JR中央線はいつも混んでいる。特に帰宅ラッシュのこの時間は凄まじいものだ
「降ります!すいません!」
俺は四ツ谷の駅で降りると駆け出した。まるで朝と同じだ。
午前中やらかしまくった俺は、そのツケが仕事の最後に回ってきて約束の7時半ギリギリになってしまった。改札を駆け抜けて、宮水さんを探す。駅の時計は7時半を少しだけ過ぎていた。
さらりと揺れる黒髪に、赤い髪飾り。人だかりの中にまるで浮かび上がるように俺の目を捉えて離さないそれは、くるりと振り返った。
「「あっ」」
目が合って、2人して息を飲む。今朝方ぶりに会った宮水さんは、やっぱり綺麗で…可愛かった。
「ごめんなさい!仕事が長引いてしまって…待ちましたか?」
「ううん、そんなに待ってないですよ、遅れるって連絡もくれたし、そんなに謝らないでください。それよりも!カフェ、連れてってくれるんですよね?」
「えぇ!それじゃあ!行きましょうか!」
微笑みながらそう言う宮水さんの言葉をありがたく受け取って、カフェまでの道を歩き出す。思わず、宮水さんの手を取りそうになり、慌てて引っ込める。
気のせいだろうか、宮水さんは少し残念そうな顔をしていた
「わぁー、すごい、お洒落なお店…」
「そうですよね、内装がすごく凝ってて俺もお気に入りの店なんですよ、気に入りました?」
「とっても!あっ、このパンケーキ、すごく美味しそう…」
メニューを見ながら宮水さんは目を輝かせている。きっとパンケーキが好きなんだろう
「なんでも頼んでくださいね、今日は俺の奢りですから」
「え、ほんとに悪いですよ!それに、立花君、歳下ですよね?ここは歳上が奢らないと!」
宮水さんはそう言って胸を張る。いちいち仕草が可愛くて、俺は目をそらしてしまう。反則だろ…
「俺は22歳です。あの、宮水さん、これからは敬語じゃなくて大丈夫ですよ?…」
「私は25歳だよ、3歳年下なんだね。それじゃ、敬語はやめよっか。実を言うと、なんだか敬語に違和感ありまくりやったんやよ、立花君も、敬語じゃなくて大丈夫やよ」
そこまで言って、宮水さんはハッと口元を抑える
「あっ、ごめんね今、ちょっと訛りが出ちゃった…」
「あ!じゃあお言葉に甘えて俺も敬語はやめますけど…実は俺も敬語に違和感があって、普段はこんなこと思わないんだけどさ。あと、訛りとか全然気にならないよ。むしろその…自然体の方がいいって言うか、上手く言えないんだけど、えと、俺は、嫌いじゃないですよ?」
俺の言葉を聞いた宮水さんはふふふっと笑って俺を見つめる。
「な、なんすか…」
「瀧君、敬語になっとるよ」
「あっ、やべ!ごめん!緊張して…あの、今、瀧君て…」
「その、ええよね?瀧君って呼んでも…こっちの方が呼びやすくて、しっくりくるって言うか…私もなんだか上手く言えへんかも…瀧君?」
宮水さんは心配した顔で俺を覗き込んだ。どうしたんだろうか?
「瀧君…なんで泣いてるん?」
「え?あれ?」
頰に手を当てると、たしかに涙が流れていた。こんなにも楽しくて、嬉しい時間なのに、何故涙が出るのだろうか
「ご、ごめん、なんでだろ」
慌てて手で拭っても、崩壊したダムみたいに、次から次へと涙が溢れでてくる。
宮水さんがそっとハンカチを渡してくれて、ありがたく俺はそれを受け取った。
「ありがとう…」
「ううん、私もよくあったから、悲しくないのに、いつのまにか泣いてること…」
「俺も、あった…いつからだか、忘れてしまったけど…宮水さん、俺も、宮水さんのこと、三葉って呼んでも…いいかな?」
「えっ、ええよ!」
そう言った三葉の目からは、涙が溢れ出ていた。
「私たち、朝から泣いてばっかりやね」
三葉に自分のハンカチを渡して、2人で涙を拭きながら、俺たちはたわいもない会話に花を咲かせる。
「でも、三葉と会ったときも、今も、すごく楽しいのに、なんで涙が出てくるんだろう?」
「嬉し泣きってやつやね」
「それはちょっと、自意識過剰だな」
「あっ瀧君酷い!」
頰を膨らませた三葉は、そのまま笑い出す。俺もそれにつられて、2人で笑いあった。
幸せな時間、今まで生きてきて、これほどまでに充実した時間はあっただろうか
「なんだか、瀧君とは初めて会った気がしないんよ。自然体で話せるっていうか、昔から知ってたみたいな、そんな感じがする」
「俺も、そんな感じ、三葉とは昔からの知り合いみたいな…でも、思い出せないんだ…」
「…瀧君、でも私、きっと、何かを思い出せる。瀧君といると、そんな感じがする」
「そうだな、三葉…これからもよろしくな」
「…瀧君、それは告白じゃないよね?」
「なっ!ち、ちげーよ!、まだ!」
「まだ?」
「三葉!お前俺をからかってるだろ!?」
「なんのことかわかりませーん」
「この…」
「ふふふっ」
そしてまた、2人で笑い合う、まるで昔からの親友が再会したような、そんな雰囲気が2人の間には流れていた。きっと誰も、この2人が今日初めて出会ったなんてことは思わないだろう。
「三葉は、どこの出身なんだ?」
注文したパンケーキを食べ終え、一息ついたとき、俺は何気なしにそう聞いた。ただ単純に、三葉の訛りからどこか地方の出身だってことは分かったが、詳しい地名まではさすがにわからなかった。
「……実は、私、糸守の出身なんよ」
さっきまでコロコロと笑っていた三葉の顔に、影がさした。
「糸守…あっ!あの、彗星の!…ごめん…」
「ううん、ええんよ、町は無くなっちゃったけど、被害にあった人は誰もいなかったから…」
「確か、その日偶然避難訓練が行われってニュースでは言ってたけど…」
「私、その日のことってほとんど覚えてないんよ。忙しかったからか、ショックだったからか、今でもわからないんやけど」
「…実は俺、一時期糸守に凄い興味を持っていたことがあって、高校生のときに糸守まで行ってるんだ」
「そうなん!?糸守まで?」
「ただ、興味を持った理由も、糸守に行った理由も、今では思い出せない…」
「なんなんやろうね…やっぱり私たちは、どこかで会ってたのかな…」
「わからない、でも一つ言えるのは、今日、三葉に会えて良かった、俺の中の、空白っていうか、すっぽりと抜け落ちてしまった何かが、埋まった気がした。きっと、俺が探していたのは、三葉なんじゃないか。今は、そう思ってる」
「私も、瀧君に会えて良かった。こんな気持ちになったのは初めてやし、私も、瀧君のことを、探してたのかな?」
頰を赤らめてそう聞く三葉は、どうしようもないくらい可愛くて、ここが公共の場でなかったら、俺は三葉を抱きしめていたかもしれない。
「なぁ三葉、今度、糸守に連れて行ってくれないか?もしかしたら、糸守に行けば何かわかるかもしれない」
「ええけど、今の糸守は、なんもないよ?」
「いいんだ、それでも。家に、俺が糸守に興味を持ってた頃、描いた糸守の風景画があるんだ、それを見ながら、糸守を回ってみたいんだ」
「そうなんだ…糸守の風景画…ねぇ瀧君、その絵、今日見に行ってもええ?」
「いいけど、え?今日?」
「お邪魔します…」
「誰もいないから、そんなに緊張しなくていいよ、父さんは出張中だし」
今考えると、軽い気持ちで言ってしまったが、私は今、初めて男の人の家に上がっている。緊張するなと言われても無理がある。
それなりに綺麗に整理された家で、ところどころダンボールに物が詰め込まれている。男の2人暮らしと言われても全く違和感のない家だ。
私は瀧君に案内されて部屋に入る。
壁のいたるところに建物や内装のデッサンなどが貼り付けてある。
「絵、上手いんやね」
「そうでもないよ、これはただのデッサンだし」
そう言いながら、瀧君は1つのスケッチブックを取り出す。
「これが、俺が高校生のときに描いてた糸守の絵だよ」
瀧君が見せてくれた絵を見て、私は目を見開いた。
そこには、私が知っている、あの懐かしい糸守があった。
「すごい…すごいよ瀧君…とっても懐かしい…」
「そうかな?ほら、他にもあるんだ」
瀧君から渡された絵を見ていくと、そのどれもが糸守の、彗星が落ちる前の私の故郷を忠実に再現していた
そして、ある一枚の絵で私の目は驚愕に変わった
「こ、これ!…瀧君…なんで!」
「どうした?」
「この部屋の絵…これは…私の部屋…糸守に住んでいたときの…」
「えっ…」
「間違いない…この鏡、この箪笥、間違いなく私の部屋だよ…瀧君、どうして私の部屋を知ってるの?」
瀧君は、何かを思い出そうとしているのか、目を瞑るけど、やがて諦めたかのようにこちらを見る
「だめだ、やっぱり何も、思い出せない、きっと何か、俺たちを結びつけていた何かがあったんだと思う。けど、どうしても思い出せないんだ…」
「そっか…私も、何か思い出せそうで、思い出せない…どうして…」
「やっぱり、今度糸守に行こう、俺たちの答えが、そこにあるかもしれない」
「…うん!私も、そんな気がしてきた!」
「よし、じゃあ、日程はまた今度話そうか。で、三葉、時間は大丈夫なのか?もう9時になるけど」
時計を見ると、時計の針はすでに9時を回ろうとしていた。でも…もう少しだけ、あと少しだけでいいから、瀧君と、一緒にいたいな…
「うーん、じゃあもう少ししたら帰るね」
だから、あと少しだけ
「そっか、紅茶かコーヒー淹れるけど、どっちがいい?」
「紅茶!!」
「だよな、甘党だもんな。じゃあちょっと待っててくれ」
瀧君は部屋を出て行ったけど、私、甘い物が好きなんて瀧君に言ったっけ?
私は瀧君のベッドの上に座ると、少しだけ横になってみる。
瀧君の匂いがする
なんだか、体の底から幸せだな
瀧君に出会って、仲良くなって
神様がいたとしたら、きっと感謝しちゃうな
しばらくすると、リビングから紅茶の甘い香りがしてきた
とってもいい気持ち
初めて会った男の人にこんな気持ちになるなんて、これが、恋、なんだろうな
「まじか…よ」
部屋に戻ると三葉が俺のベッドで寝ていた。何度も揺すって起こそうとしたのだが、一向に起きる気配はない。
極めつけに、俺が離れようとすると
「たきくぅーん…」
と言って、服の裾を握りしめてきた。
俺は今、頭の中で理性と欲望との全面戦争を繰り広げている。
この状況で、手を出すななんて言う人間がいるか?
待て待て、三葉とはすぐに仲良くなったが、出会ったのは今日だぞ
落ち着け立花瀧
「はぁ〜〜」
俺は一際大きなため息をつくと、三葉の手を服の裾から離し、床に寝そべった。
ベッドの上を見ると、三葉が満面の笑みで寝返りを打った
「ったく、無防備なやつめ」
俺は笑いながら、襲ってくる眠気の中に意識を手放した