逆行のサシャ   作:木棒徳明

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第八話 対面の先

 飛び起きたサシャの勢いにミーナは身を反らせた。

 

「ベルトルトはどこですか」

「へ? ベルトルト?」

 

 勢いとは裏腹に冷静な声だった。だが開口一番のその質問にミーナは困惑する。サシャは寝起きとは思えないほど毅然とした態度でミーナを見ていた。ベッドに入っている関係上、目線はミーナが上のはずだが、見下ろされているような圧迫感さえあった。

 だがミーナは質問に答えられない。ベルトルトの動向など知っているわけもなかった。仲が悪いわけではなかったが、異性であるし、高身長で成績上位者だが目立つ人間ではない。むしろなぜ急にベルトルトが出てきたのかという興味が、ミーナの中で困惑より勝ってきた。

 

「ベルトルトに用事?」

「そうですね……」

 

 サシャは回想の中のベルトルトを静かに睨んでいた。解決の難しい大きな問題を捉えるように。

 

「うーん、誰かに聞けば分かるんじゃないかな。とりあえず今は固定砲整備に行かない?」

 

 固定砲整備に行けば確かにベルトルトに会えると、サシャは皮肉げに口元をゆがめた。ただし正確にはベルトルトではなく超大型巨人だ。

 そこまで考えて、サシャはかぶりを振った。

 サシャは彼が開閉門上部の壁の扉を開けて出てきたところを確かに見た。だが彼が超大型巨人に成るところを直接見たわけではない。超大型巨人に呼びかけたときも特に返事はなかった。

 だから確証はないはずだ。サシャの勘違いかもしれない。可能性は低いだろうが、サシャはそれに縋りたかった。今の時点でベルトルトが超大型巨人だと確定したくなかった。

 サシャとしては、会わずに済むならそれが一番よかった。真実を知るのが怖かった。自分の同期が、仲間が、ついさっき自分を握り殺したと思いたくなかった。

 けれど無視するわけにはいかない。確認しなければならない。そのために会わなければいけない。

 

「行きましょう……」

 

 サシャは固定砲まで行くことにした。考えてみれば簡単だ。外門の内側あたりで待っていればベルトルトに会えることに気づいたのだ。

 サシャはすばやく準備を終えると、ミーナと一緒に壁を目指した。

 トロスト区は賑わいを見せている。道の脇には屋台が並び、人が行き交っていた。最前線の街ではあるが、五年の平和でずいぶん活気づいていた。客を呼び込むハツラツとした声に、つられる兵団服がチラホラと見える。サシャはその度にベルトルトではないかと確かめていた。彼は地味だが、ある意味目立つのですぐ分かるはずだ。

 

「あ、アニ。おはよう」

「どうも」

 

 ミーナが声をかけたのはアニだった。

 サシャは前々回、ミーナと壁に行ったとき、途中でアニと鉢合わせたことを思い出した。その時はエレンを助けられるかという心配と、超大型巨人に会わなくてはならないという恐怖心で頭がいっぱいで、アニと特に会話することはなかった。アニも一言か二言、ミーナと言葉を交わすと、さっさとサシャの向かう先とは逆の方向に歩いて行ってしまったはずだ。

 食糧庫に行く等の寄り道をせずに、ミーナと一緒に壁まで歩くと、この場所で遭遇するのだろう。それが今回も起きたのだ。しかし変化もあった。

 

「ねえ、ベルトルトがどこにいるか知らない?」

 

 サシャは未来の変化に半ば関心さえした。前はこんな会話をしなかった。意図せず未来は変化する。サシャが思わずベルトルトのことを聞いてしまったが故に、ミーナが善意で動いたのだろう。

 

「食堂だけど。何で」

 

 そのまま通り過ぎようとしていたアニが足を止めて言った。その言葉にサシャは目を丸くした。答えてくれるとは思わなかったし、答えられるとも思っていなかった。

 質問したミーナでさえそうだった。ベルトルトのことは一応程度に聞いてみただけで、何か掴めると期待したわけではない。無愛想なアニのことだ。せいぜい、さあ知らないね、とだけ言われて終わり。あとは普通に別れることになるだろうと思っていた。

 

「へえ、食堂にいるんだ。アニってベルトルトと仲良かったっけ?」

「別に……たしか食堂にデカいのが見えたなって思っただけ」

 

 アニは明らかに言わなければよかったと思っているだろう。目線を逸らして面倒そうにしていた。ミーナはそのアニの反応を見慣れているのか、特に気にする素振りは見せない。

 ともかくベルトルトの居場所が分かったのはいいことだろうと、ミーナは純粋な喜びをサシャに向けた。

 

「よかったねサシャ。どうする? 今から行く? 整備には遅れちゃうかもだけど、大事な用事なんでしょ」

「行くことにします。みんなに言っておいてください」

 

 ミーナは了承し、班員に伝えておくと約束した。サシャは踵を返して食堂へと歩き始める。

 ベルトルトと会うだけなら、壁の下で待ち伏せしていればいいが、なるべく人目に付くような場所で会うのは避けたかった。それにベルトルトと開閉門という組み合わせは、否が応にも疑いの気持ちを強くさせてしまう。別の場所で会えるならそれに越したことはなかった。

 ふと隣を見るとアニが並んで歩いていた。背の低さ故に頭頂部がよく見える。しかし鋭い目つきで下から覗いていたので、サシャは急いで前を向いた。

 

「ねえ、あんたがベルトルトに何の用があるの」

「少し話があるだけです」

「話ね。今から食堂に行くから、連絡とかなら代わりに伝えとくけど」

 

 まさかベルトルトが超大型巨人かを代わりに確かめてもらうわけにはいかない。

 こんな時に限って、アニは珍しく優しかった。アニはどちらかといえば孤立気味だ。サシャとは話さないわけではないが、特別仲がいいわけでもなかった。わざわざ手伝おうとしてくれる姿をサシャは意外に思う。

 

「ありがとうございます。でも直接言わなきゃいけないことなんで」

「そう……でもまだ食堂にいるとは限らないと思うけど。後にすれば?」

「後じゃだめなんです。いなければ探します」

 

 屋台が並ぶ通りを抜けていく。おいしそうな臭いにサシャのお腹が小さく音を立てた。

 そういえばアニはどうして食堂に行くのだろうか。朝にしても昼にしても、食べるには微妙な時間だ。

 

「アニは何しに食堂へ?」

「別に……」

 

 アニは話す気がないようだった。サシャは小首を傾げた。単に無口なのか、隠しごとをしているのかよく分からない。しかし深入りする必要もないだろうと、サシャは話題を変えていく。

 どこの兵団に行くのか、好きな食べ物は何か、そんな取り留めのない話が続いた。

 アニは憲兵団に行くことに決めていた。それは記憶通りで特に驚くこともなかった。

 そして好きな食べ物は特にないと答えた。サシャは信じられないと驚く。

 

「肉は? 芋は? パンは!?」

「それは全部あんたでしょ。それより私はあんたが調査兵団に入るっていうのが意外。内地に行けばどうとかって言ってなかった」

「たしかに内地なら美味しいものがいっぱいありますね。でも外に行けばお肉がいっぱい取れますよ」

「なるほどね……」

 

 サシャはいつの間にかアニとの会話を楽しんでいた。言葉自体はぶっきらぼうだが、けして嫌ではなかった。憲兵団に行ってしまうアニとは、会う機会が少なくなる。もっと仲良くしておけば良かったと思った。

 ベルトルトと会うことが余計に憂鬱になってくる。こんな穏やかな時間を過ごせるのはあと少しだ。なるべく話していたかった。

 

「それに私は戦うことにしたんです。生きるために」

「逆に死ぬと思うけど」

「逃げたらそのうち死にます。でも戦って敵を倒せば安心して暮らせます」

「そう……」

「故郷がウォール・ローゼにあるんです。もし壁が突破されたら、お父さんが死んでしまいます。だから私は戦って、巨人に怯えないでいい故郷で、家族と平和に暮らしたいんです」

 

 穏やかな時間は終わりを迎え、いつの間にか食堂に到着していた。こんな時間ではあるが人はいて、コップを片手に談笑しているものは多い。その中にベルトルトの姿もあった。ライナーと一緒にいる。

 二人はサシャとアニに気づくと席を立って近づいてきた。サシャはそれに合わせて強張っていく体を解そうと、むやみに肩を回して、アニに怪訝な顔を向けられた。

 眼前に立ち止った二人を見て、やはり大きいとサシャは思った。だがそれぞれ特徴があって、ライナーは大柄に見えるのに対し、ベルトルトは長いという印象を与えた。隣の小柄なアニと比べると、ますますその感じは強くなった。

 サシャが二人を観察するのと同じく、ライナーも二人を観察していた。

 

「よう。二人仲良く珍しいな。どうした」

 

 話しかけてもいないのに、どうして用事があると分かったのだろう。サシャは疑問だったが気の重さに追及もできず黙っていた。

 ベルトルトを見やると、会話のすべてをライナーに任せているのか、そのでかい図体を突っ立てているだけだ。この二人はよく一緒にいる。ライナーはこの男のことをどれほど知っているいるのだろう。あるいはすべて知っていて黙っているのかもしれない。

 サシャはこれ以上人を疑うことを避けたくて、考えを振り払った。とにかく今はベルトルトだ。

 

「ライナー、ベルトルトを貸してもらえませんか」

 

 ベルトルトのことなのにライナーから許可をもらうというのは奇妙な感じがした。だが同時にそれが自然にも感じた。二人も特に気にしていないようだ。

 ライナーは顎に手をやり困った顔を浮かべた。断りの雰囲気を感じたがサシャは引く気がなかった。

 

「これから少しやることがあってな、後でじゃだめか?」

「ダメです」

 

 サシャは即答した。これは後でやれる類のものではない。この気がかりな状態を維持したままは嫌だったし、何よりこれから起こる地獄のせいで、後で口を開ける保証すらないのだ。

 ライナーは四角い顔にしわをよせ、目の前のサシャをどう説得しようか迷っていた。

 

「大丈夫です。少し話すだけですから」

「うーん、なら少しだけだぞ。いいか、ベルトルト?」

「う、うん」

「来てください」

 

 許可はとれたし遠慮することはないだろうと、サシャはベルトルトを食堂から連れ出した。向かう先は建物の裏手である。

 到着するとサシャはここで正解だったと確信した。人っ子一人おらず、遠くから人の賑わいがうっすらと聞こえるばかりの静かなところであり、他聞がまずい話にはうってつけだった。

 もし教官に、どうしてそんな場所を知っているのかと聞かれれば、狩りにおいて場所の把握は重要だとしか答えられないだろう。

 辺りを確認するサシャに、ベルトルトは遠慮がちに声をかけた。

 

「それで、話って?」

 

 向き合うサシャだが、ここに来て言葉に詰まった。使命感でベルトルトに近づいていたが、具体的に何をどうしようという考えはさらさらなかった。

 ただ確認をしなくてはという気はしていたが、どう言ったものかも分からない。もしかして超大型巨人なんですかと直球で聞くこともできず、迷った挙句に出たのは取り留めのない普通の話題だった。

 

「ベルトルトはどの兵団に行くんですか」

 

 仰々しくこんな場所まで連れてきておいて、いたって平凡な面白味もない話を始めたサシャを、ベルトルトは怪訝な顔で見ていた。

 

「憲兵団だけど……」

「へえ。理由を聞いてもいいですか?」

「やっぱり内地での安定した暮らしがほしいからね」

 

 多くの兵士にとってそれは本音だろう。公の場では、ジャンでもなければ、人類のためだの住民が安心して暮らしていけるようにしたいだの建前を述べる。けれど憲兵団を目指す本当の理由は誰もが分かりきっていた。内地でのいい暮らし。それはみんなにとっての本音だった。

 けれどサシャには、ベルトルトの言葉が本音ではなく建前に聞こえてしまった。いよいよベルトルトが怪しく見えて、サシャはかぶりを振る。

 

「ベルトルトは……みんなのことをどう思ってますか。仲間だと思ってます?」

「え? もちろんだよ。みんな仲間だと思ってる」

「誰かを憎んでるとかないですか?」

「な、ないよ。どうしてそんなこと聞くんだ?」

「では人が死んだら悲しいって思いますか?」

「ちょ、ちょっと待ってくれよサシャ!」

 

 無表情のまま淡々と話すサシャに、ベルトルトは尋問を受けているような気分になっていた。

 これ以上はたまらないと思ったのか、要領の得ない質問を続けるサシャをベルトルトは慌てて止めた。

 

「いったいどうしたんだ? 結局何が聞きたいんだ」

「すいません……」

 

 サシャは頭を下げた。矢継ぎ早に質問をしてしまった原因をサシャは自分で分析できていた。怖いのだ、結局。直球で質問して、是と答えられるのが怖かった。だから遠回しにベルトルトが真っ当な人間であることを確認していた。

 伏目で落ち込むサシャはどこか疲れて哀れに見えた。ベルトルトは普段のサシャとは違う暗い雰囲気にたじろぐ。だが両者とも黙ったままでは、この空気は変えられないと思ったのだろう。頭をかくと、ばつが悪そうに言った。

 

「僕は……これは驕りだし、恥ずかしいけど……告白でもされるのかと思ったよ」

 

 サシャは思わぬ言葉に目を丸くした。

 

「告白、ですか」

 

 解散式の翌日に異性から人目のつかない場所に呼び出されれば、そう捉えることもできるだろう。普段はバカと呼ばれるか、芋女扱いなので、そういう対象として見られるという経験がなく、サシャはこそばゆい気持ちになった。

 無論サシャに告白のつもりなど毛頭ない。

 

「すいません、勘違いさせてしまいました」

「いや、いいんだけど。でも、これじゃあ僕がフラれたみたいだね」

「あはは」

 

 やわらかくなった空気に、サシャは一抹の憂いを覚えた。こうして見ると、どうしたって普通の同期との会話だ。このまま別れて、何事もなく見過ごしてしまいたかった。けれどそうするわけにはいかなかった。

 覚悟を決めたように小さく深呼吸を始めるサシャ。ベルトルトはそれを見て、やっと本題に入るのかと構える。

 サシャは吸った空気をぶつけるように言った。

 

「どうして壁を破壊するんですか」

 

 言葉が真っ直ぐベルトルトに突き刺さった。瞬間、吹雪にでも当たったかのように身を凍りつかせた。サシャの視線に捕らえられ、目をそらすこともできない。

 一瞬なのか、長い時間なのかも分からず、二人は静止した空間で見つめあい動かなかった。

 サシャはその反応を見て、彼の正体を確信した。

 

「あなたが超大型巨人なんですね。ベルトルト」

「な、な、なんで……」

「そして今日、トロスト区の門を破壊する。五年前、シガンシナ区を襲ったように……」

 

 ベルトルトは目玉が落ちそうなほど目を見開く。足がガクガクと震えだした。サシャは見ていられなかった。

 

「ど、どこまで知ってるんだ? 知ってるのはサシャだけか? どうやって? なんで?」

「それは言えません。でも知ってるのはたぶん私だけです」

 

 この結果は半ば予想していたこととはいえ、やりきれない気持ちでいっぱいだった。

 サシャはどうすればいいのか分からない。ただ口から出てくるのは矢継ぎ早な質問だけだった。

 

「ああ……どうしてですかベルトルト。なぜここまで人類を追い詰めるんですか。あなたの目的は何なんですか。あなたがシガンシナ区で……ぐあっ!」

 

 腹部から背骨まで届いた衝撃に、サシャの息が一瞬止まった。何が起きたのか分からず目を白黒させていると、気づけば体をくの字にして倒れていた。

 サシャはそこから見上げたベルトルトに超大型巨人の影を見た。かつて見たときはもっと巨大だったが、その殺意の色は同じだった。

 

「がえぇっ」

 

 ベルトルトがサシャに馬乗りになった。サシャは振り解くことも、起き上がることもできない。

 ベルトルトの体重を乗せた手はサシャの気道を強く締め上げた。遠のく意識を振り絞って、サシャは拳を入れようとするが、ベルトルトの真っ直ぐに伸ばした腕に少し当たる程度で、顔にすら届かない。手の甲に爪をたてるが、その程度で離してはくれなかった。

 

「お、おいベルトルト! お前何して……!」

 

 声をかけられたことに顔面蒼白となってベルトルトは振り返った。しかしその相手を認めるとほっと息をついた。様子を見に来たライナーだった。

 サシャは声も上げられないまま、助けを求めるように手を向けたが、ライナーは啞然として二人を見ているだけだった。

 

「正体がバレた!」

「何だと!?」

「どこから漏れたかわからない。でも生かしちゃおけない。ライナー、腕を押さえててくれ!」

「くそ!」

 

 サシャは目を見開く。

 超大型巨人がベルトルトだということすら辛いのに、ライナーまで敵だった。その証拠に、二人は協力してサシャを殺している。サシャはその事実がとてつもなく悲しかった。

 動けない。声も上げられない。意識は遠のき、死んでいくのがわかる。

 声にできない叫びを上げながら、見開いた目は涙で濡れていた。

 やがて意識は暗闇に沈んだ。


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