――――――その一歩に勇気を持って
大変遅くなりました
こちらの方も徐々にペースを戻していければと思います
「……凰さん? どうしたんですか、こんなところに」
「こんなところって……ここアンタの部屋でしょうが。まぁ、確かにあたしがここにいるのは変かもしれないけど」
そう。部屋に戻るとそこには意外な来客がいたのだ。
静寐さんと神楽さんがいるのはそんなに珍しくはない。が、昨日の今日知り合った凰さんが部屋に来ているのあまりに予想外だった。
……その凰さんの様子も昼に会った時に比べてどことなくおかしく見えるのは気のせいだろうか?
「……私達が呼んだの」
「え?」
「……私達が彼女を部屋に呼んだの。……見ていられなかった、から」
「見ていられなかった……?」
彼女になにかあったみたいだけど……いいんだろうか、この場にオレがいても。
「……あー、実は私達リーヤくんが戻るのを待ってたんだ」
「自分を?」
「私達は彼女の事情を聞きましたが異性であるリーヤさんの考えも聞いた方がいいと思いまして」
「自分は大丈夫ですが……。凰さんはいいんですか? 」
彼女からすればオレは部外者もいいところ。それなら織斑さんに言った方がいい気がするけど……
「ええ。戻ってくるまでの間簪達と話して決めたことだし。……アンタがこのことを一夏に言うっていうなら話は別だけど」
「しないですよ、そんな事は。……まぁ、織斑さんは自分にいい感情を持ってないでしょうからそもそも自分の話を聞くか怪しいところですけど」
というか織斑さんが関係、それも言いたくない事なのか。
……本人にその気はないのかもしれないけどこうもトラブルを呼ぶなんてなにか持ってるのだろうか、彼は。
「ならいいわ。……その、あたし……一夏と約束をしてたんだ――――――」
そうして凰さんは織斑さんとしていた約束を話してくれた。
† † †
――――――凰さんは一年前まで日本にいて、その時に織斑さんと『料理の腕が上がったら毎日酢豚を食べてくれる?』という約束をしていた。聞いた時はよく意味が判らなかったけど静寐さんから『日本のプロポーズの言葉を少しアレンジしたもの』と言われ、当時(今もだけど)の凰さんがどれだけ本気だったかが判る。
それを織斑さんは『毎日酢豚をおごってくれる』と思っていたらしい。……子供の頃とはいえヒドい勘違いだ。それが原因で織斑さんと喧嘩して、部屋から飛び出したところで簪さん達が見つけた、というところか。
「なんというか……大変ですね。織斑さんって昔からそういう事に鈍感だったんですか?」
「そうなのよ。いつだったか女の子から『付き合って』って言われて『買い物に付き合う』って意味で聞いてたのよ、アイツ」
「「「「うわぁ……」」」」
凰さんの言葉にオレだけでなく三人も開いた口が塞がらない。どこをどう解釈すればそんな発想になるんだろうか?
「……それ、普通に断るよりタチが悪いと思う……」
「ホントにね。アイツ、自分が気づいてないところでどれだけ女の子を振ったのかわかったもんじゃないわ」
「なら、凰さんはこれからどうするんです? このまま喧嘩別れする、ってわけでもないんでしょう?」
「そうね。取り敢えずあたしから歩み寄ってみるわ。たぶんだけど明日になっても一夏とはあたしが怒った理由わかんないだろうし」
凰さんの言葉に思わず苦笑する。確かにそんな気もするけど言い切るあたり織斑さんの事をよく判っているんだろう。
「みんなありがと。聞いてもらったおかげで落ち込んでた気分が晴れたわ。特に簪、……その、声をかけてくれてありがとね」
「え……その、私、そんな大したこと……」
「簪からしたらそうかもしれないけどあたしにとっては大きなことだったのよ。簪が声をかけてくれなかったらまだ沈んでたわ」
人によって受け取り方は異なる。簪さんにとっては些細なことだったかもしれない。けど凰さんにとっては決して些細な事じゃなかった。
……そもそも簪さんにとって自分から踏み出すのは些細な事じゃないだろうに。
「そうそう。こうして話すきっかけを作ったのは間違いなく簪だもん。簪はもう少し自分に自信を持っていいと思うよ?」
こういう事をさらっと言えるのは静寐さんのいいところだと思う。何かの意図がある言葉じゃなくて何気ない言葉だからこそ相手に届く事もある。そういう言葉が自然に出てくるっていうのはオレには出来ない事だ。
「……その、頑張ってみる……」
それは小さな、しかし彼女の『これから』に大きな変化をもたらす事になる始まり。
引っ込み思案の彼女が踏み出した一歩だった。
† † †
「簪さん。自分も話があるんですけどいいですか?」
凰さん達がそれぞれの部屋に戻ってから数分、オレは簪さんにとっての劇薬――――――生徒会室でしていた話を彼女に話すべく口を開いた。
「いいけど……なに?」
「……更識会長についてです」
そう言った途端、簪さんの表情が曇る。……今までは避けていたけどやっぱり更識会長の事は簪さんにとって 地雷だったか。
「……単刀直入に訊きます。更識会長が貴女の事をどう思っているか。その本心を聞ける、と言ったらどうしますか?」
「…………え?」
簪さんの返事を待たず、制服のポケットから生徒会室での話を録音しておいた端末を簪さんに見せる。部屋に戻る途中、きちんと録れているか確認したが問題はなく録音出来ていた。
「この中には楯無会長の本心が記録されています」
「お姉ちゃんの……」
「どうします? 聞くかどうかは簪さんにお任せしますけど」
正直なところ簪さんが聞いてくれるかは判らない。けど簪さん自身も更識会長の事を積極的に嫌っているという風にはあまり見えなかった。
……実際、簪さんは端末を前に迷っている。本当に嫌っているならそもそも迷ったりはしないだろう。
「……もし自分がいると困るようなら少し外に出てきますよ?」
「……いいの?」
「それで簪さんの考えが定まるなら」
簪さんが自分の中での折り合いを付けられるならここは出るべきだろう。これに関しては、簪さんが自分一人で決めるべき事なのだから。
「30分ぐらいで戻ります。……出来ればその間に決めてくださいね?」
「うん……ありがとう」
――――――30分が経ち、部屋に戻ると簪さんの雰囲気に変化があった。
迷いが消えた、と言えばいいのだろうか。さっきまでの簪さんとは明らかに違っていた。
「リーヤ、……その……ありがとう」
「……言っておきますけど自分は特に何かしたわけじゃありません。どうするかを決めたのは簪さん自身ですから、お礼を言われるような事じゃないですよ」
オレがしたのはきっかけに過ぎず、踏み出したのは簪さん自身だ。だからお礼の言葉を受け取るわけには――――――
「――――――私はずっとお姉ちゃんを避けてた。……でも……本当はわかってた。お姉ちゃんが私を家から遠ざけてたり、私に話しかけたりしてくれなかったのは私を『更識』のやってることから遠ざけるためだったんだって。……でも、私はずっと目を逸らしてた」
「…………」
簪の言葉はリーヤに向けられていない。彼女の言葉は――――――彼女自身に向けられていた。
「気付いてても……認めたくなかった。私は自分の力でお姉ちゃんに認めてほしかったけど……そもそもそれは的外れだった」
そう、楯無が簪の実力を認めれば『更識』の行っている事に巻き込む事になる。それは家の事から簪を遠ざけようとした楯無にとって許容出来ない事だった。
「……でも私はお姉ちゃんに並びたい。ううん、私はずっとお姉ちゃんを支えたかった。――――――だからお姉ちゃんに私の気持ちを伝えたい」
それは簪の踏み出した一歩。そしてリーヤはそれを無下にする気等なかった。
「――――――判りました。自分に出来る事があるなら協力しますよ。……自分が焚き付けたようなものですし」
「……ありがとう、リーヤ」
オレの返事に簪さんが嬉しそうに笑う。その笑みはこれまでオレが見た簪さんの笑みの中で一番眩く見えた。
「でもリーヤ。お姉ちゃんは私には言わないようって言ってたけど……いいの? 約束を破った事になるけど……」
「自分はあくまで会話の記録を聞きますか、と訊いただけで自分から話すとは一言も言ってません。だから言いつけを破ったわけじゃありませんよ?」
言うまでもなく詭弁である。がこういった揚げ足取りは権謀術数渦巻く欧州の政府や企業にとっては割と普通の事だったりする。
「……あとで怒られるんじゃないの?」
「でしょうね。……まぁ簪さんと楯無会長が仲直りしてくれれば多分お咎めなしになると思うんですが」
更識会長、簪さんに対して未練が凄くありそうだったし。文句は言われるだろうけど非難される事はないだろう。
(非難されたとしてももう遅いというのもあるのだが)
どのみち、会話記録を簪さんが聞いた時点で賽は投げられた。誰にも邪魔されずに二人が会えるのはやはり生徒会室。問題は更識会長が居てくれるかだけど……
† † †
翌日の放課後、オレは簪さんと一緒に生徒会室へ向かっていた。――――――理由は勿論簪さんと更識会長を引き合わせる為だ。
「……さて。簪さん、準備はいいですか?」
今からする事の主役は彼女であってオレじゃない。だから簪さんが引き返すなら意味はなくなる。
「――――――大丈夫。自分の気持ちをお姉ちゃんに伝えるって、決めたから」
一瞬だけ目を瞑り、覚悟を決めた簪さんにこれ以上訊く必要はないだろう。
「それじゃ、行きますよ。……失礼します」
「……失礼、します」
「……リーヤくん? どうして簪ちゃんが一緒にいるのかしら?」
オレ達が生徒会室に入ると先に来ていた更識会長がこっちに向けて敵意を隠そうともせずに向けてくる。……いや、更識会長が敵意を向けているのはオレだけか。
「答えてリーヤくん。理由によっては許さないわよ」
更識会長の言葉にはこれまでにない“重さ”があった。会長は理由によっては、と言っているがオレが簪さんを連れてきた理由は察しているんだろう。
だからこれは問答ではなくただの確認。オレが答えたら会長は即行動に移るだろう。
「……自分が彼女を連れてきたのはそれが彼女の意志だからです」
簪さんの意志という言葉に少しだけ更識会長の圧が緩むも『きっかけを作ったのは確かに自分ですが』と言うと途端に圧が戻る。
……簪さんから『どうして余計な事を言うの』と言わんばかりの視線を感じるけどそれは承知の上。オレがあの会話記録を簪さんに渡した以上、少なくともその責は負うべきだ。
「――――――お姉ちゃん」
――――――だが、その圧は簪が話しかけた事で霧散する。それは簪が話しかけたからなのか、それとも簪の言葉“なにか”を感じたのか。
……おそらくは後者だろう。
「……お姉ちゃん。私はずっとお姉ちゃんに敵わないから追いつけないって思ってた。お姉ちゃんはなんでもできるから……私なんかいらないじゃないかって」
「簪ちゃん……」
楯無にとって簪の胸の内を聞くのは初めてだ。――――――そして、今楯無の胸にあるのは後悔だ。
楯無は簪が家の事に関わらないようにしてきたし、例え自分が嫌われてもそれでいいと思っていた。
――――――だが、皮肉な事に楯無が簪を想ってやればやる程簪は劣等感を深めていっていた。
「……打鉄弐式を倉持技研から引き取ったのだって……お姉ちゃんに認めてほしかったから……。私は……他の誰よりも……お姉ちゃんに認めて……褒めて……ほしかった……」
半ば涙交じりの簪の言葉は楯無の心に深く突き刺さる。楯無は自分が嫌われてもと思っていたが――――――簪がどんな気持ちで自分を嫌うか考えていただろうか。
そう思った瞬間、楯無は心の赴くまま――――――簪を抱きしめていた。
「……おねえ、ちゃん……?」
「……ごめんね、簪ちゃん。……私、簪ちゃんがどんな気持ちでいたか……想像するだけで……知ろうとしなかった……」
「わ、私も……お姉ちゃんが私をどれだけ大事に思ってくれてたのか……わからなかった……」
互いに謝りながら自分の気持ちを伝えあう楯無と簪。不器用なところが似ている姉妹は、お互いにあったわだかたまりが涙と共に流れていくのを確かに感じていた。
† † †
お互いに伝えたい事を伝えた更識会長と簪さんは揃って顔を赤くしていた。……わだかたまりは解けたようだけど今はお互い気恥ずかしいんだろう。
というのも――――――
「よかったねー、かんちゃん」
「私達もお二人が昔のように戻ってくれて嬉しいです」
――――――オレ以外にも布仏先輩達もいたからだ。(二人とも生徒会役員なので当然と言えば当然なのだが)
「……その虚ちゃんと本音ちゃんもごめんね? 私と簪ちゃんのこと……ずっと気にしてくれてたんでしょう?」
「気にしないでください。私達はお嬢様たちが仲直りしてくださって充分報われていますから」
「うんうん~。お嬢様と~、かんちゃんが昔みたいになってくれてなにより~」
布仏先輩達はオレなんかよりもずっと二人の事を想ってきたのだろう。……その言葉にどれ程の想いが籠められているのかそれは彼女達にしか判らないだろう。
(……席を外すか)
感動的なムードに居辛さを感じてこっそりと生徒会室から出ようとしたのだが――――――
「と・こ・ろ・で、リーヤくん? 簪ちゃんには話さないって約束……破ったわね?」
……それが仇となったのか更識会長に気付かれてしまった。しかも追及のおまけ付きで、だ。
「……結果的にいい方向に転がったんですからそれで不問、というわけにはいきませんか?」
「きっかけを作ってくれた事は感謝してるわ。――――――でもそれはそれ。これはこれよ?」
扇子を広げながらそう言う更識会長。広げた扇子には『契約違反』とある。
……いつの間に書いたのか訊いてみたい気もするけど今は更識会長に説明するのが先か。
「破ってはいませんよ。簪さんにも言ったんですが自分は――――――」
更識会長達に事の経緯を説明する。やはりというか更識会長はオレが会話を記録していた事にいい顔をしなかった。
……当然といえば当然なのだが。
「言っておきますがこれからも
「そうね。よーく覚えておくわ。……ただ簪ちゃんと仲直りできるきっかけをくれたことは感謝してるわ。……ありがとう」
本当、この人は――――――
「素直じゃないですね」
「お嬢様ですから」
「おじょうさまだからねー」
「……お姉ちゃんのヘタレ……」
「みんな揃ってヒドくない!?」
――――――リーヤの採った方法は荒療治とも言える方法であったが確かに効いた。
それは楯無と簪、そしてその二人を支えてきた虚と本音。四人の笑顔が何よりも語っていた。