛みはもう感じなかった。
「…ねぇ、何処か痛むの?」
「ううん……大丈夫」
心配そうに屈んで顔色をうかがうシェリアに笑いかけて息を吐く。彼女はまだ心配そうにこちらを見ているが、構わずに私は先程の答えを伝える。
「恋人がいたかはわからないわ。記憶がないからね。でも、もしかしたらいたのかもしれないわね」
そう言うと彼女は少し気まずそうに視線をそらす。きっと無神経なことを言ったと後悔しているのだろう。
私は屈んで私よりも低い位置にある彼女の頭に手を乗せて優しく撫でる。
彼女が少し驚いたように顔を上げるが、私は構わず撫で続ける。
「シェリアは優しいね」
私がそう言えば、彼女は少し赤くなった顔を隠すように視線を外す。可愛い反応をするものだ、と思っていると、コンコンと扉がノックされてメイドさんが入ってきた。
「失礼します。ヒトハ様、アストン様がお呼びになっておりますので、執務室までお越し下さい」
「あ、はい……」
部屋を先に出たメイドさんを追いかけて私とシェリアちゃんも部屋を出る。
「あ…じゃあ、私はこれで……」
そう言って玄関に向かうシェリアちゃん。
正直に言えば知らない人物と二人きりでの話は不安なので彼女にも来てほしかったのだが、それは我儘というものだろう。そう思ってお礼を口にしようとした時、メイドさんがシェリアちゃんを呼び止めた。
「お待ちください。シェリアさんも花畑での様子を知りたいので、一緒に来て欲しいとのことです」
「あ、はい。わかりました」
頷く彼女の横に立って笑いかけると、彼女も笑顔を返してくれた。不安も薄くなったところで客室の玄関を挟んだ向かい側にある執務室へと移動する。
ふと、扉の側にフレデリックさんがいたので会釈をしておく。すると柔らかく微笑んでくれたので、更にリラックスする事ができた。
メイドさんが扉をノックすると、中から低くて威厳の返事が聞こえてきた。
私は小さく深呼吸すると、開かれた扉の先へ一歩を踏み出した。
◇◇◇◇◇◇
執務室の中は綺麗に整頓された広い空間だった。鎧や本棚、道具が入っているのであろう箱がいくつか壁際に並べられている。そして、その部屋の奥には大きな机があり、そこに一人の男性が座っていた。
先程の絵画に書かれていた姿より少々歳を重ねているように感じるが、間違いなく領主アストンさんだろう。彼はこちらを一瞥すると、立ち上がって手元にあった書類を片付けた。
「…裏山にいたという少女は君か」
低い威厳のある声でアストンさんは私を射抜くように睨みつけてきた。さすがというか、領主としての貫禄というのか、言い知れぬ迫力がある。
「はい、はじめまして。私はヒトハと申します」
そう言って頭を下げる。
アストンさんはふむ、と少しばかり考えた後、メイドさん達に人数分の椅子を用意するように告げ、再び自分の机に戻った。
「かけなさい。少しばかり長い話になるかもしれん」
シェリアと共に返事をしてメイドさんが用意してくれた椅子に腰掛ける。
アストンさんは小さく頷くと、いくつかの書類を用意し、そこに目を通す。
「ふむ、ヒトハさん…と呼べばいいかな?」
「あ、はい…」
先程よりは少しマシになったが、彼から感じる圧力は緩まない。
隣のシェリアも少しばかり緊張している様で、先程から手が微かに震えている。
「フレデリックの報告によると記憶を殆ど失っているということだが……間違いないか?」
「はい、全てではありませんが大半の記憶を無くしています……」
「ふむ……では、思い出せるだけでいい。知っている事を話してもらえるかな?」
彼の言葉に頷いて自らの記憶を再び呼び起こす。
しかし、やはり虫食いみたいに穴だらけで、肝心な内容は浮かんでこない。
「先程も言いましたが名前はヒトハといいます。歳は19歳です。原因不明の病に掛かり、治療の為に隔離された病棟で生活していました。」
「……原因不明の病?」
「はい、突然全身が麻痺して激しい痛みで動けなくなるというものです。今のところ、シェリアさんと出会ってからはまだ発作は起きていませんが……」
「なるほど…ではどうしてラントの裏山にいたのかね?」
「わかりません…たしか、今までで一番酷い発作が起きて意識を失って……気がついたらあそこにいました」
あの時の痛みはハッキリと覚えている。
全身の皮膚の隙間に溶接した鉄を流し込まれたかの様な強烈な熱さと痛み。全身がぐちゃぐちゃになっていくかの様な嫌悪感。脳が意識を落としても激痛で無理やり起こされる絶望感。
そんな痛みを数十分も耐え続けた。自分でも発狂しなかったのが不思議なくらいだ。まぁ、そうなる前に私の心臓が先に根を上げてしまったのだが…。
アストンさんはまた少し考える仕草をすると、書類にいくつかの言葉を書き込み、それを机の引き出しに仕舞った。
「うむ、君の話はだいたいわかった。私の方で君のいた街を探してみよう。それまで、ここの客間を使うといい。
そしてシェリア、君にヒトハさんの世話を手伝ってほしい。いいかな?」
「あ、はい。私でよろしければ…」
アストンさんとシェリアちゃんの会話を横から眺めながら、私は不安だった。
私の家族は本当に見つかるのか、日本に帰る事ができるのか、そんな思いが頭の中をぐるぐると駆け回る。
そのままシェリアに案内されて再び客室に入った私は、気持ちの整理がしたいから、とシェリアに伝え、ベッドに倒れこむ。
ふかふかのベッドは私の体を優しく包んでくれた。入院中の病院のベッドにはない安心感に、私の意識はすぐに沈んでいった。