君の名は。〜after story〜   作:ぽてとDA

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語られなかった、1日目の入れ替わり。寝癖だらけの瀧は、一体どんな1日を送ったのか…


番外編 第4話「前日譚(before story)」

朝、目を覚ますと、いつもの天井が広がっていた。真っ白な天井に朝日が反射して、少し眩しい

 

俺はベッドから立ち上がると、窓から入ってくる風によってひらひらと揺れているカーテンを見て、ため息をつく

 

まったく、三葉のやつ、昨日窓閉め忘れたな…

 

後ろを振り返ると、愛しい2人が寄り添うように寝ている。おっと、そういえば、そろそろ3人になる予定だった…

 

 

 

でも、これは…

 

 

そう、言うなれば

 

 

まるで夢のような、素晴らしい景色だ

 

 

愛する妻と、愛する娘が何か夢を見ているのか、ニヤニヤしながら抱きあって寝ているのだ。そう、本当に素晴らしい

 

 

 

そんな馬鹿なことを思って1人でクスクスと笑い、ベッドに腰掛ける。

 

 

「お父しゃんは…五葉の…」

 

 

「だめやよぉ…お父さんは…あげへん…」

 

 

ったく、なんの夢を見ているんだか。俺は、2人の頭を交互に撫でる。そして、ふと思い出す。あの時見ていた夢を、記憶を…

 

 

初めは、ただの夢だと思い込んだ

 

 

何故なら、夢のように、起きたらすぐ忘れてしまうからだ。でも、今は覚えている。最初から、全て、鮮明に…

 

 

 

三葉と俺が繋がった。最初の交わり。あの頃はすぐに消えてしまった記憶。

 

 

どこか懐かしくて、俺は、天井を仰ぎ見る。

 

 

 

ちょっとだけ、昔の記憶に、思いを馳せてみよう…

 

そう、俺と三葉の、最初の入れ替わりに…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らないベルの音だ…

 

まどろみの中で、そう思った。目覚まし?でも、俺はまだ眠いのだ。昨夜は絵を描くのに夢中になっていて、ベッドに入ったのは明け方だったのだから

 

「…くん。…たきくん」

 

 

今度は、誰かに名前を呼ばれている。女の声だ

 

 

女?

 

 

「たきくん、瀧君」

 

泣き出しそうに切実な声だ。遠い星の瞬きのような、寂しげに震える声。

 

「覚えて、ない?」

 

その声が、不安げに俺に問う。でも、俺はお前なんて知らない。電車が止まり、ドアが開く。

 

そうだ…電車に乗っていたんだ

 

そう気づいた瞬間、俺は満員電車の車軸に立っている。目の前の見開いた瞳は、真っ直ぐにこっちを見つめている。制服姿の少女は、降車する乗客に押されて遠ざかり…

 

そして

 

 

「名前は!みつは!!」

 

 

少女はそう叫び、髪を結っていた暇をするりとほどき、差し出す。俺は思わず手を伸ばし、その色を、夕陽みたいな赤とオレンジが混ざり合った綺麗な色を、強く掴む

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!!!」

 

そこで目が覚めた。あの少女の声は、残響だろうか、未だに耳に残っている。

 

みつは?

 

 

名前は、みつは…

 

知らない名前で、知らない女だった。でも、なんだかすごく必死だった。涙が溢れる寸前の瞳、見たことのない制服。まるで宇宙の運命を握っているかのような、シリアスで、深刻な表情だった。

 

でも、まぁ…ただの夢だ

 

夢に意味なんてない。気づけばもう、少女の顔も思い出せない。そんなものだ

 

 

それでも

 

 

それでも、俺の鼓動はまだ、異常に高鳴っている。奇妙なほど胸が重い。汗が体から吹き出したのか、体中が汗ばんでいる。

 

とりあえず、俺は深く息を吸う

 

「……?」

 

風邪か?鼻と喉に違和感がある。空気の通り道がいつもより細いような、そんな感じだ。

 

胸もやっぱり奇妙に重い。なんというか、物理的に重いのだ。俺は自分の体に目を落とす。そこには胸の谷間があった。

 

 

 

そこには、胸の谷間があった

 

 

 

 

「……は?」

 

 

2つの膨らみに朝日が反射し、白い肌が滑らかに光っている。意味がわからない。

 

 

揉むか…

 

 

俺はとりあえず、そう思う。家に帰ったら、玄関を開けて、靴を脱ぐ。そんな当たり前のことのように、そう思った。

 

 

……

 

………

 

…………

 

 

すげぇ…俺は感動してしまった。

 

 

胸というのは、こんなに柔らかいのか…前に学校で、馬鹿なクラスメイトが、おっぱいの柔らかさを再現したとかいうおもちゃを持ってきたことがある。女子は散らかったゴミを見るような目をしていたが、男子はそれに群がっていた。我ながらアホだと思う。もちろん俺も、ほんの少しだけ、それを触らせてもらった。

 

けど、やっぱりあんなもの、ただのおもちゃだ。本物に比べたら、雲泥の差があった

 

 

まぁ、つまるところ、初めて触った女の胸に、俺は感動していた。

 

女の体ってすげぇ…

 

 

 

 

「お姉ちゃん、何しとるの?…」

 

ふいに声がした。そちらを見ると、小さな女の子が襖を開けて立っていた。俺は胸を揉みながら、素直な感想を言う。

 

「いや、すげぇリアルだなって…え?」

 

俺は改めて少女を見る。まだ10歳かそこらだろう、ツインテールでつり目がちの強気そうな女の子だ

 

「…お姉ちゃん?」

 

俺は自分を指差して問う。こいつは、俺の…いやこの体の妹か?

 

すると、その子は呆れきったような顔で言う

 

「何寝ぼけとんの?ごーはーんっ!早よ来ない!」

 

ぴしゃり!と叩きつけられるように襖を閉められる。そういや、腹が減ったな…

 

俺がそんなことを思いながら立ち上がると、視界の隅に姿見が置いてあるのに目がとまる。畳の上を歩き、鏡の前に立ってみる。

 

ゆるいパジャマが肩からスルスルと落ちて、俺は裸になった。そして、鏡に映った自分を見つめる。

 

寝癖がぴょんぴょんと飛び跳ねた、黒い綺麗な髪。小さな丸顔に、不思議そうな大きな瞳。ふっくらとした唇に、細い首と深い鎖骨、おかげ様でこのように育つことができました!と自慢げな胸の膨らみ。

 

 

間違いない。これは、女の体だ

 

 

 

女…

 

 

女?俺が?

 

 

突然に、それまで眠気でぼんやりと体を覆っていたまどろみが振り払われる。頭が一気にクリアになって、そして一気に混乱した

 

俺は、顔を両手で挟み込み、自分の目を疑うかのように鏡に近づく

 

やはり映っていたのは、女の体だった

 

 

「ええ!…えぇぇぇぇぇえええええ!!!!!」

 

 

たまらずに、俺は叫んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界には、説明がつかない不思議なことが色々ある。例えば、物が自然に落ちたり、グラスがいきなり割れたりする、俗に言うポルターガイスト。または、突然飛行中の飛行機が消えてしまい消息を絶つ魔の三角海域など、様々だ。ただ、そういったことは、頭の良い学者さんやら何やらが徹底的に調べ尽くして、実はこんな理由で〜とか、こんな原因が〜とか、既に解明されている物が多い。

 

じゃあ、これについては、何の原因で、どんな理由で、こんなことになっているのだろうか、教えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまるところ、俺は女になった。

 

 

しかも、知らない女だ。どうやら妹がいるみたいだが、それもまた知らない女の子だった。

 

俺は、鏡の前で、驚きを隠せない顔をする知らない女を見ている。右手を上げると、鏡の中の女も右手を上げる。左手を上げても同様に…

 

頬っぺたをつねると、鋭い痛みと共に、鏡の中の女が顔をしかめる。

 

 

間違いなく、この体は女で、女は俺で、俺は女だった。しかし、俺は男だ、意味がわからない。

 

しかも、これは夢のはずなのに、夢のような感覚がまるでない。夢ならいい、目覚めてしまえばそれで終わり。こんなことも忘れてしまうからだ。でも、この感触、目覚めの感覚。これが夢ではないと、俺の脳内…いや正確にはこの子の脳内がそう告げていた

 

やはり意味がわからない。俺は、とりあえず鏡から目を離して、自分がいる部屋を見回す。

 

どうやら、この女の子は、この和室の六畳間が部屋のようだ。畳敷きの部屋に、学習用デスクと椅子が置いてある。なんだかのび太の部屋みたいだ

 

とりあえず、畳の上にデスクを置く部屋が本当にあるということにまず驚く。だが、それだけではなく、結構色々な物がこの部屋には置いてあった。

 

長押には、女子用の制服がかかっていて、スカートのプリーツには、しっかりとアイロンが押してある。押入れを開くと、そこには衣装箱がみっちりと詰め込んであって、これでは布団を上げるのに苦労しそうだ、なんてことを少しだけ思う。

 

窓の外には木の葉が揺れていて、差し込む光も揺れている。なんだか、光が緑色の訳ではないのに、グリーンな雰囲気を感じる。そんな部屋だ。

 

ひとしきり部屋の状態を見回してから、俺は額から汗を噴き出させた。今までは、寝起きだったから自分の体の感覚がぼんやりとしていた。しかし、こう感覚がクリアになってきて初めて、自分の体を襲う違和感に気づく。

 

肉付きが薄すぎて、寒気がした。つまり、今までは自分を覆っていてくれた筋肉がなくなってしまった感じがするのだ。右手で左手を掴むと、あまりにもそれは柔らかい。ほんの少し力を込めれば簡単に折れてしまいそうなほどに。

 

とにかく、身体の品質というものが自分の知っているものとは違う。男ではなく、女の身体だ。

 

 

「なんだよ…これ…」

 

俺は、呆然としながら呟く。喉から出てくるのは知らない女の声だ。とりあえず、これはリアルな夢に違いない。そう思い込むことにした。そうじゃないと、説明がつかないからだ。眠りの中で知らない女になって、知らない場所で生活している。そういう夢を見ている途中なんだ

 

そう思わないと、やってられなかった

 

 

夢なら、適当に、その場の流れに任せればなんとかなるだろ…俺はとりあえずそう思考して、部屋の襖を開けた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん遅い!って、まだ着替えとらんの!?もう!早くご飯食べちゃって!」

 

階段を降りた第一声は、先ほどの妹らしき女の子のものだった。茶碗を誰かに手渡している。

 

「はい、おばあちゃん」

 

「ん、ありがとう」

 

和風の居間に置いてあるテーブルには、既に簡単な朝食が並べられており、かなり年がいっているであろう白髪の老人がそこにちょこんと座っていた。先ほどの会話からして、この人はこの身体と、妹のおばあちゃんなのだろう。ちなみに、妹は自分のご飯を炊飯器からよそっている最中だ。

 

 

「おはよう三葉」

 

おばあちゃんがこちらをチラと見てそう言う。俺は誰のことかわからずに、自分の後ろを見る。もちろんそこには誰もいないから、今の挨拶は、俺、つまりこの身体の女の子に言ったことになる。どうやら、この女の名前は、みつはと言うらしい

 

 

「……っ」

 

 

おはようと返そうと思ったのに、声が…出せない…何故か、元の体の、男の声が出てしまうような気がして、声が出せなかった。先程叫び声を上げたときに、女の声だと言うのは確認したのだが、それでも、何故か言いようのない不安感が全身を襲った。

 

「ん?」

 

おばあちゃんが、怪訝な目でこちらを見つめる。俺は身体中のいたるところから汗を噴き出しながら一歩下がる。目が合い、心拍数が跳ね上がった。

 

 

……

 

………

 

 

しばらく無言で見つめ合う。やがて、おばあちゃんが口を開きかけたとき、俺は決心する。

 

 

そうだ、これはただの夢だ。夢の中で、びびってどうする!

 

 

「お、おはようございます!!」

 

 

直角の90度、最敬礼の姿勢で、俺は朝の挨拶をした。自分から出たとは到底思えない甲高い声が、居間に響き渡った

 

 

カチャン…と、妹が目を見開きながらしゃもじを落とし、目の前のおばあちゃんも驚きを隠せない顔をしている

 

 

これは、まずったか…

 

 

「ま、まぁ…挨拶が大きいのは悪くないのう…」

 

おばあちゃんは、そのあと、何もなかったかのように前に向き直り、テーブルの上の味噌汁をすすり出した。

 

しかし、妹は俺の方に恐る恐る近づいてきて、怪訝な目を向ける

 

 

「お姉ちゃん…ちょっとしゃがんで」

 

「へ?」

 

「いいから!はよ!」

 

俺は、妹の言う通りしゃがみこむ。すると、妹は心配そうな顔で俺の額に手を当てる

 

「うん、熱はないみたいやね。お姉ちゃんほんとどうしたん?さっきは上で叫んでたし、寝癖だらけで着替えてもこんし、今日おかしいよ!」

 

「あー…いや、なんていうか…」

 

なんとも言えない。言えるわけがない。実は俺、まったく知らない男で、ここがどこだかもわからないんです。そんなことを言えば、おそらく救急車を呼ばれて脳神経外科と精神科をたらい回しにされるだろう。せっかくの夢なんだし、もう少しだけバレずにやりたいところだ

 

「その、ごめん、なんだかまだ寝ぼけてるみたい」

 

とりあえず、苦笑しながら、ぼんやりとそんなことを言ってみる。すると、妹はため息をついて離れてくれた

 

「まったく、ほんとにお姉ちゃんは朝に弱いんやから…とにかく、さっさと朝ごはん食べるんやよ」

 

この子、かなりしっかり者だなぁ。ぼけっとしながら、そんなことを思う。もしこんな妹がいたら、ちょっと嬉しいかもしれない。

 

俺はテーブルに着くと、目の前に置いてある朝食に手をつける。

 

夢の中で朝ごはんを食べる。なんとも言えない光景だ…

 

大きな目玉焼きに醤油をたっぷりかけて、ご飯と一緒に口に入れる。その時、視界の端でおばあちゃんと妹が怪訝な目でこちらを見ていることに気づく、やはり、明らかに俺は変なのだろう。でも、しょうがないことだ。なにせ、俺はこの妹とおばあちゃんどころか、この身体の持ち主すら知らないのだから。仮にこれが知り合いだとすれば、ちょっとした癖や、喋り方なんかは真似することができる。けれど、この状況ではそんなことは期待できないため、俺は別に劇団員でもなんでもないのに、この女の子を演じきらないといけないのだ。無理も甚だしい

 

「お姉ちゃん…目玉焼きはソース派やったのに、鞍替えしたの?」

 

妹が、自分も目玉焼きを食べながら言う。食べながら喋るのは行儀が悪いぞ、妹よ

 

「は?目玉焼きにソースとか…何言って…」

 

そこまで言って気づく

 

そうか!この女はいつも目玉焼きにはソースなのだ!俺は生まれてこのかた目玉焼きには醤油をかけて生きてきた、けれど、それと違う食べ方があっても不思議ではない。関西の方ではお好み焼きをおかずにご飯を食べると言うし、日本の中でだって、食文化というのは違ってくるものだ

 

「あ!いや!なんでもない!なんていうか!たまには醤油で食べてもいいかな〜なんてね!ははは!」

 

乾いた笑いを出す俺に、妹がはやはり怪訝な目をしながら頷く。どうやら、誤魔化せたようだ

 

 

 

 

 

朝ご飯を食べ終わると、俺はぼっーと部屋を見回していた。この部屋は、完全に和風かといえばそうでもない。どこか和洋折衷のデザインだ。なかなか嗜好があるな…なんてことを思っていると、妹が俺の目の前に顔をずいっと突き出してきた

 

「お姉ちゃん!遅刻するよ!さっさと着替えて来ない!」

 

 

 

妹にけしかけられて、俺は部屋に戻ってきた。ほんと、リアルな夢だなぁ、学校まであるのか…そんなことをぼんやりと考えながら、俺は長押にかけられている制服を取る。ちゃんとアイロンがかかっていて、シワのない綺麗な状態だ。この女が、結構身だしなみには気を遣っているというのがわかる。

 

 

「つか、いいのか…これ」

 

俺は、制服を持ちながら考える。なんだか、服を脱いで制服を着るということに、言いようのない罪悪感を感じる。先程まで胸を揉んでいた男の考えとは到底思えないが、基本的に男というのはそんなものだ。

 

パジャマを床に落とし、まずはワイシャツを羽織る。なにか忘れてるような気がするが、女の服の着方なんて知らん。

 

胸にワイシャツが張って、少しだけ違和感があるが、特に気にしない。次にスカートを履く。腰部分のフックをかけ、ファスナーを閉める。すると、腰のくびれでうまい感じに固定されるのだ。

 

 

初めてスカートを履いた感想は

 

 

とても怖い。だった

 

 

 

女子という生き物は、こんなものを履いて、街中を我が物顔で歩いているのか…この恐ろしいスカートというものは、男の俺からするとパンツの上に薄くて短いタオルを巻いているのとなんら変わらない感覚だった。ズボンが防御力10ならスカートは2くらいだ。装甲が足りない。

 

俺は太ももを通り過ぎる風の違和感にヒーヒー言いながら、部屋を出た。とりあえず制服は着たし、妹がさっきから下で自分を呼んでいたからだ

 

 

下に降りて俺の姿を見た妹は、もう一度ため息をつく。

 

 

「あー…もうほんとお姉ちゃん…一体どうしたん?とにかく、はやく学校行くよ!」

 

妹は俺の格好を見て頭を抱えていたが、そんなにまずいところがあったのだろうか、制服は着たし。寝癖もとりあえず手で押さえておいた。もう跳ねてきているけど、女の髪の整え方なんて知らん。

 

 

 

 

 

「いってきまーす!!」

 

妹が元気よくそう言い、俺の手を引っ張りながら玄関を出た。

 

外では、盛大に夏の山鳥が鳴いている。斜面沿いの狭いアスファルトを下り、いくつかの石垣の階段を降りると、山の影が切れて直射が降り注ぐ。そして、その眼下には丸い湖があった。

 

「すっげぇ…」

 

俺は、光を反射してキラキラと輝く湖と同じくらい瞳を輝かせながらその景色を見た

 

生まれも育ちも東京23区、しかも山手線の内側で暮らしてきた俺には、この景色はまるで別世界のように感じた

 

くろぐろと静まり返った山の景色からは、風が吹き込んできて、身体をなぶる。髪を揺らす。

 

その風には匂いがあって、まるで水と土と樹木の気配が、見えないくらい小さな透明のカプセルに封じ込まれていて、それが頰にあたって弾けるような、そんなかすかな匂いだ、

 

風が薫る。まさに、その言葉がぴったりだった。きっと、この景色を何度見ても、俺はそう思ってしまうだろう

 

 

「なにやっとるの、お姉ちゃん?」

 

「あ、いや!なんでもない!」

 

ふいにかかった声に、俺は意識を戻して、妹の後について行く、肩から下げた鞄はゆらゆらと揺れて、俺の背中にぶつかっていた

 

 

 

 

 

やがて、道が二手に分かれていて、妹はそこで振り返る

 

「それじゃあね!お姉ちゃん、今日はやばそうだから学校終わったら早く帰って寝なよ」

 

「えっ…あ、うん…」

 

妹は、フリフリと手を振ると、坂の上を上って行く。それじゃあと言われているのだから、俺の行く道はこの下る方なんだろうけど、あいにく俺はここがどこだかも分からないから、学校の場所なんて知らない。去っていった妹の背中から目を外し、俺は途方に暮れていた。横に広がる湖は、相変わらず綺麗に輝いていた。

 

そんな景色をまた見ていると、視界の奥に、1つの建物が小さく映った。沢山の窓に、大きな時計が1つ。日本という国ではほとんど共通のデザインを持つその建物は、ここからかなり歩くだろうが、それでも目に見えるところに存在した

 

 

「あるじゃん…学校…」

 

 

ふいに、口から言葉がでる。それと同時に、俺はその学校へと、歩き出した。あそこが目的の学校かは正直分からないけど、行けばなんとかなる。そんな気がした。道には迷いそうもなかった。何故なら。この町は湖を中心として作られているようだからだ。その湖は山地に取り囲まれたような状態になっていて、湖の周りはほぼ全て斜面だ。民家や道路は、その斜面をところどころ盛ったり削ったりして半ば無理やり作った水平地にできている。だから、道路も概ね環状線だ。

 

ようは、戻っても進んでも、同じところを通ることになる。

 

 

 

俺は歩きながら考える。まず、これは夢だと仮定して、ここは一体どこなのだろうか?夢というのは、全く知らない人達や全く知らない土地がこうも出てくるものなのだろうか?そんな疑問が、頭の中を渦巻いていた。

 

 

「三葉〜!!」

 

ふいに、後ろから声がかかる。また女の声だ。さっきあの老人、いや、おばあちゃんに名前を呼ばれていたので、俺は気づくことができた。

 

 

みつは

 

 

 

やはりこれがこの女の名前で合っているようだ

 

 

なんか、どっかで聞いたことあるような…そんな名前だった。もしかしたら、昔知り合いだったのかも。俺が覚えてないだけで、小さい頃に知り合ったていたとか?

 

そんなことを考えていると、俺の横に自転車が停止した。

 

 

「おはよ!みつ…って、三葉!?どうしたんその格好!」

 

「うぉ!なんや!寝坊でもしたんか!?」

 

自転車に跨っているのは、坊主頭でスラリと痩せた男。第一印象は、野球部の補欠メンバーみたいな奴だな、と思った。

 

後ろの荷台にちょこんと座っているのは、どこか田舎臭さを隠せない顔に、前髪ぱっつんのおさげの女の子。

 

どっちにしても、俺はこの2人に失礼だと思った。

 

「髪はぼさぼさの寝癖で結んどらんし、制服のリボンもつけとらんやん…ほんまどうしたん?」

 

「あー、いや…ちょっと寝坊しちゃってさ…」

 

とりあえず、そん感じで愛想笑いしながら誤魔化す。残念だけど、俺はあんた達2人の名前も知らないのだから。

 

「寝坊て、お前…そんなんやったら遅刻してでもちゃんとしてから来た方がいいんやないか?なぁサヤちん」

 

「ほんと、テッシーの言う通りやわ。いつもあんなにきちんと身だしなみ整えてるんに、熱でもあるん?」

 

 

「いや…そういうわけでは…」

 

言葉に詰まる。正直、話しづらくて仕方がない。この身体に入っているのが俺だと気づかれないためには、下手なことを喋れないからだ。きっとこの2人は、かなり仲のいい友達なのだろう。ともすれば、もし俺が不用意な発言をすれば、すぐにボロが出て気づかれてしまうはずだ。

 

なんというか、めんどくさくて仕方がない…

 

俺はだんだんと自分が不機嫌になっていくのがわかった。なんだって、こんな夢を見なきゃいけないのだろうか。別に今すぐここで、俺はそのみつはではないとカミングアウトしてもいいのだが、何故かこの身体か、もしくは俺の頭が、それはダメだと警告してくるのだ。

 

まぁとりあえず、この夢が覚めるまではバレずにやるつもりだ。それに、今の会話で分かったことが2つある。

 

1つ、この坊主頭の名前はテッシーだか、テシだかどっちか

 

2つ、このおさげの子はサヤちん

 

俺は、未だ怪訝な表情でこちらを見る2人に向けて、また愛想笑いをする

 

「あー、あのさ…なんだか今日は調子が悪くて、変なこと言うかもしれないけど、気にしないでくれ」

 

「あんた、ほんとに大丈夫?喋り方もなんか変やし…」

 

「妙に男っぽい感じがするなぁ」

 

「えっ…そ、そんなことないよ…はは」

 

「ま、大丈夫ならいいんやけど…とりあえず、学校ついたらその髪なんとかするでね」

 

「後ろ乗れや三葉、体調悪いなら、乗せてやるで」

 

「あー!テッシーうちが乗るときは渋ってたくせに!」

 

「あー!うるさい!お前は重いんやさ!」

 

「なっ!乙女になんてこと言うんよ!」

 

「三葉の方が細いのは確かやろ!」

 

俺は眼前で繰り広げられるコントに目を瞬かせていた。これがいわゆる、夫婦漫才というやつだろうか。

 

とりあえず、終わりそうのないそのコントを終わらせるために、俺は声を出す

 

「あ、あのさ!俺…」

 

「「おれ?」」

 

やべ…俺は今、みつはとか言う女の子なんだった。テシとサヤちんが怪訝そうに顔を見合わせる

 

「あ、その、ええと…わたくし?」

 

「「んん?」」

 

「あたい!」

 

「「はぁ?」」

 

「…私?」

 

うん。と、怪訝そうな顔を浮かべながらも、2人は頷く。なるほどね、「私」ね。心得た。

 

「私は歩くからさ、2人は自転車乗りなよ」

 

「い、いや、でもなぁ…」

 

「いいって、私、歩くの好きだから」

 

「あー分かった!じゃあ行くぞ、このままやと俺らまで遅刻や」

 

「なんか三葉…性格変わっとる気が…」

 

 

俺は話しかけてくる2人に適当に返事をしたり、相槌を打ったりしながら、学校への道道を歩いた。太陽は燦燦と照りつけていて、世界を光で照らしていた。俺の気分とは裏腹に

 

 

 

 

 

 

 

こうして、俺の長い長い一日が始まった

 

 

 

 

 

 

これは、とある運命的な出会いの、物語が語られる前のお話。そうだな、言うなれば

 

 

 

前日譚(before story)ってところかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、私のロッカーって、これ?」

 

俺は、宮水三葉と書いてあるロッカーを指で指しながら、テシにそう聞く。

 

「はぁ?当たり前やろ、何言ってんのや」

 

「あー、なんでもない、大丈夫」

 

俺は苦笑いを浮かべながらロッカーを開ける。成る程、この女の名前は宮水三葉というらしい。読みはミヤミズでいいのだろうか、ミヤミかもしれないな…

 

ロッカーから上履きを取り出して履きながら、俺はテシとサヤちんのロッカーをこっそり盗み見た。

 

勅使河原 克彦

 

名取 早耶香

 

とりあえず、勅使河原ってなんて読むんだ?チョクシガワラ?いや、あだ名がテッシーなんだから、テシガワラだろう。たぶん合ってる。女の子のほうはサヤカか、これもたぶん合ってる。たぶんな…

 

 

教室に着くと、テシが扉を開けて入っていく、続いて俺も中にはいると、全クラスの半分以上がすでに来ていた。女2人、男1人の3人組が、引き戸のそばの席に座っていたのだが、俺が入ってきた瞬間、目を見開いてこちらを見てきた。そして、その後に3人で顔を付き合わせて、小声で何か喋ってクスクスと笑い出した。

 

嫌な感じだ、初対面でそう思った。おそらく俺の格好を見て笑っているのだろうが、あの笑い方、アレは、仲のいい友達同士が揶揄いで笑うようなものじゃない。完全にこちらを馬鹿にしている笑い方だ。それくらいすぐにわかる。

 

俺はそんな3人を無視してテシの後に続く。後ろではサヤちんがなんだかあたふたとしている。

 

そして、2人が席に着いた後、俺は辺りを見回す。空いてる席は4つ。

 

 

「なぁ…」

 

「あ?どうした三葉?」

 

「私の席って、どこだっけ?」

 

 

「「は?」」

 

2人の声は、綺麗にユニゾンしていた。

 

 

 

 

 

俺が席に鞄を置いたタイミングで、先ほどの3人が宙に向かって何か言葉を吐いている

 

「ねぇ見た?あの髪…ふふっ」

 

「見た見た、なにアレ、ありえないよね」

 

「女とは思えんガサツさやなぁ」

 

お嬢様は、身だしなみも気にせんでええって?

 

ちょっと顔がいいからって、勘違いしてるのかな

 

あーゆう格好なら目立つからやない?

 

そうやって親父の選挙の手助けでもしとるんか

 

だとしてもダサすぎ(笑)

 

 

 

 

サヤちんの顔が強張っている。どうやらアレは俺に向かっての言葉らしいが、別に俺自身は全く気にならない。だが、どこに向かって話しているのでもない大きな声はまだ続いた

 

 

それにしても、男受け狙うなら、やり方間違ってるよね

 

髪ボサボサで、天然女子みたいな?

 

正直キモいよね

 

 

テシがいきり立って立ち上がる。大きな音を立てて椅子が倒れ、クラスがしんと静かになる。

 

やがて、3人組の中の男が口を開く

 

「なんだよ?なんか文句ある?」

 

「っ!…お前らなぁ!」

 

「別に俺らはただ話してただけや、誰の名前も出しとらんけど?」

 

「くっ!さっきからいい加減に!」

 

テシが3人組のところに行こうとした時、俺は立ち上がってそんなテシを引き止めた。さっきからぼうっとしていたが、この喧嘩は俺が原因のようだ。だったら、俺が止めないといけない

 

「あのさ、もういいから、やめようよ…」

 

俺は、心底申し訳なさそうに言う。正直、喧嘩とかその内容もどうでもいいのだけど、俺が目立ってしまうのはとても良くない。目立てば目立つだけ、正体がバレる確率が高まるからだ。だから、ここは穏便に…

 

俺の言葉に、テシは一瞬悲しそうな顔をして、溜息をつく。

 

「なんや…今日は変やと思っとったけど、やっぱりいつもの三葉やなぁ…」

 

そして、黙って席に座ってしまった。それと同時に、クラスの冷えついた空気が元に戻る

 

俺は首を傾げながらも、席に座る。いつものってことは、この女の特徴を真似るには、申し訳なさそうに控えめでいればいいのだろうか?

 

そんなことを考えていると、肩をチョンチョンと叩かれる。横を見ると、サヤちんが不安そうな目でこちらを見ていた。

 

「大丈夫?三葉」

 

「大丈夫って?何が」

 

「…ううん、何でもない。こんなんじゃ、ストレスも溜まるよね…」

 

サヤちんは、下を向いて俯いてしまう。おそらく、さっきの3人組のことを言っているだろう。

 

「あー、私は、大丈夫だよ?」

 

俺は、また、苦笑いを浮かべながら答える。さっきから苦笑いしかしていない気がする。けれど仕方がない、こんな状態で心の底から笑うのは無理がある。

 

俺の言葉を聞いたサヤちんは、さっきのテシのように悲しそうに笑うと、手元に筆箱のような何を用意する

 

「じゃあ三葉、まずはそのボサボサの髪から、何とかするでね」

 

手渡された鏡を覗き込む。そこには、不機嫌そうな顔の寝癖女が写っていた。俺はまた、大きな溜息をついた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カッカッカッと黒板が音を立てて、文字が書きつけられる

 

 

丑三つ時

 

 

「はい、皆さん、丑三つ時、この言葉を知っていますか?」

 

綺麗なお姉さん風の先生が、澄んだ声で、そう言う。その言葉に、何人かの生徒が手をあげる

 

「たしかー、夜中の2時のことやろ?」

 

「うんうん、ほとんど正解です。昔の時間の数え方は、24時間を干支で表していました。だから、1つの干支で2時間刻みです。そして、丑の刻は午前1時から3時の間を指しています。それをさらに4当分すると、丑の3つ目の時は2時から2時半までのこととなりますね」

 

先生は、時計の形に絵を描いて、そこに干支の文字を重ねていく。すると、確かに、丑の3つ目が午前2時と重なった

 

「前にテレビで言ってたで、丑三つ時は、お化けが一番出やすいんやって」

 

「ふふっ、それも、昔からの言い伝えが残ってるせいね。丑三つ時は昔から、死後の世界である常世へ繋がる時刻と言われていました。だから、お化けと出会いやすいなんて言われているのでしょうね。実は、そんな時間が、もう一つあるのだけれど、誰か…」

 

先生がみんなを見回す

 

俺はさっきから机に肘をついて窓の外を眺めながら、この夢について考えていた。そろそろ覚めてもいいと思っていた夢は、一向に覚める気配がない。もしかしたら、このまま永遠に覚めないのでは、なんてことを考えて、少しだけ寒気がした。

 

「…さん!次、宮水さん!」

 

誰かが先生に呼ばれているけど、別にどうでもいいことだ。俺は今、考えるのに忙しいんだ

 

「ちょ、ちょっと三葉!呼ばれとるよ!」

 

「へっ!?」

 

グイと肩を掴まれ、俺は振り返った。みんながこちらを見ていて、先生も困った顔でこちらを見つめている

 

そうだ…俺は今、宮水三葉なんだった

 

俺は立ち上がると、思っていたことをそのまま口に出した

 

「す、すいません、自分の名前、忘れちゃってて…」

 

あ、やばい…また変なこと言っちまった…

 

 

そう思ったときには、クラス中が爆笑の渦に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前やっぱおかしいわ!なんや、狐にでも憑かれとるんか?」

 

「いや、至って普通なんだけど…」

 

「ほんとか?熱でもあるんとちゃうか?」

 

「妹にも言われたけど、ないって」

 

そう答えて、俺はバナナジュースをすすった。ほんとはコーヒーを買おうと思ったのに、テシが勝手に買って、俺に放り投げてきたのだ。

 

テシいわく、今日は調子悪そうやから奢ったる。どうせいつのもやろ?

 

ということで、この女がいつもバナナジュースを飲んでいるのが知れた。割とどうでもいい情報だが…

 

「でも、ほんと、今日の三葉は変やわ。自分の机もロッカーも分からんし、なんかちょっと不機嫌やし…」

 

「いや、別に不機嫌ってわけでは…」

 

俺は頭の後ろをかきながら答える。なるべく顔には出さないようにしていたのだが、どうやら不機嫌なことがバレていたようだ。

 

俺達は昼休みになってから、校庭の隅にでだべっていた。ここは、使わなくなった机や椅子が置いてあるから、休むにはちょうどいい

 

「三葉、なんか悩みがあるんやったら、聞くよ?」

 

「あー、何年の付き合いやと思っとるんや、たまには弱音、吐いてもいいんちゃうか?」

 

2人は、心配そうな顔でこちらを見つめる。そんな2人を見返して、俺は思う。この女、結構いい友達、いるんじゃないかと

 

「いや、本当に大丈夫だよ。きっと明日になったら元に戻るからさ。今日はほら、朝も言ったけど、ちょっと体調が悪くてさ…」

 

「本当に?そうならええんやけど…」

 

「んー、やっぱり狐憑きか…」

 

「あんたはまたそうやってなんでもオカルトにして!」

 

「だってなぁ…」

 

「三葉はストレス溜まっとるんやよ。ねぇ三葉」

 

「え?あ、あぁ、まぁそんなとこかも…」

 

「ほんと、この町におったら、私やってストレス溜まるわ…」

 

「お前らなぁ…」

 

テシが何か言いかけた時、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。それを合図に、校庭にいた生徒達が次々に、校舎に入っていく

 

何か言いかけていたテシは、代わりに大きな溜息をつくと、立ち上がる。

 

空では、ぴーひょろろーっと茶化すようにトンビが鳴いていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあな三葉!ちゃんとおばあちゃんにお祓いしてもらえやー!」

 

「またね三葉!」

 

夕方、俺は手を振る2人に軽く手を上げて返すと、家への道を歩き出した。夕焼けに染まる湖の景色は朝見た景色とはまた少し違うが、変わらずに美しかった。

 

俺は途中で立ち止まると、道路の端で1人、その景色を見つめていた。太陽の光が大きな湖に反射して、まるで世界がオレンジに染まってしまったんじゃないかと思うくらいに、綺麗な色だった。

 

東京に住んでいたときには絶対に見れない光景に、俺の目は奪われてしまった。

 

やがて、夕焼けも終わり、目に映る景色も暗くなっていく。この町は全方位が山に囲まれていることから、日照時間が短いようだ。だから、学校が終わってすぐだというのに、もう暗くなっていく。

 

 

昼でも、夜でもない時間

 

 

そんな時間には、名前があるらしい。

 

 

今日の授業で、先生が詳しくは明日やると言っていた

 

 

 

それは

 

 

 

たしか…

 

 

 

 

「黄昏時…だったっけ?」

 

 

 

俺は、暗くなった空の下で、1人呟く

 

 

やがて、朝歩いてきた道を必死に思い出しながら、帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁーーー……」

 

部屋の襖を開けると、俺は疲れから一気に座り込んで、溜息をつく。本当に疲れた。知らない女のフリをすることがこんなに疲れるなんて、知らなかった。

 

「ほんと、変な夢だな…」

 

倒れ込んで、天井を見上げる。知らない天井だ。

 

そういえば、よくSF物の小説とかであるよな。目が覚めたら、知らない天井だったってやつ。まさか、自分が本当にそんな状況になるとは思わなかった。

 

でもまぁ、この1日はなんとかやり遂げることができた。知らない町、知らない家族、知らない友人、そんな中で、我ながらよくやったと思う。

 

 

俺は起き上がると、姿見の前に無造作に放り投げてあるパジャマを手に取る。ふと鏡を見ると、そこには、疲れを隠しきれていないそれなりに可愛い少女が写っていた。

 

試しにもう一度ほっぺをつねってみる。鏡の中の女はわずかに顔を顰める。朝とおんなじだ、やはり、夢は覚めない

 

 

「お前、誰なんだよ…」

 

 

俺は、鏡の中の女に問いかける。もちろん、返答はない

 

 

 

この夢はなんなんだ

 

 

 

一体なんの意味がある?

 

 

 

これは、本当に夢か?

 

 

俺は手に取ったパジャマをもう一度放り投げると、学校のカバンをあさる。中から適当にノートを取り出すと、一番新しいページにマジックでデカデカと文字を書いた

 

 

 

 

お前は誰だ

 

 

 

 

イライラをぶつけるかのように、大きく文字を書く。こんだけ大きく書けば、見落としはしないだろう。もし、仮にこれが夢じゃなくて、現実のことだったら、戻ったときにこの女はこの文字に気づくだろう。

 

 

 

戻ったとき…

 

 

 

そういえば…

 

 

 

俺は大事なことを忘れていた

 

 

 

もしこれが夢じゃなかったとして、この女はどこに行った?

 

 

いや、正確には、この女の中身だ。この身体の中には、俺が入っている。じゃあ、この女の中身は?もしかして、俺の身体の中に?

 

 

俺はゾッとした。もしかしたら…これは…

 

 

 

 

 

そこで、俺はぶんぶんと頭を振る。いや、そんなことはありえない。そんな都合のいい話があるはずがない。

 

 

 

中身が入れ替わる、なんて、それこそSFじゃあるまいし…

 

 

 

俺はまた、溜息をつくと、今度こそパジャマに着替える。そして、畳まずに放置していた布団に潜り込み、知らない天井を見上げる。

 

窓からはすーすーと冷たい風が入ってきて、とても心地よい。俺は襲いくる睡魔に身を任せて、目を閉じた

 

 

きっと目が覚めたら、俺の知ってる天井があるはずだ

 

 

まぁ、でも

 

 

 

こんな夢もたまには

 

 

 

 

悪くないかな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の意識は、まどろみの中に沈んでいった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けると、俺が知っている天井があった。

 

 

「あれ?」

 

 

どうやら、昔のことを思い出してるうちにまた眠ってしまったようだ。

 

横を見ると、相変わらず愛しい2人がすやすやと眠っている

 

俺はクスクスと笑い、2人を撫でる。すると、三葉がゆっくりとその目を開けた。

 

「瀧君?おはよ…」

 

微笑みながら言う三葉に、俺も笑いかける

 

「おはよう三葉」

 

「ふふっ、この子、よく寝とるね」

 

「お前もぐっすりだったぞ?」

 

「あー、瀧君たら、人の寝顔かってに覗かんでよ…」

 

「可愛いんだから、しょうがないだろ?」

 

「もう…許す」

 

「許すのかよ」

 

俺達はお互いに笑い合う。その声で、間に挟まっていた五葉が起きてしまった

 

「うーん…お母さん、お父さん、おはよ…」

 

「おはよう五葉」

 

「おはよ、よく寝れたか?」

 

「うん…でも、まだ眠いぃ…」

 

「まったく、五葉はお母さんに似たんだなぁ」

 

「ちょっと瀧君…どうゆうこと」

 

「こうゆうこと」

 

 

 

俺は2人を抱きしめる

 

 

 

「ひゃ…瀧君…どうしたん?」

 

「お父さん…苦しいんよ…」

 

 

困惑した顔を浮かべる2人に俺は笑いかける

 

 

 

「俺、すげー幸せだよ。お前達と一緒にいれる、この瞬間が、嬉しくてさ」

 

その言葉で、腕の中の2人は顔を見合わせる。そして、微笑んだ

 

「私もやよ、瀧君」

 

「私も、お父さんが大好きやよ」

 

 

3人で、笑い合う

 

 

 

あの日、俺が君になった日

 

 

 

 

 

 

 

それは、始まりの日

 

 

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺と君との、運命の日だった

 




投稿が遅れました。君の名は。何度見ても飽きませんね。もう何回観て、読んだかわからないです笑

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