ある転生者と勇者たちの記録   作:大公ボウ

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さて、原作ではここから目も当てられない程悲劇のオンパレードになるわけですが……。

果たしてこの話ではどうなるのか?

楽しんでいただければ幸いです。

では、始まり始まり~



※UAが十万を突破しました!
 掲載開始からおよそ三ヶ月……ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございます!


姫百合と紫羅欄花の章

四国外調査遠征から帰還して数日後の昼食時。

 

○○達は食堂でうどんを啜りながら、設置されたテレビから流されるニュースを聞いていた。

 

「ったく、嘘ばっか流してるよなぁ……」

 

「所々事実を混ぜ込んで発表してるから、全部が全部嘘っていう訳じゃ無いけど……でも……」

 

球子が不機嫌そうに言った言葉に杏が擁護するような台詞を口にするが、それにも力が無い。

 

「まあ、球子が言いたい事は分かる……。私達が○○の功績を横取りしてしまったみたいなものだからな、今回の発表では」

 

「大社は何を考えているのかしら……実際に命懸けで諏訪からの避難を先導してきたのは○○なのに……私達は最後の最後に少し助けただけじゃない」

 

「何だかよく分からない内にこんな事になってたもんね……」

 

若葉と千景、そして友奈も、不満と申し訳なさが同居した様な表情で球子の言葉に続く。

 

事実、世間一般には諏訪からの避難民は今回の遠征で偶然発見され、それを勇者たちが四国まで護衛してきたことになっていた。

 

○○がたった一人で諏訪から大橋まで避難民を護衛したという真実は隠され、そして功績は遠征に参加した七人で均等分けされてしまった事になる。

 

「まあ、仕方ない。ぽっと出の俺よりも、今まで四国を何回も守って来たみんなが助けた事にした方が大衆受けがいいのは事実だし。それにまあ……自分で言うのもなんだけど、俺が一人で守りながらここまで避難してきましたってよりも、現実味があるのは確かだよ」

 

「あなたはそれで良いの……?」

 

「まぁ、みんなは本当の事を知っていてくれてるし。なら、もうそれで良いかなって」

 

千景の言葉に対してあっけらかんと言った彼に、若葉たちは本人が納得しているなら何も言うまいと不満を引っ込めた。

 

「それにしても……○○さんって私達と同い年とは思えない様な雰囲気ですよね、さっきの隠蔽についての感想といい」

 

「そうかな?」

 

「はい、私達の倍以上生きていると言われても納得出来るくらいには」

 

「ははは……いや、それは言い過ぎじゃないかな?」

 

杏の、○○の真実を言い当てている言葉に思わず冷や汗を流しつつ、うどんの残りを片付ける○○であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○○は大社関連の病院からの帰り道、書店に寄り道して雑誌を買おうとしていた。

 

目当ての雑誌をすぐさま手に取ると、他の本には特に目を留めずにそのままレジへと向かう。

 

すると、見覚えのある背中を見つけた。

 

「あれ、土居さんと伊予島さん?」

 

「ん? あれ、○○じゃん。お前も何か本を買いに来たのか?」

 

「え、○○さん?」

 

「うん、今日発売した雑誌をちょっとね」

 

「ふーん。ならせっかくだし、一緒に帰ろう!」

 

 

そう球子が提案し、もちろん他の二人も賛成したので一緒に宿舎へと帰る事になった。

 

「そういえば、二人はどんな本を買ったの?」

 

○○が尋ねると、球子と杏はそれぞれが買った本を袋から取り出して彼に見せた。

 

「タマはこれだっ、面白いから新刊が出るたびに買ってるんだ」

 

「ああ、この漫画は俺も知ってる。爽快なストーリーとド派手な描写が持ち味のヒーローものだよね」

 

「そうそう、もうコレがスッキリ爽快でさぁ! ホント良いんだよ!」

 

そう言って力説する球子の瞳は、キラキラと輝いて本当にこの漫画が好きなんだという事が窺える。

 

「私はこれを買いました。以前から気にはなっていたんですけど、やっと買えたんです」

 

「これは……五、六年くらい前に映画化したヤツの原作……だったっけ?」

 

「そう、当時話題になっていたラブストーリーの原作です。互いを想い合いながらもすれ違う主人公とヒロイン。でも徐々に二人は分かり合っていき遂に結ばれる……という感じの王道ものらしいんですけど、描写が素晴らしいと評判だったみたいです」

 

球子とは全く違う方向性の王道恋愛小説を手に、読むのが楽しみだという笑顔で内容を語る杏。

 

暫らくそれぞれの買った本について語りながら歩いていたが、ある事が気になった杏は彼へと尋ねた。

 

「そう言えば○○さん、今日は昼過ぎから何処に行っていたんですか? 何だか急いでいたみたいですけど」

 

「ああ……予約してたから急いでたんだよ、病院のね」

 

「病院に? 何だ、どっか悪いのか?」

 

球子が心配そうに彼へと問いかけるが、○○はいつも通りの調子で答えた。

 

「丸亀城での戦いの後から、右目が何だか霞むようになってさ。で、大社関連の病院に行って検査をしてもらってたんだ。でも、結果は全く問題無し。右目の違和感はまだ抜けないけど、医者がそう言うなら仕方ないからね」

 

○○はそう言ったが、球子と杏は思わず顔を見合わせてしまった。

 

二人の脳裏には、先日球子が違和感を覚えて病院に検査に行っていた時の事が浮かんでいた。

 

球子も○○と同じく検査結果は異状無しだったが、切り札の使用がどんな事を引き起こすのかは未だに不明なのだ。

 

球子は違和感という抽象的な感覚に止まっているが、彼は目の霞みという多少は具体的な症状が現れている。

 

やはり、精霊の力の行使は何らかの問題を使用者に齎すのではないかという疑問を強める杏。

 

そんな二人の心配そうな表情を見たからだろう、○○は少し笑みを浮かべるとあえて軽い口調で言った。

 

「まあ、何か問題が出る様ならすぐに皆に言うから、そんなに心配しないで」

 

「……分かった。何かあったらすぐに言ってくれよ?」

 

「問題が解決できるかは分かりませんけど……でも、絶対に力になりますから」

 

「うん、二人ともありがとう」

 

そう礼を言った○○に球子と杏の二人も納得し、三人で連れだって寄宿舎へと帰っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから後日、四国外遠征で様々な衝撃的事実を目の当たりにし、雰囲気が悪くなっている事を懸念した若葉は、とある事を提案した。

 

レクリエーションとして、バトルロイヤル形式の模擬戦を行おうというものである。

 

ここで戦闘訓練の延長を持ち出してくるあたり若葉らしいとも言えるが、以前までの若葉ならそもそもこんな提案自体しなかっただろう。

 

それに、優勝者には他のメンバーに対し、常識の範囲内で自由に命令する権利が与えられるという、余興めいた事まで彼女自らが発案したのだから、以前からすれば格段に柔軟に、取っ付きやすくなっていると言えるだろう。

 

それはともかく、このイベントは好意的に受け取られて全員が参加することになった。

 

……○○以外の全員が。

 

○○も残念がったのだが、彼は攻撃手段を持たない為、参加すれば千日手を相当の確率で発生させてしまうと申告し、参加を辞退した。

 

しかし、何も参加しないのは流石に面白くないとして、勝者が行なう事に対し協力することにはなった。

 

実質的には不戦敗であるが、このメンバーならそんなに無茶苦茶な事は言い出さないだろうと思い、彼も油断していた。

 

結果として、バトルロイヤルの勝者は杏となった。

 

経過を俯瞰的に見ていた○○からすれば、本当に中学生かと疑いたくなる様な作戦を立てたのであるが。

 

戦う前に勝利を決めろ、合戦とは勝ち負けを認めさせるための最後の詰めに過ぎない……そんな感じの言葉を地で行くような作戦に、思わず引き攣ったような笑いが出そうになってしまったものである。

 

ともかく、勝者となった杏はその権利を行使して、自分の望む事をやって貰って満足そうにしている。

 

何をやっているのかというと――

 

「私のものになれよ、球子……」

 

「わ、若葉君……そ、そんな事を言われても、タマには他に好きな人が……」

 

「待ちなよ、若葉君! 球子さんが嫌がっている!」

 

「あ、高嶋君……って、なんじゃこりゃあああああぁっ!!」

 

「カット、カットぉっ! ダメだよー、タマっち先輩! ちゃんと台詞通りに言ってくれないと!」

 

遂に我慢の限界を迎えた球子の暴発により、一気に騒がしくなる教室内。

 

杏は勝者の権利を行使して、自分のお気に入りの恋愛小説のワンシーンを、球子と若葉、そして友奈を使って再現していた。

 

教室で若葉が球子に詰め寄って壁ドンして甘い言葉を囁き、そこへ友奈が割って入っていくという、典型的な三角関係を表したシーン。

 

若葉は女子として背が高めであるし、普段からああいう言葉遣いなので男子役でもほぼ違和感が無い。

 

と言うか、その手のものが好きな女子からは大いにモテるだろう事が予想されるくらいには板に着いている。

 

友奈も友奈で、意外なくらいに違和感が少ない事に○○は驚いていた。

 

真面目な優等生的なキャラを演じていたのだが、それがマッチしていたのだろうか。

 

そして、ヒロインを演じていた球子だが……○○は最初、その役の格好をして来た球子が誰だか分からなかった。

 

どちら様ですかと素で訊いてしまい、ニッコリ笑った球子からボディーブローを喰らって蹲るまで分からないままだったりした。

 

これ以上機嫌を損ねたら不味いと直感した○○は、素直にゴメンと謝った後、今度出かけた時に何か美味しいモノでも買ってくるからと約束した。

 

そうして直ぐに機嫌を直してニコニコ顔になった球子に、ああやっぱりこの娘は土居さんだし、そういう笑顔の方が似合うなと○○は思うのだった。

 

そんな事をつらつらと思い出しながら杏の横で三人の演技を見ていた○○だったが、彼女の思わぬ言葉に我に帰る事となった。

 

「やはり再現度に少し不満がありますね……こうなったら○○さん、若葉さんの役をやって下さい!」

 

「……えっ!? そ、それって、俺が土居さんに壁ドンするって事……だよね?」

 

「勿論です! 唯一の男子として、タマっち先輩を本当にドキドキさせる位の迫真の演技を期待していますよ?」

 

「あ、杏……? またタマが壁ドンされなきゃならないのか……?」

 

「うん、タマっち先輩! 可愛ーい仕草をお願いね?」

 

「ハハハ……うん、タマに任せとけ!」

 

困惑した球子が嫌そうな表情で杏に問いかけたが、テンションが振り切れている彼女は何の躊躇も見せずに即答した。

 

その返事に思わず乾いた笑いを浮かべた球子だったが、こうなればヤケだとばかりに威勢よく返事をして準備完了していた○○へと向き直るのだった。

 

「よし来い○○、タマはいつでもいいぞ!」

 

「何か土居さんのテンションが変だけど……まあ、終わってから考えようかな」

 

「二人とも、行きますよー。…………三、二、一、ハイ!」

 

合図とともに教室が静まり返り、球子と○○以外の全員が静かに見守る。

 

そんな中、○○は記憶していた台詞を頭から引き出して演技を開始した。

 

「よう、球子。急に呼びだして悪かったな」

 

「ううん、別に用事も無かったし。それで○○君、何か話があるっていう事だったけど……?」

 

お互いに、普段とはまるで違う言葉遣いでやり取りする球子と○○。

 

いわゆる強気な感じの男子を演じている為、自身の口から出ているとはいえ違和感が凄まじい事になっている○○。

 

やるからには真剣に取り組むが、心の中では苦笑していた。

 

「ああ……まぁ何つーか、お前に言いたい事があるって言うか……」

 

「何かな……?」

 

口ごもる様な仕草をする○○に対し、球子も不思議そうな表情でコテンと首を傾げる。

 

普段の球子なら絶対やらないだろう仕草を正面から見せられた○○は、その可愛らしい仕草にギャップを感じて思わず顔が赤くなり明後日の方向を向いてしまいそうになるが、何とか根性で堪えて続きを行う。

 

「……ああもうまどろっこしい!」

 

「ひゃっ……!?」

 

台詞通りにそう言って球子に詰め寄って壁際に追い詰め、勢いよく右手で壁に手を突く。

 

バンと音が鳴り、その音に驚いたかのように球子が身体を竦める。

 

そして、彼女を至近距離から見据えて山場の台詞を言う。

 

「俺のものになれよ、球子……」

 

こんな台詞は前世今生含めて一回も言った事が無い○○は、つっかえずにこの言葉が言えたことに心底安堵していた。

 

心の中でホッとしながら球子の台詞を待つ○○。

 

しかし……何故か球子は何も言わない。

 

本当なら、先程若葉たちがやった時と同じように弱弱しい拒絶の台詞が出て来るはずなのだが、いつまでたっても彼女は何も言わない。

 

どうしたのかと思い彼が球子の様子を窺うと、顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。

 

これはおかしいと思った○○は、心配そうな声音で彼女に声を掛けた。

 

「あの、土居さん……大丈夫? 具合でも悪い?」

 

「ぅひえあぁうっ!? だっ、だだだ大丈夫だからな!? タマには問題もないから! お、おまっ、お前こそ何のも、問題も無いのか!?」

 

「まあ、俺は至って普通だけど……本当に大丈夫なの?」

 

「ぜんっぜん、全く、パーフェクトに問題ないぞ!…………ホントだからなっ!」

 

声を張り上げている球子だが、全部上目遣いで言っているので威勢の良さなど微塵も無い。

 

おまけに顔は赤いままだし、強がりも何もあったものではなく可愛らしさしか感じられない。

 

球子と同じように固まっていた他のメンバーも、彼女の素っ頓狂な声で我に返ったらしく、口々に○○の演技について言い合う。

 

「…………………」

 

「千景? おーい、千景? ……駄目だ、完全に心を奪われている。千景がこんな風になるとは……。アレは……演技とは言え危険すぎだろう。他所でやるとは思えないが、余興として行うのも駄目だな」

 

「全くその通りですね、若葉ちゃん。ただ……いつも大人しめの彼がああいう風に迫ってくるというのは、その、何というか……」

 

「うん。ちょっと……いや、かなりドキドキしちゃうかも……」

 

「ああっ、もう最高です! タマっち先輩のあんな乙女全開の仕草を引き出すなんて……!」

 

背後から聞こえる感想を意図的にシャットアウトした○○が、ようやく顔の赤みが引いてきたらしい球子に目を向けると、いつものイタズラ小僧の様な口調で彼女がささやかな苦情を申し立ててきた。

 

「○○もさぁ……そんな真剣にやんなくてよかったんだよ。タマみたいにガサツで男勝りなヤツ相手になんかさ」

 

「まあ、伊予島さんにイイ笑顔で真剣にやってくれって言われてたし……それに、俺の感性では普通というか……かなり可愛かったと思うけど。格好も、仕草も」

 

「んぐっ……!? な、おまっ……うううううっ……もう良いっ!!」

 

「ちょっ、土居さん!?」

 

○○の台詞に再び顔を真っ赤に染めた球子はそのまま教室を出て行ってしまい、彼女が十分ほど後に着替えて戻ってくるまで○○は変な感じに微笑ましく笑っている少女達の視線に晒され、ほとほと参ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お早うございまーす」

 

四月に入ってからの学校にて。

 

○○はすっかり慣れた様子で教室へと足を踏み入れたが、そこへテンション最高潮の球子が声をかけた。

 

「おはよー○○! なあなあ、○○も花見したいだろ? いや、したいに違いない! という訳で参加で良いよな?」

 

「花見? まあ出来ればやりたいなとは思ってたけど……急にどうしたの?」

 

「もう、タマっち先輩ってば……えっとですね、昨日の夜に二人で話してた事なんですけど――」

 

いきなりの誘いに○○が戸惑っていると、杏が補足する様に説明してくれた。

 

要するに、せっかく亀山公園という桜の名所が目の前にあるのだから、次回バーテックスを撃退したら祝勝会兼お花見をやろうという提案らしかった。

 

既に全員の賛成を取り付けていたらしく、残りは○○一人であったらしい。

 

「成程、そういう事か。もちろん、参加するよ」

 

「よっし、じゃあその日は全員で盛り上がろうな! 次に来るバーテックスもチームワークで一網打尽だっ!」

 

更にテンションが上がったらしい球子を微笑ましい表情で見ていた○○がふと横を向くと、教室の窓から桜の花を眺めている杏の姿が目に入った。

 

「早くお花見、できたらいいなぁ……」

 

「きっと出来る。守るものがある人間は強いんだ、バーテックスに負けはしない」

 

「○○さん……そうですね。みんなで生きて帰って、楽しくお花見しましょう」

 

弾んだ声で言った杏はあれこれと花見の事を楽しげに話す球子達の会話に加わり、○○も数瞬の間外の桜を眺めた後、彼女の後に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に花見の事を話していた、正にその日の夕方。

 

事前に神託で言われていた、バーテックスの侵攻が起こった。

 

ただし、今回の神託では『今までにない事態が生じる』という、不吉としか呼べない解釈が添えられており、ひなたは勇者全員に普段以上の警戒を促していた。

 

(とは言っても、バーテックスと戦うのなら不測の事態なんていつでも起こり得るものではあるんだけど……)

 

○○は内心そう思っていたが、わざわざ当たり前の事が神託として下されたという事実は重いと分析し、警戒を厳にしていた。

 

そして、戦闘開始前に杏から促された注意も気にかかっていた。

 

「今回は切り札を使う事は無しにしましょう」

 

そう言って、不明瞭ながらも精霊を宿す危険性を説いた彼女の言葉に最終的には全員が納得し、緊急事態以外は使わないことで了解を得た。

 

そうして戦闘が開始されたが、不吉な神託とは裏腹に極めて順調に戦いは進んでいた。

 

前衛である若葉と千景、友奈の三人は最早慣れたものとばかりに、しかし欠片も油断せずに通常体を屠っていく。

 

球子と杏は二人一組で行動し、旋刃盤で広範囲の敵を一気に倒しつつ、隙が大きい彼女の弱点を杏の狙撃が補強する形で、やはり危なげなく戦いを進める。

 

○○はそんな五人の中央に陣取り、全員の様子に注意を払いながら支援を行なっていく。

 

攻撃力が足りずにいる箇所には攻撃強化、引きながら戦っている時には速度強化など、適時最も効果があると思われるものを選んで補助を行う。

 

暫らく順調な戦いが続いていたが、杏以外が射程に捉えられない距離で通常体が寄り集まって進化体を形成し始めた。

 

杏はすぐさまそれを発見してクロスボウによる狙撃を行なったが、数体仕留めたくらいではすぐに埋め合わせが現れて焼け石に水であり、殆んど効果が無かった。

 

「くっそー……仕方ないなっ、切り札を――」

 

「待って、タマっち先輩! ここは私がやるから!」

 

まだ具体的な症状は出ていないとはいえ、明らかに違和感を感じている球子がこれ以上切り札を使えばどうなるか分からない。

 

そんな不安を抱えていた杏は球子を制止し、自分が精霊を宿すべく神樹との霊的繋がりを辿り、その力を自らの身に宿した。

 

全てを凍て付かせる氷と雪の化身にして、真白な死の象徴――雪女郎。

 

「皆さん、その場から動かないでください! 今いる敵は私が一掃します!」

 

そう言って杏がクロスボウを掲げると、そこを起点にして周囲に猛吹雪が吹き荒れ始めた。

 

無論、杏が味方を巻き込むはずも無いが、冷たい空気ばかりはどうしようもない。

 

「さ、寒い……っ!」

 

思わずそう零した○○は周囲に力場を張って冷たい風から身を守るが、それでも吐く息が一瞬で凍り付いてキラキラと輝く程の寒さである。

 

そんな、普通の人間ならば十秒と持たずに絶命するだろうと言えるほどの吹雪が晴れた時、ほぼすべてのバーテックスが氷漬けになっていた。

 

そしてそのまま地面に落下していき、氷ごと粉々に砕け散る。

 

「おお……すっごいな、杏……」

 

「やったね、アンちゃん! もうあと少ししか敵は残ってないよ!」

 

球子は杏の殲滅力に驚き、友奈も嬉々とした声で杏を褒めつつ残った敵を打ち倒していく。

 

若葉と千景も残敵を掃討していくなか、若葉が精霊による不調は無いかと杏に声をかけ、球子もそれに続いて心配そうに言うが、杏は宥める様に言葉を紡いだ。

 

「でも杏、お前が危険だって言ってたのに自分で使って……大丈夫なのか?」

 

「ええっと……私はみんなと違って今回が初使用だし。他の人が使うよりは安全……だと思うから」

 

根拠なんてまるで無い、その場限りの言い訳に近い理屈だったが、それでも彼女はこれまで何度も精霊を宿している他の皆には使わせたくなかった。

 

「ま、説教は後だな! それじゃ戦いの続きを――」

 

そう言った球子が瀬戸内海側を向いたとき、目を引くものが現れたのを発見した。

 

バーテックスの大群であるが、それ自体は良い。殲滅までの時間は伸びるだろうが、油断しなければそれ程の脅威ではない。

 

問題は、その一団の中央に陣取り、周囲の通常体を率いる様に進んでくる一際巨大な個体である。

 

「……ヤバいぞ、あいつ……」

 

普段から楽天的な球子でさえ、思わずそう零して顔色を悪くする位に今まで相手にして来た個体とは格の違いを感じる。

 

丸亀城の戦いの時に、未完成のまま屠った個体と同規模の大きさなのだから、それは凄まじい大きさである。

 

「何て言うか……巨大なエビ……かな?」

 

「むしろ、サソリに近いと思うわ……高嶋さん……」

 

千景が言う通り、その個体は長大な尾に鋭い針を持ち、腹部には正体不明の液体を貯めこんでおり、サソリに見えなくも無い姿をしている。

 

「私が行きます! 今は一番攻撃力は高いはずです!」

 

そう言った杏は跳躍してサソリ型バーテックスを射程に捉えると、先程は拡散して使った冷気と吹雪の力を凝縮させ、一点に集中して放った。

 

確かにこれならば、今まで相手にして来たどんなバーテックスも一たまりも無かっただろう。

 

――――今まで相手にして来たバーテックスならば。

 

「そんな……っ!」

 

驚愕の声をあげた杏の見たものは、体表に霜が着いた程度で全く効いていないと思われる様子のバーテックスだった。

 

そして、そんな杏にサソリ型バーテックスは鋭い尾針を突き出して串刺しにせんとする。

 

間一髪避けた杏だったが、自分の精霊の力が通用しない敵の出現に、めげずに攻撃を繰り返しながらも表情は険しくなっていった。

 

そうこうしている内に、新たに現れた通常体も進化体を形成していく。

 

若葉と千景、友奈の三人も杏がサソリ型に釘付けにされている以上、切り札を使わざるを得ないと判断し、結局は精霊を宿すことになってしまった。

 

「くそっ、不味いなこれは……!」

 

苦り切った表情を浮かべながら、○○も前衛の三人に矢継ぎ早に強化による援護を施していく。

 

サソリ型に集中攻撃を受けていた杏は、輪入道を宿した球子が巨大化した旋刃盤で相手の尾を弾き、その隙に杏を旋刃盤に乗せて救い出した。

 

一先ずピンチを凌いだ二人に息を吐く○○だったが、安心するにはまだ早かった。

 

恐らく杏が発案したのだろう、高熱と極低温の連携攻撃を受けてもサソリ型には全くダメージを与えられている様に見えなかったのだ。

 

(嘘だろ……土居さんの輪入道でもダメージを与えられないとなると、俺が強化を施しても効くかどうか……)

 

そうなると、有効な手段が今のところ存在しないという事になる。

 

そんな考えが○○の脳裏を過ぎった時、サソリ型の尾が球子と杏を強かに打ち据えた。

 

凄まじい勢いで吹き飛ばされた二人を目撃した若葉たち前衛と○○だったが、彼女たち三人は進化体の相手をせねばならず、助けには行けない。

 

「○○、行け! ここは私達だけで何とかする!」

 

「こいつらを倒したら、私達も加勢に行くから……!」

 

「行って、○○君! アンちゃんとタマちゃんをお願い!」

 

「……分かった! みんなが来るのを待ってるよ!」

 

若葉と千景、友奈の三人から激励を受けた○○は球子と杏の方へと跳躍し、彼女たちへと近づいていく。

 

そんな彼を一体の進化体バーテックスが追おうとしたが、義経を宿した若葉が疾風迅雷の速さで割り込み、その身体の一部を斬り飛ばした。

 

「どこへ行く? 私に背を向けるとは、舐められたものだ。そして、あいつの後は絶対に追わせん……!」

 

鋭い眼差しで進化体を見据える若葉は、千景と友奈と共に再度戦闘に突入した。

 

一方の○○は、気絶してしまった杏を背後に庇いながらひたすら攻撃を防いでいた球子の前に立ちはだかり、結界でサソリ型バーテックスの一撃を防いだ。

 

「土居さん、伊予島さんの様子は!? 目を覚ましそう!?」

 

「……○○……ダメだ、起きない……!」

 

球子の旋刃盤に代わってサソリ型の熾烈な攻撃を防いでいる○○は球子に尋ねるが、彼女からの答えは芳しくない。

 

「分かった、なら俺がコイツの攻撃を防いだ瞬間を見計らって、伊予島さんを担いで脱出して!」

 

「ああ、分かっ……ぐっ……!?」

 

突然苦しそうな声をあげた球子に、○○はサソリ型の針による刺突を捌きながら声をかける。

 

「大丈夫!? 何かあった!?」

 

「コイツの攻撃で……脚が、痺れて……ダメだ、杏を……抱えられない……!」

 

「何だって!? くそっ……!」

 

○○がたどり着くまで執拗な攻撃にさらされていた球子は、脚の骨に損傷を負っていた。

 

一人で移動する分には何とかなる程度のものだが、人ひとりを抱えての行動はとても無理な位のダメージ。

 

「ぐっ、ううう……!」

 

そうしている間にもサソリ型はしつこく攻撃を続け、その度に結界が火花を散らす。

 

球子の旋刃盤と違い、身に着けた楯での防御ではなくエネルギーの壁の様なものでの防御なので身体への負担こそないが、精神的な負荷が凄まじい勢いでかかっていく。

 

「……う……た、タマっち先輩……○○、さん……?」

 

「やった! ○○、杏が目を覚ましたぞ!」

 

「本当に!? よし、ならここからはコイツの隙を窺って…………っ!?」

 

球子からの朗報に○○の表情が希望に染まるが、何かに気付いた彼は一瞬でそれが焦燥に塗り替えられた心境になった。

 

(結界が……持たない……っ!!)

 

今まで執拗に攻撃されてきた結界が、遂に限界を迎えようとしていた。

 

既に彼方此方にヒビが奔り、いつ破られてもおかしくない状態になっている。

 

張り直せば補強は可能だが、それには一瞬ではあるが結界を消失させる必要があり、この状況でそれを行なえばどうなるかは自明の理である。

 

そして、ヒビが集中している部分へと向けてサソリ型がその鋭い尾針を突き出してきた。

 

その先に居るのは、地面に寝かされた杏と、彼女へ言葉をかけている球子の二人。

 

二人とも、サソリ型が勢いよく繰り出してくる尾針には気付いていない。

 

それを認識した○○は考えるよりも先に身体が動き、球子と杏をその場所から突き飛ばした。

 

突き飛ばされた二人のすぐ傍をサソリ型の尾が掠めたが、幸いにして二人とも無傷で済んだ。

 

「……あっぶなぁ……○○、ありが……と…………え……?」

 

「……はっ、はっ……た、助かりました……○○、さ……え、これ……」

 

助けてくれた礼を言おうとした球子と杏だったが、敵の攻撃の勢いで発生した風によって顔にかかった何かに手をやった時、それが何か瞬時には理解できなかった。

 

鉄の匂いを放ち、ぬめりを持つ真っ赤な液体。

 

手のひらに付着したそれが何かをようやく認識し、嘘だと願いながら○○の方を見た二人は、飛び込んできたその光景に絶句した。

 

「…………づ、ぐう……あ、ぐ……っ!」

 

奥歯が砕けかねない様な勢いで歯を食いしばり、新たに張り直した結界でもってサソリ型の攻撃を防ぐ○○。

 

しかし、つい先ほどまで前方へと翳されていた腕のうち片方――球子と杏を突き飛ばした方の右腕が消失し、そこからはおびただしい量の血が零れ落ちていた。

 

まるで赤熱した鉄の棒を突き込まれて掻き回されている様な、筆舌に尽くし難い激痛を放つ腕が千切れ飛んだ傷口に、能力で止血を施しながら気絶しそうな痛みに耐える○○。

 

そんな光景を目の当たりにした杏は、半狂乱になって叫んだ。

 

「い、いや……いやあああああああっ! ○○さん、○○さん! 腕が……腕がぁ……っ! いやあああああああああっ!!」

 

「あ、杏……っ! 落ち着いてくれ……っ! 頼む、頼むから!」

 

取り乱し続ける杏を球子は何とか落ち着かせようとしたが、自分自身も精神的なショックが大きく、不安定になっている事を自覚していた。

 

杏が居るから取り乱さずに済んでいるが、そうでなければ自分も叫んでいただろうと。

 

そんな二人を背後に庇い、片腕だけとなった○○はチカチカと明滅する視界を必死で働かせながら、何とかサソリ型の攻撃を防いでいた。

 

最早気力だけで立っているような状態の○○だが、このまま気絶してしまえば自分も、そして後ろの二人も無残な最期を迎えるのは分かり切っている。

 

だから自分が守るのだと、それだけを心に置いて熾烈な攻撃を防いでいた。

 

そんな○○の願いに呼応するかのように、サソリ型の背後から斬撃が加えられた。

 

「ちぃ……全然効かない!」

 

「なら、効くまで攻撃するだけの事……!

 

進化体を排除した若葉と千景が駆けつけ、サソリ型に左右から同時に攻撃を仕掛けるが、やはり効果は無い。

 

「若葉ちゃんとぐんちゃんが注意を引いてるから、すぐにここから離れるよ、三人とも!」

 

とは言え、○○と球子、杏へと向けられていたサソリ型の注意を引くには十分で、それに乗じて三人に近づいた友奈が杏と○○を両脇に抱え、辛うじて一人で動けた球子もその後へと続いた。

 

少し離れた場所へと三人を連れて行った友奈は、申し訳なさそうな表情で謝罪した。

 

「タマちゃん、アンちゃん、○○君……遅れてごめんね……」

 

「いや……友奈たちが最速で来てくれたのは分かってるからさ……それに、タマと杏は大したこと無かったけど……○○が……」

 

「うぅっ……ああ……ごめんなさい……○○さん……腕が、千切れて……」

 

「いや……はあ……はあ……俺は……っづ、ぐう……っ!」

 

座り込んで、千切れ飛んだ右腕の激痛に何とが耐えている○○。

 

「○○君……こんな……酷い……」

 

改めて○○の惨状を確かめた友奈は悲し気に表情を歪めたが……まだ戦いは終わっていない。

 

「私も行ってくるから、三人はここで休んでてね?」

 

安心させるような笑顔でそう言った友奈だったが、○○が彼女に声をかけた。

 

「高嶋、さん……これを……」

 

「これ、キミの櫛? ……ダメだよ、こんな状態で切り札を使うなんて尋常じゃないもの!」

 

「友奈の言う通りだぞ、○○! 何かあったらどうするんだ!」

 

「絶対に、絶対にダメです! もう、これ以上……無茶をしないで、下さい……!」

 

そう言って止めてくれる三人を嬉しく思いつつも、○○は首を振って友奈に櫛を押し付けた。

 

「ここで、勝てないと……俺たちは全員、死ぬ……少しでも、勝つ確率を……上げるためにも……それを……使って……」

 

「○○君……でも……でも……」

 

櫛と○○を交互に見つめながら迷い続ける友奈に、彼はじっと視線を向けて見つめ続ける。

 

そんな彼の表情を見て、友奈は櫛を両手で包み込むようにして胸元に抱くと、意を決して自分の髪にそれを刺した。

 

「それで、いい……高嶋さん……頑張って……!」

 

「うん……絶対に勝つよ」

 

球子と杏が口を挟む前に友奈は飛び出していき、サソリ型バーテックスに向けて駆け出しながら二つ目の精霊の力を宿していく。

 

三大妖怪の一にして、大江山の鬼達の総大将――酒呑童子の力を。

 

完全に酒呑童子の力を宿した友奈は、若葉と千景に釘付けにされ、全く自分に対して注意が向いていなかったサソリ型に向けて雷光の様な速さでその懐に飛び込むと、その巨大化した手甲を液体が貯蔵されている腹部へと叩き込んだ。

 

硝子が粉砕されるような音と共に、それまで有効なダメージが一切入らなかったサソリ型の腹部が吹き飛ぶ。

 

友奈の奇襲に驚いたように、その巨大な尾で彼女を攻撃しようとするが、友奈は冷静に振り下ろされた尾を打ち払うとたわんだ尾に向かって突撃し、その一番の武器を打ち砕いていく。

 

「うおおおおおっ!!」

 

気合の乗った声と同時に連続で拳が繰り出され、その度に球状の物体が繋がれている尾を破壊していく。

 

そして、サソリ型の一番の武器を奪った友奈は、不気味な顔の様な正面部分を拳の一撃で粉砕した。

 

このようにして、身体の主要な部分を尽く破壊されてしまったサソリ型は原型を保てずに通常体へと分散し、バラバラに成り果ててしまった。

 

通常体に分散してしまった以上、もはや勇者たちの敵ではなく、機を窺っていた若葉と千景によってたちどころに掃討されてゆく。

 

「は……はは……やった……」

 

それを見届けた○○は、保っていた気力が途切れて気を失ってしまった。

 

「おいっ、○○、○○!」

 

「いや、いやです、目を開けて下さい、○○さん!」

 

自分が血まみれになるのも厭わずに○○を抱きかかえ、彼に声をかけ続ける球子と杏。

 

そこに若葉と千景、友奈も駆けつけてすぐさま行動を開始する。

 

「私はひなたに連絡して、病院の受け入れ態勢を整えてもらう。千景は○○を抱えて病院まで運んでくれ。友奈は、球子と杏の二人を頼む……今の二人には、着いていてくれる人間が必要だろう」

 

「了解したわ、急ぎましょう……!」

 

「ああ、急ごう千景!」

 

そうして樹海化が解けた矢先、気絶した○○を抱えた千景と、ひなたに連絡をしている若葉はあっという間に遠ざかって行き、友奈と球子、杏の三人が残された。

 

暫らく無言でいた三人だったが、袖で涙を拭った杏が立ち上がると、球子もそれに続いて立ち上がった。

 

「面倒をかけてごめんなさい、二人とも……私は……取り合えずは大丈夫だから、病院に行きましょう」

 

「……分かった。杏が大丈夫って言うなら、タマも信じるぞ」

 

「アンちゃん、タマちゃん……うん、私達も行こう。○○君の所に」

 

友奈がそう言うと二人も頷き、三人で病院へと走り出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むう……やっぱり難しいな……簡単にはいかないか」

 

そう言って○○は溜め息を吐き、リクライニングされたベッドへと背中を預けた。

 

先日の、サソリ型バーテックスとの戦いから数日後。

 

○○は普通の人間の常識からは考えられない程の速さで回復し、千切れた腕の傷は完全に塞がっていた。

 

失った右腕がもはや永遠に戻らないことは確定しているが、この位で済んで良かったと彼は本気で考えていた。

 

自分はこの通りの惨状だが、誰も死なずに済んだのだから、と。

 

そんな事を考えつつ、配膳された昼食を悪戦苦闘しつつ口に運んでいると、球子と杏の二人が見舞いへとやって来た。

 

「よ、よう、○○。お見舞いに来たぞー」

 

「あ、あの……こんにちは、○○さん」

 

「ああ、いらっしゃい、二人とも。調子はどうかな?」

 

「何の問題も無いってさ……お前のおかげだよ」

 

「私は、あのバーテックスの毒で少し左腕が痺れていますけど……それももう少しすれば良くなる見込みです」

 

「そっか。二人が無事に済んだなら良かったよ」

 

そう言って笑顔を見せた○○に球子と杏は何か言いたそうだったが、○○が昼食の途中だと気付いてその言葉はひっこめた。

 

「何で箸なんて使ってるんだ? スプーンもあるんだから、そっちを使えばいいのに」

 

球子が疑問を呈したが、○○は何気ない調子で答えていく。

 

「これからは左腕だけの生活になるしね……練習も兼ねて、出来るだけ箸で食べる様にしてるんだけど……くっ、流石に数日じゃどうにもならないかぁ」

 

そう言って残念そうに頭を振ってスプーンを握ろうとしたが、掴む直前に杏に素早く取られてしまった。

 

「えっと……伊予島さん? スプーン、返してほしいなー……?」

 

「いいえ、返しません。……私達に、お手伝いさせて下さい」

 

「杏……そうだな……よし、タマもお前に食べさせてやるぞ!」

 

「いや、今回の事は別に二人のせいじゃないし、気にしなくても……」

 

そう言って○○は二人の申し出を断ろうとしたが、球子と杏は強硬に言い張り、ついに根負けした彼は雛鳥のように大人しく口を開くことになったのだった。

 

「それじゃ……あ、あーん」

 

「あーん……ん、ありがとう」

 

照れるのなら別にあーんとは言わなくてもいいと思う○○だったが、様式美と言うかお決まりというか……ともかく球子は照れつつも食事を○○の口に運んでいった。

 

「ふーっ、ふーっ……はい、どうぞ」

 

「あーん……ありがとう」

 

○○が礼を言うと、杏は柔らかく微笑んだ。

 

わざわざ冷ましてから口に運ぶ仕草に今度は○○が照れそうだったが、何とか顔に出ないように自制したのだった。

 

そうして二人で交代しながら○○に昼食を食べさせて膳が下げられた後、球子も杏も身の置き場が無いような態度で気まずそうに黙り込んでしまった。

 

○○もどうしようか困り果てたが、行こうと思っていた場所へと二人を誘う事にした。

 

「あのさ、ちょっと行こうと思ってた場所があるんだけど、もし良かったら着いて来ない?」

 

「行こうと思ってた所? オッケー、付き合うよ」

 

「私も行きます」

 

「よし、それじゃあ行こうか」

 

二人は短く答えると、○○が先導する方へと着いて行った。

 

何があるのだろうかと疑問符と浮かべながら歩いていた球子と杏だったが、最終的に病院の裏手に連れて来られ、その場所にあったものに目を奪われた。

 

「どう? なかなか凄いと思わない?」

 

「これは……凄いな」

 

「はい……とっても綺麗です」

 

球子と杏を感嘆させたものは、一本の桜の木だった。

 

もうすでに少し花びらが舞っているが、それが満開の尊さと花が散る儚さを両立させ、思わず息を呑むほどの美しさを醸し出している。

 

思わず見とれていた二人に、○○は楽しそうに言った。

 

「昨日散歩してたら、偶然これを見つけてさ。二人は花見を特に楽しみにしてたし、是非見せてあげたいなって思って。明日は雨らしいから今日までしか見られないだろうし、二人が来てくれて良かったよ」

 

そう言って微笑んだ○○に二人は一瞬呆然としたが、球子と杏は涙ぐみながら笑顔を浮かべて、つっかえつつも言葉を紡いだ。

 

「ほんっとに……バカだよ、お前は……もっと自分を大切にしろよな……でも、めちゃくちゃ嬉しい……ありがとう、○○……っ」

 

「タマっち先輩の言う通りです……あんな目に遭ったのに、私達を気遣って……もっと自分を労わって下さいよ……でも、本当に嬉しいです……とっても、とっても……っ」

 

そんな二人を見て連れてきて良かったと思った○○は、病室から持ってきた缶ジュースを球子と杏に渡すと、乾杯をしようと言った。

 

それを受けて涙を袖で拭った球子は、いつもと変わらない賑やかさで缶ジュースを掲げた。

 

「よーしっ! それじゃあ、行くぞ!バーテックスの撃退を祝って! 乾杯っ!!」

 

「「乾杯っ!!」」

 

球子に続いて杏と○○も缶ジュースを掲げて乾杯をする。

 

あの日に計画していた花見とは全然違う、ジュース一本だけのささやかな祝勝会兼お花見。

 

しかし、そんなものは球子と杏の二人にとっては些細な事でしか無かった。

 

そんな二人の少女の心に咲いた花は、この場の満開の桜のごとく、美しく咲き乱れる。

 

そんな幸せな気持ちを胸に、球子と杏はささやかなお祝いを心から楽しんだのだった。

 

そうして祝勝会兼お花見が終わった後、○○を病室まで送った二人は、病院からの帰り道を歩いていた。

 

夕暮れに染まる道を歩く中、何ともなしに球子が口を開いた。

 

「なあ、杏。タマってさ……ガサツだし、男勝りだし、喧嘩っ早いしで……フツーの女の子がするような事なんて、ほとんど縁が無いんだろうなってずっと思ってたんだ」

 

「うん……前にそういう事言ってたの、覚えてるよ」

 

相槌を打ちながら、ゆっくりと歩く杏。

 

「そう思ってたんだけどさ……さっきの花見で、もうダメだなって思った。タマは……○○から離れたくないって、離れられないって……心の底から感じてさ……もうホントにダメなんだ……さっきからアイツの事ばっかり考えててさ……タマは、○○の事が……好きだ」

 

サラリと重大な事をのたまう球子だが、杏は特に驚いた様子も見せずに彼女の方を向くと、やっぱりかと言うように苦笑した。

 

「タマっち先輩もかぁ……。私も、○○さんが好き……。あの時庇ってもらった罪悪感からの気持ちじゃなくて……あんな目に遭っても私達を気遣ってくれた、心配してくれた○○さんが本当に大好きなんだって……ついさっき分かったんだ」

 

そう言った杏に球子も苦笑すると、そのままの調子で言葉を紡ぐ。

 

「あっはは、タマたちはホントに仲良いと思ってたけど、好きになる人まで同じって筋金入りだな!」

 

「ふふっ、本当にね」

 

そう言って一しきり笑うと、すっかりいつもの調子に戻った球子が決意を述べるように言う。

 

「でもアイツって、何か目を離すととんでもない無茶をするって事が分かったからさ、二人でしっかり捕まえておかないとなっ!」

 

「うん、しっかり捕まえて、そしてずっと一緒に居られたら良いよね♪」

 

そう、冗談めかして言っている二人であったが内心は真剣そのもので――もし、本当に事が起こればどうなるのか。

 

仲良く並んで歩く二人の幸せそうな少女たち自身にも、それは分かっていないのであった。




今回の主人公……右腕を喪失。

本来の歴史から外れた代償は、やはりあるものです……

ま、誰も死ななかったから良いですよね!(白目)

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