目を開けると、見慣れない天井があった。いつも家で見る白い天井ではなく、綺麗な木張りの天井だ。
横を見ると、俺の婚約者が、幸せそうな顔で眠っている。その顔をよく見ると、寝ているのに、口元がずっとにやけている。
俺は少し面白くなって、そのほっぺたをつねる。ぷにぷにのほっぺは、あらゆる方向にグニグニと伸びていく
「ぅー…」
三葉が変な声をあげるが、まだ寝ている。俺は迷う。この無防備な女にどんないたずらをしてやるか…
ふと、布団がはだけているところから、三葉の胸がチラリとのぞいている。昨日、これ以上はもう勘弁してくれというくらい、したので、俺も三葉も何も着ていない。
俺は布団を剥ぎ取ると、その綺麗な胸を露わにする。形が整っていて、張りもある、美しい三葉の神秘。
俺は生唾を飲み込む
昨日あれだけ、これでもかっていうくらい色々したのに、また触りたいという願望が湧き上がってくる。だが勘違いしないでほしい。俺は三葉が言うところのおっぱい星人でもなんでない。普通の男子だ。男というのはみな、こんなものだ。
俺は無意識のうちに、三葉の胸に手を伸ばす。
だが、あと1センチというところで手を止める。確かに、もう俺と三葉はそういう関係だが、三葉の許可なく勝手に触るのは、ダメだ。そんなの、男じゃない。
「三葉に…悪いよな…」
どうせまだ寝てるだろうと思って、襖をゆっくり開けると、裸の瀧さんが、お姉ちゃんの胸を揉んでいた。無言で。
私は、その光景をただ見ていることしかできなかった。瀧さんは、まるで職人のように、目を光らせながら、眠っているお姉ちゃんの胸を揉みに揉んでいた。
どれくらいの時間そうしていただろうか、1分、いや、10分だったかもしれない。私は、そっと襖を閉じて、踵を返した。
私は、何も、見ていない。
いい?宮水四葉、貴女は何も見ていないの。ただ、1つの愛の形を知ってしまっただけよ。
そう自分に言い聞かせる。そして、自分の寝室に戻ると、もう一眠りする。2人を起こして朝ご飯を作ろうと思っていたけど、精神的ダメージが大きすぎて無理そうだ。おやすみなさい。できれば、起きたら全てを忘れていますように。
俺は三葉の胸を揉み終えると、そっと、三葉の寝室を出て居間に入った
昨日はじっくり見ることができなかったが、この家は、以前の三葉の家を模して作られているみたいだ。居間は、窓から朝日が差し込んでいて、いい感じに暖かい。居間から縁側に出ると、小さいけれど、よく手入れされている庭がある。なんだか懐かしい感じがする。そんな家だった。
俺が居間の方を振り返ると、隅っこに置かれている本棚が目に入った。その上には、3つほど、写真立てが置かれている。しかし、太陽の光に反射して、どんな写真かはわからない。
俺は、写真立てに近づくと、一番左の写真を手に取る。そこには、おばあちゃんと、三葉のお母さんの二葉さん、それから、三葉のお父さんが、幸せそうな顔をして写っていた。三葉はまだ幼稚園くらいだろうか、嬉しそうにお母さんに抱かれている。
それにしても、この頃の二葉さんは本当に三葉にそっくりだな…
次に、真ん中の写真を見る。今度は、先程の3人に加え、四葉ちゃんがいた。何歳だろうか、小学生くらいの三葉に抱かれている。この頃から、今の三葉の面影がかなり出てきている。小学生にしてこの可愛さ、きっとモテただろうな…言っておくが、俺は断じてロリコンではない。とにかく、この写真も、みんな笑顔で、幸せそうな顔をしている。
最後に、一番右の写真を見る。
まず最初に気づくのは、そこに二葉さんがいないこと。代わりに、お父さんが、二葉さんの写真を持って立っている。それから、全員の顔が前の写真と比べて暗いということだ。おそらく四葉ちゃんの小学校の入学式だろう。お父さんは硬い顔で写っているし、おばあちゃんも笑顔ではない。三葉に関しては、少し下を向いている。四葉ちゃん本人は笑ってピースをしているが、それでも、なんだか無理をして笑っているみたいだ。
でも…どうして…
「どうして、その写真も並べているのか、そう思ったんやろ?」
突然の声に振り返ると、おばあちゃんが立っていた。着物をしっかりと着付け、身だしなみも整えている。そういえば、誰かに言われたことがある。ご老人の朝は早い。
「あっ、おばあちゃん!」
つい口を出てしまった言葉に、しまったと思った。俺からしたら、何度も話したことのあるおばあちゃんだが、向こうからしたら、朝起きたらいきなり家にいる知らない男なのだから。とりあえず、言い直さないと
「えっと!三葉のおばあちゃんですよね?ごめんなさい!あの!昨日こちらに来るのが遅れてしまって、挨拶が遅れてしまいました!私、三葉さんとお付き合いさせていただいてます。立花瀧と申します!」
とりあえず、挨拶の言葉をまくし立てて、頭を下げる。なんとか、失礼のないようにしなければ…
「そんな堅苦しい挨拶はいらんよ、ほら、いいから座りんさい」
だが、そんな俺に見向きもせずに、おばあちゃんはテーブルの前に座る。
「は、はい」
おばあちゃんに促されるままに、テーブルに座ったが、その時に気づいた。俺は、洗面所で顔を洗おうと、寝室から出てきたのだ、だから、必要最低限の衣服しか身に付けていない。つまり、Tシャツに短パンだ。そんな格好で、初対面の、恋人の祖母に会ってしまった。これが面接なら失格待った無しだ。
「あ!えっと!俺!ちょっと着替えてきます…」
とにかく、この格好はなんとかしなければ、そう思い俺は立ち上がる。
「ええと言うとるやに、いいから座りんさい」
「え!えっと、ご、ごめんなさい」
俺はさっきから動揺してばかりの気がするが、もう、とりあえずおばあちゃんの言うことを聞いておくことにした。
俺が座ると、おばあちゃんが俺の目を見る。俺も、気まずいけれど、その目を逸らさないように、しっかりと見返す。やがて、おばあちゃんが口を開く
「ふむ…あんた、私とどっかで会ったことあるかね?」
「えぇ!!いや!ない!ないと思いますよ!」
突然の言葉にまた動揺してしまう。おばあちゃんは、入れ替わってる時ですら俺が三葉ではないことを見抜いてきた。気を抜くと、三葉に入っていたのが俺だとバレてしまいそうだ
「そうか、ならええんやけど…まぁ、まず、あんたにはお礼を言わんとね」
「お礼、ですか?」
「そうやね、四葉から聞いたよ、あんたは三葉の笑顔を取り戻してくれたって、四葉も、あんなに嬉しそうに話しとったからね」
「いや、まぁ…それは、俺の力だけじゃなくて…その、色んな人が、三葉の笑顔のために頑張ったからなんです…」
なんて言っていいのかわからないけど、それは俺の力だけじゃないんだ。四葉ちゃんもだし、二葉さんだって、力を貸してくれた。でも、うまく伝えられない…
「ほう…あんた、なかなかええ男やないか」
それを聞いて、おばあちゃんは少し微笑む。そして、先程俺が見ていた写真を見る。
「さっき言うたやろ。なんであの写真をあそこに並べてるのか、気になったんやろ?」
「それは…」
俺は少し言い淀む。正直、気になった。あの2つの写真だけだったら、きっと、あんな気持ちにはならなかった。なぜ、あの2つの横に、あれを並べたのだろうか。
「あの写真はね、糸守がなくなってしまう前に、最後に撮った家族全員の写真なんや」
「そう…なんですか…」
「あのバカ息子が出て行ってから、私たち家族は全員が集まることがなくなってしまった。けれども、あの写真の時だけは、全員が写ることができた。撮った当時は、すぐに押入れにしまったもんやけど、今では、あれは大事な写真なんやね」
淡々と話すおばあちゃんに、俺は黙って聞き入ることしかできない
「あの写真を見ると、糸守を思い出すことができる。失った時間は戻らないけれども。ほんの少しだけ、思いを時に馳せることができる。それが、写真やね。だから、あれもあそこに並べてるんや」
「つまり…思い出を、忘れないように?ってことですか?」
俺は、思ったことを口にする。おばあちゃんの話は難しい。だけど、言いたいことはなんとなくわかる。
「まぁ、そういうことやね。わしら年寄りは、時間が流れるのが早いでね。あぁやって写真を見て、時には思い出に浸る。そんなことも大事なんや」
「俺も、その気持ちはわかります。思い出とか、記憶とか、俺にとっては、すごく大事で…それを失うのは、とっても、辛いですよね…」
三葉との記憶、それを失った俺は、抜け殻みたいなものだった。いつも何かを探している。そんな気持ちに取りつかれていた。もう2度と、あんな気持ちにはなりたくなかった
「なんや、まるで記憶を失くしたことがあるみたいな言い方やな」
俺の言葉を聞いたおばあちゃんは、眉を少し寄せて言う。
「え!あ、いや、なんていうか…そんな風に、思っただけです。俺も、三葉との思い出がなくなったら、悲しいですから…」
「ふむ、だったら、大事にしいんさい」
おばあちゃんは頷くと、言葉を続ける
「ところで、三葉とはどうやって出会ったんかね?」
「あー、まぁ…偶然三葉と目があって、お互いに話しかけて、気が合ったって感じですかね…」
「なるほど、一目惚れってやつかね」
「そんな、感じです」
俺は少し、恥ずかしくなって、はにかみながら答える。三葉との出会いは、詳しいことは言えないけど、それなりに上手く言えたと思う。もし本当のことを言うなら、三葉とは5年前に出会っているけど、そんなこと、言えるわけがない。
「その出会いもまた、ムスビ、やね」
おばあちゃんはまた頷くと、そう呟く
「ムスビ…」
俺も同じように呟く。以前、三葉だったときに聞いた言葉だ、人と人との繋がりや、時間の流れ、そういうことを、ムスビと言うらしい
「糸守の古い言葉でね、糸を繋げること、人を繋げること、時間が流れること、その全てが、ムスビと言うんやね。だから、あんたと三葉が出会ったのも、ムスビ。そういうことや」
その言葉を聞いた俺の口から、無意識のうちに言葉が出てくる。
「縒り集まってかたちを作り、捻れて、絡まって、時には戻って、途切れて、また繋がり...」
そこまで言ったところで俺ははっとする。
これは、おばあちゃん本人と、それを聞いていた三葉と四葉ちゃん以外は知らないはずの言葉だ。それを知っているってのは、明らかにおかしい
「って!前に、三葉から聞いたような…気がして…はは…」
動揺からか、思わず乾いた笑いが出てしまう。おばあちゃんは、今度は明らかに眉をひそめて俺を見る。
「…あんた、まさか…」
「な、なんです?」
まずい、バレたか?
流石にそう思う。おばあちゃんは勘が鋭いから、ここまでボロを出したらバレない方が不思議だ
そして、おばあちゃんが、俺に何かを言おうとした
その瞬間
居間の襖が勢いよく開いた
「瀧君!!」
パジャマを着崩して、寝癖でボサボサの三葉が、俺の胸に飛び込んでくる
「ど、どうした三葉!?」
「勝手に!勝手にいなくならんといてよ!不安になるやんか!」
そう叫ぶ三葉の目は、よく見ると涙目だ。どうやら、起きてまた俺がいないことで、不安にさせてしまったようだ
「あ、わるい…」
「許さんよ…瀧君のバカ…」
三葉は、そう言って俺の胸の中に、顔をうずめる。
俺は、気まずそうにおばあちゃんを見る。おばあちゃんは、目を丸くしてその様子を見ていたが、やがて、ため息をついて声を出す。
「三葉」
「え?」
その声で、初めておばあちゃんがここにいることに気づいたのだろう。三葉が素っ頓狂な声を上げる。
「いい大人が、みっともない真似しない、さっさと顔を洗ってきんさい」
「あ!お、おばあちゃん!いたの?え、今の、見てた?」
顔を真っ赤にして、三葉がしどろもどろに言う。その言葉に、おばあちゃんは黙って頷く
「うぅ…うぅーーー!」
真っ赤になった三葉は、恥ずかしさからか、唸り声を上げると、走って居間から飛び出して行った
「み、三葉!?」
俺が呼び止めるのも聞かず、三葉はそのまま行ってしまった。おばあちゃんに見られたのが、相当恥ずかしかったようだ。
俺は苦笑いをしながらおばあちゃんを見る
「あの…すいません…なんか」
「ええんよ、ほっとけば、そのうち勝手に戻ってくるでね」
そう言ったおばあちゃんは、ころころと、楽しそうに笑っていた
「もう、おばあちゃん、いるならいるって言ってよ!」
「あんたが急に入ってきたんやろ」
あの後、顔を洗って着替えた三葉に倣って、俺も身だしなみを整えた。そして、3人で居間で団欒している。すると、何やら思い出したように三葉が言う
「それにしても、この時間になっても四葉が起きないなんて、珍しいね」
そういえば、俺が三葉に入っているときも、必ず四葉ちゃんが起こしに来ていた。三葉よりも四葉ちゃんの方が朝は強いはずなのだが、今日は寝坊らしい
「あぁ、さっき起こしに行ったんやけど、何やらうなされてたからほっておいたんよ」
おばあちゃんの言葉に、大丈夫なのかそれ?と思う。それを、三葉が代弁してくれる
「お、おばあちゃん…うなされてたなら起こさないとダメやん…」
「まぁ、そのうち起きてくるでね」
そう言っておばあちゃんはお茶をすする。どうやら、おばあちゃんはかなりマイペースのようだ。
「で、瀧君、とりあえず、今日は瀧君のスーツを買いに行くってことで、ええんよね?」
「あぁ、それでいいよ、ただ…」
俺はそこで言葉を区切ると、居間の隅を見る。そこには、3つの写真が並べられている。
「その前に、俺、会いたい人がいるんだ」
目の前の石は、綺麗に磨かれている。誰かが毎日のように手入れをしているようだ、そして、いつ置かれたのか、綺麗な花がすでに置いてあった。
宮水 二葉
そう、書かれた、お墓の前に俺は立っていた。二葉さんのお墓は、もともと糸守にあったらしいが、三葉のお父さんが、避難するときに遺骨を持ってきたらしい。そのおかげで、こうして二葉さんに会うことができた。俺は、お墓の前でしゃがみこむと、目を瞑る。
二葉さん…俺、やっと三葉と出会えました。だから、報告にきました
俺はもう、三葉を離しません。何があろうと、守ってみせます。星が降っても、世界がなくなっても、俺が三葉を見つけて、救ってやるんです。
だから
どうか、安心して、眠ってください…
俺が三葉を、幸せにしますから
そして、目を開けると、花を置く、綺麗な、白のカーネーションを。
生前、二葉さんが好きだった花らしい。
その花言葉は
『純粋な愛、私の愛は生きています』
というものだった。
何があろうと、たとえ亡くなっても、自分の愛は生きている。二葉さんにぴったりの花言葉だと思った。それは、三葉のお父さんに向けてなのか、三葉や、四葉ちゃんに向けてなのかはわからない。
でも、きっと、二葉さんは
家族全員を、愛していたのだと思う。
俺は、立ち上がると、また目をつぶって、手を合わせる。
手を合わせる瀧君を後ろから私は見る。
「お姉ちゃん…瀧さんって、お母さんに会ったことないんやよね?なんでお墓参りしたいって言ったんやろ…」
隣に立つ四葉が、不思議そうに聞いてくる。うなされていた四葉を起こして、お墓参りをするとここまで連れて来たのだ
「…お母さんにも、挨拶したいって、ことじゃないかな」
ほんとのところはよくわからない、けど、きっと瀧君は、お母さんに会ったことがあるんだろう。それは夢の中だろうか、記憶の中だろうか、わからないけれど、そうでもでなければ、あの言い方はできない
『会いたい人がいる』
普通、亡くなった人に対して、この言葉はあまり使わない。けど、瀧君はなんの迷いもなく、その言葉を使った。だからきっと、瀧君とお母さんには、何か繋がりがあったのかもしれない。
私は瀧君の横に立つと、お花を置いて、目を瞑る
お母さん…あの時は、助けてくれてありがとう。お母さんが来てくれて、ほんとに嬉しかったんやからね?
あの後、瀧君とは、無事に出会うことができました。
これからは、瀧君と一緒に生きていきます。きっと幸せな人生を送れるはずやから、お母さんは、安心して見ててね
それから、お母さん…組紐、返してくれてありがとう。一生大事にするね
私は立ち上がると、瀧君と同じように、目を瞑って手を合わせる。
しばらくそうしていた後、ふいに目を開け、隣を見る。そして、目と目が合って、お互いに微笑んだ。
その時、ふと、2人の間に、一陣の風が通り過ぎる
その風は、とても優しくて、まるで、2人の頰を撫でるように、通り過ぎて行く
風が過ぎ去り、また、お互いに微笑む
きっと、お母さんが、撫でてくれたんだな
空を見ると、その青空は、やけに透き通って見えた
きっとお母さんは、見守ってくれている。
あの、花が咲くような笑顔で