番外編 第3話「あの日見た夢の記憶を」
「お母さんー!!」
「ちょ!五葉!!走るなって!危ないだろ!」
家のキッチンで料理をしていると、リビングの方から愛しの娘がトテトテと私に向かって走ってくる。その後ろを、愛しの夫があたふたしながらついてきた。まったく…情けない旦那様やね…
私は五葉を抱きとめると、そのまま抱っこして、楽しそうに笑う五葉に話しかける
「まったく〜、瀧君に似てやんちゃに育ったんやねぇ、お父さんにいじめられたの?」
「お、おい!」
瀧君が何か言っているけど、私は聞こえないフリをする。
「お父さんがね!お母さんのこと大好きやって!」
「あっ!五葉!言っちゃダメだって言ったろ!?」
瀧君は顔を赤くしながら頭の後ろをかく。この癖は、何年たっても変わらない
「ほんと?お母さん嬉しいなぁ!でもね五葉、それと同じくらい、お母さんもお父さんのことが大好きなんよ?」
「ほんと!?お父さん!お母さんが大好きやって!!」
「あ、あぁ…」
瀧君は、また少し顔を赤くしながら苦笑する。私もそんな瀧君を見て、クスクスと笑う。
「ねぇねぇ、じゃあ、五葉のことは?」
そんな娘からの質問に私と瀧君は顔を見合わせて、微笑む
「そりゃもちろん…ねぇ瀧君」
「当たり前だろ?」
首を傾げる五葉に向けて、私達は一緒に言葉を発する
「「世界で一番大好きだよ」」
瀧君に抱っこされながらリビングに戻る五葉を見て、私は改めて自覚する。もう、自分もお母さんになったのだと…
「お母さん…」
私の口から、不意にそんな言葉が出てくる。そして、少しだけ、思い出す
私と瀧君が、記憶を取り戻すために糸守に行ったとき、私は途中で、瀧君におぶられながら寝てしまった。あのとき…
あの日…
あの日見た夢の記憶を…
「うるさい…好き…」
その言葉と共に、私の意識は落ちていった。あれほど降りしきっていた豪雨の音も、次第に耳から遠くなっていく
そして…
真っ白な廊下が目の前に広がっていた
「あれ?」
ここは、どこ?
私は、辺りを見回す。そこは、どう見ても、病院の廊下だった
そして、気がつくと、先程まで誰もいなかったはずの廊下に、人が溢れている。書類を何枚も抱えて小走りで歩く看護師や、入院服を着た患者。友達のお見舞いに来たのだろうか、健康そうな学生の集団。そんな人達が、突然私の周りに現れた。よく見る、普通の病院の風景、しかし私には、それがとても異質なものに見える
「なに、これ…」
私は困惑していた。これは夢だ。私は夢を見ている…でも、いつも夢で会う瀧君は、ここにはいない。それに、瀧君以外の人が夢に現れるのは、いったい、いつ以来だろうか…
困惑しながら、私は歩く。前から、学生服を着た集団が歩いてきて、私とすれ違う。そんな彼らを、私は無意識のうちに振り返って眺めてしまった。すのとき、小走りで歩いていた看護師の女性と肩がぶつかってしまう
「あっ!ごめんなさい!」
私のせいで、彼女が抱えていた沢山の書類が散らばる。私は、散らばった書類を集めて、彼女に渡す。彼女は、頭を下げて、ありがとうございますと言うと、また小走りで去って行った
これ…
なにか、おかしい…
これは、夢なのに、ただの、取り残された記憶のはずのなのに…
まるで…
まるで現実にいるような、そんな感覚だった
私は、病院の窓ガラスに映る自分を見る。高校の制服に身を包み、組紐で髪を結っている。いつもと変わらない.あの日から変わらない姿が、そこにあった
私はまた、あてもなく病院の廊下を歩き出す。やがて、廊下の突き当たり、一番端の病室の前まで来ると、立ち止まった
そして、私は何気なく、その病室の名札を見た
宮水 二葉様
一瞬、息が止まるかと思った
思い出した…
ここは…ここは、お母さんの、病室だ…
「お母さん!!」
突然、私の真横を幼い子供がすり抜ける。その子は勢いよく病室の扉を開けると、中に入っていく
「こら!四葉!病院では走っちゃダメやって!!」
その後ろから、また1人の子供が追いかけていく。走っちゃダメと言いながら、自分も走っていたのだが…
「まったく…あの子達は…誰に似たんだか」
そして、1人の男性が、苦笑しながら歩いて来る。その男性の顔には、見覚えがあった。
「あっ…うそ…」
お父さん…
思わず声を出してしまった私に気がついて、お父さんがこちらを向く。私は、咄嗟に下を向いて顔を隠す。何故だか、バレてはいけない気がした
「ん?妻の病室に何か?」
「あ、あの…ちょっと迷っちゃって…」
気づかれてはいけない。そんな思いで、ごまかしの言葉を口にする。一本道の廊下で迷うなんて、おかしな話だけど、そんなことを気にしている余裕はなかった
「そう…ですか。では…」
お父さんは、そんな私のことを少しだけ見ると、先程の子供達に続いて病室の中に入って行く
そんな光景を見ながら、私はただぼうっと立っていた
この夢は…これは…
いったいなに?
お母さんの病室に、お父さん…っていうことは、さっきの子供達は、四葉と…
私?
頭がパンクしそうだった。これはまるで、夢を見ているというよりも
過去に戻っている
そんな感覚だった
私は、廊下の窓から外を眺める。外には、ポツポツと民家が見えるけれども、他には木々が茂っているばかりだった。そんな様子から、ここは糸守に近い病院で、名古屋や東京にある大きな総合病院ではないということが分かる。
お母さんの病気は、命に関わる重篤な病気だったはず。なら何故、お母さんはこのようなところにいるのだろうか、どうしてお父さんは、すぐにお母さんをもっと大きな病院に移さないのだろうか
そんな思考が、私の脳内を渦巻く。
そして必死に、この頃の記憶を掘り起こそうとする。あの頃は、毎日のようにお母さんのお見舞いに行っていた。お母さんはすぐに良くなる。そう信じていた。
だから、お母さんが死んだときは、信じることができなかった
しばらくは、毎日泣いて、泣いて…
ご飯も食べられず、生活もままならなかった。幸いなことに四葉は、まだ死という概念がよくわかっていなかったため、お母さんはどこか遠くに行ってしまって、いつか戻って来ると思い込んでいたから、すぐに元気になった
でも、そんな私も立ち直ることができた
それはもしかしたら、私よりも、お母さんの死を悲しんでいる人がいたからかもしれない…
大きな背中が、お母さんの遺骨の前でうずくまり、ただひたすらに涙を流す姿が、私の脳裏に浮かぶ。おばあちゃんと言い争い、何故みんなすぐに立ち直れるのかと大声で怒鳴る姿に、幼心で恐怖してしまったことを思い出す。
そして、私はその手を、私は取れなかった…
きっと、一番孤独に苛まれていたであろうその手を、私は恐ろしい目で見てしまったから…
そこで、再び、病室の扉が開く。
私は咄嗟に、廊下の壁の影に隠れて、姿を隠す
「お父さん、お母さん、すぐ良くなるよね」
「…あぁ、三葉は心配しなくて大丈夫だよ。お母さんはすぐに元気になる」
「うん…」
「それに、お母さんはもうすぐ大きな病院に移る。そうしたら、あっという間に良くなるさ」
お父さんは、微笑みながら、幼い私を撫でる。
「お父さんも、お母さんも…2人とも、どこにも行かないよね?いなくならないよね?」
幼い私が、心配そうな顔で聞くと、お父さんは一瞬辛そうな顔をして、そしてすぐに笑顔に戻る
「当たり前だ。私も二葉も、どこにも行かない。ずっと三葉と四葉と一緒だ」
その言葉に、暗い顔をしていた幼い私も、笑顔になる。そして、2人で手を繋ぐ
「お父さん!お姉ちゃん!早く行こ!お母さんがね!帰りにお父さんが美味しいご飯に連れて行ってくれるって!」
そこで、後から出てきた四葉もお父さんの手をとる
「お父さん、ほんと?」
「あー、まったく…二葉のやつ…よし!それじゃ2人は何が食べたい?」
「私はハンバーグ!」
「うーん…私はオムライス!」
「いつも和食ばっかりだからなぁ。わかった!じゃあ行くぞ」
3人は、仲良く手を繋いで、歩いて行く
あの頃の私は、とてもお父さんが好きだった。ただ、それは、お母さんの死によって、変わってしまった…
私は、歩いて行く3人の背中を眺めながら、病室の前に立った
そして、前に向き直る
この手を少し動かせば、会える
大好きだった、お母さんに…
でも、震えた手は、ドアに手をかけたまま動かない
どうしてだろうか、とても怖い
この姿で、お母さんに会って、私は何がしたいのだろうか
きっとお母さんは、私のことがわからない
お母さんと呼ぶことも、抱きつくこともできないのに、お母さんに会って、私は…
私は…
気がつくと、私はドアを開けていた
窓の外から、光と、柔らかい風が吹いていて、窓際のベッドに座るお母さんの髪は、優しくたなびいていた
「あら…何か忘れ物?」
そう言って振り向いたお母さんは、私のことを見て、少しだけ驚いた顔をする。どうやら、お父さん達が戻ってきたのだと思っていたのだろう
「あの…」
私は、なんて言っていいかわからずに、俯いてしまう
しばらく、ただ風の音だけが聞こえる
「此方を、向いてくれるかしら?」
そんな声で、私は弾けるように顔を上げる
「ふふ、やっぱり…とっても可愛い子ね。どうしてここに?」
「えっと…その…へ、部屋を間違えてしまって…」
我ながら、苦しい言い訳だと思う。病室の名札に、名前が書いてあるのだから、間違えるはずはないのだ。それでも、お母さんは優しく微笑んでいる
「そうなのね…ねぇ、せっかく会ったのだから、何かお話しましょう?」
「え?あ…はい」
お母さんは、楽しそうに笑い、こちらに手招きをする。私は、困惑しながらも、その手に誘われておずおずとお母さんに近づく
手が届く距離まで来ると。お母さんは今度は私の目を見つめる
「可愛いお客様ね、私の娘に、よく似ているわ」
一瞬、心臓が跳ねた。似ているというか、その娘そのものなのだから…
何故かはわからないけれど、私が宮水三葉だということを、この世界の誰にも知られてはいけないという思いが、私の頭の中にあった
だから、どうしても、顔を見られないように、少しだけ俯いてしまう
「あの…ごめんなさい…やっぱり私、帰ります…」
きっと、ここにいたらバレてしまう。だって、この人は私のお母さんなのだから…
「いいのよ、私、あなたと少しお話がしたいの。さっきまで家族がお見舞いに来てくれていたのだけれど、帰ってしまったから、暇なのよ…」
少しだけ、寂しそうに笑うお母さんに、思わず私は抱きつきたくなる。家族なら、ここにいると、娘はここにいると、そう言ってあげたい。でも、その気持ちを必死に心に押しとどめる。
「家族…ですか…」
「ええ、娘が2人いてね、お姉ちゃんの方は三葉、妹の方は四葉というの。可愛い名前でしょ?」
「は、はい!とっても!」
なんだか、むずむずする。お母さんと話しているのに、まったく他人のふりをしなければいけない。そんな状況が、心をくすぐる
「三葉はほんとに手がかからない子でね、とっても良い子で…でも、たまにやんちゃで頑固なところとか、お父さんにそっくりなのよ」
お母さんの言葉に、私は泣きそうになる。お母さんとの記憶が、私の頭の中を駆け巡る。
台所で、お母さんと一緒に里芋を剥いている
『お母さん…』
『なぁに?』
『これ、すごくめんどくさいやつ…』
『そうよー。だからお手伝いが要るの。えらいわねー』
クスクスと笑うお母さん。それは、今目の前で笑うお母さんと、まったく一緒だった。ただ、違うところがあるとすれば、病気によってお母さんは少し痩せていた。けれど、今は比較的症状が軽い時期なのだろう。末期には、お母さんは…この時から見る影もなく痩せ細っていたのだから。
「あなたは今…幸せですか?」
不意に、私の口からそんな言葉が出て来てしまった。そんなこと、言うはずじゃなかったのに
お母さんは、少しだけ、驚いた顔をして、やがて、優しく微笑む
「とっても、幸せよ」
その言葉が、全てを表していた。命に関わるの病気に罹っていても、まったく淀まずに幸せと言い切れる。それほどまでに、お母さんは幸せだったのだ
私は、涙を流してしまった
溢れ出るそれは、止めることができなくて
拭っても拭っても、また次が溢れ出て来る
急に、手が、私を抱きしめた
柔らかい感触と、花の香りのような匂いが、私を包み込む
「私の病気はね…きっと治らないの…でも、私のことを愛してくれる家族がいて、私も、愛する家族がいる…それで、十分なの」
泣きじゃくる私を抱きしめながら、お母さんは言葉を紡ぐ
「だから、あなたも頑張って…きっとあなたには、幸せが待っているわ。諦めないで、めげないで、前を向いて、走り続けなさい。そうすれば、きっと、あるべきようになるから…」
優しく頭を撫でるお母さんの手の感触は、あの頃と何も変わらない
どれほどの時間、そうしていたのだろうか
明るかった外の景色も、すでに夕方に変わっている
私は、そっと、お母さんから離れる
目を拭って、少しだけ残っている涙を振り払う
「ありがとう…」
ただ、一言、私はそう言う
その言葉を聞いて、お母さんは優しく笑う
「こちらこそ…ありがとう」
なんのお礼かは、わからない。けど、それでいい
「私、頑張るね…きっと、全部取り戻して、幸せになるから」
私は、お母さんの目を見つめる
そのとき、太陽の光が強くなって、私の目を遮る。世界の輪郭がぼやけて、まるで光の中に包まれるような感覚になる
あぁ…目覚めてしまう
最後に
もう一度だけ…
「っ!…お母さん!!!!」
力の限り、私は叫ぶ。止まっていた涙を、また流しながら
光の中から、声が聞こえる。大好きだった、優しい声が
「頑張りなさい…三葉」
「お母さんー?」
はっとして、私の意識は記憶の中から急速に戻ってきた。下を見ると、五葉が心配そうに私のスカートの裾を握ってこちらを見上げている。私は、五葉の目線に合わせるようにしゃがみこむ
「五葉?どうしたの?」
「お母さん…どこか痛いの?」
「んー?痛くないよ、どうして?」
「だって、お母さん、泣いてるんやもん…」
心配そうに言う五葉の言葉に、私は目を触る。すると、たしかに涙を流していた。
「あ、ほんとやね…でも大丈夫やよ、お母さん元気やから!」
私は、五葉を安心させるために、サムズアップしてみせる。すると、五葉も心配そうな顔から、笑顔に変わっていく
「じゃあ五葉、せっかくだから、お母さんの料理のお手伝いしてみよっか?」
「え!いいの!する!する!!」
私は、立ち上がると、転がっている里芋と、小さな果物ナイフを手に取る
「じゃあ里芋の剥き方を教えます。刃物を使うんやから、充分注意すること。危ないと思ったらすぐ手を離すこと」
私がそう言うと、五葉は神妙に頷く
戻ってこない五葉を心配したのか、瀧君がいつのまにかキッチンの入り口に立ってこちらを見ている
私は、ナイフを持つ五葉を心配そうに見つめる瀧君に近づいて、小声で話す
「この子には少しでも早くいろいろなことを教えておきたいんよ」
「あぁ、良いことだな…ちょっと心配だけど」
私たちは、私に教えられた通り、難しい顔をしてまな板の上で芋の皮を削いでいる五葉を見ていたが、五葉はしばらくすると、その目を芋から離さないままで
「お母さん…」
「どうしたの?」
「これ、めっちゃめんどいやつや…」
「そうやねー。だからお手伝いが要るんよ。えらいわねー」
私は、未だに芋と格闘している五葉を見ながら、そんなことを言って、クスクスと笑う。横では、瀧君も楽しそうに微笑んでいる
私は今、幸せだった
間違いなく、この世界で一番かもしれないくらいに、幸せだった
お母さん…私は今、幸せやよ
私、お母さんみたいに、なれたかな?
少しだけ、昔の記憶に思いを馳せる
記憶の中のお母さんは、いつも、いつまでも、優しく笑っていた
この物語を完結させた後に、君の名は。の映画と小説を全部見直しました。やっぱり、君の名は。は最高の作品ですね