逆行のサシャ   作:木棒徳明

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第六話 覚悟の先

 撤退の鐘はとうに鳴り終えた。住民の避難が完了した合図だ。

 兵士たちは喜々としてこの物騒なトロスト区から抜け出していく。わざわざここに残りたい者はいないだろう。巨人の蔓延るこの場所は、長くいればいるほど食われる可能性が高くなる。

 そんな中で、残っている兵士もいた。だが彼らは逃げないのではい、逃げられないのだ。トロスト区から抜け出すには、門を使えない関係上、当然壁を越える必要がある。だがそうするには壁まで巨人を避けて行き、登って行かねばならない。そのためには立体機動装置が必要だ。だがその肝心の立体機動装置はガスがなければ単なる重りと化す。彼らのそれはもう残り少なく、壁を上るだけの余裕はなかった。

 訓練兵たちは巨人を避けて動き、自然と同じ場所に集まっていた。前衛の駐屯兵は死に、後衛の駐屯兵はさっさと逃げた。中衛を担当していて、ガスをふかしすぎ、運が悪くガスを手に入れられなかった、そんな訓練兵の集まりだった。みんな絶望に顔を染めている。

 サシャも座り込んでいる。しかしそれは絶望してのことではない。死ぬことはほとんど確定しているが、諦めて死のうとはしていない。座っているのは単純に疲れたからだ。恐怖で体が強ばらないように気力を振り絞り、巨人に食われないように必死に避けてここまで来たからだ。

 サシャはまた気力を振り絞り立ち上がると、アルミンへ近づく。

 記憶が正しければ、そろそろミカサが来てもいいはずだが、いっこうに来ない。彼女がみんなを先導し、残り少ないガスで本部へと突っ込むはずだった。だが来ないとなると、みんなここで死ぬかもしれない。

 サシャはため息を吐く。エレンが死んだ弊害がこんなところにまであるとは。

 

「アルミン。ミカサはどこですか」

「……後衛に引き抜かれた。後は知らない」

 

 座り込んでいるアルミンは顔も上げずに言った。この様子では班員は全滅だろう。その中にはミーナも含まれていたはずだ。未来はこんなにも変わりやすいのに、どうしてこんなところばかり同じなのだろうとサシャは思った。

 悪いことばかりでなく、良いことも起きてほしかった。自分に何ができるのかサシャは分からなかったが、やりたいことがあった。

 しかしここにきて順調に事が運ばない。この現状ではやりたいことはできない。せっかくの覚悟が無駄になりそうだった。

 サシャは本部に行きたかった。でなければあいつに会えない。

 だがこのままサシャ一人で本部へ行くことは不可能だ。かといってミカサの代わりに皆を奮い立たせて本部へ急がせるだけのことができるかも疑問だった。

 サシャは考える。自分に今できることは何だ。どうするのが正解だ。何をすべきだ。

 思案しながら、何かないものかと、サシャは周りを見渡した。

 あいかわらず知能は感じないが、人を食う本能だけは働いているようで、巨人たちはサシャがいる建物の辺りを徘徊している。

 狙っているのは巨人から逃れてきた大勢の訓練兵。これだけ人が集まると巨人も寄ってくるのだ。それでも動かないで済んでいるのは、寄ってきている巨人が比較的小さく、屋根に手が届きそうにないからだ。十五メートル級が来たならいざ知らず、その程度の巨人は無視していた。

 しかし比較的小さいとはいえ巨人。危険なことには変わりない。寒気を覚える光景だった。なるべく見ていたくなかった。

 しかしサシャの視線はある一体の巨人に吸い寄せられた。

 

「あれは……」

 

 忘れもしない、あの巨人だ。四メートル級、大きな目に、固く口を閉ざした顔。

 思わぬ再開に、喜ぶのも変だが妙な高揚感があった。

 サシャは一度あの巨人に屈した。巨人の恐怖を最初に叩き込まれた。ブレードを投げ出して逃げた。そこをミカサに助けてもらった。サシャにとっては因縁の相手だ。

 あいつを倒さないで、進むことはできない。あいつと戦い勝つこと。それがサシャのやりたいことだった。

 本来ならこんなところにいるはずはない。だが、未来はほんの少しのことで大きく変わる。残酷な世界であるが、戦うことは許してくれるようだ。

 成功するかは分からない。無残に死ぬかもしれない。だが覚悟は無駄にならなかった。今こそ、反撃の嚆矢だ。

 

「お、おい!」

 

 コニーが驚愕の声を上げた。静かに項垂れていた者たちは思わず顔を上げた。この状況での人の叫びは巨人の出現を意味しているからだ。

 屋根に手が届く巨人が近づいてきたのかとあたりを警戒するが、それらしき影はなかった。コニーの視線の先は下を向いている。何かあるのかと、訓練兵たちも屋根の端に近づき覗き込んだ。そこには目を疑う状況があった。

 

「サシャ!」

「信じらんねえ。バカだと思ってたがここまでバカだったのか!?」

 

 サシャが屋根を下り地面に立っていた。屋根から同期たちに好き勝手に言われるサシャだが、それも仕方ないだろう。ガスが残り少ない中でわざわざ巨人と戦うのもどうかしてるのに、その上、強襲するわけでもなく一体の巨人の真正面に棒立ちしている。これでは食われに行ったようなものだ。

 巨人はサシャに気づくと、その巨体を近づけていく。

 

「何考えてんだあいつ……」

「分からん。あのデカさの巨人になら勝てるとふんだのか?」

「おーい! 戻って来い!」

 

 心配する同期の声を全て無視する。

 サシャは目の前の巨人にだけ集中していた。四メートルは小さいほうとはいえ、巨人は巨人だ。サシャの何倍の体積があるだろうか、近づくにつれ、その巨体と重量感に圧倒される。

 屋根の上からでは味わえない圧迫感がサシャを襲った。サシャは膝が崩れないように必死だった。音を鳴らそうとする歯をくいしばる。

 

「危ねえ!」

 

 サシャは巨人の初動を予想していた。それは見事に当たった。巨人は大口を開けて、その巨大な顔面から突っ込んできた。この攻撃をサシャは一度避けたことがある。今回も同じように右側に飛ぶことで回避した。

 前はここでミカサが助けてくれた。しかし今回はサシャ一人の戦いだ。サシャはすばやく立ち上がると、巨人のほうへ走り出す。巨人はサシャに躱されてうつ伏せの状態から、もう起き上がりかけていた。うなじを削ごうとするが、あと一歩届かず、肩下あたりを切りつけただけだった。

 掴みかかられないように、すばやく身を引いた。

 

「来ないでください!」

 

 サシャは屋根に向かって叫ぶ。そこには心配した同期がサシャを助け出そうと、ブレードを手に隙を伺っているところだった。気持ちはありがたかったが、邪魔されては困る。サシャは自分の手でこの巨人を倒したかった。

 

「今すぐ戻れ!」

「できません!」

「せめて立体機動装置を使え!」

「嫌です!」

 

 立体機動を使えば勝てる確率はぐっと高まるだろう。だが、これはあの日の再現だ。立体機動を使っては意味がないのだ。ブレードだけで戦ってこそ意味があった。巨人を倒し終わって屋根を上るときのために、立体機動装置は一応装着しているが、今は機能させていない。

 サシャは巨人を見据えて考える。立体機動を使わないとなると、どうすればうなじを削げるか。地面からは単純に届かないし、まさか背中をよじ登らせてはくれないだろう。巨人が自ら寝そべってくれることもない。先程の好機はかなり大きなものだったのに、逃してしまった。

 サシャは思い出す。あの時は、高いところから飛び降りて、うなじを狙った。

 サシャは近くの建物に走った。幸い鍵はかかっていない。サシャは真っ直ぐこちらに向かってくる巨人を一瞥すると、建物の中に入る。中の構造をサシャは知らなかったが、そう大きな建物ではない。すぐに階段を見つけると、一気に上まで駆け上った。

 一室の窓から外を見ると、ちょうどすぐそこに巨人の頭頂部が見えた。サシャは一瞬躊躇し、少し後ろに下がったが、すぐ覚悟を決めそこから助走をつけて窓から飛び出した。

 巨人が都合よく後ろを向いていてくれるはずもない。真正面からサシャをじっと見ていた巨人は、巨大な手でサシャを掴み取ろうとしていた。ブレードを叩きつけ、なんとか回避するサシャ。頭の上に落ちたかったが、巨人が上を向いている関係上、ほとんど顔面に落ちてしまった。

 急いで髪の毛をひっつかみ、うなじの方へ移動しようと肩に片足をかけた。しかしもう片足にとんでもない痛みが走った。

 

「ああ!」

 

 屋上にいた訓練兵は息を呑む。サシャの片足は食われていた。

 サシャは自分の左足の潰れていく感覚がよく分かった。どっと脂汗が出て拭う暇もない。このままでは掴まれて、全身を口の中へと入れられるだろう。そうなれば死んだも同然だ。それだけは避けねばならない。

 サシャは左手のブレードを食われた左足のまだ繋がっている部分に持っていく。そして自らの骨身に刃を突き立てた。利き手でないこともあってか、一度では削れず、何度も往復するように断ち切った。

 サシャはほとんど気合いだけで動いていた。執念とでも呼ぼうか、獣のように小さく唸りながら、痛みを堪え、右半身だけで巨人の肩からうなじへと回り込んだ。

 落下しながら両ブレードで巨人のうなじを削ぐ。そして逆さまのまま地面に激突した。

 

「サシャ!」

 

 立体機動を使い下りてきたのはコニーとアルミンだった。二人が地面に着くと同時に、巨人もその巨体を倒し蒸気を上げはじめた。サシャは倒せたことを確認すると、もう体に力が入らなかった。立つことはもちろん、ブレードを握ることすらできず、前のめりに倒れ込む。それを二人が支えた。

 コニーとアルミンに抱えられ、サシャは屋根へと避難できた。

 落下した衝撃からか、右腕はおかしな方向に傾き、何より左足があった場所は血の川を作り続けている。この出血量は平時ですら助かるかあやしい。意識はあるようだが、目の焦点が定まっていない。

 戻ってきたサシャの惨状に同期の誰もが青ざめていた。

 

「バカが! なんか勝算でもあんのかと思ったらこんなことになりやがって! なんで立体機動装置を使わなかったんだよ!」

 

 サシャにはコニーがまるで水面を通して話しているように聞こえた。だが水の中にいるのはコニーではなくサシャのようだ。くぐもって聞きにくい声に何とか返事を返そうとしたが、息が詰まって上手く声が出せない。息をしているだけでも苦しかった。まるで酸素を求めるかのように、浅い息づかいを繰り返しているのをサシャは自覚できた。

 だがこんなに苦しいのに、このまま眠れてしまいそうだった。不思議な感覚だった。

 

「はは……」

「笑ってんじゃねえよ!」

「私……巨人に……屈してません……勝てました……ちゃんと……」

「そんなこと聞いてねえだろ。しっかりしろ!」

 

 サシャは朦朧とする意識の中にいた。返事ともつかない言葉をぶつぶつと呟いている。

 コニーは聞こえているのかも分からないサシャに必死に呼びかけ続けた。

 しかしここにいる誰もが分かっていた。サシャはもう虫の息だ。じきに死んでしまうだろう。

 コニーもそれが分かっている。その頬には多量の涙がとめどなく流れていた。

 

「戦わないと……」

「ならここじゃなくてもよかっただろ! なんでだよ、あんな巨人一体に、無駄死にじゃねえか……」

「無駄死にじゃない」

 

 アルミンが力強く言った。コニーはアルミンを仰ぎ見る。握りしめた拳は小さく震え、死にかけのサシャを見る目には涙と決意にあふれていた。

 

「サシャは僕達に教えてくれた。巨人に屈しちゃいけないことを、諦めちゃいけないことを」

「でもよお……」

「それにあの巨人はミーナを食った。サシャはその仇を打ち、立派に戦った!」

 

 サシャは薄れていく意識の中で、アルミンのその言葉だけはしっかりと聞き取れた。

 あの巨人はサシャの因縁の敵というだけでなく、ミーナを食った巨人でもあった。サシャは意図しなかったが、ミーナの仇をとれたことになる。

 サシャの口角がわずかに上がる。

 

「さあ行こう。僕達は進まなくちゃいけない!」

 

 それが最後に聞こえた言葉だった。人はこんなにも穏やかに死ねるのだと、サシャは思った。


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