ガタガタと窓が揺れて、外の景色はじっくりと見る間もなく後ろに流れて行ってしまう
軽快に走る新幹線の中で、俺は窓際に肘をついて、なんとなしに外の景色を眺めていた。
車内には、自分以外の客はいない。今回は三葉も来れないだろう
ただ一人で、朝が運ばれてくるのを待つ
ただ、それだけだ
「すいません、相席、よろしいでしょうか?」
不意にかかってきた声に、驚いて仰け反る。そのせいで電車の窓に頭をぶつけてしまった
「いったぁ…」
頭を抱えてうずくまると、先ほどの声がまた話しかけてきた
「あ、ごめんなさい、驚かせてしまって…大丈夫ですか?」
俺は涙目になりながら、その声の主を見る
「あっ…」
言葉がでない
一瞬、三葉かと思った。だけど、すぐに違うとわかった
三葉にそっくりの綺麗な顔立ち、でも、どこか可愛らしさを残すその顔は、おそらく30代も半ばに差し掛かっているだろうけれども、その美しさにまったく衰えを感じさせない。そして、その髪の後ろは、もう何度も見たあの組紐で結われていた。
つまるところ、三葉にそっくりの超絶美人がそこに立っていた
「あの…」
なんて言えばいいかわからず、言葉に詰まってしまう。
「ふふ、相席しても、よろしいですか?」
その様子がおかしかったのか、少しだけ笑うと、彼女は最初と同じ質問を繰り返す
「あっ…どうぞ」
「ありがとうございます」
すると、彼女は俺に対面する席に、スッと座って、先ほどの俺のように、窓の外を眺め始めた
「…」
「……」
しばしの間、沈黙が訪れた
俺は彼女を見て、彼女は窓の外を見る。変な構図だ
しかし、その横顔も、綺麗な黒髪も、見れば見るほど三葉に似ている。いや、違う。この人が似ているんじゃない
「…あなたは、三葉の…」
そこで、一度言葉を区切る。すると、彼女はこちらに振り向いてクスッと笑う
「えぇ、あなたの想像通りの者で合ってると思いますよ」
「そう…ですか」
何と…言っていいかわからない、言葉が見つからない
「その…こんなところで、会うなんて、えっと…いったい何故です?」
俺がまず最初に聞いたのは、単純なこと。何故、ここで出会えるのか…それが聞きたかった。ここは、夢であり、記憶であり、存在してはいけない、朧げな世界だ。そこに何故彼女がいるのか
「ごめんなさい…あなたが、あのままでは壊れてしまいそうでしたので…」
彼女は申し訳なさそうに顔を伏せる
壊れる?何のことだ。わからない…
「すいません…いったい何のことです?よく、わからないんです」
彼女はまた、一旦窓の外を見ると、静かに語り出した
「…先ほど、あなたは、過去を思い出そうとしましたね」
過去…たしかに、糸守のことを思い出そうとしていたはずだ
「えぇ、五年前に、三葉を探しに糸守に行ったことを思い出しそうに…なったんですけど、何かが邪魔をして…それで、気づいたらまた夢の中に…」
俺の言葉を聞いて、彼女は少し悲しそうな顔をしてから、目を瞑る。やがて、何かを覚悟したように頷くと、俺の目を見ながら話し出す
「この世界は…貴方と、三葉が…出会うことを良しとしていません」
「え?」
いったいどうゆうことだ、俺と三葉が会ってはいけない?何故?
「もともと、三葉含め、糸守に住んでいる500余りの人々は、あの日彗星の落下によって亡くなるはずでした。しかし、貴方と三葉の頑張りによって、人々は命を救われました。このことは、とても感謝しています。あの子を、救っていただいて本当にありがとう…」
「いえ、俺はただ、三葉に恋をして…好きな子には、死んで欲しくなくて…ただ、それだけだったんです…」
「ふふっ、あの子は幸せ者ね、こんな風に思ってくれる子がいるなんて」
「でも、それが…いけないことだったって、ことですか?」
俺は、話の続きが気になって、そう問う。みんなを救ったことが、世界にとっては良くないこと、そういうことなのだろうか
彼女は、また悲しそうな顔に戻り、話し出す
「いえ…ただ、この世界の運命は、すでに最初から決まっています。ですから、その運命を覆した貴方達は、この世界にとって、異端なんです」
運命が決まっていた?だったら俺達の入れ替わりは運命じゃないのか?
「で、でも、俺たちの入れ替わりは?あれが運命じゃないなら、いったい何なんですか!」
俺は思わず、席を立ち上がって叫んでしまった
「…糸守の地にはおよそ1000年周期で、彗星が落下しているそうです。何の奇跡か、きっと、神の力…なんでしょうか」
「1000年周期で、彗星が…」
そうだ、あの、宮水神社の御神体。あそこにも、天井に彗星が描いてあった。あれは、そういうことを意味していたのか。そういえば、テッシーも言っていた。糸守湖は、隕石湖なんだって
「けれど、糸守の神様は、彗星によって糸守の人々が亡くなることを良く思いませんでした。そして、貴方達にその力を分け与えて、こうして人々を救うことができたんです」
「それが…入れ替わり…」
神の力…そんなことを言われても昔の自分なら到底信じないが、入れ替わりなんて、それこそ神様じゃないとできっこないだろう。今は簡単に信じてしまう
「そうです。しかし、世界の運命を覆してまで得た命の代わりに、貴方達は大事な物を失いましたね?」
大事な物…俺達が探し続けていたもの、忘れたくない、忘れちゃいけない、忘れちゃダメなもの。それは…
「記憶…」
「えぇ、世界はその理が崩れてしまうことを恐れて、貴方達の記憶を消し去りました。本来ならば、貴方達2人は出会うはずのない存在、出会ってはいけなかった存在。その2人が出会うことを恐れたのです」
そうか、だから…あの後すぐ、俺は三葉のことを忘れてしまった。あの時点で、すでに世界の修正する力が働いていたってことだろう
でも、だったら、何故…
「でも、だったらなんで…俺はここにいるんです?」
俺は思わず、思っていた言葉を口に出した。
「世界が俺達の記憶を消し去ったなら、俺は消えているはずです。だって、だって俺は、ただの…」
そこで一旦区切り、そして、苦しみを押し殺しながら続ける
「ただの…記憶なんですから」
彼女はそれを聞いて、また悲しそうな顔をする。だが、俺は記憶で、朧げな存在。世界の修正する力が働いていたのなら、俺の存在なんてとっくに消えていてもおかしくない。もちろん、あの三葉も…
「それは…糸守の神様のおかげです。貴方達が人々を救ってくれた御礼なのでしょう、神様は貴方達にチャンスを与えました」
「それが、俺達?」
「そうです。もし、貴方達が出会うことができれば、きっと記憶も元に戻ります。世界の運命を乗り越えて、本当の意味で、再会することができるでしょう」
俺は、少し考える。なんとなく、俺と三葉が、あそこまで来てくれれば、俺達はただの記憶じゃなくて、本当の意味で出会うことができると、そう思ってはいたのだが…まさか、世界が敵とは…笑えない
「俺と、三葉は今、糸守の御神体に行くことになっています。もうすぐ、迎えに来てくれるんです」
「えぇ、知っています。だから…先ほど貴方が思い出そうとしたとき、邪魔が入ったのでしょう」
「そう…ですか、つまり、この世界は、運命は、俺達を再会させる気がないと」
「おそらく…ただ…私は貴方に聞きたいことがあるのです。たとえ世界が、運命が邪魔をしようと、あの子と再び出会う覚悟が、貴方にはありますか?」
彼女は俺の目を見て問う。俺もその目を強く見返して、答える
「前に、三葉にも言ったんです。俺達は、運命だとか、未来だとか、そんな言葉がいくら手を伸ばそうとも届かない場所で恋をしました。だから、たとえ、この体がなくなって散り散りになっても、また一から三葉のことを探し始めます。たとえ、この世界がなくなってしまっても、またゼロから宇宙を始めて、そこで会ってやります。何があろうとも、三葉とは離れません。どんな世界だろうと、2人で一生、いや、何章でも生きてやります。」
全部、吐き出した、思いの丈を。そうだ、たとえ世界が邪魔をしようと、だから何だ。俺と三葉は、全てを乗り越えてあの場所で出会うことができた、だったら、何であろうと、もう一度会ってやる。必ず
「貴方は…本当に、三葉のことを愛しているんですね」
彼女は、とても優しい笑顔で、そう言った。先ほどまでの、悲しい顔はそこにはなかった
「当たり前です。この気持ちは、三葉も一緒です。俺達はもう、2人で1つの存在なんです。どちらかが欠けていては、生きていけません」
「よかった…貴方に覚悟があるのなら、私は貴方を助けます。できるだけのことになってしまいますが…」
「いえ、心強いです。だって、こんなに強い仲間がいるんですから。糸守の神様と、三葉のお…」
そこまで言ったところで、急に電車が減速し始めた。
「どうやら、そろそろ時間のようです。私はここで降りなければいけません」
「…そうですか」
「貴方とお話ができて、良かったです。貴方の覚悟も、見せてもらいましたから」
「俺も、話せて良かったです。きっと、きっと俺達は、もう一度出会ってみせます」
そこで、電車が止まる。
俺と彼女は、開いた電車のドアまで歩き、彼女は外に出て、俺はそのまま中に残った。
外に出た彼女は、くるりと振り返って、こちらを見て微笑む。組紐がさらりと揺れて、笑顔の彼女は本当に美しかった。その笑顔は、本当にそっくりだった。
「宮水…二葉さん」
俺は、初めてその名前を呼ぶ。名前を呼ばれた二葉さんは、さらに明るい笑顔になった
「はい、三葉の母の、二葉です。自己紹介が遅くなってしまってごめんなさい」
「いいんです。一目見たときに、わかりましたから」
それもそのはず、三葉とそっくりな顔、三葉がお母さんの形見と言って肌身離さず持っているあの組紐を見て、気づかないわけがない
「ふふっ、あ、そうだ、君の名前を、教えてもらってもいい?」
いたずらっぽく笑みを浮かべた二葉さんが、俺の名前を聞いてきた。俺もまた、笑みを浮かべながら返す
「立花 瀧といいます」
「瀧君か、とってもいい名前ね」
「あ、ありがとうございます」
なんだか照れてしまって、頭の後ろをかく。それを見た二葉さんは、クスクスと笑っている。やがて、優しそうな笑顔で、俺の目を見る
「瀧君、あの子を、三葉をよろしくお願いします」
「えぇ、もちろんです。三葉は俺が守ります」
「頼もしいわね。あ、そうだ、結婚するなら、お母さんは許しますから、あとはお父さんだけね」
「え!えっと、結婚は、まだ、その…」
俺は、突然の結婚許可にしどろもどろになってしまう。それを見た二葉さんは、またいたずらっぽい笑みに戻った
「ふふっ、お父さんは頑固なところがあるから、頑張ってね」
「えぇ…二葉さん助けてくれないんですか?」
「あら、貴方ならきっと大丈夫よ」
「だと、いいんですけど…」
きっとお父さんには殴られるんだろうな、なんて思っていると、シューっと、電車が動く音が聞こえてきた
「そろそろね。瀧君、これから大変なこと、辛いことはたくさんあると思うけど、どうか三葉と一緒に頑張って、たとえ世界が敵になろうと、私は2人の味方だから」
「えぇ、俺と三葉はずっと一緒です。だから、心配しないでください。必ず俺が三葉を幸せにします」
電車がもう、動き出す
「それじゃあ、またいつか、瀧君」
そう言って手を振った二葉さんの笑顔は、まるで
まるで、花が咲くような笑顔だった