寒空の下を   作:れーるがん

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寒空の下をあなたと

 明けない夜は無い。

 時間と言うのはとても残酷なもので、幾ら止まってくれと願った所で無情にも過ぎ去っていく。

 明日が来なければいいのに。

 この時間が永遠になればいいのに。

 誰しもがそのような感情を一度は抱いた事があるのでは無いだろうか。日曜日の社畜の皆さんは特にその気持ちが強い事だろう。

 だが同時に、こう思った事もあるはずだ。

 早く明日になればいいのに。

 この時間がさっさと過ぎ去ってしまえばいいのに。

 しかしこれも時間と言う概念の残酷な所で、そう思えば思うほど、体感時間は遅くなる一方だ。

 さて、では今の俺は一体どう言った心持ちなのかと言うと。

 正直雪ノ下とどんな顔で会えばいいのか全く分からないから明日が来て欲しくなんてないのに、雪ノ下に早く会いたいとか言う思春期男子特有の複雑な気持ちだった。

 そうなるとどうなることか。

 これは個人差があるだろうが、俺の場合は寝れないままに一夜を過ごし、あっという間に翌日の朝。マジであっという間だった。

 学校に行かない訳にもいかないので、迫り来る睡魔と戦いながらもなんとか登校した次第である。

 朝から騒がしいお団子頭との挨拶を軽く済ませ、天使との逢瀬を全身全霊を持って楽しみ、ウザ絡みしてくる剣豪将軍を躱して、午前の授業を寝て済ませた。

 三度繰り返すようだが、本当に時間という概念は余りにも残酷なもので、ここまで本当にあっという間だった。いや、寝てたのもあるんだけどね。

 しかし、これから昼休みを終えて午後の授業もこなし、放課後の部活を思うと、もっと早く過ぎてしまわないものかと思ってしまう。

 我ながら現金なやつだと思う。未だに、あいつとどんな顔して会えばいいのか分からないと言うのに。

 因みに、繰り返し過ぎだとかは突っ込んではいけない。それくらい俺にとっては残酷なのである。思わず神話になっちゃうくらいには残酷。

 

 購買で昼飯を確保した後、あったか〜いマッカンを手にベストプレイスへと向かう。

 取り敢えずはこの昼休みで心の内を整理しよう。

 校舎から出ると、あの日から変わらない寒空が広がっている。あれから雨も降ることなく、毎日が雲ひとつない快晴だ。

 その寒空の下を、マッカン片手に戸塚の練習風景を見ながら昼飯を食う。高校に入ってから欠かせない一種のルーチン。

 聞けば、スポーツ選手などはそう言ったルーチンを作ることで、心を冷静にさせ、極度の緊張状態をリセットすると言う。俺のこの昼休みもそれと同じ類だ。

 そんなルーチンワークを今日もこなそうとそこへやって来た訳だが。

 

「あら、遅かったのね」

 

 どうやら神は俺にそんな暇すら与えてくれないらしい。

 俺のベストプレイスに腰を下ろしていたのは、現在進行形で俺の心に嵐を齎している女、雪ノ下雪乃。

 昨日買ったマフラーを巻いて、悴んだ手を揉みほぐしながらも、彼女は何故かそこに座っていた。

 一体今の俺はどんな表情をしているだろうか。

 会えて嬉しいのは確かだ。そこは嘘偽りない。けれど、想像していたよりも早く会えた事には些かの焦りがある。

 

「......なんでいるんだよ」

「由比ヶ浜さんに聞いたのよ。あなた、お昼はいつもここで食べているそうね」

「いや、そうだけどよ......」

 

 質問の答えにはなってないぞ、と言いたかったが、それを言葉にして発さないのは、俺自身、彼女がここにいる事に対して拒否感を持っていないからだろうか。

 だからと言って歓迎しているかと聞かれれば、首を横に振らざるを得ないのだが。

 今でも思い出せる。昨日、唐突に頬を襲った柔らかな感触を。

 っべー。マジで思い出したらなんか暑くなって来た。ちょっとー? 今日もいつもと同じ寒空じゃないのー?

 しかしまぁ、こいつも昨日の今日でよく平然としてられるな。なに、意識してたのは俺だけなの? やだ何それ超恥ずかしいじゃん。

 

「座ったら?」

「お、おう」

 

 雪ノ下は本当に昨日のことを意識していないかのように、俺に隣に腰掛けるよう促す。

 取り敢えずお言葉に甘えて、言われた通り座るのだが、勿論互いの間には明確に距離を開けてある。今近づかれるとマズイ。何がマズイかは分からないが、とにかくマズイ。

 昨日のこいつを考えたら距離を詰められる可能性もあったので、すかさず俺は次の行動に出た。

 

「ほれ」

「......これは?」

「いや、寒かっただろ。だからカイロの代わりだよ」

 

 先程自販機で買ったあったか〜いマッカンを差し出すが、雪ノ下はそれを怪訝そうな目で見ているだけだ。

 買ったばかりだし、まだそんなに熱は逃げていないと思うのだが。こいつは何を訝しんでいるのやら。

 

「あなたが素直に厚意を示すだなんて珍しいわね。何を企んでいるのかしら?」

「......最近はそうでもねぇだろ」

「......それも、そうね」

 

 そう言って漸く素直にマッカンを受け取り、両手で包むように持つ。

 背を丸めて小さく暖をとるその姿は、いつもピンと背筋を伸ばしている彼女からは中々想像がつかないものだ。

 なんだか珍しいものを見た気がして、ちょっと得した気分。

 

「それで、何しに来たんだ? まさかそのマフラー巻いてる所を見せびらかしに来たわけでもあるまいし」

「......」

「なに、マジでなんかあるの? 悪いが仕事は勘弁だぞ」

 

 俺の質問に何も答えない雪ノ下。それどころか、何故か頬を赤く染めている。

 昨日はマフラーで隠していたはずなのに、今は寧ろ、その表情ですらこちらに見せ付けるようにして。

 俺を見つめながら、言葉を発した。

 

「......あなたに、会いたかったから」

 

 果たしてその綺麗な唇から漏れたものは、俺の胸の内の盛大な爆弾を投下した。

 今の俺は昨日と違ってマフラーをしていない。だから、熱を持った頬は彼女に丸見えだし、もしかしたらそこから俺の心情までも見通しているのかもしれない。

 マフラーひとつで心の中まで隠せるとは思えないけれど。

 でも、俺が素直になるには、好都合な理由だ。

 

「俺も......」

「......?」

「俺も、お前に会いたかった......」

 

 言葉尻は酷く掠れた声になっていた。いや、もしかしたら最初からそうだったかもしれない。自分の発した言葉ですら上手く聞き取れないくらいに、今の俺はいっぱいいっぱいだ。

 だって、こんなにも幸福感で満たされているのだから。

 昨日、家に着いた時から、ずっと彼女のことが頭から離れなくて、せめて声だけでも聞きたくて。でも、連絡先は未だに知らないし、学校に来てもクラスは違う。俺と雪ノ下の接点は部活以外に何もない。

 そんな中で、彼女も俺と同じように思ってくれていた。

 この喜びこそ、きっと恋い焦がれるという事なのだろう。

 

「......そう。なら、嬉しいわ。とても」

 

 微笑みながら、空いていた距離を詰めてくる。

 数瞬前まではそれを拒んでいた筈なのに、どころか受け入れてしまっている俺がいて。

 って、待って、マジで近い。雪ノ下さん近い近い。肩とか足とか当たってるから! なんか髪の毛からいい匂いしてくるし! 僕たちまだそう言う関係じゃないじゃないですか! なんかまだ、って言い方すると今後はその可能性があるみたいな言い方でちょっとあれだな......。

 いやこの思考はダメだ。落ち着け、素数を数えろ。数学ダメダメで素数がなんなのかよく分からないけど、こんな時は素数を数えたらいいってジョジョで習った。

 

「温かいわね」

 

 俺が巫山戯た思考で脳内を埋めていると、微笑みをそのままにした雪ノ下が呟いた。

 今日も千葉は冬なのかと錯覚するくらいに寒い。特に臨海部に位置する総武高校は、冷たい潮風が靡いている。このベストプレイスではその風が殊更吹き抜ける。

 

「普通に寒いだろ」

 

 それでも、彼女は温かいと言った。

 恐らくは既にぬるくなっているであろうマッカン。首に巻かれた紫のマフラー。

 それらだけでは十分な暖をとることなんて出来ないだろうに。

 

「確かに、あの日からずっと寒いわ。けれど、心の中はポカポカと温かいの。あなたが、いるからかしら」

 

 ポカポカって言い方が可愛いとか、俺は関係ないだろとか、思うことは色々とあった。

 けれど、それでも何も言えなかったのは、彼女の素直な本心をそこに見てしまったからだろう。

 初めてマフラーを貸してやった時から、互いに素直な心を言葉で覆い隠しながらも伝え合っていたが、今の言葉はきっと、そのどれよりも彼女の奥底に眠るものに近い。

 手前勝手にも、そう感じた。

 

「はい、これ。もうぬるくなってしまっているけど」

 

 受け取ったマッカンは、確かにだいぶん冷めてしまっていた。このぬるくなったくらいが丁度良いのだが、今はそんな事どうでもいい。

 寧ろ、まだスチールの缶に熱を感じるくらいだ。

 

「別にいい。俺も、今は十分温かいしな」

 

 本当に、温かい。

 寒さなんてどっちらけ。

 隣に彼女がいるだけなのに。ただそれだけで、十分過ぎるほどだ。

 

「ねえ比企谷くん」

 

 寒空の下で鈴の音のような声が俺を呼ぶ。

 空いている右手に、確かな熱を持った左手が重なった。

 きっとその熱は、マッカンのお陰だけでは無いのだろう。

 

「これからもずっと、私を温めてくれる?」

 

 濡れた瞳に捉えられる。

 俺なんかでいいのか、他にもっといるだろ、今更ながらそんな思考が過ぎるも、無理矢理にそれを脳内から追い出す。

 違う。他の誰でも無い、俺が。

 

「......寒くなったら、また言えよ。ずっと、一緒にいてやるから」

 

 こんな時でも素直にイエスと言えない自分が恨めしく思うが、この方が俺らしいだろう。

 素直に言えるようなら、ここまで拗らせていないし。

 でも、そんな言葉で隠した本心すらも、今の雪ノ下にはお見通しで。

 それも、多分、俺がマフラーをしていないから、なんて。脈絡のない理由を付けてみる。

 

「......ええ。こんな寒空の下でも、あなたとなら安心ね」

 

 その時の雪ノ下の微笑みは、きっと、俺が知るどれよりも美しかった。

 

 時間と言うのは酷く残酷だ。

 永遠を願えど、時は無情にも去っていく。

 須臾を祈れど、時は遅々として進まない。

 いつも一定にしか進まないそれは、けれど、今この時だけは、永遠とも須臾とも取れるこの時間だけは。

 一生涯、無くしたくないものとなった。

 

 

 

 

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