レルゲン中佐のデート日記   作:homura1988

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遅くなりました。最終話の夕食編です。そして本日はエーリッヒ・フォン・レルゲン氏のお誕生日です。この場を借りておめでとうございます。


夕食編

【レルゲン中佐のデート日記3】夕食編

 

 冷たい風が一際大きく吹いて薄桃色のワンピースが揺れるが、羽織っているカーディガンのおかげで大きく舞い上がることはない。数時間前まで通販雑誌で適当に選んだワインレッドのハイネックワンピースを着ていたはずだが、今は中佐が買ってくれた服を着て更に人の気配が少なくなった公園の出入り口で中佐を待つ。

他者から見た限り、日没寸前の薄暗い公園で真っ赤な風船を持った少女が一人で立っているのだ。観覧車に乗って帰ろうしていたカップルや露店の主らしき人から、どうしたの、と声が掛けられる。街の治安が良い証拠ではあるが、迷子だと思われて憲兵を呼ばれても困る。

 「トイレに行った兄を待っているのです。お構いなく」

 本日何度目かも忘れた丁寧なお辞儀をして誤魔化す。待っているのは本当なのだ。ただ、兄ではなく上官である。カップルの女性の方に、気を付けてね、と飴玉を二つ渡されてしまった。

 ひとまず、状況を整理しよう。中佐の部下の運転で映画館へ来たものの年齢制限で映画を観ることが出来ず、時間が空いてしまったため移動遊園地の観覧車へ乗る為に公園へ来た。しかし、今度は身長制限に引っかかってしまった。通常なら観覧車に身長制限など無い。しかしそれは、わたしの前世の知識だ。夕陽に染まりゆく大きな乗り物は、まるで四人乗りのブランコで、鉄のワイヤーに釣り下がってぐるぐると回転をしている。わたしの知識の中の、しっかりと閉まる扉や四方の壁と天井があるゴンドラではない。それを見てしまえば、身長制限は的確だろうと納得した。

 結局観覧車には乗れず、まさか中佐が一人で乗るのをただ見学するわけにもいかず、子どもだけに配っているという風船を頂いて広場を後にした。

もしかして、中佐の今日の運勢は最悪なのかもしれないな。そもそも中佐は何座なのだろうか、いや、そんなことは至極どうでも良い。風船を受け取った直後、少し呻いて腹部を抑えた中佐がトイレへ駈け込んで行ってしまったのだ。もちろん、わたしを置いて。

 参謀本部の駐車場で車へ乗った時から、中佐の顔色が芳しくなかったのは分かっていた。常に眉間に皺を寄せて難色を示す顔は、己の意思で動いていたわけではないということだ。今日はまだ社交辞令の、貼り付けたような笑顔すら見ていない。そこまでして、中佐はわたしに何を期待しているのだろう。おそらく、なんにしても応えられる可能性は低い。

 砂利を滑る足音が近づき、振り返ると中佐の姿があった。時計と一体型になった街灯がそれを照らし、眼鏡を反射させて中佐の表情を隠す。

 「すまない、待たせてしまった。それじゃあ、レストランに向かおう。ここからそれほど遠くない」

 腕時計を確認しながら中佐がわたしの横に並んだ。しかし、公園を出て歩を進めようとしている中佐に着いて行く気にはなれない。眼前にはレストランのある場所まで石畳が続いているだけで、滅多に食べられないディナーにありつけるという期待などほとんど剥離してしまった。先を行く中佐が、着いて来ないわたしに気付いたのか、ゆっくりと振り返る。

 「どうした、疲れたのかデグレチャフ」

 表情が見えた。今日はじめて見たと思われる笑顔のそれは、ぎこちなく、疲弊の色が隠しきれていなかった。左手首に巻きつけていた風船の紐がするりと解け、ひっそりと夜の空に旅立とうとする。しかしそれは、伸びた中佐の手によって直前で阻止され、わたしの左手首に戻ってきた。

 「しっかり持っておきなさい」

 触れた中佐の手はとても冷たかった。ああ、もう見てられない。少しだけ、上官と部下の姿勢に戻し、ベレー帽を取った。

 「…帰りましょう、レルゲン中佐。僭越ながら、申し上げますが―」

 「デグレチャフ、今日は堅苦しい言葉は無しにしようと言ったはずだ」

 「では、言わせていただきます」

 呆れと少しの怒りに語尾が上ずりそうになるのを抑える。この時勢の軍人なのだ、女性に対する扱いが多少おざなりになっていても仕方がない。前世の頃だって、女性社員の意見にまともに耳を傾けず社内で孤立した時期もあったじゃないか。

 帝都の中心街にある公園の前だとしても、わたしと中佐は上官と部下に変わりはない。しかし少しだけ、睨むような形で中佐を見上げる。反射的に右足の踵を一歩下げて、中佐がたじろいだ。

 「まず、レルゲンさんが今日わたしを誘った理由が分かりません。そしてなぜ映画なのですか。その映画すら年齢制限でわたしは観られなかった。仕事の出来る貴方がここまで事前把握が出来ていないとなると、次の観覧車ももしや乗れないのでは、と思ってしまいます。案の定、観覧車は身長制限で乗れませんでした。では、今から向かうのはレストランです。そしてもう十八時を過ぎている。わたしの言っていること、分からないとは言わせませんよ」

 息継ぎをする間が見つけられず、一気に吐き出した。通り過ぎる車から、視線がこちらに投げられる気配がある。公園の出入り口でほとんど仁王立ちの状態で、成人男性と対峙している少女だ。何事かと思うだろう。

 「最初に言ったじゃないか、慰労会に参加出来なかった君を改めて労いたいと」

 「ならば、ディナーだけで十分でしょう。微妙な時間に連れ出されて、直前に行き先を告げられるこちらの身にもなってください。レルゲンさん、今日はわたしに合わせると言ってくださいましたが、なに一つわたしの意思を尊重してくださらなかった。こんな子どもに言われてしまってどうするのですか」

 大変に失礼な事を言っていることはわたし自身理解している。遠慮、思いやり、忖度、そんな面倒なものは、破れたハイネックワンピースと共に先ほど公園のゴミ箱に捨ててしまった。一度開いた口はなかなかに止まってはくれないが、反論をはじめようと口を開きかけた中佐に、吐き出しそうになった次なる不平不満を、唇を噛んでわたしは堪えた。

 「ディナーだけでは晩餐室の会食と変わらないと判断したからだ。なら、せめて君の年齢に合った労いを、後方の魅力を、君と同じ年頃の帝都の少女らの楽しみを知って欲しかった。戦場しか知らないまま君が大人になってしまうことに、私は上官として、一個人として、とても耐えられるものではない」

 実は昨日、参謀本部の廊下で偶然に合ったウーガ少佐と会った。互いの近況報告を交えながら雑談をしていたのだが、レルゲン中佐が貴官に喜んでもらうおうとずいぶん悩んでいたから応えてやってくれ、と迂遠気味に耳打ちされたのだ。なぜか、わたしと少佐が街へ外出することを知っていたようで、その時のウーガ少佐の顔は、間違いなく何かしら勘違いをしている顔だった。

 副官のセレブリャコーフ少尉には今日のことを簡単に報告済みだった。非番の時は基本的に宝珠の持ち出しは厳禁であるため、緊急呼集がある場合はレルゲン中佐の執務室にいる部下にでも居場所を聞き出してくれと言ってある。その際も、ウーガ少佐と同じような、何かを期待する表情ではにかみ、頑張ってくださいと言われてベレー帽を貰ったのだ。

 中佐は、中佐なりにわたしを後方へ下がらせようとしてくれていると改めて実感する。近頃、思うとすることは、自身の保身を案じて発した言動や行動が全て裏目に出てしまっていることだ。今回も、どうせ中佐には意図が通じないまま、いつもと変わらずライン戦線の砲弾の雨に晒されるだけなのだと。そう思っていた矢先の中佐からの労い。わたしの意思は少なからず中佐に伝わっていたという認識でいいのだろうか。

 「おいおい、痴話喧嘩は他所でやってくれ」

 公園の清掃員らしき男性が邪魔だと言わんばかりにわたしと中佐を追い払うように手にしていた箒で地面を掃う。男性は片足を引き摺って歩きながら花壇に塵が落ちていないか見ていた。

 「あんたら二人、軍人さんだろう」

 男性は此方へは振り向かず、花壇から煙草の吸い殻を見つけてゴミ袋へと入れる。屈んだ肩甲骨は意外にもがっしりとしていた。

 「そう言う貴方は、元軍人というところですか」

 「ええ、今じゃこの足のせいで傷痍軍人様ってやつですが」

 わたしが男性に問うと、予想通りの言葉が返ってきた。動作を見ていると、おそらく右目も失明していると思われる。そして本日二度目になる飴玉が、男性のポケットからわたしの手へ、二つ乗せられた。

 「これでも食べて落ち着いてくださいよ、戦争の早期終結を願う民衆を無視して戦争を長引かせている軍人さんがこんな場所で痴話喧嘩とは、ずいぶんとお暇なのですかと言われるだけですよ」

 男性は、わたしと中佐が反論しないと判断したのか、言いたいことをぶちまけて公園の中へと消えていった。

 戦場で生き延び己の意思とは違い野戦将校として昇進していくわたしがいれば、もう名前すら覚えていないが、第二〇五強襲魔導中隊でセレブリャコーフ少尉の同期だった志願組の伍長二人のように不幸にも偶然にトーチカが爆撃され呆気なく殉職する者もいる。そして清掃員の男性のように、運よく生きて還ってきたが一生ものの傷を抱えてこの先の人生を生きなければならない者もいる。戦争とは、人間の人生が更に分割化されていく代物だ。哀しいことに、帝国はまだまだその代物に浸っていく。ずぶずぶに泥沼へと沈み、息が出来なくなったと気付いた時、分割化されていた人間らが一緒くたになるだろう。憐れなる敗戦国の民衆へと。

 てのひらの飴玉を一つ取り、中佐に渡してみると包み紙を開封して直ぐに口へと放り込んだ。わたしも頂いてみる。舌に広がる酸っぱさは、レモン味だった。

 そのまま、どちらかが口を開くことはなく、公園へ向かっている時とは違い自然と足並みが揃ったまま石畳を大小の足音が再び奏ではじめた。

 静かな場所から歩いて数分で飲食店街へと入った。夜といえども、まだ陽が落ちたばかりで周辺は帝都市民の活気で賑わっており、見知った顔ではないが軍衣姿もちらほら見える。

 「全て君の言った通りだ。今日の私は、何一つ君を労ってはいなかった。もう、帰ろう」

 通りすぎようとしていたオープンカフェから店内ミュージックが外にまで漏れ、中佐の言葉を聞き逃すところだった。見上げると、今度ばかりは、穏やかで、呆れ気味の笑み。

 「いえ、あれほど言われてしまったら、わたしにはもう断る理由が見つかりません。いえ、一つだけありました」

 がちがちと、飴玉を噛んでいる音が耳に届く。わたしの舌に乗っている飴玉はもう小さすぎて分からないがレモンの味の名残はまだ残っていた。わたしの横を歩く中佐は、断る理由の一つがよほど気になっているようだった。

 そこを右折したところにあるレストランだ、と指差しながら、また自転車と出会いがしらにならぬよう中佐は曲がる寸前に一歩先を出る。わたしは、中佐の気遣いに合わせて歩幅を少し縮めた。そう、これこそが己を労わろうと頑張ってくれている相手への信頼の形なのだ。素晴らしき、大人同士の、持ちつ持たれつの上官との関わり方だ。

 「レルゲンさん、体調が悪いのではありませんか」

 あれほど白い顔していれば分からないはずはないでしょう、と付け加える。無事、今度は何事もなく曲がり角を突破すると、直ぐにわたしの視界には立派な建物のレストランが入ってきた。これは、入店出来ない可能性が高い。おそらくドレスコードも指定されているはずだ。ガラス張りで店内の様子が窺えるが、子どもなど一人も見当たらなかった。

 「ついさっきまで胃が悲鳴を上げていたのだが、だいぶ落ち着いた。もう大丈夫だろう」

 その返答通り、中佐の顔色は良くなっている。正直に言えばお腹も空いていたし、喉も乾いている。履き慣れないショートブーツで足も疲れた。

 「そうですか。では行きましょうかレストランへ。入店できるか分かりませんが」

 店の出入り口に立っている従業員へ中佐が確認をしたが、案の定、十八時以降は酒精が出るため、わたしの年齢では入店が出来なかった。ならば他に行くしかない。我が帝国民は規則や秩序には厳しいのだ。

 しかし予約をキャンセルしようとすると、お二人が来店された際にはこれを出してくれと言われています、と帝国産のアイスワインとぶどうジュースの二本のボトルを店員が持ってきた。今しがた氷バケツから取り出したのだろう。外気に触れたボトルには結露が出来ている。無意識に、わたしの喉は唾液を嚥下していた。

 「誰が、そんなことを―」

 このようなサプライズを中佐本人がやるとは思えない。しかし考える前に、中佐がもしや、と呟いた。心当たりがあるらしい。今わたしが頭に思い浮かべた人物と同一人物であれば、参謀本部の廊下で耳打ちされた意味が分かる。

 「ウーガ少佐か」

 「はい。ここで奥様にプロポーズをなされてから、ずっと贔屓にしてくださっています」

 この一連の奇妙な中佐の労いは、なるほど、ウーガ少佐の立案か。デートプラン丸出しの理由が分かってしまった。今ごろ、自宅で娘の寝顔を眺めているかもしれない。本当に、良い同期を持ったものだ。有難くワインとジュースは受け取っておこう。

 「仕方ない、本部に戻って開けるか」

 「そうですね」

 店員に礼を言い、来た道を戻る。そして車道を横断する為に立ち止まると、母親に連れられた五歳ぐらいの女の子がわたしの左手首に巻かれている風船を見つめている。女の子の身長に合わせて少し屈み、風船を渡した。これを持って参謀本部には戻れない。

 「ありがとう、おねえちゃん」

 真っ赤な風船に負けず劣らず、女の子の頬が喜んで綻び、ぱっと色づく。そして、母親に礼を言われながらまたしても飴玉を貰った。着ているワンピースやカーディガンにはポケットがなく、すでに飴玉が三つ入っている小さなクラッチバッグにはもう入りそうにない。

 捨てるわけにもいかず悩んでいると、手のひらから中佐が飴玉を受け取り、そのままコートのポケットへと入れた。しかし何かに気付いて、ポケットから飴玉ではない物を取り出し、歩道に立ち並ぶ誘蛾灯でそれを確認している。

 「デグレチャフ、この店へ行ってみよう。もしかしたら入れるかもしれない」

 そう言って中佐がわたしに差し出したのは一枚の名刺。これはたしか、映画館の廊下でフランソワ料理のレストランを経営しているという老夫婦から頂いた名刺だ。住所を見るとここから近い。これには断る理由など無かった。互いに頷き合い、早足で目的地へと向かうことにした。

 「今や敵国ですが、料理だけでも輸入してほしいくらいですね。いや、いっそのこと共和国のコックを捕虜に…」

 「私服だから言えることかもしれんが、料理に関しては私も同意する」

 数分もしないうちに、直ぐに名刺に書かれた名前の看板を見つけた。名前はペリドット。たしか宝石の名前だ。詳しくは知らない。店舗の大きさは行きつけのゾルカ食堂とそれほど変わらない。扉には閉店の札は無かったが、窓から見える店内に客がいるようには見えなかった。扉を開き、来店を知らせる小気味良い鈴の音が響く。その音に、夫婦そろってキッチンから顔を出した。昼間に映画館で握手をした老夫婦で間違いない。わたしの顔を確認した奥様の方が、先ほど風船をあげた女の子と同じように笑顔になった。その表情に肩の力が抜ける。安堵を感じるなど、本当に久しぶりだ。

 「白銀殿にまたお会いできるなんて、とても嬉しいわ、ほら座って座って」

 入り口近くのテーブル席へ腰掛けた。二人掛けのテーブルには真っ白のクロスが掛けられ、その上にまた柄の入ったクロスが掛けられている。先ほどのレストランとは違い、一般民衆向けだと分かる。とても心地が良い。ご主人の方は、わたしと中佐に会釈をし、エプロンを結びながらキッチンへと入って行った。

 「突然で申し訳ありません、この時間だと、わたしの年齢では入れない店ばかりで」

 「でもねえ、ごめんなさい。近頃食材の調達が更に厳しくなっていて、今日はもうスープぐらいしか出せないの。それでもいいかしら」

 今日は、もう充分だと手を拡げてギブアップしたいほどに民衆へ向けられた戦争の影響ばかりを見せられていたが、ついにここまでか。軍務だけでは食料事情は偏りがちだ。全体図は把握出来ようとも、一般の民衆の細かいところまでは分からない。

 「はい、いただきます」

 「ありがとう。直ぐに準備するわ、待っててね」

 迷いのないわたしの返答に、奥様はわたしの頭を撫でてキッチンへと向かった。白銀殿と、奥様はわたしをそう呼んだが、軍人ということを忘れているのではないだろうか。少し照れくさい。誰かに頭を撫でられたことなど、今まであっただろうか。孤児院のシスターぐらいだろう。

 「なぜだか、ここは懐かしく感じてしまうな」

 「ええ、わたしも、そう思いました」

 少し経つと、キッチンから鼻腔をくすぐる良い匂いが漂いはじめた。フランソワ料理のスープというと、フランス料理のコンソメやポタージュだろうかと考えていたが、この匂いは、どう考えても馬鈴薯、もしくはジャガイモ。ライン戦線の日常食となっていた、腐りかけのジャガイモのスープの味が舌に戻ってくる。

 「少佐、改めて、今日は私の我が儘に付き合ってくれて感謝する。そして、本当にすまなかった」

 眼前でテーブルの横に飾られていた小瓶の花を見ていた中佐が、突然、上官と部下に戻った。背筋を正し、頬を引き締める。

 「わたしこそ、先ほどは無礼講ながら失礼なことばかり、申し訳ありません」

 「いや、あれは完全に私の落ち度だ。貴官が気にすることではない」

 少しの沈黙の後、スープ皿を二つ持った奥様が来た。互いの目の前に音も立てずにスープ皿が置かれる。夕食、と言えるほどではないが、ようやくここまで来た、という謎の達成感が沸いてきた。昼を過ぎてから外出したはずなのに、とても長かったように感じる。

 「冷たいジャガイモのポタージュよ。でもこれで終わりじゃないの」

 奥様がそう言うと、ご主人が小さな鍋を持って現れた。冷たいスープというと、ビシソワーズか。皿を覗いても、湯気はなく、皿に触れてみると本当に冷たかった。

 「その上に、静かにゆっくりとコンソメスープを注げば完成よ。パーリスィイ・ソワールと言うの」

 奥様の解説が途切れると、それが合図とばかりにご主人がお玉で茶色のスープを注ぐ。言った通り、それはコンソメスープだった。お腹が、早く食べたいと鳴っている。スプーンは既に私の右手にあった。

 「コンソメを夕暮れに、ポタージュを雲に見立てて、パーリスィイの夕暮れという意味なの。おしゃれよねえ」

 これ以上邪魔をするんじゃない、とご主人が奥様の腕を掴んでキッチンに戻って行く。

 「では、いただこうか」

 「はい、いただきます」

 表面を撹拌させるようにスプーンを入れ、ゆっくりと掬い上げる。夕暮れと雲が混ざり合う寸前に口内へ迎え入れた。どちらも冷たいながら、しっかりと新鮮な馬鈴薯の味と、玉ねぎの風味が効いていて、障害なくすんなりと食道へ落ちていく。先ほど、地獄の入口で食べた具なしスープを思い出したことに全力で詫びるしかない。単純に、明確に、美味しいという一言しか出ない。その証拠にスプーンの動きが止まらないのだ。それほど小さいわけではないスープ皿が一瞬にして空になってしまった。眼前の中佐のスープ皿ももう空に近い。これは、おかわりを希望したい。

 「貴官がよければ、の提案なのだが」

 「はい、なんでしょう」

 この流れだとてっきり、二杯目はどうかという問いだと考えていたのだが、そうでは無かったらしい。はい勿論です、という返答を準備していたのだが、中佐から投げられたのは予想外の言葉だった。

 「今後とも、互いに時間が合えば、君を労いたいと思っているのだが」

 「はい、勿論です」

 空になったスープ皿を奥様に渡しながら、わたしの口は、考えるより先に声を出てしまっていた。

 

終わり

 




これにて、終了です。書きはじめたのが昨年の11月でした。長かった・・・。
いちおう、番外編も考えおります。

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