グオングオン、と。
ジオン軍モビルスーツの起動音じみた音が部室に響く。いや、あれはグポーンか。
まあそこはどうでも良くて、異音を間断なく鳴り響かせているものの正体は、我が部の備品であるストーブちゃん。
確か今年の二月頭の辺りで一度同じ症状が出て、その際修理された筈だったものだ。
女子二人が座っている方に置かれたそれは、同じ備品扱いされている俺よりもよっぽど高待遇ではなかろうか。俺も出来ることなら修理して欲しいし、日の当たるあちら側に座りたい。
異音は鳴っているものの、ストーブとして使命はしっかり果たしているらしく、窓側に座る雪ノ下は俺よりも若干暖かそうに本を読んでいる。
出来れば本格的に冬が到来する前に買い換えて欲しいのだが、三年である俺たちも卒業まで残り数ヶ月。その事を考えると、新しいストーブが部室にやってくる事はないだろう。
同じく備品である電気ケトルちゃんは壊れることも無く、紅茶が淹れられた後もシューシューと音を立てて、加湿器がわりとして存分に役目を果たしてくれている。
まあそれも廊下側に座る俺からしたら、殆どその恩恵に預かれていないのだが。
「寒い......」
あまりの寒さに思わず呟いた。
昼まではそれなりに暖かな気候で、ベストプレイスでの食事も捗ってはいたのだが、それ以降は午前中が嘘のように温度が下がっていた。
いつも騒がしい部員が欠席している事も、この寒さを助長しているのでは無いだろうか。
「天気予報をしっかり確認しないからそうなるのよ。その辺り杜撰だと、そのうち体調崩すわよ?」
長机の向かい側から声が飛んできた。文庫本に目を落としながら、意外な言葉を発した雪ノ下。
てっきり「ゾンビは寒さに耐性があるのではないの?」とか言われるかと思ったのに、まさかこちらを心配するようなことを言ってくるとは。こうまで寒いと氷の女王の温度も反比例するように上がっていくのだろうか。
「最も、ゾンビのあなたは寒さに耐性があるでしょうから、その心配は杞憂だと思うけれど」
俺の感心を返しやがれこの野郎。
「別にゾンビだからって寒さに耐性あるとは限らんだろ」
「ゾンビであることは否定しないのね......」
どうせ今更否定したところで、だ。目が腐ってるのは事実だし。
それきり会話は途切れ、雪ノ下は読書、俺は机の上に広げてある問題集へと取り掛かった。
この時期に勉強もせず本を読んでる雪ノ下だが、彼女の成績を知っている者からするとなんら心配するような事はないだろう。由比ヶ浜がいる時は、彼女に教えるついでに自分も勉強しているようだし。
暫くそんな感じで、部室内はストーブとケトルの音しか無かったのだが、唐突にその片方の音が消えた。
「......?」
雪ノ下もそのことを不思議に思ったのか、音の消えた方、ケトルの置いてある机まで歩いていく。
「あら」
「どした?」
ちょっとでもストーブに近づくチャンスだと思い、俺も立ち上がってケトルの様子を見に行ったのだが。どうやらこの電気ケトルちゃん、ご臨終なされたっぽい。
電源コードは入っているのに、デジタルで示されていたお湯の温度が消えてる辺り動いている様子が皆無。
普通に壊れてた。
この部の備品ってなんで壊れやすいんですかね。その点俺はいくら罵倒を浴びようが全然壊れないどころか元から壊れてるから他の備品どもより優秀である。
いや、ナチュラルに備品扱いされるのを認めてるけど、俺も一応部員だし人間だからね?
「壊れてるっぽいな。......ってあぁおい待て。そんな適当にボタンを押していくな」
「ならどうすればいいのよ」
機械音痴あるあるを見事に実行していた雪ノ下を止める。壊れかけのものを変に弄ってしまい、更に悪化させるのはマジで機械音痴あるあるだと思うんだ。電気ケトルが機械に含まれるのかはさておくとして、だが。
眉根に皺を寄せた雪ノ下に問われ、少し考えてみる。
「まあ順当に考えれば、平塚先生に相談して新しいのを用意してもらうとかだろ」
紅茶を飲む上でこれは必須だし、ストーブよりは用意してくれる可能性が高い。
しかしその考えは雪ノ下によってあっさり却下された。
「それは無理ね。これ、部の備品ではなくて私の私物だもの」
お前のだったかよ。
備品ですら無かったとは、なんか俺と同列に扱っちゃってゴメンね?
しかし、確かに記憶を遡ってみたら、紅茶を部室で飲みだした当時にそんな事を言っていたような気がする。
学校にケトル持ってくる雪ノ下ってのも随分とシュールだが。
「んじゃ叩いたら直るんじゃねぇの? 知らんけど」
特に直す方法も思い浮かばなかったので、適当にそう言ってみた。ほら、テレビとか叩いたら直るって言うし。
雪ノ下は顎に手を当てて何か考えた後、ふむと頷きを一つして、ケトルにチョップした。
って、マジで叩いちゃうのかよ......。しかもそれなりに力を入れていて痛かったのか、手を抑えて悶えてるし。若干涙目になってるし。
なんだよそれ可愛かよオイ。
「何やってんだよ......」
「あなたが叩けばいいと言ったのでしょう......」
恨みがましい視線を送られるが、俺は何も悪くない。寧ろそれで直ると思ったこいつが悪い。
でもなんかちょっと罪悪感が芽生えてきたので、話を逸らす事にした。
「これもう新しいの買ったほうがいいんじゃないか?」
「そうね......。この際備品と言うことで、部費で賄いましょうか」
「おう、そうしとけ」
話は終わったので席に戻ると、廊下の風が部室に通り抜けて身震いした。
壊れかけでもストーブの近くかどうかと言うだけでそんなにも違うものなのか。
ストーブに対する愛しさと切なさと心強さを込めてそちらを見ていると、雪ノ下が帰る支度をしているのが視界に入った。
「なに、帰るの?」
「これからケトルを買いに行くのよ。ついて来なさい比企谷くん」
「え、嫌だよ、外寒いし」
「あなたと同じ部の備品を買いに行くのよ? 少しは手伝ったらどうかしら」
「備品じゃなくて部員なんだよなぁ......」
「そ、それに......」
「ん?」
突然雪ノ下は頬を赤らめて、そっぽを向く。
一体何を言われるのかと身構えていると、
「外は寒いし......、その、私、まだ新しいマフラーを買えていない、から......」
まだ新しいの買ってないのかよ......。あれからもう一週間は過ぎてるはずなんだけどな。
「......はぁ。分かったよ。行けばいいんだろ」
別に雪ノ下と二人きりで買い物に魅力を感じたりしてないし、俺のマフラーを使わせたいとか思ってない。本当に、マジで。
が、部の備品を買いに行くと言うのであれば、そこに部員である俺が同行する事自体おかしくはないだろう。
最近は暗くなるのも早いし、そんな中女子を一人にさせるわけにもいかない。
自分の中で誰に向けるでもない言い訳をつらつらと並べて、机の上の勉強道具を片付ける。
帰る準備も終わったので、前と同じくカバンの中にあるマフラーを雪ノ下に差し出したのだが、彼女はそれを受け取らない。
「いらんの?」
「いえ、そうではなくて......」
頬を染めながらもじもじして俺の手の上にあるマフラーを見る雪ノ下。
......こいつ、もしかして俺に巻かせる気か? いや、確かにこの前はそうしたけど、あの時はこいつが中々受け取らないからであって、別に好きでそうした訳では......。けど巻いてやらないと動き出しそうにもないし......。
俺は大きな決意を一つして、雪ノ下に近づいた。
「あっ......」
「......さっさと新しいやつ買えよ」
結局、雪ノ下に俺のマフラーを巻いてやる。
めっちゃ近づかないとダメな上になんか抱き締めてるみたいになって恥ずかしさがハイパー大変身して俺に襲いかかって来るのだが、気にしたら負けと言う事で。
って、だから、マフラーに顔を埋めるな匂いを嗅ぐなもっと恥ずかしいだろ!
「......行きましょうか」
「おう......」
マジでそんな嬉しそうに微笑むのやめてくれ。本当にうっかり告白しちゃって振られちゃうだろうが。いやだから、なんで振られちゃうの前提なんだよ......。
やって来たのは雪ノ下の家に一番近い駅前のモール。その中にある家電量販店。
ここに来るにあたり、自転車は学校に置いて来た。まあ明日乗って帰ればいいからそこは問題無い。
真に問題にすべきは、何故か雪ノ下の距離が近いことだ。物理的に。
歩いてる最中なんか何度も肩と肩が触れ合ってしまう程に近かったし、電車の中では並んで立っていたのだけど、何故か俺の制服の裾を摘んでるし。
いや、悪い気はしないんだよ、別に。
ただ、そう言う時にどんな顔をすればいいのか分からないの。笑えるわけもないし。
とまあ、そんなこんなで辿り着いた家電量販店だが、思いの外広くて目的のものがどこにあるのかさっぱり分からない。
「結構広いな」
「ええ。取り敢えず、店員さんに目的のものがどこにあるのか聞いてみましょう」
そう言うや否や、近くを通りがかった店員を捕まえてケトルが売ってある位置を教えてもらう雪ノ下。俺ならまず出来ない。店員を捕まえる段階でもう無理。
その店員に案内してもらった先は、主に台所で使用する類の電化製品が置いてある場所だった。炊飯器や電子レンジなどなど、別にどれも同じだろと思ってしまうようなものばかり。
そのコーナーの隅の方に、ちょこんと三種類ほど置かれている電気ケトルちゃん。なんだか物悲しさを感じる。
「一番新しいのはどれですか?」
「それだとこちらになります」
「ではこれを買います」
即断即決。清々しいほどに買い物に向いていない雪ノ下だった。
もうちょっと悩むとか無いのかよ。しかもそれ一番高いやつだぞ。部費足りる?
「流石の金銭感覚だな......」
「何か文句でも?」
「いや、何も」
そのままレジで会計して、しっかりレシートを受け取る。これないと部費として申請できないし。
購入した電気ケトルは勿論俺が持つ。女子と二人でいるのに、わざわざ向こうに荷物を持たせる必要もないだろう。
「さて、目的は達したわけだが」
「そうね。では帰りましょうか」
ここら辺はぼっち同士分かりやすくて助かる。やる事がないのなら即帰宅。やる事があっても即帰宅。
兎に角早く帰りたい。首元寒いし。
が、今日の俺は、と言うか、あの日から俺はどこかおかしくなっているようで。
「あー、雪ノ下。お前さえ良ければなんだが、俺の買い物にも付き合ってもらっていいか?」
気がつけばそんな言葉を吐いていた。
バカらしくも、もう少し一緒にいたいなんて思ってしまって。
考えるよりも先に、口が動いてしまった。
「......最近は珍しい事だらけね。あなたが帰宅の提案を蹴るなんて」
「まぁ、その、なんだ。別に嫌なら良いんだ」
「嫌とは言っていないじゃない。......その、私で良ければ、お供するわ」
少し赤くなった顔に、小さな微笑みを浮かべた雪ノ下。
断られたらどうしようとか思って心臓がドキバク煩かったのだが、今度は雪ノ下と二人で買い物と言う今更過ぎる事実に心臓がドキバク煩くなっている。
これ心臓発作とかで倒れたら雪ノ下のせいだな。
「それで、何を買いたいの?」
その質問に対する答えは残念なことに持ち合わせていない。
実は買いたいものなんて無いとか言えないし、お前と一緒にいれるだけでいいとかもっと言えないし。
どうしようかと悩んでいると、雪ノ下の首元に巻かれたそれが目に入った。
「......新しいマフラーを、な」
「ねえ比企谷くん」
「なんだ?」
「ここ、女性用しか売っていないのだけれど」
「そうだな」
「あなた、もしかしてそう言う趣味が......」
「ちげぇよバカ......」
雪ノ下を伴ってやって来たのは、婦人服売り場の一角。俺の買い物だと言うのにいきなりこんな所に連れてこられた雪ノ下は混乱しているが、何も俺にそう言った趣味があるわけでは無い。そこは勘違いしないでもらいたい。
さて、俺たちの目の前には何種類かのマフラーが置いてある。勿論全て女性向けのものだ。だってここ婦人服売り場だし。
その中から二つ、茶色い毛糸のマフラーと、少々暗い紫のマフラーを手に取って、混乱したままの雪ノ下に見せる。
「これ、どっちがいいと思う?」
「え? えっと、私はこちらが良いと思うけれど」
雪ノ下が指差したのは紺色の方だ。こっちは毛糸ではなくウール素材だが、所々に雪を模した白い生地が見える。
確かに、こっちの方が似合いそうだ。
「よし、そんじゃこれにするか」
「そんな簡単に決めてしまってもいいの?」
「お前に言われたかねぇよ」
文句は受け付けず、レジを通す。
代金は余裕でゲームソフト一つ買えちゃうほどだったが、今月発売の新作を我慢すればいいだけの話だ。
袋を受け取り店を出て、早速袋からマフラーを取り出した。
「よし。じゃあ雪ノ下、そのマフラー外せ」
「何故?」
「いいから」
いつに無い俺の押しの強さに、雪ノ下は怪訝な目を向けながらも渋々とマフラーを外す。
その視線をスルーしながら、取り出した新しい方のマフラーを雪ノ下の首に巻いてやった。
「......どう言うことかしら?」
「どう言うもこう言うも、そう言うことだよ」
元から彼女のために買ったマフラーだし、女性向けのを俺が巻くのも変だし。
てかこいつ、この調子だと新しいマフラー買わずにこのままずっと俺のやつ使いそうだし。
まあ、理由を挙げればそんな所だが、シンプルに纏めると、俺が雪ノ下に贈りたかった。
ただそれだけだ。なんとも傲慢で身勝手な想いだとは思うが、既に彼女に渡した後にそれを言ったところで無駄なこと。
「その、ありがたいのは確かだけど、あなたからこれを受け取る理由がないわ」
「......別に理由とか無くてもいいだろ」
恐らくは赤くなってるであろう顔を隠す為に、雪ノ下が未だ持ってる俺のマフラーを奪い自分の首に巻いた。
マフラーに顔を埋めると、微かにサボンの香りがして、結局は逆効果だったけれど。
「......そう。なら尚更受け取れない、と、前の私なら言ったでしょうね」
「今は違うのか......?」
「ええ。今は、違うわ。だって、あなたに贈って貰えて、あなたがそう言ってくれて、とても嬉しいもの」
そう言って笑った雪ノ下に、俺は不覚にも見惚れてしまって、暫くは間抜けな面を晒してしまった。
太陽が沈んだのは既に一時間ほど前。
雪ノ下を家まで送る為に、夜の街を二人で歩く。
「温かいわね」
「......そうだな」
俺も雪ノ下も、マフラーで顔を隠してしまっている。
でも、目を弓のように細めているのを見ると、彼女が笑顔なのは分かる。
俺はと言うと、未だにマフラーから雪ノ下の匂いがするような気がして、それに彼女の熱が残っているような気がして、最早平常心でいられるわけがなかった。
「でも、こうすれば、もっと温かくなるわ」
「......っ」
手の平に冷んやりとした感触があった。
そこを見てみると、雪ノ下の左手が俺の右手を握っている。
冷んやりとしてはいるけど、そこには確かな温もりを感じる。
「あら......。ふふっ......」
「......なんだよ」
「いえ、何も。ただ、さらに温かくなったなと思っただけよ」
繋がれた手を、そのまま自分の制服のポケットにねじ込んだ。
歩くたび足に当たる雪ノ下の手の感触がどこかむず痒く、けれど、どこか心地良い。
最早マフラーを巻く意味も無いくらいに顔が熱いが、これを外せば真っ赤になってしまっている頬を見られてしまうだろう。
その手も、雪ノ下のマンションの前に着いてしまえば離れていってしまう。
「......ここまで、だな」
「......そうね」
言っても、どちらも手を離そうとしない。
雪ノ下も、名残惜しさを感じてくれているのだろうか。
「ねえ比企谷くん。マフラーのお礼、させてくれないかしら?」
「別に礼とかいらん。気にせんでいい」
この前みたいにお礼と称して家に連れ込まれでもしたら、本当どうしたらいいのか分からなくなる。
そもそも、付き合ってもいない男女が今こうしている時点でおかしいのだし。
「それでは私の気が済まないわ」
「つってもだな......」
「大丈夫よ。大したものではないから」
「んじゃ、まぁ......」
お礼とやらが何なのか聞こうとして隣を向くと同時、右手に感じていた熱が離れていく。
すかさずマフラーごと首を引っ張られ、頬に何か柔らかいものが当たる。
「......で、では、また明日」
「......」
逃げるようにして、雪ノ下はマンションの中へと消えて行った。
「大したことあるじゃねぇか......」
俺の呟きは夜の空へと溶けていく。
明日、どんな顔をして会えばいいのやら。