拙いところも多いですが、楽しでもらえたら幸いです。
では、どうぞ!
――ピピッ、ピピッ、ピピッ。
枕元に置いてあるスマホから、早朝を知らせる電子アラームが鳴り響く。その音に反応して、大きく膨らんだ布団の中から電子アラームを止めようとする腕が伸びた。
しかし、布団の中から腕しか出していないせいで、なかなか止めることができない。けたたましく鳴り響くアラームにつられて、腕の動きが乱暴になっていく。
いい加減布団から出ればいいだけの話なのだが、布団から出ることを、まだ眠気の残る身体が拒絶している。身を包むこの温もり、布団の魔力には何人も打ち勝つことができないのだ。
そんな風に、もたついているのがいけなかった。
「うるさい……」
「グホッ⁉︎」
小さく、煩わしそうな声が聞こえた。そして、同時に鈍く重い音が部屋に響く。
音の正体は今しがたベッドから落ちた青年だった。先ほどからアラームを止めようと奮闘していたのが、彼である。
彼は蹴られた背中をさすりながら、ようやく鳴っているアラームを止めると、背中を蹴りつけた犯人を恨みがましく睥睨する。
布団にはもう一人。
絹のように滑らかなプラチナブロンドの髪。人とは思えないほど、白く見える艶やかな肌はまるで陶器のよう。その姿は、精巧に造られた
昨晩、彼が床に着いた際には一人だったため、どうやらこの下手人は夜中に潜り込んできたらしい。彼の名誉のために言っておくが、決して彼が連れ込んだ、というわけではない。
今でこそ、布団に潜り込んでくる程度には彼女と信頼関係を築けているが、出会った当初は手負いの獣の如く常に警戒されていたため、二人の間にはギスギスとした空気が漂っていたものだ。
それが今では噓のようになくなり、寝床を共に――彼女の一方的――しているのだから、人生何があるか分からないとはよく言ったものだ。
彼女は先ほどの不機嫌な声とは打って変わり、とても気持ち良さそうに眠っているのだが、その格好に問題があった。彼女は今、ワイシャツしか身につけていない。それも身の丈に合わない大きなワイシャツ。言わずもがな、彼のワイシャツだ。
彼は、幼女に興奮するロリコンではないので一ミリも気にしていない。気にしていないったら気にしていないのだが、もう少し慎みを持ってほしいものだ、と嘆息する。
いくつか文句を言ってやりたかったが、あまりにも気持ち良さそうに寝ているので、投げかけようとした文句を呑み込む。
そして、そのまま彼女に布団を掛け直すと朝食の準備のために、彼は頭を掻きながら部屋を出た。
――これが彼、佐藤浩太の日常である。
浩太は洗面所で顔を洗い意識をはっきりさせると、早速朝食の準備に取り掛かる。
冷蔵庫を開けると、週末ということもあり、ほとんど何も入っていなかった。今日は買い出しだな、と考えながら残っていた卵とベーコンを取り出す。これだけでは足りないと、常備してあるインスタントのスープを作るためにお湯を沸かす。その間に卵でスクランブルエッグを作り、ベーコンをこんがりと焼いてしまう。
だんだんと香ばしい匂いがしてきて、空腹を刺激していく。できあがったベーコンとスクランブルエッグを皿に盛り付け、沸騰したお湯をカップに注いで朝食の完成だ。
テーブルに朝食を並べて、満足気に首肯をひとつ。
「朝はこんなもんか。あとは、あいつを起こすだけか」
浩太は、まだ眠りこけている居候を起こすために、再び部屋へと向かった。
静かに階段を上がって、二階にある部屋の前まで来た浩太は、一応ノックをしてみたが反応はない。ため息を吐いて部屋に入ると、案の定、彼女の規則正しい寝息が聞こえる。
浩太は眠る彼女へと近付くと、小さく肩を揺すった。
「おい、そろそろ起きろ」
「……まだ眠い」
「もう朝食もできてるから、起きてもらわないと困るんだが」
「……んっ」
「いや、何だよその伸ばした手は? さっさと自分で起きてくれ」
「んっ!」
「わかったよ……」
浩太の声で、少し目が覚めた彼女はだるそうに手を伸ばすと、抱いて運ぶように求めてきた。一度は断ろうとした浩太だったが、語気を強めて引く様子のない彼女に折れることにした。朝から無駄な体力を使いたくないのだ。
要望通りに、彼女を抱え上げる。
彼女自身十歳ぐらいの体格なので、高校男児である浩太が抱え上げることは造作もない。抱き上げた彼女は、花のような甘い香りがして、いつまでも嗅いでいたいという衝動に駆られるが、頭を振って追い払う。
そして、彼女を落とさないように態勢を整えると、ゆっくりと階段を降りていく。
「おい、そろそろ起きて自分で歩けって」
「……うるさいやつだな。私のような美少女を抱けるのだから、もう少し大人しくしていろ」
「自分で言ってどうするよ。ほら、降ろすから顔洗ってこいよ
彼女の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
半年ほど前、浩太の家の前に彼女が倒れているところを浩太が助けたのが、二人の出会いだった。
彼女は、並行世界からやってきた魔法使い、らしい。それも、かなり高位の。
なんでも、こちらの世界には存在しない麻帆良という場所の警備をしている際、侵入してきた敵を返り討ちにした。
そこまでは良かったのだが、最後敵が苦し紛れに発動させた空間転移の魔道具で逃走を図ったようだが、運の悪いことに魔道具が暴走。異次元の扉が開き、そこに吸い込まれてこちらの世界に流れ着き、行き倒れていたところを浩太が見つけたのだ。
浩太も最初は何を馬鹿な、と鼻で笑った。
それがエヴァの癪に障り、彼女の異能によって体の自由が奪われ、意志に関係なく握りこまれた自分の拳が顔面を撃ち抜くという結果となった。
しかも、彼女にはなけなしの魔力しか残っておらず。それを絞り出してしまったせいで、彼女は魔法等が使えなくなってしまった。どうやら向こうの世界で受けた魔力を封じられているようで、それがこちらでも健在だと彼女が嘆いていた。
酷い目にはあったが、実際に体験してしまっては彼も信じる他ない。
今のままで帰る手段は愚か。全く知らない世界で、誰の助けも得られず、その日を生きていくだけでも困難だろう。
そのため、元の世界に戻るまでの拠点として、我が家に居候しているのが現状だ。
「ちっ、わかったよ。いや、待て。降りる前にやっておくことがある」
「は? お前まさか」
「そのまさかだよ。んっ……」
「っつう!」
悲しいかな浩太が気付いた時には、時すでに遅し。
エヴァは大きく口を開けると、通常よりも長く鋭い犬歯を光らせ、首筋へと噛みついた。鋭い牙が皮膚を突き破り、血管に侵入する。嚙まれている箇所から鋭痛が走り、彼の顔が歪んだ。
ジュルジュルと、血を啜る音が耳に響く。
血が吸われるにつれ頭がぼっーとして、体がふらつく。それでもエヴァを落とさないように、強く抱きしめた。彼女も同様に首に回した腕に力を込める。
十分に血を吸ったエヴァは恍惚とした顔をして、首筋から口を離す。
牙で貫かれた穴から血が滲んでいるのを見て、最後にもう一度だけ、ペロリと首筋を舐めた。
「……っはぁ。本当に、お前の血は美味いな。毎日飲んでも飽きん」
「それで毎日貧血になる、俺の身にもなりやがれ。……早く顔洗ってこい」
「クククッ、わかったよ」
エヴァを降ろすと、不敵な笑みを浮かべながら洗面所へと歩いていく。
そう。今の行為でわかってもらえたと思うが、彼女は異世界からやってきた魔法使いであると同時に、本や映画で出てきて人間の血を吸う
別に血を吸わなくても問題はないらしいが、彼女の魔力の回復兼嗜好品として吸われている。最初こそ魔力を回復させる目的が強かったのだが、今では絶対に後者が目的に違いない。そのおかげで、毎日が貧血気味になることは必至だった。
言ったところで止めてはくれないだろうなぁ、と浩太は長いため息を吐き出す。
「いささか物足りない気もするが、美味かったぞ」
「何が物足りないだ! 飯食う前に俺の血吸ってんだから文句言うんじゃねえ」
「あれだ。血は別腹というやつだ」
「分かり切ってることだけど、この世界のどこ探してもそんなこと言うのはエヴァぐらいだろうよ」
からかうように言ったエヴァは、ニヤニヤと笑っている。
それを呆れた目で見ながら浩太は食器を洗っていく。
「浩太、今日の予定はどうなんだ?」
「今日は学校もないし、バイトが終わったら買い物して帰ってくるよ」
「そうか。じゃあ、今日も体術の修行だ」
「本当にお前って、人に鞭打つのが好きだよな。貧血でだるいのに、体術の修行入れてくるんだからマジで死ねる。少しは弟子を労わってくれよ」
そう。浩太はエヴァに師事している。
興味があったこともあるが、何より強くなりたい。それが、一番の理由だろう。
彼女も借りを作りたくなかったようなので快く引き受けてくれた。とても、イイ笑顔で。この時は何も思わなかったが、この後の修行で身を持って理解することになるのだが、それはまた別の話。
「お前から修行をつけてくれと言ったんだ。弟子は黙って、師匠の命令を聞くものだぞ? それが嫌ならしょうがない。頭を地に擦りつけて足を舐めろ。それなら、考えてやらんこともない」
「いや、それお前が楽しいだけだろ⁉︎」
「お前からしたら美少女にそんなことが出来るんだから、ご褒美だろ?」
「俺はロリコンじゃないからな? ご褒美になんかならないからな⁉」
嗜虐に輝く瞳を向けてくるエヴァを無視して食器洗いを終えると、手早く外着に着替えて、忘れ物がないか確認してから玄関に向かった。
「俺はバイトに行ってくるから。家のことよろしく」
「ああ、台所の棚にあったクッキーは私がしっかりと食べておくから安心しろ」
「それ来客用だからな。少しは残しておいてくれよ」
「それは私の気分次第だな。せいぜい祈っておけ。そもそも、お前を尋ねに来る奴などいやしないだろ」
「ああ、これは残らないパターン。しかも、来客に関しては否定出来ない」
本日三度目のため息を吐く。
浩太はお茶菓子も買い足すことを脳内で付け加えながら、靴を履いて立ち上がる。
「それじゃあ、いってきます」
「ああ。…………いってらっしゃい」
玄関を出る際に、小さくか細い声が聞こえた。浩太は振り返ることはなかったが、口角が少し緩んだ。
今日の晩御飯はエヴァの好きなものでも作るか、なんて考えながらバイトへと走り出した。
☆☆☆☆☆
「行った、か……」
一人になった家の中は静まり返っていて、エヴァの声だけが響く。
以前なら感じなかった寂しさが胸中を満たす。彼女は、それを紛らわせるように、居間のソファーに身を投げた。
腕で目元を覆い、今日までのことを思い返す。
「この世界に来て、もう半年、か。早いものだな……」
この世界に飛ばされる前、エヴァは麻帆良の警備をしていた。
いつも通り、侵入者を軽く捻るだけの簡単な警備だと侮っていた節は、否定できない。その油断が敵に魔道具の使用。暴走を許すことになり結果、彼女はどことも知らぬ世界に飛ばされてしまった。
だが、高位の魔法使いであり六百年を生きてきた吸血鬼である彼女にかかれば、元の世界に帰えることは造作もない。
平行世界に来たが、彼女を麻帆良に縛りつけている“登校地獄”は、未だ健在。つまり向こうの世界との繋がりがあるため、帰ろうと思えばそれを頼りに帰還することができるだろう。いつも解きたいと思っていた呪いが、帰るための鍵となるのはなんとも皮肉が効いている。
しかし、それも魔力や精霊の存在があればの話。
登校地獄がこちらでも効力を発揮しているため、本来の魔力と吸血鬼の力が封じられている。今のエヴァは、そこらにいる人間の少女と変わらないのだ。
魔力に関しては浩太の血を吸えば問題ない。彼の保有する魔力は、《
だが、魔力の問題が解決したところで、この世界には精霊が存在しない。これは浩太を氷漬けにしてやろうとした際に、魔法が発動できなかったことで発覚した。簡単な魔法であれば行使することは可能だが、世界を渡るような大規模な魔法の行使は困難だろう。
――まあ、大量の魔力に物を言わせた脳筋的な方法ができないわけでもないが。
これだけ条件が揃っているわけだが、未だ彼女は戻る素振りを見せない。
浩太に稽古をつけている、というのもある。けれど、それは建前のようなもので、戻らない理由は別にあった。
エヴァが登校地獄によって三年間通った中等部を卒業してから数日後。
待ち人であるナギが死んだことを聞かされた。
その時から、全てに興味がなくなってしまった。呪いの件もあったが、ナギのことを少なからず、想っていたから。
最初の三年間の学校生活は、六百年も生きてきたから周りに合わせるのは大変だったが、今までの人生になく、新鮮なものだったと言える。
けれど、呪いのせいで、友人たちは私のことを忘れていく。その呪いさえも、ナギが死んでしまったことで、もはや解くことも叶わない。
彼には『光に生きろ』なんて言われたが、残ったのは絶望だけだった。
それからと言えば、怠惰に特に何をするわけでもなく日々を過ごしていた。
呪いのせいで学校には行かなければならなかったが、授業を抜け出して屋上でぼうっと空を見上げる。何をするにも、やる気が起きない。生きるための活力が燃え尽きたように思えた。
そんなだらけきった生活は、一年前に超と葉加瀬の発明である茶々丸を迎えてからは、身の回りの世話をさせることで改善された。
けれど、それだけ。根本的な部分は何一つ変わってはいない。
そんな時に、今回の事件が起きたのだ。
茶々丸だけは直前に放り投げたので、事なきを得たが彼女は魔道具の暴走によって、平行世界に投げ出された。
意味もなく当てもなく彷徨っていると周囲から奇異の目を向けられる。
しかし、そんなことは諦観に染まった彼女にとって、どうでも良かった。
どれくらい彷徨っただろうか。とうとう彼女は疲労で倒れてしまった。起き上がる気力もなく、そのまま彼女は眠るように意識を失った。
そして、出会ったのだ。浩太という少年に。
目が覚めた彼女は、布団の中にいた。キョロキョロと見回すと、倒れていた場所と違い、どこかの部屋に場所が移っていた。
疑問に思っていると、部屋の扉が開く。
そこには桶とタオルを持った少年が立っていた。まだぼうっとする頭で導き出した答えは、少年が看病してくれていた、ということ。
彼女は跳ね起きて、彼へと詰め寄ろうとしたが、体がふらついて倒れてしまった。彼が駆け寄ってきたところに乱暴に胸倉を掴んで、叫んだ。
「何故、私を助けた⁉︎」
何故、見ず知らずの自分を助けたのか、問いただした。
きっと、何か邪な欲望があるに決まっている。そうでなければ助けるはずがない、と。彼女は自分自身に、言い聞かせる。そうでもしなければ、助けてもらったことに、動揺を隠すことができなかったから。
それも、仕方のないことなのだ。助けてくれると思っていたナギは死んでしまい、近衛近右衛門やその他の魔法使いも心配はするが、誰も助けてくれなかった。手を差し伸べては、くれなかった。
優しくされるのが怖い。まだ虐げられ、蔑まれた方が良かった。それが、彼女にとっての当たり前だったからだ。
助けてもらったことに、動揺が隠せない。
だからだろうか。ここが平行世界で、彼女の事情を知る者が一人もいないということが、頭から抜け落ちていたのかもしれない。
いま思えば恥ずかしい話だ、と赤く染まる顔を手で覆う。
――話を戻そう。
突然掴みかかられ面食らった様子の彼だったが、それが徐々に呆れたものに変わっていきため息を吐かれた。
「あのなぁ? 何を怒ってるのかは知らないが。道端に倒れている子どもを放っておくほど、腐ってねぇつもりだぞ。まあ、お前みたいな子どもじゃなかったとしても助けたけど」
「それが例え、化け物だったとしてもか?」
「どうしてそんなこと聞くのかは知らないが、たぶん俺は助けるぜ? もしかしたらいい奴かもしれないし、話してみたいと思う。化け物だって、一方的に決めつけてるだけかもしれないし」
まだ会ったことはないけどな、と彼は笑っていた。
彼女は、まるで雷に撃たれたかのように固まった。それだけ、彼の言葉は衝撃的だったのだ。
そんな彼のことを信じてみたい。我ながらチョロいという自覚はあるが、そう思ってしまった。気付けば、彼女は今日までのことを包み隠さず、事細かに話していた。
最初に話を理解してもらうために魔法使いについて話したのだが、鼻で笑われてしまった。
それ事態は、仕方ない。
仕方ないことなのだが、ほとんど無意識に彼のことを人形師のスキルで操ってしまった。鼻を真っ赤にして悶える姿を見て、流石にやりすぎた、と申し訳なく思っている。
そこからは実際に異能を体験した甲斐もあって、彼は信じてくれた。
自分が魔法使いであること。そして、吸血鬼であることも、全て。その上で、彼女のことを受け入れてくれたのだ。
どうせ恐怖するのでは、と内心思っていたのだが、すんなり信じられたので拍子抜けしてしまった。……内心では、ほっとしていたことは内緒だ。
二人は、そんな出会いを経て、今に至る。
だから、まだ元の世界に戻らない。
私にとって、彼の側はとても居心地が良かった。ナギといた時よりも、充実した時間を過ごしていると言っても過言ではない。
それに十中八九、近衛近右衛門が私を連れ戻す手段を講じていることだろう。
それまでは、もう少しだけ彼の側を離れたくないと、思った。
取り敢えず彼が帰ってくるまでは暇なので、今日の修行のメニューでも考えるかな、とエヴァは楽しそうに笑った。
☆☆☆☆☆
「ただいまー」
「全くご苦労なことだな。よくバイトに行きたいと思うもんだ」
「別に行きたいと思ってるわけじゃないが、働かないと金は発生しないから仕方ない」
「まあいい。そら、すぐに修行に移るぞ。準備して山に行くぞ」
「わかったよ。……ああ、そうそう。今晩は何が食べたい?」
「そうだな。お前の作ったものなら、何でもいいぞ」
「それが一番困るんだけども……」
腕の見せどころだな、と不敵に笑ってみせるエヴァに浩太は苦笑いを浮かべるのだった。
――これは吸血姫の居候と少年の物語。
この先、二人がどうなるのか。それは、神のみぞ知ることだろう。
6月12日加筆・修正しました。