【完結】ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~ 作:からんBit
俺は走っていた。小さな手足をバタつかせ大事な人の名を叫びながら、走っていた。
それはいつぞやの記憶。偽りの記録。
ネルガルにいじられた後でそうたいした記憶は残っていないのに、それでも浮かんでくるものがある。
俺が産まれ、物心がつき、共に遊び、叱られ、笑い、泣いた記憶。
それが闇の奥から蘇ってくる。
「・・・・ああ・・・そっか・・・夢か・・・」
耳から近い場所で今の自分がそう呟いた。その声が自分の意識を覚醒へと近づける。
俺はこの暗闇から逃れるために、瞼に力を込めて目を開いた。
そこには一人の少女が立っていた。
「リン・・・ディス?」
彼女が大きく目を見開く。
ふと、周囲を見渡すと、仲間の面々が俺を覗き込んでいた。
ハングは背中を木に預けた状態で地面に座り込んでいた。
ハングはやけに重たい左手を自分の眼の前に持ってくる。
そして、手を握ったり開いたりを繰り返す。
自分の意志で自分の思うままに体が動いていた。
「俺は・・・・死に損ねた・・・のか・・・」
ハングは生きていた。
胸の中心を抉られたにも関わらず、ハングはまだ生きていた。
次の瞬間、ハングの右頬に拳が突き刺さった。
殴られた勢いのままに体が地面に倒れ伏す。露のついた下草に身体が濡れ、酷く冷え込んだ。
だが、ハングの全身はどうしようもない倦怠感に包まれており、起き上がる体力すら残っていない。
意識が遠のきかけたハングであったが、その頬の焼けるような痛みがハングに生を実感させていた。
「・・・・・・」
無言で胸倉をつかまれ、体を起こされた。
再び木にもたれかかるような姿勢に戻されたハング。
そこにもう一度拳が刺さった。
ハングは一発目がエリウッド、二発目がヘクトルのものだったと予想する。
二発目の拳骨の重さが桁違いだった。
奥歯が折れたような気がしたが、口の中は既に血まみれであったので特に気にはしなかった。
ハングは再び地面に倒れ、胸倉をもう一度つかまれて起こされた。
ハングはせり上がってきた血反吐の塊を胃の中に押し戻す。
目の前にエリウッドがいた。
青筋を立て、目を血走らせ、顔を真っ赤にしたエリウッドがハングを殺意の視線で睨みつけていた。
「ハング・・・僕は君が生きていてくれたことが大変うれしい・・・」
『そういう顔じゃねぇな』
ハングはそんな感想を抱いたが言葉にはしなかった。
「二晩だ!二晩もの間!杖を使える人達が総動員で君の胸に空いた穴に祈りを捧げてふさぎ切り。人間の体重にも匹敵するかもしれない程の血を小便のように垂れ流し続けた君が生きていることはまさに奇跡だ!」
エリウッドにしては下品な例えが飛び出した。
余程頭に来ているらしい。
「この奇跡に対して僕は神に感謝を捧げたい気持ちだよ!今すぐ教会をここにおったてて!君の磔をそこに飾って!君の足元で一週間でも一か月でも祈りを捧げてやる!!」
ハングもこうなるであろうことは予想していた。
一つ計算違いがあるとすれば、生きて彼の説教を聞くことができたことであろう。
「だがね!僕はそんなことよりも!・・・今すぐに!・・・ここで!・・・この場で!君の顔面が凹むぐらいに殴りつけて!死なない程度に切り刻んで!手足の二、三本は父の墓前に供えないと気が済まない!!」
怒りなど遥か昔に通り越し、殺意の波すらとっくに過ぎ去り、エリウッドの中ではハングは既に憎しみの対象にまでなりつつあった。
「でも・・・今は・・・さっきの一発で勘弁しておく・・・・本当に君を一寸毎に刻んでやりたい人が他にいるからだ・・・」
ハングはエリウッドに乱暴に樹に叩きつけられた。
その拍子に先程飲み込んだ血反吐を吐き出す。誰もそれを拭きとろうとはしてくれなかった。
「あとは・・・彼女に任す・・・」
エリウッドはそう言ってハングに背を向けた。
ヘクトルがハングの足元に唾を吐きかけて去っていく。
それを見て、エルクがハングを睨みつけてどこかへと歩き去っていき、セーラが我慢しきれずに杖でハングを横殴りにし、プリシラも冷たい目を向けてきた。
ルセアがハングの膝を蹴り、カナスが握りこぶしを震わせてマントを翻した。
パントとルイーズだけはハングにほんの少しの慈悲の心を見せてくれたが、何か声をかけてくれることは無かった。
そして、ハングはリンディスとその場に残された。
しばし、沈黙が訪れる。
その沈黙に耐えられなくなったわけではないが、ハングは自分から口を開いた。
「生死の境から・・・生還したってのにな・・・・もう少しいたわってくれねぇかな」
そんなことを言える立場ではないことは重々承知していたが、ハングは思いつくままに口を開く。
「これでも・・・結構・・・身体が重くてさ・・・」
ハングの軽口にリンディスは反応を見せない。
俯いたリンディスの表情は霧の薄明りの中ではよく見えない。
「なぁ・・・水でも・・・」
抜刀の音がした。
ハングが背を預けていた木がハングの頭の上で切断されていた。
「・・・黙って」
ハングは黙りはしなかった。
「ごめん・・・」
「・・・黙って」
「ごめん・・・」
「・・・黙って」
「ごめん・・・」
「黙って!!」
再び剣が振られる。
その剣はハングの左腕の鱗を何枚か割って止まった。
「私に・・・・あなたを殺させないで・・・」
リンディスが剣を持ったまま、ハングの前に膝をつく。
ハングとリンディスの視線の高さが合う。
「・・・本当に・・・殺したいんだから・・・」
「わかってるよ。だから、ごめん」
「許さない・・・絶対に・・・許さない」
リンディスの手から剣が滑り落ちた。
彼女の体がハングの胸元に落ちてきた。
握りこぶしが軽くハングの肩を叩き、彼女の額が胸板に強くぶつけられる。
額と拳で自分の身体を支えた彼女。わずかに離れた彼女との距離がハングの胸に縋る気はないという気持ちの表れだった。
「一人で・・・何してるのよ・・・」
震える彼女の声。ハングはそんなリンディスの頭にそっと手を添えた。
振り払われ、強く胸を叩かれる。
「なんで一人で行っちゃったのよ!!」
霧の中、樹海の端、湿りきった下草の上に彼女の涙が零れ落ちた。
「どうして・・・どうして・・・立ち向うなら!ハングが立ち向えたんだったら!私達を頼ってよ!私達を使ってよ!!なのにどうして、一人で行ったの!!」
ハングは自分の選択を振り返る。
間違ったことをしたことはわかっているが、やはりそこに後悔はなかった。
「ハングが・・・真っ白になって・・・それでも・・・帰ってくると・・・いつか帰ってくると・・・それまでずっと待っていようと・・・お婆ちゃんになっても・・・ずっと・・・ずっと・・・待っていようと・・・なのに・・・ハングは・・・勝手に・・・勝手な言葉を残して・・・行っちゃって・・・なにやってるのよ!!」
リンディスの言葉を受け、ハングは目を瞑る。
少しの間沈黙が訪れる。
そして、リンディスは静かな声で言った。
「ハング・・・あなた・・・死のうとしてたでしょ」
それに対して、ハングもまた静かな声で返事をする。
「・・・ああ・・・」
「バカぁぁ!!」
ハングの胸に頭突きを繰り出すリンディス。
ハングは再びリンディスの頭に手を置いた。振り払われることはなかった。
「どうして・・・どうしてよ・・・」
「俺は【モルフ】だからだよ」
「そんなの!そんなの関係ないじゃない!だってハングは・・・ハングは・・・ハングじゃない!!」
その言葉はとても嬉しかったが、ハングは寂しそうに微笑んだだけだった。
「俺は【モルフ】だ・・・ネルガルの手駒なんだよ・・・俺が操られたらどうする?俺が変な指揮をしてお前らを全滅に導いたら?罠に飛び込ませたら?」
ハングは自分のことが一番信用できなかった。
再び自分がこの軍を指揮することが一番怖かった。
仲間達が危険に晒される可能性を排除するためには、ハングはここにいることはできなかった。
「俺は自分が信じられなかった・・・証拠が欲しかった・・・ネルガルに立ち向かうことができる証拠が欲しかったんだ・・・」
だからこそ、ハングはネルガルの懐に飛び込んだ。
自分が本当にネルガルと戦うことができるのか。
そんなことを軍を率いている立場で確かめられるはずがない。
これは、ハングが一人でネルガルの前に立たなければならないことだった。
「あわよくば・・・相討ちぐらい狙ってたんだけどな」
「ばかぁぁぁ!!」
彼女の額が再びハングの胸板に叩きつけられた。
「そんなの!そんなの身勝手よ!!」
「・・・身勝手だよな・・・でも・・・俺はさ・・・そうでもしねぇと・・・お前らの傍にいちゃいけないんだ・・・俺は・・・【モルフ】だから・・・いつ寝返ってしまうのか・・・俺にもわかんないから」
リンディスから返事はなかった。
「でも・・・ほら・・・【モルフ】って死ねば塵になるだろ・・・このまま、お前らの知らない場所で消えられれば・・・お前らに希望が残る。『ハングはきっとどこかで生きてるんじゃないか』ってな・・・」
「・・・そんなの・・・そんなの・・・」
ハングの身体をリンディスの拳が打ち付ける。
「それじゃあ・・・私は・・・残された私はどうすればいいのよっ!!」
ハングは疲れたように笑い、リンディスの頭を撫で続けた。
「忘れちまえ・・・何もかも・・・忘れて・・・思い出にしちまえ・・・」
人は時間の中で色々なことを忘れられる。辛いことも、悲しいことも、いつかは掠れて見えなくなる。そうして、時間が全てを癒してくれる。
「『ハングの奴、今頃どうしてるかな?』なんて考えながら・・・新しい恋でもして・・・幸せな結婚して・・・家族を作って・・・」
リンディスからの返事はない。
「お前なら・・・いい男がすぐにみつかるさ・・・ウチの軍なら・・・ケントは・・・もう相手がいるか・・・ラスとかどうだ?同じサカの民だし・・・あいつなら・・・」
再びリンディスの剣が振られた。
剣はハングの左腕の鱗を切り裂き、肉をわずかに断った。
「それ以上言ったら・・・この腕切り落とす・・・」
脅しではなく、警告であった。
ハングは力無く笑う。
「俺は・・・【モルフ】なんだよ・・・どこまで行ってもな・・・」
「なによそれ・・・」
リンディスの額から受ける圧力が増していく。
「だからなんなのよ!!それでハングが私達と過ごしてきた時間がなくなるの!?私と交わした約束になんの変わりがあるの!?私達にとって・・・私にとって・・・ハングは・・・この世界で・・・あなた一人しかいないのよ!!それなのに・・それなのに・・・」
言葉にならない想いが嗚咽と涙となってあふれ出てくる。
「勝手よ・・・本当に・・・勝手よ・・・」
ハングは死ぬつもりだった。
死ぬ方がいいと思っていた。
ネルガルの前に立ち、奴に立ち向かうことができずに寝返るぐらいなら、立ち向かった末に死んだ方がいいと思っていた。それならばハングは【モルフ】ではなく、この世界に生きた【ハング】として死ねる。
それに、例え自分が死んでもエリウッド達ならネルガルを打ち破れるという自信があった。
酷いことをしたと思う。信頼を裏切ってしまったと思う。
間違ったことをしたんだと思う。
帰ってくる資格など無いのだと思う。
だから、こうして彼女に触れることができるのは本当に奇跡なのだろう。
ハングは一度手放してしまった宝物を抱えるように、彼女の頭を胸元に抱き寄せた。
それが合図であったかのように、彼女の身体から力が抜け、ハングの腕の中にリンディスが収まる。
「もうこんなことしないで・・・お願いだから・・・もう・・・嫌よ・・・一人は・・・嫌なのよ・・・私を・・・独りにしないでよぉ・・・」
子供のように泣く彼女。ハングはその答えを示すように腕に力を込める。
「・・・俺って・・・ほんとに勝手だよな・・・」
「そうよ・・・」
「じゃあ・・・俺なんか見限って・・・」
「・・・斬るわよ・・・」
「・・・ごめん・・・」
「許さない・・・絶対に許さない・・・」
「・・・ごめん」
「許さないんだから・・・・許さないんだからぁ・・・」
そして、リンディスはハングの胸に顔を押し付ける。
ハングの胸に零れ落ちてくるのは彼女の涙。
泣かせてしまったことに痛む心が自分を『人間』であると錯覚させる。
「生きてて・・・良かった・・・ハング・・・また会えて・・・本当に・・・本当に・・・」
「ああ・・・俺も・・・本当に・・・また会えるなんて・・・」
ハングは一際強く彼女を抱きしめる。
彼女の存在を確かめ、輪郭を焼きつけるかのように強く、強く抱きしめる。
彼女を想う気持ちが自分を『人間』なのだと実感させる。
ハングの目から一滴の涙が零れ落ちた。
目頭の熱さと、頬を伝う涙の冷たさ。
これがきっと『生きることの喜び』なのだと思う。
「おかえり・・・ハング・・」
「ああ・・・ただいま・・・」
ハングの『左腕の付け根にある心臓』が強く拍動を繰り返していた。