【完結】ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~   作:からんBit

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エピローグ~軍師と剣士~

キアランの相続問題が解決して、もう一週間になる。ニニアンとニルスはリキアを周ると言って旅立ち、ルセアもなんだか慌てた様子で旅立って行った。

その間にもハングを初めとする文官たちが寝る間も惜しんで働いたおかげで、キアランは落ち着きを取り戻していた。

 

そんなキアランで明け方から城内を歩く公女の姿があった。

 

彼女が向かう先はハングの居室である。

 

教えられた部屋の目の前で、リンは少しだけ戸を叩くのを躊躇する仕草を見せた。

 

この城内に共に暮らしているとはいえ、ハングはやけに忙しく走りまわっていた。四日ほど前にエルクとセーラの見送りで顔を合わせて以来、彼と一度も言葉を交わしていなかった。

 

それだから緊張するというのも変な話だった。ハングとは旅の間ずっと共にいたのだ。今更、遠慮なんていらない。

 

リンはそう自分に強く言い聞かせて戸を三度叩いた。

 

「・・・?」

 

返事は無い。寝ているのだろうか?

とりあえず、もう一度戸を叩いた。

 

やはり返事は無い。

 

「リンディス様」

「え、あ、レーゼマンさん。おはようございます」

「おはようございます」

 

廊下の先から挨拶をかわしたのはこのキアラン領の宰相であるレーゼマンだった。

 

「ハング殿に御用でしたか?」

「え、ええ。でも、なんだか留守みたいで・・・」

「この時間でしたらハング殿は書庫にいらっしゃるかと思いますよ」

「書庫・・・ですか?」

「ええ」

 

ハングらしい

 

リンはそう思った。

 

「ありがとうございます。行ってみます」

「リンディス様。失礼ながら、ハング殿に言伝を頼んでもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんけど・・・」

「『ハウゼン様に頼んだ書類が戻ってきた』と、それと『もう、大丈夫である』と伝えて下さい」

 

リンは口の中で復唱して、頷いた。

 

「はい、伝えておきます」

「ありがとうございます。では、私はこれで」

 

レーゼマンは軽く会釈をして、去っていった。

 

「書庫は確か・・・東の方だったかしら?」

 

リンは気分を持ち直して足を向けた。

 

キアラン城の書庫はいくつかの小部屋からなっている。各部屋ごとに書物の分類がなされており、それらの小部屋は一本の廊下から続いている。その廊下の入り口には小さな部屋があり、常に武官が常駐していた。

 

「あの・・・」

「これはこれはリンディス様!書庫になにか御用ですか?」

 

今日はモノクルをつけた女性である。立ち振る舞いからして、おそらく魔道士と思われた。

 

「あの、ハング来てます?」

「あぁ・・・ハング殿ですか・・・」

 

モノクルの女性の声音がわずかに硬くなったのをリンは聞き逃さなかった。

それはリンの直感だったが、この女性はハングのことをよく思っていないような気がした。

 

「先程まで中にいましたが、今しがたどこかに行きましたよ」

「そう・・・あの、どこにいるか心当たりは無い?」

「そうですね・・・多分、執務室だと思いますよ。この時間から皆さん仕事に取り掛かりますから」

「ありがとう。それじゃあ・・・」

 

立ち去ろうとした背を向けるリン。その背中に声がかかった。

 

「あの!リンディス様!」

 

リンは後ろを振り返る。

 

「なに?」

「あ、あの。一介の武官が口出しすることでは無いんですが・・・ハング殿は・・・何者なんでしょうか?」

 

彼女の顔にはは明らかな不信の色があった。やはり、リンの直感は正しかったようだ。

 

「ハング殿はリンディス様を助けた軍師だとは聞いています。内政を手伝い、キアランの復興に尽力していることも知っています・・・ですが・・・」

 

女性は言葉を選ぶ時間が欲しくてひと呼吸置いた。

 

「ハング殿は宰相や侯爵に気に入られ、いまや領内での発言権も大きくなっています」

 

そこまで聞いて、リンは彼女の心配の種を悟った。

 

「・・・つまり、あなたは、ハングがこの領地の乗っ取りを企てている。それを危惧しているのね?」

「い、いえ!そ、そこまで明確に疑っているわけでは・・・」

 

言葉を濁そうとするモノクルの女性。

その後、彼女はハングの危険性についてなんとか説明しようと、いくつか言葉を重ねた。

 

 

「ハング殿とて人間です。リンディス様と旅してた時とは状況が違います。権力を手にした人間はすぐに次の権力を求めるものです。今、執務室にてハング殿の指示を仰がずともよい書類まで彼のもとに集まっていると聞きます。それにより、あの人が間違った万能感や独占欲など・・・あ、あの、リンディス様?」

「・・・クフフフ、フフフフ」

 

リンディスは腹を抱えていた。抑えようとしていた笑い声が口から洩れていた。

 

「ふふふ、ふぅ・・・それはあり得ないわよ。ハングはそんなことを望んでない。このキアランに地位を築こうとも思っていない」

 

リンははっきりとそう断言する。

そこにはハングに対する信頼を飛び越えた確信があった。

 

「ど、どうしてそう言い切れるんですか?」

 

リンはまだ少しだけ笑いの余韻を残しながら言った。

 

「ハングがその気なら・・・」

 

リンはこれ以上ここにいる理由はないと思い、モノクルの女性に背を向けた。

 

「キアランはとっくに彼の物になってるわよ」

 

書庫に沈黙が流れる。リンが立ち去る足音だけがやけに大きく響いていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

リンは書庫を後にして執務室に向かった。

 

「ハングが乗っ取りねぇ・・・」

 

リンはまた思い出して少し笑う。

 

ハングと野心

 

これ程に似合わぬ言葉があるだろうか?

ハングと少しでも話をすれば彼が望んでいるものがそんなものでは無いことぐらいすぐにわかる。

 

リンはハングが玉座に踏ん反り返っている姿を思い浮かべてまた笑った。

 

「リンディス様、やけに楽しそうですね」

「あら、セイン」

 

執務室へ続く廊下で旅の仲間に出会った。

 

「なにか良いことでもありましたか?」

「いいことというか、面白い小話を聞いたわ」

 

リンはハングがこの城の政治的乗っ取りを企てているとの話を聞かせた。

 

「はははは、確かにそれは面白い」

「でしょ、私も笑っちゃって」

「それで、リンディス様はどちらに?」

「執務室よ。ハングに会いたくて」

「ハング殿なら先程すれ違いましたよ。訓練がどうとか言って、外に・・・訓練所の方かと思いますけど」

 

リンは足を止めた。そして、足先の方向を変える。

 

「ありがとう、セイン。無駄足を踏まずにすんだわ」

「でしたら、今度お茶でもご一緒に・・・って、ありゃりゃ。もう、いらっしゃらない・・・」

 

セインは「負けたねぇ」と、呟いて自分の向かう先へと足を進めた。

 

対するリン

 

彼女は真っ直ぐに訓練所へと向かっていた。

 

「リンディス様!」

「リンディス様!」

 

敬礼をしてくる兵士達に適当に挨拶を返すのも最近では慣れ初めていた。

その中で見知った顔を求めて、視線を走らせる。だが、あのくたびれたマントと黒い髪を見つけることはできなかった。

 

「リンディス様、今日はどうされました?」

「ケント、ハングが来なかった?」

 

馬から降りたケントに矢継ぎ早にそう尋ねた。

 

「いいえ・・・今日はお会いしておりませんが」

 

リンの口からため息がこぼれた。

 

「もう、どこ行ったのよ・・・」

 

ついでに弱音もこぼれた。

 

「ハング殿をお探しで?」

「ええ、今朝からずっと」

 

城の中をあちこち歩き回り、時刻はそろそろ正午にさしかかる。

 

「先程、ウィルが城壁でシューターの調整に呼ばれてました。ハング殿が関わってる案件だと思いますが・・・」

「場所は?」

「城門付近の城壁です」

「ありがとう!」

 

リンは駆け足で訓練所を後にした。

 

「さぁ、いつまで惚けている!まだ訓練は残っているぞ!」

 

背後からはケントの空気を割くような強い声が聞こえて来ていた。

 

その後、彼女は城壁に向かったのだが・・・

 

「惜しい!さっきまでここにいたんですけどね。少し寝るっていってたんで居室じゃないですかね?」

 

 

 

「ハング殿でしたら、資料室への入室許可が降りたのでそちらへ」

 

 

 

「手元に必要なものが揃ったので、仕事に向かいました」

 

 

 

「侯爵様にお会いするとのことです」

 

 

もうため息も出なくなりかけて、リンはハウゼンの寝室の戸を三度叩いた。

 

「お入り」

 

寝室の中に入るとそこには寝台の上で資料を読んでいるハウゼンが一人いるだけであった。

 

「おじいさま・・・ハングを知りませんか?」

 

ハウゼンはリンの顔を見て、少し微笑んだ。

 

「リンディス、少し落ち着きなさい。今しがたお茶が入ったんだ、飲んでいくかい?」

 

リンは無言で頷いた。肉体的にはそうでもないが、精神的にもうへとへとだった。

リンはハウゼンの寝台の隣の椅子に座り、一息ついた。

 

「さぁ、リンディス。お飲み」

「ありがとうございます」

 

リンは差し出された紅茶を啜る。

 

喉にくる熱と、程よい苦さが心地よい。香りが心を刺激して、舌にくる仄かな甘みが演出を心得ていた。だが、それ以上に今まで味わったことの無い不思議な味がした。それは、なんだか様々な果物が混ざったかのような味だった。

いくつかのハーブを使っているのだろうが、リンにはその配合まではわからない。

 

ただ、嫌いではない味であった。

 

「いいお茶だろう?やはり、お茶は入れた人の心を映してくれる」

「おじいさま・・・これは?」

 

ハウゼンはそっとカップを置いて、悪戯好きの子供のように微笑んだ。

 

「リンディス、この紅茶をどう感じたかね?」

「え・・・えと・・・」

 

リンディスは思ったままを口にした。

 

「なんだか・・・掴みどころの無い味です。でも・・・少しだけ・・・私には苦いです」

 

ハウゼンは楽しそうに頷く。

 

「それが誰が淹れたお茶かは・・・わかるね?」

「ハング・・・ですね」

「ご明察だ」

 

ハウゼンはそう言って、自分の口にも紅茶を運ぶ。

 

「あの青年は常に本心を隠している。いや・・・見せないようにしている・・・といったほうがいいかな・・・」

 

『隠す』と『見せない』

 

そこに含まれる微妙な違いはなんだかハングをそのまま言い表しているようだった。

 

「彼は聞けば必ずと言っていいほど答えてくれる。だが、聞かれないことは決して喋らない。必要最低限だけだ。それが、この紅茶にはよく出ているとは思わないかい?」

 

リンは無言で頷き、もう一度味わうように口に紅茶を含んだ。

 

見た目は普通の紅茶。だがその内側には様々な味を隠している。どの種の味とも言い切れず、それでいて少しだけ苦味をもってこちらに問いかけてくる。

そして、それはこちらから近づいて口をつけてみないことにはわからない。

 

「追いかけていく方は苦労するぞ・・・」

「立ち止まってる男なんてつまらないですよ、おじいさま」

 

そうリンが言うと、ハウゼンは喉の奥でクックッと笑った。

 

「紅茶、ご馳走様でした」

「ハングくんはもう身体が空いてるはずだ。どこか、彼が暇つぶしをする場所を当たってみるといい」

「はい、わかりました」

 

そう言って、リンは出ていく。ハウゼンは自分のカップにもう一杯紅茶をついだ。

 

「さて、わしも頑張るか・・・」

 

ハウゼンの口元には無邪気な笑みが浮かんでいた。

 

ハウゼンの寝室を出たリンが向かった先は書庫だった。

 

ハングの自室で寝ていることも考えたが、それなら起こしてしまうのは可哀想だ。

ここに居なければ、今日会うのは諦めようかとも思いながらリンは書庫の廊下に続く部屋へと足を踏み入れた。

 

「おや、リンディス様ですか。書庫に御用ですか?」

 

出迎えてくれたのは今朝のモノクルの女性ではなく、体格のしっかりした中年の男性だった。

 

「あ、あの・・・ハング・・・来てますか?」

「ええ、先程三番書庫に入られましたよ」

 

リンは大きく息を吐き出した。

 

「やっと見つけた・・・」

「お会いになりますか?」

「はい。入ってもいいですか?」

 

そう言うと護衛の男性は思わせぶりに言った。

 

「それは・・・中の人の気分次第です」

 

ついでに、不器用なウィンクまで飛んで来た。

リンは一度息を大きく吸い込んだ。

 

「それなら大丈夫。多分ね・・・」

 

そして、リンは書庫の廊下へと歩いて行った。三番書庫はすぐに見つかった。戸を開けると、すぐにカビ臭い湿った臭いが鼻をついた。

 

「すぅ~・・・すぅ~・・・」

 

そして、部屋の中から規則正しい寝息も聞こえてきた。

リンはそのまま三番書庫に足を踏み入れる。

 

書庫の中でまず目に入ってきたのは三方の壁に備え付けられた天井まで届く本棚であった。その全てに本が詰め込まれており、更に溢れた本が無造作に積まれてあちこちで山を作っていた。

 

そして、その部屋の隅で本を枕に倒れている人がいた。

 

それは今朝から今まで探し続けたその人だった。

 

薄い黒髪にスッと通った顔立ち。くたびれたマントと左腕に巻かれた黄ばんだ包帯。不健康なまでに白い肌はちゃんと食事をしているのか心配になる。

 

そして、今はその瞼に隠れている薄茶色の瞳。

彼が激昂すると黄金色に燃え上がるその瞳。

 

リンはハングの隣にしゃがみこんで寝顔を覗き込んだ。

 

「まったく・・・どんだけ探したと思ってるのよ・・・」

 

彼の貧相な頬に指を突っ込む。その瞬間にハングが目を開けた。

 

「う、お・・・」

 

しまった、と思った時にはもう遅かった。

 

「ふぁ~・・・あぁ・・・くそっ!寝ちまってた」

 

リンはもう少し油断しきった寝顔を見たかった。

 

「ハング」

「ん?」

「おはよう」

 

何を言ってんだ、とハングの顔に浮かぶ。

 

「俺の記憶が正しければ、もうすぐ夕飯の支度に市場が賑わい出す頃のはずだが?」

「こっちはハングを朝から探してたのよ。少しは合せてくれてもいいじゃない」

 

ハングは身体を起こしてあぐらをかく。

 

「それは失礼しました、リンディス公女様」

 

仰々しくお辞儀をしたハングだったが、目が笑っている。

 

「ハングはここで何をしてたの?」

 

ハングはあくびをかみ殺しつつ体を伸ばした。

 

「ここは、リキア諸侯との小競り合いや他国との戦争の記録が残ってる場所だ。キアランのその手の歴史書の貯蔵量はリキア随一」

 

ハングは唸りながら背筋を反らしてつづける。

 

「だが、それも今日で終わりだ。だいたい読み終えた」

「え!?ここにあるの全部?」

「一週間もあったんだぞ、これぐらいたいしたことじゃない」

 

ハングは膝をついて立ち上がり、崩れた本を直しはじめた。

リンもすることもないので、それを手伝っていた。

 

しばし沈黙が続く。その静けさは決して重いものではない。それはただ単に言葉を用いる必要がないからだ。そんな居心地のよい沈黙をハングは少しだけ切り裂いた。

 

「明日、ここを発つ」

「そう・・・」

 

それだけだった。二人の間にはそれだけで良かった。

 

 

 

 

書庫を後にしたリンとハング。廊下を歩く二人は終始穏やかに話をしていた。

 

「そういえば、レーゼマンさんにはお会いした?」

「ああ、伝言も受け取ったよ『もう、大丈夫』ってな。内政もある程度落ち着いたからな。雇われ軍師の出番は終わりだ」

「旅の軍師にまた戻るのね」

「ああ・・・止めないのか?」

「止めて欲しい?」

 

ハングは苦笑して肩をすくめた。

 

「いや、困るだけだな」

「私もハングを困らせたくはないのよ」

「礼を言った方がいいのか?」

 

リンはハングを真似て少し肩をすくめた。

 

「いいえ、困るだけよ」

 

ハングは大口を開けて笑った。

 

「そんで、お前の用件をまだ聞いてなかったな」

「用件?」

「朝から俺を探してたんじゃなかったのか?」

「あ!そう・・・それでね・・・」

 

リンは少し悩む仕草をした後、躊躇いがちにハングの目を見た。

 

「ちょっと付き合って欲しくて。今日の夕方・・・今からになっちゃうんだけど」

「いいぜ、どうせもう仕事も無いしな」

 

ハングがそう言うとリンの顔が一瞬だけ輝いて、また躊躇いがちに戻る。

 

「どうかしたか?」

「ううん、違うの・・・これは、私の問題だから」

 

ハングには意味がよくわからなかった。二人の仲ではあるがまだ以心伝心とはいかないことも多い。

 

「とにかく、一緒に来て。最近、剣の稽古してなかったから付き合って欲しいの」

「私でよろしければ」

 

ハングがそう言うと、リンは少し速足になってハングを案内した。

城から外に出て、普段使われてる訓練所を通り過ぎ、二人が辿り着いたのは井戸からも宿舎からも遠いあまり使われていない訓練所だった。

 

「なぁ、リン。なんでここなんだ?訓練なら向こうの井戸に近い方が・・・」

「いいの」

「でも、むこうは城の明かりも入ってて明るいし」

「いいの・・・」

「向こうの方が・・・」

「いいの!!ここでいいから!さぁ、やりましょう」

 

ハングには暗くて彼女の顔色まではわからない。だが、声の感じからなんだか彼女が照れているような気がした。もちろん、その理由まではハングは窺い知ることができなかった。

 

もし、ここにセインがいたらすぐにタネを明かしてくれただろう。

 

だが、残念ながら彼はいない。

 

ハングは何も知らぬままに剣を構えた。

リンも同じように剣を抜く。

 

闇に乗じてハングが仕掛けた。それが始まりの合図。二人の稽古は空が白むまで続いていた。

 

ここはかつて、ある二人が逢瀬を重ねた場所。

そこに、また新たな二人がその地に跡を残していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

翌日

 

「結局、この時間になっちまったな」

「ハングらしいわね」

 

二人で馬を進めてきたのは小高い丘の上。

日は沈みかけ、あたりを紅に染め上げていた。

 

ハングの出発が遅れたのは単純に今朝方から生じた鍛冶組合とのごたごたのせいだ。朝からその手伝いに奔走し、気が付けばもう夕刻だった。

 

「これからどうするの?」

「もう少しリキアを回るつもりだ」

「たまには顔見せてね」

「さてな、それは保証しかねる」

 

ゆっくりとした歩調だった馬の足を止めて二人は地面に降り立った。

ここから先はハングは徒歩で向かうつもりだった。

 

「・・・草原であなたを助けたときはこんなに長くいっしょに旅するとは思わなかったわ」

「そうだな、俺もこんなにお前に肩入れするとは思わなかった」

 

風が吹いた。どこから夕食の香りを運んでくる。

 

「二人で一人だって言ってくれたけど、私に教えられることはないし・・・」

 

ハングは小さく笑ってリンの額を指で弾いた。

 

「いたっ・・・」

「ばーか、逆だよ」

「逆?」

 

リンは額をさすりながらそう尋ねた。

 

「俺にお前が必要ないんじゃない・・・どちらかといえばお前にはもう俺が必要ないんだろ?」

「そ、そんなことない!」

 

ハングがもう一度額を弾いた。

 

「あいた・・・」

「そうじゃないっての」

 

ハングが笑う。それは今までよく見てきた、ハングの快活な笑みだった。

 

「お前はもともと、『一緒に旅をする道連れ』が欲しかった・・・そうだったよな?」

 

リンが一瞬言葉に詰まった。それを見逃すハングではない。一気に言葉を畳み掛ける。

 

「別にお前が俺のことを無用だと思ってないことぐらいわかってる。でもよ、今のお前にとって俺は本当に一緒にいて欲しい人間じゃないだろ?」

 

ハングは笑みを消して、少しだけ優しげな表情を作った。

 

「大事な家族だ。傍にいてやれよ」

 

その意味するところに気づき、リンは俯いた。

 

「ごめんね・・・」

「なんで謝るんだよ」

「だって、旅に誘ったのは私なのに・・・」

 

更にもう一度額が音をたてた。

 

「いったぁ・・・」

「ったく、お前・・・一人前の剣士になったのか?」

「え?」

「また一緒に旅に出ようぜ・・・俺たちは二人で一人・・・だろ?」

「うん!」

「よし!」

 

ハングがリンから一歩離れた。

 

「最後にお前に餞別だ」

 

ハングがリンにめがけて何かを親指で飛ばした。

 

「わ!っとっと!」

 

リンはそれを落としそうになりながら、両手でつかみ取った。

リンが手を開くと、掌に一枚の鱗が乗っていた。それは翡翠色をした硬くて薄い半透明の鱗だ。リンはそれを夕焼けにかざした。鱗の中に液体が細い筋となって流れ続けていた。

 

「ハング・・・これ・・・」

「ああ、俺の鱗だ。なんかあったらそいつを握りしめな。なんも力なんかもっちゃいないが、そいつは常に温もりがある。それがお前を助けると思うぜ。そいつには俺の血が通ってる。記念品だよ」

 

そして、ハングは皮肉気な笑顔を浮かべた。

 

「ま、いらなかったら捨ててもいいぞ」

 

リンは小さく首を横に振って強くハングを見据えた。

 

「捨てないわ」

「そうか・・・」

「うん、ありがとう」

 

ハングは弾けるような笑顔を見せた。

 

「じゃあな」

 

ハングがリンに背を向ける。

 

「ハング!」

 

その背中にリンが声をかけた。ハングが首だけで振り返る。

 

「また・・・どこかで会えるよね」

「当然だろ」

 

ハングは笑って手を振る。リンもそれに笑って振り返した。

 

ハングは平原を行く。あたりが徐々に夜の闇に飲まれていく。

ハングはリンの姿が夜の闇にのまれて見えなくなったとき一度だけキアランを振り返った。

 

「・・・じゃあな・・・相棒・・・」

 

マントを翻し、闇の中を行くハング。

 

そして、一歩進むごとにその身に纏う雰囲気が徐々に変わっていく。

穏やかだった表情は次第に険しいものに変わる。目元が鋭く細められ、瞳の奥に静かな炎が揺らいでいた。

 

月もなく、風も無い、静かな夜。

 

「ネルガル・・・『黒い牙』・・・」

 

怨嗟のこもった声が闇の中に溶けていく。

 

彼の声を聴く者はいない。彼の歩みを止めるものはいない。

 

 

彼の復讐は今もなお終わってはいない。

 

 




リン編はこれにて終了!
ここまで怒涛のように駆け抜けてきたような気がします。

数多くの感想、評価、お気に入り登録ありがとうございました。

当然、続きます。
エリウッド・ヘクトル編が続きます。

しかし、リアルが忙しくなってきましたので来週は少しお休みをいただくかと思います。そこを乗り越えればまたいつもの更新頻度に戻れる予定ですのでご了承ください。

では、また次回にお会いしましょう。
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