Tales of Grasces f ~守るために殺す少女~   作:白黒狼

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 あのお方が登場。



死を視る少女と対極の器

 夢を見ている。

 

 全てがあるのに何も無い。

 虚無の海に一人で浮かび、ただ身を任せる。

 此処は「空の境界」と呼ばれる場所。全てが始まり、帰る場所。

 そこにあるのは「無」だ。

 圧倒的な死の空間。どうしようもないくらいに深い、あらゆるモノの到達点。

 

 私は、そんな虚無を見つめていた。

 此処には一度来たことがある。激痛の後に目を覚ましたら此処に浮かんでいて、唐突に死んだと理解した。

 その直後に記憶が消されそうになって、抵抗していたらあの花畑に横になって寝ていた。

 また記憶が消されるのかと警戒するが、どうやら今回は違うらしい。

 少しだけ離れた場所。歩けばすぐにたどり着く距離に、一人の人間が佇んでいる。

 この虚無の海にぽつり、と佇むその人は真っ白な着物姿だった。その色は遠くにいる私にもよく見えて、私は自然とその人へと足を進めていた。

 

 近づくにつれて、どうやらその人は女性であるとわかった。

 肩上辺りでやや乱雑に切り揃えられた絹の様な黒髪が彼女の白い着物によく映えて見えた。

 そんな後ろ姿の彼女に向かって歩く。そんな遠い距離じゃないのにやたらと時間が掛かった様に感じたのは、きっと私が緊張しているからなんだろう。

 ふと、境界の中だというのに空から白くてふわふわとしたモノが降ってきた。……これは、雪?

 手に乗せれば一瞬で消えてしまう儚い結晶。ただ水分が凍っているだけなのにどうしてあんなにも寂しく、儚く、美しく見えるのか……。

 そんな事を考えながら再び足を動かす。

 今度は周りの景色がゆっくりと変わり始める。

 コンクリートの地面、曇った空、遠くに見える街並み。間違いなく、私が住んでいた世界。

歩いていた足が止まる。

 いつしか、彼女との距離は三メートル程にまで縮まっていた。

 彼女はガードレールに片手を乗せ、つまらないモノを見るかの様に無表情で、眼下の街並みを眺めていた。

 声を掛けようか迷っていると、彼女が振り返った。私を見て、小さく笑いかける。

 

 

「こんにちは」

 

 

 その笑顔は、まるで女性そのものを体現したかの様に美しかった。

 彼女の声、仕草、瞳、全てが儚く、美しく、そして恐ろしい。

 

 

「こんにちは」

 

 

 震える声で彼女に挨拶を返す。

 彼女は私をジッと見つめたまま、暫く動かなかった。そのまま止まってしまえば、それは美しい絵画を見ている気分であっただろう。

 

 

「なるほど、貴女は『 』を通過してしまったのね」

 

 

 唐突にそう言われ、自分の心臓が跳ねるのを感じた。

 何故それを、とは思わない。境界の中にいる人間が普通なわけがない。きっと、私の何かを、彼女は視ているのだろう。

 

 

「貴女は……何者なんですか?

 私に起きた事も知っているようですし……」

 

「教えてあげてもいいけど、貴女は本当にそれでいいの?

 これから話す内容は容赦なく、貴女に絶望を与えることになるのよ?」

 

 

 そう言って、私を試すかの様に鋭い視線を向けてくる。

 でも、私だって境界に触れた時点でいつしかこうなることは解っていた。だから、覚悟はとっくにできている。

 

 

「そう、聞くまでもなかったみたいね」

 

 

 そう言って彼女は微笑んだ。

 再び街並みを見下ろしながら、彼女は隣に来いと言いたげにガードレールをぽんぽん、と叩いた。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

「まず、此処は現実じゃない。この景色も、この雪も、私の覚えている記録を再生しているだけでしかない。

 私は此処で内側を見つめるだけだから、本当はダメなのだけれど、今回は特別」

 

 

 貴女のためにね。と、彼女は笑った。

 なるほど、妙に現実感が湧かないと思ったけど、今見ている光景は記憶を再生しているだけで、実際にそこに立っているのではないのだ。たった今気づいたのだが、雪が降っているのに、私は寒さどころか肌に触れる雪の感覚さえ感じていなかった。

 

 

「この風景が一番好きなの。だから勝手に変えさせてもらったけど、変えたいならそうするわ」

 

 

 私はそのままでいいという意味を込めて、小さく首を横に振った。

 彼女も、ありがとう。と、小さく頷いた。

 

 

「ここは現実と『 』との間に作った私の空間。あのままあそこにいたら貴女が疲れると思ったから。

 じゃあ、時間もあまりないから、まずは貴女に起きた事を話しましょう」

 

 

 はい、と返事をして彼女を見つめる。

 

 

「貴女は病気のせいで確かに一度、死亡している。

 そして、貴女が言う境界の中に落ちた。本来なら、境界に落ちると魂はその記憶を抜き取られ、真っ白に初期化されて新しい肉体に宿る為に輪廻の輪に流れていく。

 でも、貴女はそれに抗った。長い闘病生活で死に近かった貴女は境界の中でも意識を保ち続けていた。

記憶が抜き取られていく感覚は相当なものだったでしょう?」

 

 

 彼女の問いに頷いて答える。あの頭を覗かれ、記憶を剥がされていく感覚は、今でも身震いしてしまう程おぞましいものだった。

 

 

「本来なら、その力に抵抗なんてできない。何故なら、境界は世界の外側なんだから。内側に住む住人の一人程度が足掻いたところで結果は見えてる。

 でも、貴女は少し特別だったみたいね。

 少し話が変わるけど、貴女は『起源』というモノは知っている?」

 

 

 起源……言葉の意味ならば知っている。しかし、彼女の言う意味はきっと違うのだろう。私は小さく首を横に振る。

 

 

「起源とはそのモノの本質、簡単に言うなら本能と言えるものよ。普段は誰も気にしない事なのだけれど、これを自覚し、理解することで本能を目覚めさることを起源覚醒と言うの。

起源は人によって違う。私にも“虚無”という起源があるように、貴女にも“適応”という起源があった」

 

 

 適応……私の、起源。本能。それと境界での出来事に何の関係があるのだろうか。

 

 

「記憶を抜き取られる瞬間、貴女は自らの起源に覚醒した。貴女の魂はその場の環境に確実に適応できる力を持っていた。

 そして、適応する為に貴女は虚無を視続けた。圧倒的な“死”というものを理解する為に。

そして、貴女は理解し、適応した。時間が掛かって記憶の大半は失ってしまったみたいだけど、貴女は消えることを免れた。

 でも、問題は終わらない。貴女は死んでいたのだから、肉体がない。魂と精神だけで、肉体が無い貴女は境界から出られない。

 だから創った。自らの肉体を。境界に適応した貴女は膨大な知識と、根源という材料の素から新しい自分を創った。

 そして、境界を越えて別の次元に飛び出した」

 

 

 そこまで聴いてはっきりした。私のこの肉体は境界で作られた。だから肉体と境界は繋がっている。繋がっているから私は死を視るなんて事ができたのだ。

 

 

「生まれながらに虚無という起源を持ち、『 』と繋がっていた私と似ている様で違うけれど、貴女と境界は繋がっているいる。

 その眼……“直死の魔眼”は貴女と境界が繋がっている証。

 貴女の肉体が朽ちるまで、貴女はその呪いから逃れられない。

 ただ、根源なんてモノから創った貴女の肉体が朽ちるまで、一体どれだけの時間を費やすのか……。」

 

 

 彼女は少し哀れむ様な視線をこちらに向けた。

 きっと、私は簡単には死ねないのだろう。それでも、生きていられた事に私は感謝したい。

 

 そんな私を、彼女は眩しいものを見るかの様に眼を細めて、微笑んだ。

 

 

「…もう、時間かしらね。

 私はあまり外に出るわけにはいかないから、これで話はお終い。

 たぶん、二度と出会わないでしょうから、最後に何か一つ、貴女の問いに答えましょう」

 

 

 そう言って、大人のようで、子供のような笑顔で彼女は笑った。

 きっと、どんな質問でも彼女は答えてくれる。

 私のこれから、世界の行く末、人の生死…。

 聞きたい事はたくさんあるけれど、それは私が自分で見届けなければならないこと。だから、私の質問はほんの些細なこと。

 本当は最初に聞きたかったことだったけど、なんだかんだでまだ聞いていない。

 

 

「貴女の名前を教えてください」

 

 

 その時のきょとん、とした彼女の顔がとても可笑しくて、私は思わず声を出して笑ってしまった。

短い時間だったけど、彼女に出会えてよかった。たとえ、二度と出会わなくても。

 

 そうして、私は彼女を見送った。

 彼女が見えなくなるまで雪はやまず、白い破片は儚く消える。

 

 ……たとえば羽根。

   親から巣立つ雛鳥のように、私は彼女とは反対の方向に歩き出した。

 

 歩き出した先に小さな光が見えた。一歩、また一歩と歩くたび、光は明るく、この空間を染めていく。

 

 ……たとえば夜明け。

   新しい出来事の始まりを告げる最初の光。

 

 白い光に包まれて、眩しくて眼を閉じた。

 ふと、体から力が抜ける感覚。

 そして、そこからの急激な浮遊感。これは目覚めの兆し。

 抗わず、ただその流れに身を任せる。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 ふと、目が覚めた。

 

 夜明けで白んだ空が見える部屋で、私は目を開く。

 さっきまでのは夢?

 それとも、現実?

 

 あやふやだけれど、きっと夢じゃない。

 

 

「……両義式」

 

 

 最後に聞いた彼女の名前を口ずさむ。

 それがやけにはっきりと胸の奥に染み渡って、やはり夢ではなかったのだと実感した。

 

 

 




 空の境界は私が読んできた中でも一番の作品。
 劇場版の未来福音も早く見たいですね。
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