君の名は。〜after story〜   作:ぽてとDA

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第32話「3万分の1の朝」

朝、目が覚めると、なぜか微笑んでいる、そういうことが時々ある

 

 

 

 

見ていたはずの夢は、いつも思い出せない

 

 

 

 

ただ…心が…優しい愛で満ち溢れている

 

 

 

 

そういう気持ちにとりつかれたのは、多分あの日から

 

 

 

 

 

あの日

 

 

 

 

 

君と出会えた日

 

 

 

 

 

そして、2人で恋をしたあの世界は

 

 

 

 

まるで

 

 

 

 

 

まるで夢のように

 

 

 

 

 

 

ただひたすらに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しい世界だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けると、言いようない幸福感が全身を満たしている。まるで、幸せという何かが詰まった風呂に浸かっているような、そんな気持ちだった。腕の中には、愛する嫁がすやすやと寝息を立てていて、彼女もまたその顔は幸せに満ち溢れていた。

 

カーテンの隙間から差し込む光は、寝室を幻想的に照らしていて、その光に照らされた彼女は、まるで天使のような美しさを感じさせる。

 

「三葉…」

 

俺は思わず呟く。全てを分かたれたあの日から、追い求めて、追い続けて、探し続けた。そして、ついにその手に掴んだ君の名は

 

 

三葉

 

 

忘れない。もう、忘れることができない。この世界が無くなろうとも、魂に取り付いてしまったこの名前を、俺から剥ぎ取ることはできないだろう。たとえ、神様だって。

 

「うぅん…」

 

三葉が寝言を言いながら、さらに俺の胸の中に顔を埋めてくる。そんな三葉が可愛くて、俺はその頭を撫でる。そのよく手入れされたサラサラの黒髪は、掬っても掬っても、すぐに手からこぼれ落ちてしまう。寝ていても撫でられていることがわかるのか、三葉の顔は、気持ちよさそうに微笑んでいた。やがて、薄っすらと、三葉が目を開ける。

 

俺と視線が合った三葉は、微笑みから、笑顔に変わる

 

 

俺が恋をした笑顔に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝目を覚ますと、何故か微笑んでいた。その理由は、すぐ目の前にある。

 

「瀧君…」

 

口を出るその名前は、私がいつも追い求めていたもの。探しても探しても、見つからない、出口のない迷路のような場所をくぐり抜けて、やっと見つけた君の名は

 

 

瀧君

 

 

忘れちゃいけない、忘れることのできないその名前は、私にとっては、命と同じくらい大事なもの。あの日、星が降った日に、分かたれてしまった私の片割れ、私の半分が、夢の中に留めてくれた、2人の愛のカケラ

 

微笑みながらこちらを見つめる瀧君に、私はそっと口付ける。恒例になってしまった、朝の挨拶。おはようの言葉よりも早く出てきてしまうそれは、愛故に、止められない。そして、その余韻を確かめ合ったあと、どちらかとなく、言葉を発する

 

 

「おはよう、三葉…」

 

「おはよ、瀧君…」

 

 

毎朝、こうやって2人で朝のひと時を楽しむ。なんてことのない日常。それでも、私達にとっては、特別で、かけがいのない日常だった。

 

 

 

 

君と2人で過ごすその毎日は

 

 

 

ただひたすらに

 

 

 

美しい世界だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、どうぞ!」

 

三葉がテーブルに並べるのは、簡単な朝食。ウィンナーに目玉焼き、納豆に味噌汁。これぞ朝食と言ったところだろう。ただ、そのどれもがしっかりと調理されており、ウィンナーの皮はパリッと、中は柔らかい。目玉焼きはしっかり半熟になっている。簡単と言えども、三葉が手を抜いていないことが窺い知れる。

 

「すげぇ美味しいよ」

 

俺は、本当にそう思ってその言葉を口にする。

 

「当たり前やろ?私を誰やと思ってるん?」

 

胸を張って威張る三葉が可愛くて、俺はエプロン姿の三葉を抱きしめる

 

「な、なに…」

 

戸惑う顔も、また可愛い。俺はいったい、1日に何度三葉に恋をしなくてはならないのだろうか?

 

「んー?俺の奥さんが可愛くてさ、思わず」

 

俺はニヤッと笑って、三葉のほっぺたを少しつねる。すると、三葉はいきなり俺の腕の中から脱出して、カウンターキッチン(三葉の夢だったらしい)の中に逃げ込んだ。そして、頰を膨らませて、こちらをジッと見つめ出す

 

「な、なんだよ…」

 

「…ずるい」

 

「なにが?」

 

「そういうこと言うの。ずるい…」

 

三葉は頰を膨らませたまま、キッチンから顔を半分だけ出してこちらを覗いている。

 

 

あーもう、ほんと…可愛いなぁ…

 

 

「ほら、隠れてないで来いよ。三葉も早く食べないと遅刻するぞ?」

 

俺は、このまま三葉をベッドまで連れて行きたい衝動を抑えて、食事を勧める。その言葉で時計を見た三葉は、焦ったようにテーブルに着く。

 

そんな三葉を見て、俺は笑いながら、また食事を再開する。

 

なんでもない、朝のひと時。しかし、それは、堪らなく幸せな時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君!お弁当!忘れとるよ!」

 

ピンクのパジャマから、いつも会社に行く時に着るカジュアルな格好に着替えた私は、お弁当を持ちながら玄関に走る

 

「あ、わりぃ」

 

頭の後ろをかきながら謝る彼は、愛しい旦那様

 

私と瀧君は、会社の最寄駅は違うけれども、路線は一緒だった。みんな大好き、JR中央線だ。だから、行けるときは毎日一緒に出勤するようにしている。何年もお互いを探し続けた私達は、他の人達よりも、一緒にいれる時間というのを大事にしていた。むしろ、私達に1人の時間というのはいらなかった。もう、私と瀧君は2人で一つのようなもの。2人でいれる時が、心の底から幸せだった。

 

 

ドアを開けてくれた瀧君にお弁当を渡すと、私もハイヒールを履いて外に出る。一瞬、目が眩みそうな太陽の日差しで目を瞑るが、すぐにその景色が見えてくる

 

都心に住んでいたときは、まず目に入ってくるのは高層ビル、そして人。

 

雑多な大都会は、まさに日本一の人口を誇る東京を表していた。けれども、ここには、高層ビルも、ごった返す人々の姿もない。ただ閑静な住宅街と、綺麗な公園、はるか遠くに薄っすらと見える山々がある。そんな景色が、私達の前に広がる。

 

 

「なんか…落ち着くね…」

 

私は、故郷の糸守を思い出しながら言う。もちろん、ここ三鷹市は普通の街で、住宅街に溢れているし、ビルだって沢山ある。それでも、私の目には、都心の景色よりも、こちらの景色の方が心地よく入ってくる。

 

「まぁ、そうだな…俺もずっと都心に住んでたから、こんな静かな朝は久しぶりだな」

 

瀧君も、私と同じ景色を見ながら言う。

 

「新宿とか、朝からすごいもんね。初めて入れ替わったときは、なんかお祭りでもあるのかと思ったほどやし…」

 

私は、あの頃を思い出す。初めて入れ替わった日。藤井君に呼び出され。迷路のような新宿を彷徨い歩き。一度も通ったことのない学校までやっとの思いで辿り着いたのだ。あの頃は、まだそれを夢だと思っていたから、夢を楽しむつもりで学校に行ったが、まさか、その未来がこんなことになるなんて思わなかった。

 

 

けれど、その未来は、本当に、素晴らしい未来だった

 

 

瀧君の横顔を見ながら、私はそう思う

 

 

 

 

 

「瀧君!」

 

 

私は、満面の笑みで瀧君を呼ぶ。呼ばれた瀧君は、キョトンとした顔でこちらに振り向く

 

 

 

 

そんな瀧君に手を伸ばして、私は言う

 

 

「ほら!行こ!」

 

瀧君は、微笑んで、その手を取る。

 

 

「あぁ!」

 

2人で一緒に、階段を降りていく

 

 

 

もうすれ違わない。なぜなら、この手は離れないからだ。

 

 

 

 

人の一生は、およそ3万日と言われている

 

 

 

 

これはその中の、ただいつもの、朝のひと時

 

 

 

 

 

 

 

でも、それは

 

 

 

 

 

 

 

私達にとっては

 

 

 

 

 

 

 

 

かけがいのない幸せな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3万分の1の朝…


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