いろはすの単発短編集 作:こころのつき
後日。
「抱きついても気絶しないようになったのはいいが……お前、心臓の鼓動がやばいぞ。 大丈夫?いきなりぽっくり心臓が止まったりしない?」
「うー、ドキドキするのはもうどうしようもないですよ……。ほっといてください」
あの後、何度も一色に付き合って触れ合いを重ねた結果、一色はある程度俺に慣れることに成功した。
少なくとも前のように会話するだけで精一杯ということはなくなり、手を繋ぐくらいなら多少緊張はするものの問題なくできるようになった。
ただ、それでも抱きつくというのは難易度が高いようで、何度やっても毎回身体が緊張で強張っている。それでもこの状態で気絶せず、会話もできるというのは大きな進歩だ。
これだけ慣れたなら言っても大丈夫か。
「なぁ、一色?」
「んー……な、なんですか、せんぱい」
俺に体重を預けたまま、安心したように目を細める一色が、俺の声に反応して少し焦りつつ意識を戻す。
俺は一色の意識が戻ったのを確認すると、一拍置いて、口を開いた。
「好きだ、一色」
「……………………………………………………!?!?!?」
長い沈黙の後、俺の言った言葉をなんとか理解した一色が混乱したように目を白黒とさせた。
顔がみるみるうちに紅潮し、俺の腕の中にある身体が硬直したように固くなる。
「ふぇ、ひゃ、え、えっと……あ、あれですよね! いつもわたしに可愛いって言うみたいにからかってるんですよね!?」
混乱しきった一色は、最終的にそんな結論に至ったらしい。
目に涙をためて俺を下から睨むと、からかわれたことへの不満を強調するように頬を膨らませた。
「……言っておくが、さっき言ったのはからかいじゃないぞ」
はっきりと言い含めるように一色へと言葉を紡ぐ。
そして、そのまま出来る限り真剣な目で、不安そうに揺れる一色の瞳を覗き込んだ。
「というか、いつも一色に可愛いって言ってるのも、本心だぞ。 からかうためでもあるが、嘘は言ってない」
「…………………え、ほ、ほんと、なんですか……?」
再び沈黙を挟んで、一色はおそるおそる俺へと問いかける。
「あぁ、ほんとだ。 俺が一色のことが好きなのも、事実だ」
「ふぇ……」
俺が一色への想いを再び口にすると、一色は力が抜けたように俺へと体重を預けた。
俺はそれを受け止めると、夢見心地にいるような顔でぼーっとする一色を揺さぶり、現実へと引き戻す。
「それで、一色はどうだ?」
「え、どうって……?」
「俺のこと、その……好きか?」
どうにもこういうのは苦手というか、柄じゃない。こういうところで詰まってしまうし、俺も一色の初心さを笑えない。
ただ、俺が告白への返事を求めていることはちゃんと伝わったようだ。
先ほどからずっと顔の赤い一色は更に頬を朱に染め上げて、”ぁぅぁぅ……”と奇妙なうめき声を上げながら口を開いたり閉じたりする。
しばしの沈黙のあと。
ようやく混乱と自失から回復した一色は、しおらしく体を縮めて、顔を赤らめたまま蚊の鳴くような小さな声で言葉を発した。
「その……わたしも、せんぱいのこと、すきです」
「だから……わたしと、つきあってください」
どこかあどけなく、幼い子供のようにたどたどしい口調で、一色の言葉は紡がれる。
あまりに弱々しく小さな声ではあったが、この至近距離ではそれで十分だった。
「じゃあ、これからよろしくな、一色」
「……はぃ、おねがい、します」
一色はふわりと控えめに微笑んで、ぽやぽやとした幼い口調のままそう返した。
「はぁー、なんだか夢みたいです。気持ちが落ち着かないというか、ふわふわするというか……わ、わたしがせんぱいの彼女になったのって現実ですよね!?」
「夢じゃないから、安心しろ。つーか、お前さっきからそわそわしすぎ」
「だ、だって! 叶わないと思ってた初恋が叶ったんですよ!? 落ち着けるわけ無いじゃないですか!」
「そもそも、なんで一色が俺に振られると思い込んでたのか謎なんだが」
一色のスペックならたいていの男子が靡くだろ。少なくともあんだけ真っ直ぐ想いを向けられたら絶対に心が動くはずだ。
動かないとしたら葉山みたいな特殊性癖の持ち主くらいじゃないだろうか。……あいつがホモの可能性がにわかに浮上してきた。今度から出来る限り避けよう。
「そりゃあ、奉仕部のお二人はわたしより付き合い長い上に素敵な人たちですし……その上ちょっと前までのわたしはポンコツでせんぱいと碌に会話もできませんでしたもん」
「うー、今からあのお二人に靡くとかないですよね? 大丈夫ですよね? もしそうなったら泣きますよ、わたし」
一色がどこか怯えるように俺を見つめる。
もちろん、今更そんなことはありえないんだが、どうやらこいつは夢見心地から帰ってきて不安になっているようだ。
「なんで奉仕部の二人が出てくるのかわからんが、今の俺が好きなのはお前だ。だから安心しろ」
「……ふわぁ……」
一色がうっとりしたように表情を緩め、力の抜けた声を出す。
可愛いんだけどさぁ……なんかこう、駄目な子を見ているような気分になる。大丈夫か、こいつ。すぐ騙されちゃいそうなんだけど。
「つーか、お前はすぐ赤くなったりする自分のことを嫌われると思ってるみたいだが、そんなことはないぞ」
「んー……そういうのって、普通相手するのがめんどくさいんじゃないんですか? わたしいっつも慌ててましたし」
「確かに会話が成り立たないのは困ったけどな。でも、前のあざといお前より、初心で純真な今のお前の方が可愛いし、好きだぞ」
「……あ、ひゃう、え、えっと、」
俺の言ったストレートな言葉に、一色はしどろもどろになって言葉に迷っている。
未だにこういうストレートな言い方に慣れないらしく、言われるといつも一色は頬を紅潮させて慌てたように視線を彷徨わせるのだ。
「そのぅ……う、嬉しい、です」
「でも、それだと……今の少し慣れちゃったわたしは駄目じゃないですか?」
本当に嬉しそうに口元を綻ばせたあと、しかし、一色はすぐに不安そうに眉をひそめてしまう。
「いや、今くらいがちゃんと会話もできてちょうどいいな。……まぁ、これから先一色から初心さがなくなったとしても安心しろ。既に一色は俺の中で天使として殿堂入りしてるから、俺の気持ちは変わらん」
「て、天使って……言いすぎですよ、もう。 ……でも、よかったです。 これからもわたしのこと、す、好きでいてくださいね?」
一色は俺の言葉に安心したようにほっと息をつくと、微笑んでそう言う。
俺からすれば、俺の一色への想いはすでに確固としたものだが、一色はそれをまだ信じ切れていないというか、どうにも不安なようだ。
……まぁ、一色を安心させるのも、彼氏として重要な役目だよな。
多大な悪戯心と共に、役目を免罪符として次の行動を決める。
「一色、まつげにほこりがついてるぞ」
「え、ほんとですか? どっちの目です?」
「あー、待て待て。取ってやるから、目を瞑れ」
俺の言葉に目を擦ってほこりを取ろうとする一色を、止める。
そのまま俺の言ったことに素直に従って、顔をついっと上げて目を瞑る一色に、チクチクと罪悪感を刺激された。
しかし、俺には彼氏の役目という免罪符がある以上、ここで止めるつもりはない。
俺自身も目を瞑って、一色の顔へと自分の顔を近づける。
そして。
「……ん、んぅ!?」
一息に唇を重ねると、一色が混乱したような声を発する。
目を瞑っていても、一色が驚愕したように閉じていた目を大きく見開いたのがわかった。そうして、状況を把握したであろう一色の身体は、一気に強張る。しかし、固くなったその体はそれ以上の反応を示すことはなく、俺を拒絶しなかった。
唇と唇で繋がっているからだろうか。 目を見開いていた一色がゆっくりと目を閉じ、俺の存在を感じ取ろうとするように、自分の唇へと意識を集中したのが感じられた。
抱きしめた腕や重なった唇から感じられる一色の体温が一秒ごとに跳ね上がっていく。
やがて、その身体からくてっと力が抜けたころ。
どれくらいの間唇を重ねていただろうか。ゆっくりと暗くなりつつある生徒会室で、俺は一色の顔から自分の顔を離した。
離した直後、一色は真っ赤な顔で目を瞑ったまま崩れ落ちる。それを支えるように抱きとめて、俺は一色の顔を覗き込んだ。
「……きゅぅ」
……案の定一色は気絶していた。
「やっぱり、付き合うの早かったんじゃねぇかな……」
まぁ、可愛いからいいか。
呆れながらも、気絶した一色を揺り起こそうとする俺の顔は、きっと楽しそうに笑っていた。