いろはすの単発短編集 作:こころのつき
そのまた翌日のこと。
今日も今日とて放課後になるとわたしはせんぱいを引きずって生徒会室に向かう。
一昨日は、笑顔で。昨日は、落ち込んだ顔で。
じゃあ、今日はというと……。
「せ、せんぱい、こ、この仕事お願いします」
「あ、あぁ、わかった」
やばい、緊張してせんぱいの顔が見れない。たぶん、今のわたしの顔は真っ赤だ。
だ、だって、しょうがないですもん。せんぱいに好きな人がいるって言われてすっごく落ち込んで、わたしがどれだけせんぱいのことを好きか再確認して。
それなのに、せんぱいの好きな人がわたしかもしれないって……そりゃ意識して当然ですよ。
うぅ、体の制御が効かないというか、さっきから絶対にそわそわしちゃってる。仕事も全然進まないし……こ、このままで本当にせんぱいに昨日ことが聞けるんだろうか。
ものすごく緊張してる、わたし。
明日じゃ駄目かなぁ……。あ、駄目だ、明日は休みだし。
いやいやいや、そもそも今日聞くと決めたんだからちゃんと聞かないと。先延ばしにして昨日や一昨日みたいに後悔するのは絶対にいやだもん。
ふー、覚悟を決めて、一色いろは。
大丈夫、せんぱいを諦めることに比べたら、こんなのなんてこと無い。
ふと、昨日せんぱいから返ってきた言葉が、耳元で鮮明に蘇る。
穏やかで、優しそうな顔で、その時はわたしじゃないと思っていた女の子に、向けられた言葉が。
”そういうところに……惹かれたのかもな”
……本当に、あの時に比べれば、なんてこと無いんだから。
うん、今なら、言える。
「せんぱい」
「お、おう、どうした?」
わたしがせんぱいに声をかけると、せんぱいは焦ったように返事を返した。
……このせんぱいの焦りはどう見るべきなんだろう。せんぱいの好きな人がわたし、という予想へのプラスの材料と考えていいんだろうか。そうであって欲しい、とは思うけど。
「……昨日の最後に言った言葉って、どういう意味で言ったんですか?」
わたしはきっと今、人生で一番真剣な顔をしているはずだ。
嘘だらけだったわたしが、本気で人を好きになった。そして、こうしてその人と向き合っている。怖いけど、どうしようもなく怖いけど、その人へと踏み込んでいる。
そんな今のわたしの顔が、真剣でないはずがない。
「……」
わたしの疑問に、せんぱいは沈黙で返した。それはどこか言葉を探すような沈黙だった。
そのまま考え込むように黙り込むせんぱいに、しかし、耐え切れなくなったのはわたしの方。
「せんぱい」
沈黙するせんぱいを急かすように呼ぶ。
けれど、それを言った次の瞬間には、早く答えを知りたいという思いが、逆にわたしを急かしていた。
……もう、わたしの方から言ってしまおう。
「せんぱいの好きな人って、その、もしかして……」
「……わ、わた――」
コン、コン
わたしの一世一代の大決心は、無情にもドアのノックの音にかき消された。
さっきまで緊張したようにわたしの言葉を聞いていたせんぱいも、目を白黒させている。
「……ふぅ。 どうぞ、入ってください」
どうにか息を吐いて苛立ちを沈めようとしたが、続いて言った言葉は自分でも驚くくらい低い声だった。
「あの、失礼します。奉仕部のお二人から、こちらに兄がいると聞いて来たんですけど……」
入ってきたのは、黒髪にぴんと立ったアホ毛が特徴的な、可愛い女子生徒だった。たぶん、最近入ってきた一年生だろうか。
その子は生徒会室を見回したあと、せんぱいを見つけて、ニカッと歯を見せて笑った。
「あ、お兄ちゃん!」
お兄ちゃん……この子は、せんぱいの妹?
そういえば、せんぱいには妹がいると言ってたような。
それと、確か……
「小町ぃぃぃ!」
即座に立ち上がって、妹さんへと駆け寄るせんぱい。
そう、確か、せんぱいはとてつもないシスコンだと聞いた覚えがある。
せんぱいは駆け寄った勢いのまま、妹さん――小町ちゃん?を抱きしめる。
「も、もう! お兄ちゃん、人前で恥ずかしいから、やめてよ!……ぇへへ」
せんぱいに抱きしめられた小町ちゃんも、口ではやめてと言っているが、満更でもなく口元が緩んでいるようだ。
頬ずりするような勢いで小町ちゃんを抱きしめるせんぱいと、困ったような笑顔でせんぱいを受け入れる小町ちゃん。
待ちぼうけを食らった苛立ちと突然の小町ちゃんの登場に混乱する頭の中で。
ふと唐突に、その光景にひらめくものがあった。
せんぱい→とてつもないシスコン
年下→妹
放っておけない→こんなに可愛い妹なら放っておけないのはわからなくもない
「……」
……なるほど。
オーケーです、わかりました。
つまり……せんぱいの好きな人がわたしというのは、勘違いだったということですね。
……本来、笑顔とは攻撃的なものだという。その言葉に従い、やりようのない苛立ちや失意が、笑みの形にわたしの表情を歪めていった。
きっと、わたしは今、とっても素敵な笑顔を浮かべていることだろう。
……後から考えれば明らかにわたしは混乱しきっていたけれど、このときのわたしはその閃きが正解だと思い込んでいた。
「すみません、お二人とも」
二人の世界を作っていたせんぱいと小町ちゃんに声をかける。
二人は笑顔のわたしを見て、何故か、”ひっ”と怯えたような声を上げて互いに抱き合った。更に笑みが深まる。
「えーと、小町ちゃん?でしたか。ちょっとせんぱい……あなたのお兄さんのこと借りますね?」
わたしのお願いにぶんぶんと首を縦に振る小町ちゃん。
せんぱいは捨てられた子犬のような目でそんな小町ちゃんを見ている。……ちょっと可愛いと思いましたけど、許しません。
「お話が終わったら、奉仕部の方に行くようにしてもらうので、そちらで待ってもらってもいいですか?」
「は、はい! こ、小町の用事は大したものじゃないので、大丈夫です!家に帰ってから話すので、好きなだけどうぞ!」
「こ、小町ぃぃぃ……」
せんぱいは情けない声で小町ちゃんを呼び止めるも、彼女はニッコリと笑うと、せんぱいに手を振って生徒会室を後にした。
残ったのは、あっさり見捨てられたせんぱいと、にこやかに笑うわたし。
「せんぱい、ちょっとそこの椅子に座ってください」
「……はい」
とぼとぼ、という表現がよく似合う足取りで、向かい合うように並べられた椅子へと座るせんぱい。
それに続いて、わたしもせんぱいの目の前の椅子に座った。
「あのですね、せんぱい」
「お、おう。 なんだ、改まって」
続く言葉を紡ぐために、深く息を吸った。
「……せんぱいがシスコンなのは知ってますが、流石に妹さんを好きになるのはどうかと思います」
「…………はぁ?」
わたしの言葉に呆気に取られたような表情で固まるせんぱい。
イマイチ上手く回らない頭で、わたしは図星をつかれたからだろうと考えた。
「あの、血の繋がった兄妹は結婚できないわけですし……その、年下なら、妹とか小学生以外にももっと手頃な子が……」
……例えば、わたしとか。
わたしがせんぱいへと説教している間、せんぱいは呆気にとられた顔のまま、少しの間沈黙していた。
そして沈黙の後、何故か頭痛を抑えるように片手で頭を抱えた。
「あー、一色。お前は誤解してる。とりあえず、まず深呼吸しろ」
誤解って何だろうと思いながら、せんぱいに言われたとおりに深呼吸をする。
新鮮な空気が肺へと流れ込んできて、頭がクリアになった気がした。
「じゃあ、ほら、俺が昨日の最後に言った言葉を思い出してみろ。そしたらわかるはずだ。お前さっきまで小町に会ったこと無かったわけだしな」
せんぱいが昨日最後に言った言葉。
確か、わたしにとってせんぱいの好きな人は、一番近くて遠い……あっ!
それを考えてみると、さっきまで顔を知らなかった小町ちゃんは明らかに違うはずだ。
気づくと同時に、さっきまで混乱していたことを自覚する。せんぱいが言った重要なキーワードを完全に頭から吹き飛ばして、せんぱいは妹のことが好きなんだと思い込んでいた。
ついでに言うなら、今日の目的を完全に忘れていたことも思い出した。
「うぅぅぅ……」
そして、さっきまでの言動を思い返して、穴でも掘って隠れたい気分になった。
わたしは気恥ずかしさをこらきれずに、そのまま頭を抱えて机へと突っ伏すと、意味の無い呻き声を上げることで、湧き出してくる羞恥心と戦った。