【完結】ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~ 作:からんBit
森に消えそうになるニニアンを追いかけ、エリウッドは走る。
後ろに残してきた仲間のことも気がかりだが、全軍の指揮にはハングがいる。彼なら適切な判断をしてくれるはずだという信頼がハングにはあった。
「ニニアン!」
エリウッドが何度も声をかけるがニニアンは相変わらず森の中をふらふらと進んでいく。
エリウッドも森の中を走るが、慣らされていない地面は予想以上に走りにくい。あちこちに木々の根が突き出し、地面にはあらゆる箇所に大きな岩が転がっている。ここ数日、舗装された道を歩き進んでいただけにその走りにくさの感覚は一段と強く感じた。
だが、それはニニアンも同じのはず。なのに、エリウッドがいくら走っても距離が一向に縮まらない。
彼女の姿は樹海の中をふらふらと漂い続ける。エリウッドはまるで幻覚でも見ているかのような感覚に陥っていた。
「・・・そんな馬鹿な・・・」
ニニアンは何かに導かれるように進んでいく。樹海の中で揺れるニニアンの姿。それはまるで森に潜み旅人を惑わせる妖精のようであった。エリウッドの中に森の奥に誘い込まれているかのような不安が募る。
エリウッドは何度も躓きながらも目の前のことを現実だと信じて走り続けた。
森を進んでいくと、次第にエリウッドの足運びが安定していく。
それは森にエリウッドが慣れたのではなく、足元が慣らされた地面に変わっていたからだった。
しかし、ニニアンを追うのに夢中になっていたエリウッドはそのことに気づかない。
そして、不意にニニアンが森の中で立ち止まった。
エリウッドは急いでそこの駆け寄り、彼女の肩を掴んだ。
「ニニアン!」
だが、彼女の反応は薄い。彼女は何かを真っ直ぐに見つめていた。
エリウッドはニニアンの背中越しに、『それ』を見た。
「・・・・ここは・・・」
エリウッドは息を飲んだ。
そこは樹海の中に突如として現れた陽だまりであった。
その場所には木々が空を覆っておらず、太陽暖かな光が降り注いでいた。
地面には草木が生い茂り、花々が命の息吹を放っていた。静謐な風が吹き抜け、乾いた風を運んでくる。
そこには暖かな命に満ち溢れていた。
エリウッドはふと後ろを振り返った。
そこには暗く湿った樹海が広がっている。
だが、目の前のこの場所はまるで別の世界から切り取ってきたかのような空気に満ち溢れていた。
そして、その中心に石造りの建物が静かに佇んでいた。
森の中に佇む洋館のような建造物。
エリウッドはその建物がこれまでに見てきた遺跡とは根本的に造りが異なっていることに気がついた。
目の前の景色に呆然とするエリウッドの耳にニニアンの鈴を転がしたような声が滑りこんできた。
「・・・わたし・・・ここ・・・知ってる気がします」
「え?」
ちょうどその時、後方からハングの声がした。
「エリウッド!ニニアン!二人とも、こんなところで何を・・・ってなんだこれ?遺跡なのか?」
追いついてきた人達もエリウッドと同じように息を呑む。
それだけ、この場所は異質であった。
「・・・ここ・・・何か・・・懐かしいような・・・そんな気がします」
呟くように語るニニアンに疑問の声をあげたのはヘクトルだった。
「ここをか?【魔の島】の建物に覚えがあるってのも、妙な話だな」
ヘクトルには疑うような響きが含まれていた。
そのヘクトルにエリウッドがこっそりと鋭い視線を送ったのをハングは見逃さなかった。
だが、そんな些細なことは放っておき、ハングは改めてその場所を眺めた。
「妙なのはむしろこの場所だろ・・・なんだよここ」
その場を眺めるハングの目は鋭い。ハングはこの場に満ちる温もりの中に違和感を感じ取っていた。
それと似たような感覚を抱いていたのが、リンだった。
「なにここ・・・これだけ気持ちの良さそうな場所なのに・・・私・・・なんだか・・・嫌・・・ここ、嫌な風が吹いてる」
リンはそう言って、凍えているかのように自分の両腕を摩る。
ハングもまた体の奥底に氷の塊を流し込まれたような怖気を覚えていた。
その理由は明確であった。ハングははこの場所から闇魔法の気配を感じていた。
「けど・・・普通のもんとは違うな・・・これは・・・」
ハングは手近な枝を拾い上げ、その空間の中に放り込む。
投げ込まれた枝は何事もなく、下草の間に落ち、見えなくなった。
周囲に動く気配はなく、敵が潜んでいる可能性はなさそうだった。
「あ・・・・ハング!」
ハングは周囲が呼び止めるのも聞かず、その場所に一歩踏み込んだ。
「これは・・・」
ハングは呆然としたように周囲へと視線を巡らせた。
不思議なことに、この場所の内側はさっきまで感じていた闇魔法の気配が唐突に変化していたのだ。
それは、人を引き摺り込む闇ではなく、暑い夏の日に昼寝の場を与えてくれる大樹の影のような温もりが宿っていた。
「結界・・・なのか?」
ハングはこれほどまでの優しい闇魔法に出会ったことが無かった。
しかも、この結界は一つではないようだった。
ハングは建物に目を向ける。その建物の中心からより強い結界の力が流れ出していた。
ハングは仲間達に手招きして安全を伝える。
真っ先にニニアンが足を踏み入れた。
「あっ・・・」
エリウッドの手を擦り抜けるようにニニアンは草木の中を進んでいく。
その目には今までに無いほどの強い意志が見て取れた。
「おい、いいのかよどうすんだ?随分と道から外れちまったぞ」
ヘクトルが苛立ちを隠さずにそう言った。そのヘクトルにリンが素早く噛み付く。
「もう!無神経ね!ニニアンの記憶が戻るかもしれないんだから少しぐらい待ちなさいよ!!」
先程の屈辱はそうそう消えはしないようだ。だが、ヘクトルにも言い分はある。
「あのな、俺達は一刻を争ってるんだぞ。こうしてる間にもエリウッドの親父さんが・・・」
そんなヘクトルの言葉はエリウッド本人によって遮られた。
「いいんだ、ヘクトル・・・少しだけ様子を見よう」
エリウッドはそう言いながらもその空間に足を踏み入れる。
その言葉が聞こえたのか、ニニアンが申し訳なさそうな顔で振り返った。
「あ・・・ありがとうございます・・・」
「いいんだ、まだ出発する刻限じゃないし」
本当はそろそろ刻限なのだがハングは何も言わず、ニニアンに尋ねた。
「ニニアン、あの建物に何かあるのか?」
「わかりません・・・でも、何故か・・・惹かれるんです・・・とても、惹かれるんです」
ハングはもう一度周囲を見渡した。
「リン、変な奴らはいないと思うけど念の為だ。ニニアンについて行ってくれ」
「わかったわ。行きましょ、ニニアン」
「は、はい・・・」
二人はゆっくりと陽だまりの中を建物に向けて歩いていく。
ハングは後ろから追いついてきた仲間にもここでしばらく休憩を続けることを伝え、雑務をこなしに行った。
「お前は一緒に行かなくてよかったのか?」
周りに人がいなくなり、ヘクトルはエリウッドにそんなことを言ってみた。
「リンディスがついているんだから大丈夫だろう」
「ほうほう・・・」
「ニニアンが惹かれるというのも気にかかるが、無理に女性の過去を詮索するものじゃない」
「ふぅん・・・」
「第一、ここでまた休憩するならハングを手伝った方がいいだろう。僕らには仕事がある」
「なるほどな・・・」
ヘクトルはエリウッドが一言言うたびに大袈裟に頷いてみせた。
「だから俺は『ハングと』一緒に行かなくて良かったのか?って聞いたつもりだったんだがな」
「あ・・・・・・・」
「俺は『ニニアン』なんて一言も言ってねぇし。俺たちは軍の指揮官として仕事をしなきゃないけねぇよな、ってぐらいで聞いたんだが・・・まぁ、お前の気持ちはよくわかったぜ」
ヘクトルはそう言って満面の笑みでエリウッドの背中に張り手を何度も叩きつけた。
一発ごとにエリウッドの肺から空気が飛び出ていくが、ヘクトルは御構い無しだった。
「そんなに気になるのか?ん?」
「不安定な女性を心配するのは普通だろ」
エリウッドは真顔のつもりでそう言った。だが、ヘクトルから見れば表情を隠そうとしてるのが見え見えであり。
「で、今のお前は誰のことを思って言ってる。俺は『気になるのか?』とだけしかきいてねぇんだけどよ」
エリウッドの身体が強張る。わかりやすく動揺してくれた親友にヘクトルは御満悦であった。
「・・・彼女のことを考えていた」
「リンディスとハングの間に入るのは苦労すると思うぞ」
「それは違う!!僕はニニアンの・・・」
乗せられた。
エリウッドがそう思った時にはもう遅かった。
目の前にはエリウッドが今まで一度も見たことがないくらいに嬉しそうに笑うヘクトルがいた。
「ほう・・・『ニニアンの』・・・で、続きは?」
「一回、ヘクトルとはやれるところまで戦ってみたいと思っていたんだが、今からどうだい?」
ヘクトルはからからと笑った。手が出たら、口喧嘩の勝負は終わりだ。今回はエリウッドの負けである。
「お楽しみのとこ悪いんだが」
その二人の背後にハングが立っていた。
「ヘクトル、お前の荷物が行方不明だ。マリナスさんが休憩地点にあったもんを片っ端から持ってきちまってな。できるだけ早く探してくれ」
「へーい、それじゃハング。あとはよろしく」
「おう、任された」
ハングとヘクトルが高い位置で手を打ち合わせて交代する。
「さて、エリウッド・・・さっき、勝手に部隊を離れたことに関して言いたいことが複数あるんだがどうせニニアンが戻ってくるまで暇なわけだし俺とお喋りでもして過ごすってのはどうだ?ん?」
エリウッドは苦笑せざるおえない。まだ、ヘクトルにからかわれているほうがよかった。
目の前のハングの笑みはとても怖かった。
――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
「ったく、反省したか?」
「・・・はい」
仁王立ちするハングと正座するエリウッドの構図も最近では見慣れてきた部隊の面々だった。
あの声量で正論を永遠と聞かされ続けていたら反省も更生も容易いだろう。
反省の姿勢を示すエリウッドに許しを与え、ハングはは改めてその建物を見上げた。
今までも遺跡らしいものは度々見かけた。
だが、その全てに共通するのが、人の大きさに見合わない巨大なものばかりということだった。
それに対してこの館は随分と普通なのだ。
大きさも創りも普通の人間に建設できる程度のもの。
それがこの【魔の島】では随分と違和感があった。
「ん?」
ハングはふと違和感を感じ、眉をひそめた。
ハングはこの場所に新たな闇魔法の気配が現れたことを悟った。
「・・・ハング・・・誰か出てきた」
「ああ・・・わかってる」
その洋館の裏の方から歩いてくる人がいた。彼もこちらに気づいたようで。軽い足取りで近づいてきた。
ハングは剣の柄に手をかけながら声をかけた。
「お前・・・この館の人間か?」
「いいえ、旅の者です。樹海を歩き疲れてここで一休みしていました」
ハングは目を細めた。
エリウッドが隣で立ち上がり、ヘクトルも寄ってきた。
「この館に詳しいのか?」
「いえ。ですが長い間無人だったのは確かでしょう。不思議なことに建物とは人がいない方が傷みが速くなりますから正確にはわかりませんが」
ハングはその男からわずかに距離をとる。
代わりにエリウッドとヘクトルが前に出て、この男と会話を続ける。
「ここは何なのでしょう?」
「人竜戦役時代の・・・闇魔道士が住んでいたようですね、いくつか興味深い古文書を見つけましたよ」
そう言った旅人の顔は掛け値無しの笑顔だった。
「あれらの知識を吸収できれば私はもっと闇に近づけるかもしれない・・・もっもとも、それなりの代償は必要ですが」
「代償?」
エリウッドが怪訝な顔をして疑問符を放つ。その質問にハングが二人の後ろから口を挟んだ
「闇魔道を歩むもんの宿命・・・だろ?」
その声は普段よりも数段固い。エリウッドとヘクトルはそこで何かに勘づいたかのように、何気なく姿勢を正した。
「あなたは闇魔法に詳しいので?」
「詳しいだけだ。使いはしない」
その男はハングを値踏みするように足先から頭までを眺める。
ハングはそれを無視するように話を再開する。
「『闇を覗く者は己が闇へと変わることを心せねばならない。なぜなら・・・」
「なぜなら、お前が闇を見つめる時、闇もまたお前を見つめ返すからだ』・・・チェーンの言葉ですね」
その男に台詞を取られ、ハングの顔に影が潜む。その男はエリウッドとヘクトルに向けて言葉の意味を説明する。
「闇を求める者は、みずから闇に入らなければならない。再奥の闇を求めようと思うなら、いずれは人間をやめることになる・・・いうなれば力に対して器がついていかないんですよ。人間が天災を止められないのと同じことで、それはある種の摂理です。闇というものはそれほどに深くて広い。大して資質を持たない者が強大な力を持とうとして自我を無くしてしまう。資質を持っていたとしても、そもそもなぜ力を求めていたのか、それすら忘れてしまうこともしばしばです。しかも、それらを乗り越えたところで、力を手にできるのは魔道士のほんの一握り。ですが、手にした力の素晴らしさに比べたら些細な代償と言えるでしょう」
立てかけた板に流れる水のように澱みなく喋るこの男。その視線はエリウッド達からハングの方へと向けられる。
「何か言いたいことがありそうな顔ですね」
「闇を求めた結果失う代償を些細と呼べるかは人によるんじゃねぇのか?」
「そうでしょうか。かの【八神将】ブラミモンドは己の全てを闇に委ねた者だそうです。感情も記憶も全て闇に溶かし、そうして竜を倒す力を得たとか」
「昔話の英雄を同列に並べて何の意味がある。それに、少なくともブラミモンドには理由を与えてくれる仲間が七人もいた。一人でなすべきことに対してはその代償は重い」
「それでも力を得たいとは思わなかったんでえすか?いえ・・・思っていたらあなたはとっくに闇に飲まれていますね」
「本当は似たようなことは常々思ってる。何を捨てでも得たいもんがあるってな。だけど、そいつは俺の感情と記憶に支えられている」
「力は得たい。だが、自分の中の戦うべき理由を失いたくはない・・・闇に頼ってもそれを失わない可能性だってありますよ」
「失う可能性だってある。俺は自分の思い出を賭け金にあげるつもりはない」
「『思い出』ですか」
「世の中には色んな『思い出』があるんだよ」
二人の視線が鋭さを増していく。
ハングが一歩前に出る。
それに呼応するように男が足を下げた。
ハングの周囲の空気が張り詰めていった。
「いい加減・・・名乗ったらどうだ」
ハングは剣の柄を握りしめた。エリウッドとヘクトルもそれが合図であったかのように素早く武器に手をかけた。
「ハング、どういうことだい!?」
「こいつは一体誰なんだ!」
二人はハングの左右を支えるように、男の前に立つ。
「おやおや、どこで気づかれたのでしょうか」
ハングは強く噛み締めた口の中から絞るように声を出した。
「俺は闇魔道士の気配に敏感なんだ。お前は間違い無くここに突然現れた。転移魔法でも使ったんだろう。なのにお前は『歩き疲れた』なんて言いやがった。それに、この周囲は一応探索してんだ。中に入る足跡なんざ一つなかったことぐらいこっちは把握してんだ。嘘をついているのは明白。だったら警戒しとくのは当然だろ!」
「最初からですか・・・さすがに驚きましたね」
男には全く驚いている様子は無い。ハングは更に強く歯を食いしばる。
「ウハイとアイオンを倒してくれたのは好都合だったんですがね。予想以上に疲労していない・・・流石と言っておきますか・・・」
「御託はいい!名乗れ!」
「私の名はテオドル。フェレ公子を討ち取る手柄は私がいただきますよ」
ハングは一気に間合いをつめて、抜刀と同時に斬りつけた。リン直伝のサカ流抜刀術。
だが、ハングが抜きさった剣は空を切る。テオドルの姿は無い。
代わりに残されたのは黒い煙のような靄であった。
「くそっ!」
微かに漂うだけだった靄は次第にその量を増やし、一気にこの場所を覆いつくしてしまった。
「黒い・・・霧か!?」
爆発的に広がった黒い霧が周囲に立ち込め、昼日中だというのにこの場は夜のように真っ暗だ。
「さすが【黒い牙】・・・暗闇に慣れてる連中ならこっちの方が戦いやすいってわけかよ」
ハングの声が霧の中に木霊する。ハングは剣を一旦鞘に戻し、エリウッドの方を見る。
エリウッドはなかなかに情けない顔をしていた。ハングも苛立ったように頭をかく。
二人は焦っていた。その理由をヘクトルが丁寧に指摘した。
「ハング!リンディスとニニアンはどうすんだ?」
「それだよ、それなんだよ・・・」
ハングは悪態をついて、地面に唾を吐く。
ハングは敵とわかっている相手と悠長に闇魔法の主義思想についてお喋りしていたわけではなかった。
ハングの狙いは会話を続けて時間を稼ぎ、先手を取って一撃で決めることだった。
それが、リンとニニアンの二人が館にいる状態で戦う最善の策であった。
だが、それは見事に失敗し、こうして敵は霧の中からハング達の命を狙いにくる。
ハングとしては最悪の形の開戦であった。
ハングは舌打ちをして自分が性急な行動をしたことを悔やむ。
相手が闇魔道士とはいえ、剣の地力で劣るハングが真っ先に切り込むべきではなかった。
エリウッドの素早い突剣による先制攻撃を待つべきだったのだ。
唯一の救いはニニアンの傍には勘の鋭いリンがいることだ。彼女なら黒い霧が蔓延した時点で下手に動くことはしないだろう。だが、危険な状況には変わりがない。
「ハング・・・」
「ああ、わかってる」
エリウッドとハングの視線が合う。二人は自分達が同じ結論にたどり着いたであろうことを悟った。
「ヘクトル・・・頼みがある」