いろはすの単発短編集 作:こころのつき
いろはは八幡に好きな人がいるかどうか尋ねます。
返ってきた答えは”いる”というもの。
ショックを受けたいろはは八幡の好きな人を聞き出そうとしますが……?
「せんぱいって好きな人とかいないんですか?」
せんぱいが高校3年生に、わたしが2年生に進級してから、少し。
わたしは生徒会室で、仕事の手伝いに呼んだせんぱいへ、そんな質問をした。
まぁ、いつもどおりはぐらかすか、自虐じみた変な答えが返って来るんだろう。なんて特に期待もせずに、適当に話しの糸口にでもなればいい、と軽く考えてした質問だった。
いや、期待はしてなかったけど、”俺が好きなのはお前だ”とかそんな答えが来ればいいのに、とちょっとだけ妄想はしていた。
せんぱいが答えるまでの沈黙の間、そんな妄想で自分を楽しませながらわたしは待った。
ふと、やけに沈黙が長いと思い始めたころ、せんぱいは口を開く。
「好きな人か……いるぞ」
「え?」
聞き間違いかと思った。まさか、そんな……あぁ、でもやっぱり。 そんな風に思考が空回る。
「いや、だからいるぞ。 好きな人」
……どうやら聞き間違いではなかったらしい。
せんぱいの周りには素敵な人がたくさんいて、覚悟はしてたはずなのに、今までの人生で起きたどんなことよりも、その答えはわたしの心を揺さぶった。
「あ、え……そう、ですか」
なんて答えればよかったんだろう。あんまりにもショックで全然頭が回ってくれない。聞きたいことも言いたいこともたくさんあるはずなのに、わたしの口からはどんな言葉も出てこない。
そのままわたしは逃げるように書類の整理に没頭した。それからもせんぱいとは話をしたはずだけれど、全く記憶にない。
ふと、気づけば家の前に立っていた。
そして、そのまま自分の部屋へと逃げ込むように入ると、ベッドに倒れこむ。
せんぱいの好きな人。それは、誰だろう。あの時聞けばよかったのに、ショックが大きすぎて、そんなことも思いつかなかった。
”だからいるぞ。 好きな人”
さっきのせんぱいの言葉が繰り返されるとともに、胸がぎゅっと押し潰されたように息苦しくなる。
奉仕部を見ていて、覚悟できていると思っていた。でも、駄目だ。ホントは覚悟なんて全然できてなかった。
もしそうなっても、強がれる。わたしの方が後追いだけど、本気で好きになったんだから必ず振り向かせて見せる。そんな風に強がれるはずだったのに、少しも強がれない。
好きなのに、どうしようもなく好きなのに。届いて欲しかったのに、叶わない。
その事実に、心が折れそうだった。
葉山先輩のときとは全然違う。あの人に振られたときは、こんなに苦しくなかった。
雪ノ下先輩と葉山先輩の噂があったときだって嫉妬なんてしなかったのに、今はせんぱいの心を奪った誰かが狂おしいほど妬ましい。
恋愛ってもっと賢く立ち回って、楽しいものなんだと思ってた。
ほんとは違うんだ。本気で人を好きになるってこんなに苦しいことなんだ。
馬鹿だなわたし、こんなことになってから気づくなんて。もっと早く気づいていれば、もっと死に物狂いでせんぱいにアプローチしたのに。
葉山先輩のことが好きだっていう嘘をつかずに、せんぱいのことが好きだって伝えてたらどうだったんだろう。
わたしの片思いじゃなくて、せんぱいが受け入れてくれる可能性が見えてから……そんな意地を張らずに、好きになってすぐ告白していたら。
告白してからのアプローチなら、少しは女の子として意識してくれたんだろうか。
今更だなぁ……。
もう、せんぱいには好きな人がいるのに。あのせんぱいが素直に好きだっていう人なんだ。きっと勝てない。
本当に、今更だ。
どうしてあんな嘘をついて、意地を張っちゃったんだろう。
片思いでいいから、頑張ればよかったのに。それなら、こんな後悔しなかった。こんな苦しい思いだって……。
……そんなわけないか。本気で好きだったんだもん。失恋したら、苦しいよね。
でも、少しはあったかもしれない可能性を逃しちゃったのは、悔いが残るなぁ……。
ああしたら、こうしたら、という考えが思い浮かぶたびに、心が際限なくネガティブな方向に落ち込んでいく。
苦しい。 悲しい。 辛い。
嵐に遭ったようにぐちゃぐちゃになった感情に疲れ切ったわたしは、ゆっくりと瞼を閉じる。
目の横を伝わって落ちていく涙を感じながら、わたしの意識はどこかへと沈んでいった。
「せんぱい」
翌日。再び生徒会室でわたしはせんぱいに呼びかける。
昨日のことは本当にショックだった。今も正直苦しい。
でも、好きだから。本当に、好きだから。どうしても諦め切れなくて、落ち込んだ気持ちを引きずったまま学校へ来て、何とかせんぱいに仕事の手伝いを頼んだ。
「昨日言ってたせんぱいの好きな人って、誰なんですか? 奉仕部のお二人とか?」
昨日聞けなかったことを聞くために。
「なんでお前に言わないといけないんだよ」
「えー、教えてくださいよー。なんなら、少しくらいはお手伝いしますよ?」
一応、本当にお手伝いはするつもりだ。
まぁ、そのお手伝いはせんぱいのデートの練習とかに偏る予定ではあるけど。デートの練習中にせんぱいがわたしのことを好きになってくれればいい、なんて淡い期待を込めて。
「……じゃあ、当ててみてくれ。ある程度聞かれたことには答えるぞ」
せんぱいは少し眉をひそめて考え込んだあと、そう言った。
よほどしつこく聞かないと答えてくれないと思っていたので、その返答は正直意外だった。わたしに手伝いを求めるほど、せんぱいはその人のことが好きなんだろうか。胸が締め付けられたように苦しくなる。
けれど、わたしはそれをおくびにも出さず、顎の下に人差し指を立てて考え込むそぶりを見せてから、聞いた。
「うーん……じゃあまず、その人のおっぱいは大きいですか?」
「出だしからぶっこんできたな、おい。……大きくもないが、たぶん小さくもないな」
あ、でも答えてはくれるんだ。というか、大きくもないし、小さくもない?
「え? 結衣先輩は大きいですし、雪ノ下先輩はぺたんこですし……あれ?」
「お前、雪ノ下に殺されるぞ……まぁ、それならどっちでもないんじゃないか?」
奉仕部のお二人じゃない? それなら少しくらいは勝ち目があるかもしれない。ちょっとだけ気分が上向いた。
でも、それならそれで本当に誰なんだろう。
あ、いや、まさかとは思うけど……。
「……と、戸塚先輩とか?」
「俺はどう思われてるんだ、お前に……戸塚は性別戸塚で天使だが、流石にそれはない」
どう思われてるって、あれです、好きな人です。……出来れば、今はまだ気づかないでください。せんぱいに遠ざけられるのは、耐えられそうにないので。
「性別戸塚って……じゃあ、大穴で性別葉山先輩とか?」
これについてはそれこそないとは思うけど。でも、せんぱいって葉山先輩と妙に通じ合ってるところがあるからなぁ。一応確認のために聞いてみた。
「おい! それは絶対有り得ないからやめろ! お前は海老名さんかよ……」
力強く否定してくれた。よかった、本気で好きになった人が同性が好きだったら立ち直れない。相手が戸塚先輩なら理解はできるけど。
あと、わたしは海老名先輩みたいに男の人同士とか好きじゃありませんからね。
むしろ極めてノーマルです。好きなのはせんぱいですし。
「なんで俺の好きな人の話題で性別が出てくるんだろうな……俺の好きな人の性別は女だからな」
日ごろの行いのせいかと。いつも戸塚先輩の話をしてるわけですし。
「えーっと、じゃあ……元同じクラスの川なんとか先輩とか?」
川なんとか先輩は確かせんぱいのことが好きだったはずだ。
「あぁ、川……川……川崎か。 あいつじゃないぞ。つーか、同じクラスだったやつじゃない」
同じクラスだった人じゃない……ってことは三浦先輩や海老名先輩も違うはず。
となると……あ、そうだ。
「……あの海浜高校の折本さんですか?」
この人はせんぱいと昔何かあったみたいだし、ありそうだ。
それに、この人なら学校そのものが違うから接点もないし、勝率はまぁまぁありそう。
「折本? あいつは違うな。昔告白して振られただけだ。その告白も、勘違いからだったしな」
せんぱいはそう言うと、苦虫を噛み潰したような顔をした。
というか、昔何かあったっていうのは告白だったんだ。せんぱいに告白してもらえたなんて、羨ましいな……。
せんぱいから告白して欲しいなんて贅沢は言わないから、わたしから告白して受け入れてくれたらいいのにな……。
で、折本さんもないとなると……
「……はるさん先輩はどうですか? あとは、城廻先輩とか」
年上とかかな?
この二人は強敵っぽいから嫌だな……。
「二人とも違うな。 雪ノ下さんは正直苦手だし、城廻先輩はもう卒業した上、そもそも接点がないだろ」
ほっ、よかった。
でも、そうなるとせんぱいの好きな人ってほんとに誰だろう。
「この二人も違うんですか……じゃあそもそも、年下ですか、年上ですか?」
とりあえず、ピンポイントでやっても当たらなさそうなので、範囲を絞ってみることにする。
これで、ある程度絞れるはずだけど。
「……年下だな」
答えは年下。
好きな人が年下ってことはせんぱいの好みも年下なんだろうか。だとしたら嬉しいけど。
でも、年下で該当するのって誰かいたかな。
「年下ですか……まさか」
一人、いた。
「……」
わたしが答えに思い至った瞬間、せんぱいがビクッと肩を揺らす。わたしが知ってるせんぱいと関わりがある年下なんて、一人しかいない。
「せんぱい……小学生は犯罪ですよ?」
小学生と言うか、今年になってから中学生になったんだっけ。でも、たぶんまだ12歳だろうから、犯罪には違いない。
「……おい! 俺はロリコンじゃねぇよ! つーか、なんでそこでルミルミを出した!」
わたしの言葉にせんぱいは一瞬、意味がわからないという顔をしたあと、立ち上がって大声で抗議した。
いや、なんでって、今もルミルミとか言ってますし、日ごろの行いですよ。
というか、ここまで該当なしだと、そもそもわたしが知らない人なのかもしれない。
わたしが知ってる年下の子なんてクリスマスイベントの子くらいだし。
でも、それを聞く前に聞いてみたいことがある。
わたしがせんぱいに好きになってもらうために、必要な質問。
「そもそも、せんぱいはその人のどういうところを好きになったんですか?」
少しくらいは参考になるかもしれない。
「あー……」
わたしの質問に、せんぱいは答えづらそうな顔をした。
それも当然か。普通は答えづらい疑問だろう。でも、わたしは聞いてみたかった。わたしの好きな人の心を占めるのはどんな人なのか。
「そうだな……そいつは会う度に絡んでくるやつなんだが、絡んでくる時の笑顔と明るさとか、実は意外に頑張り屋なところとか、それでいて見てると放っておけないところとか」
「そういうところに……惹かれたのかもな」
そう言うせんぱいの顔はどこかいつもと違っていて、ひどく穏やかで優しそうだった。口元には微かに笑みまで浮かんでいる。
ずるい、ずるい、ずるい。
せんぱいにそんな顔をさせる女の子が、せんぱいの心を独占してしまっているその子が、羨ましくて、妬ましくて、しょうがなかった。
どうしてその立場がその子のものなんだろう。
せんぱいに好きになってもらっておきながら、まだ恋人になってない。わたしなら、わたしがその立場なら、絶対にせんぱいを逃したりしないのに。せんぱいのためなら何だってするのに。
どうしてせんぱいの好きな人はわたしじゃないんだろう。
制御できない感情に、顔がくしゃっと歪んで泣きたくなる。自分でもわかったその表情の変化を俯くことでどうにか隠した。
「そう、ですか」
なんとか震えずに済んだ声で、それだけを返す。
わたしって、こんなに嫉妬深かったんだ。せんぱいに好きなってもらいたいのに、こんなわたしじゃ駄目だよね、当然。
人を好きになるって、どうしてこんなに苦しいのかな……。
わたしの返答を最後に、生徒会室に沈黙が落ちる。
何か言わないと、そう思ってもわたしの口は動かなかった。
黙々と仕事をした結果、せんぱいの仕事は終わったらしい。
片づけを終えて立ち上がると、生徒会室を出ようとする。
引き止めたかったけど、やっぱりわたしは何もいえなかった。
「……まぁ、」
そんな状況で。
しかし、せんぱいは生徒会室の扉に手をかけた状態で立ち止まり、背後のわたしに向かって振り向いた。
「お前にとっては一番近くて遠いやつのことだから、わからないのも無理はないな」
そして、最後にそう言い残すと、せんぱいは生徒会室を去っていった。
「……え?」
それは、どういう意味だろう。
わたしにとって一番近くて、一番遠い。それは一体誰なんだろうか。
あまりにも意味深なその言葉に、わたしは混乱する。
「一番近くて、一番遠い……」
”だから、わからなくても無理はない”
その言い方だと……まるで。
「……わたし?」
言ってしまった言葉に、体がかあっと熱くなる。
期待するな、と理性は言うけど、でも考えれば考えるほどせんぱいが好きな人はわたしなんじゃないかと思ってしまう。
年下で会う度に絡んでくる女の子。そもそもせんぱいと関わりがある年下の子なんて、わたしとルミルミちゃん?くらいだ。その上で、わたしにとって一番近くて遠いという意味深な言葉を加味すれば……残るのは、わたしだけ。
「えっと、まさか……ほんとに?」
どうしよう。本当にどうしよう。
とてつもなく嬉しい。せんぱいがわたしのことが好きだなんて、夢みたいだ。思わず口元が緩んで、今すぐ走り出したいような、居ても立ってもいられない気持ちになる。
えっと、今すぐ追いかけてせんぱいに告白するべきかな。
だけど、やっぱり勘違いだったら……。
でも、どう考えたってさっきの言葉はそうとしか受け取れないし……。
だんだんと暗くなっていく生徒会室で、わたしは顔を真っ赤にしたまま悶々とする。
昨日からずっと引きずっていて、今日もあったはずの落ち込んだ気持ちは、いつの間にか吹き飛んでいた。
結局、その日は下校時間いっぱいまで使って仕事を終わらせると、悶々としながら家へと帰った。
更には家に帰ってからもその調子で考え込んでいたものだから、お母さんに笑われて、あれこれとからかわれた。
部屋に篭城することで、なんとかお母さんを撃退したあと、そのまま考えて考えた末に、わたしは決めた。
――せんぱいにあの言葉の真意について聞こう、と。