きもい
匂う...これは奴の魔力の道しるべ...
脅迫犯を追っていた僕の前に現れたのはホテルのカーペットの上にこぼれている魔力。
まるでお風呂から上がってちゃんと髪を乾かさないでいたまま歩き回ったみたいに...
「セト。向こうは気づいてるわ。追いかけているのがあなた一人だって。そしてこの先の部屋で待ち構えてる。あんなことした奴だよ絶対罠だよ。だいたいセトはあいつを追い詰めてどうするのさ。魔法で戦うなんて漫画の話だよ」
そんなことわかってる。僕だって別に機敏なわけじゃないし。匂いでわかっててもさっきみたいな攻撃はよけれない。
だけど
「今このタイミングで引き返すわけにもいかないし相手は僕が目当てみたいだし、先生に迷惑かける前にけりをつけれれば全部丸く収まるだろ。そのためには多少のムチャはするさ。ま、危険なのはわかってる以上対策はするけどね。いいかよく聞け...」
そうこう話しながら進んでいくともう目的の部屋の前だった。
ホテルの扉ってのは防犯のためか微妙に軋んだりする。ここの扉もそういうやつでキィーッという不愉快な音とともに電気のついてないベッドも何もないだだっ広い部屋が目の前に現れた。
とりあえず目に付くのは入り口のちょうど真正面の一面窓。壁一面丸っとガラス窓だ。そして部屋の真ん中に置かれたイスとそれに座る等身大の人型マネキン。この部屋にはそれしかなかった。部屋の広さは家具がほとんどないうえに高級ホテルのスイートルームなだけあってなかなかに広い。だが暗闇の部屋に窓の向こうの街の明かりが入り込む何もない空間は高級感など忘れてしまうほどに不気味さを漂わせている。
恐る恐る、震える足を踏み出して部屋へはいると
「安心しろよ。何も君を殺しに来たわけじゃない。少し話がしたいんだよ」
あぁ...なんで僕は無駄なムチャをしたんだろう。思い返せばエリザを気絶させたときの魔術だって見たことも聞いたこともないものだった。僕はあまりにも彼への対策において無知なのだ。
どこからともなく聞こえる男の声を聴いた瞬間、僕は後悔した。その声はまるで冬の朝の水道のように冷たくて、痛みを伴って凍みる...嫌な声だ。
ハァハァハァ...自分の呼吸が乱れていくのがわかる。だけどどうしようもない。こんなのどうしろってんだよ。僕に....
(セト!しっかりしなさい。いい?よくこの香りをかいで。)
頭に小さく響くルキアの声。同時にミモザのような優しい香りが漂ってきた。
そういえばルキアには前にミモザの花を見せてあげたっけな。彼女なりに僕を手伝ってくれているのか...
(私は影を縫ってセトの作戦通りにやるから、セトも...ね?大丈夫。私がついてるから。)
(ありがとう。)
冷汗は止まらなかった。でも気持ちはほんのちょっとだけ落ち着いた。それで十分。レンフレッドさんや先生たちがここにつくまで足止めしていればいいだけ。簡単な...ことだ
「私に話?申し訳ないですけどね。私はあなたみたいな人知りませんよ。」
「だが私はよく知っている。セト君君のことはほんとによく...ね。」
不気味な雰囲気はそのままに部屋中央に置かれたマネキンの裏からフードを被った人間が出てきた。
顔は見えないが声からしておそらく男。だがそんなことはどうでもよかった。外の明かりが差し込み男の黒いローブに反射する。照らされたそのローブ。そして漂う香り
「お前は....!?まさか」
「あの扉は身を乗り出すほど美しかったかい?」
!!!この男は僕が魔法を使えるようになったあの扉を開いた男だ!間違いない。当時はにおいなんてわからなかったけど今思い返すとあの時感じていた不思議な感覚と今奴が放つ不気味な何かは一緒だ。魔力への嗅覚がより敏感になったからこの感覚を恐ろしいものと認識できるようになったのだろう。
思わぬ遭遇にせめて顔を見ようと僕はもう数歩部屋の奥へと進んでみたが男はフードを深くかぶっていてなんとか口元が見える程度だった。
「う~む。その顔...どうやら思い出してくれたようだね。う~ん。そうでなきゃ!せっかく私のお気に入りにしてあげようと思ってるんだから...」
お気に入り?まるで舞台役者かのように大げさに両腕をめいっぱい広げるその様子は胡散臭さたっぷりだ。
果たしてそんな奴のお気に入りが安全な意味になるだろうか?なるわけがない。
「お気に入り?なんです?首に鎖でもつけて犬の代わりに飼おうとでも?」
「ご名答!」
えっ...?
そう言って男が笑みを浮かべた瞬間。部屋の隅から黒い滑らかな動きをしたロープのようなものが飛び出してきて僕の両腕両足に縛りついてきた。そのまま紐たちはピンと張り。僕は立ったまま両腕を真横に引っ張られ足も大股開きになり所謂大の字になっていた。
「う~ん。やはり君はぁ私が見込んだだけはあるバカだよぉ」
完全にやられた。あいつは僕の動きを読んでたんだ
「だってちょっと過去のこと仄めかしただけで、ちょうどぴったり私の予想していた罠の位置に立ってくれるんだもん。いやぁ。かわいいね~君は本当にすばらしいよ。私の思い通りに動いてくれるなんて最高だよ。」
捕まったとたんこの男の言動や行動がどんどん怪しくなってきた。動きもやたらクネクネしてるしちょっと悪寒が...でも状況はまずい。いまならまさに煮るなり焼くなりご自由にって感じだ。
「アハハハハ!怖がってる。まあでも安心しなよ。殺したりはしないから。少しヤバめなお薬と魔術でしばらくいうこと聞いてもらって私らの実験に使うだけだから。」
そう言って男はどこからともなく注射針を取り出した。どんな薬物が入っていようが関係ない。刺されたら終わりだ。
「ホントにこんな好みの子を手に入れられるなんてなぁ。鱗盗ませたり魔術師さらったりした甲斐があったよ。」
あの一件の首謀者だったのか...
「なんで...なんで私をとらえるためにここまで回りくどいことを?なんなら扉の時にできたろう」
「なぁに実験にちゃんと使えるものかどうか試しただけだよ。そして合格した。いつまでもあの魔法使いの手元に置いておくわけにはいかないし。僕が君を管理することになったんだ。」
そういいながら男はぐっと距離を詰めてきて、その顔は鼻先がついてしまうほど近かった。
気づいたら背後の扉は締まっており当然助けを呼べる状況でもない。
ここまで近づいていればいやでも男の吐息もかかる。冬の深夜の風のように冷たい息...まるで生気がない。
「それじゃ...お楽しみタ~イム」
そう言いながら男は注射針を近づけてきた。中には銀色に光る液体。それに当たりの景色が反射している。
....!!!
そこには写っていた!合図を待ち暗闇に潜んでいた僕のパートナーの姿が
「っと...そのまえに。せっかく僕が任されたんだ少し楽しんでもいいだろ?ねぇ?」
無視だ。タイミングを見計らえ。ルキアには目で十分伝えられる。奴が注射針を僕に刺そうとしてその視点が注射針に集まった瞬間。そこを狙って不意打ちをする。というかそれくらいしかチャンスが..!!?
「んぐ...ん!!!」
それは突然の出来事だった。
僕は動けず考えを巡らせていた。だからこそそれに反応できなかった
「ん....はぁ。なかなかいけるじゃん。その顔も最高だよ。何が起きたかわかってないけどとろとろな感じ。人間だれしもキスされたら意識しちゃうよね~あぁかわいい。もう一回ぐらいいいよね?」
信じられなかった。しかも舌も入れられた。されたことも嫌だったが、一瞬でもこいつが望んだような惚けた顔になってしまったほうが何倍も悔しかったし。自分が嫌いになりそうだった。
この男は自分の欲望のためにここにいる。しかもそれはずば抜けて危険な...身動きが取れないうえにまだ男の唇は離れない
もはや猶予はなかった
(ルキア!いまだ!)
目くばせをしルキアは手にもつ瓶のふたを開けた。あの瓶は闇市でどっかのネズミからかっぱらった「インドアフィッシュ」の入った瓶。よし。計画通りだ。
ホントは恨み晴らすようなことに魔法や彼ら隣人の手を借りるのはNGなんだけどどのみちこの状況から逃げないといけない。
ポン!
「んはぁ、んぁ?何の音だ?」
もう遅いインドアフィッシュは僕の魔力の影響を受けて動いてもらってる。これも一種の契約なのだがまあ今は詳しく考える必要はない。男が音のしたほうを振り向く。それを想定して部屋の上部を移動して死角に回る。そして....
コトン
...部屋のカーペットの上に注射器が転がり落ちた。それを抑えていた指と一緒に
「な、なんだ?これは!ぼ、僕の手がぁぁぁ!あぁー!あ!なんなんだよこれは。痛くもかゆくもない。で、でも手が、手のひらだけがなくなってる。」
すぐさま魚たちは僕の拘束も食べてそのまま影からゆっくりと現れたルキアの手元の瓶へ戻っていった。
「な、何をしたんだ?君は?それにこの馬女はどこから出てきた?ん?」
男は問い詰めようと僕のほうへ歩みを進めて、初めて自分の右足の踵がなくなっていることに気が付いたようだ。
そのままバランスを崩し床に倒れこんだ。
「これも全部君が?セト君。君は最高だなぁ。まさか僕を出し抜くぐぅぅぅ!」
話している途中にルキアのきっつい蹴りが決まった。そのまま男は窓際まで飛ばされ口から血を吐きながらうずくまった。
インドアフィッシュは捕食したものに痛みを与えず出血もさせない。本人が気づく前に取り返しのつかないところにまで食い続け追い込む。そして肉塊同然になっても捕食された側は死なない。死ぬときは両目を食われた時だけ。だからこいつに捕食されたものは最後に大きな口を開けて近づいてくる姿を見て恐怖しながら死ぬという。まあ情報を聞き出すためにもそこまではしないが動けないように踝は食わせた。
そして...
バンッ!!
そんな勢いで開けたら壊れちゃうだろってぐらい勢いよく乱暴に背後の扉が開き
そこには先生にレンフレッド、バーダーさんにその弟子のみんな。
先頭には柿崎がいたのでおそらく彼の千里眼は僕の残した痕跡をばっちり見つけたようだ。
「さて、形勢逆転ってやつですね。おとなしく....」
「アハハハハハッ!ハハハハハ....ハァハァ。まったく君は」
男が顔を勢いよく上げフードが取れた。
「最高だな。」
だが取れなかったほうがどれだけよかっただろうか。背後からマーシェンさんとアエラの息をのむ音が聞こえた。そりゃそうだろう。顔が半分ただれて左目のあった場所がぐずぐずに崩れ落ちていた。口元だけは無事なようだがその顔は到底...
あれにキスをされたのか...思い出しただけで吐き気がしてくる。
「あぁ...愛しの君にそんな顔してもらえるなんて...僕は君の記憶にずーっと残っていられそうだな。んぁあ」
「ふざけたことを抜かしていないでおとなしくしろ。お前にはあとてじっくりと話を聞いてやる」
レンフレッドさんがしかめっ面のまま銃を抜き男へ近づいて行った。
僕はそれと交代するようにゆっくりと後ろへ下がる。
男はそれを聞くと背後の窓ガラスに無くなっていないほうの手を置き不気味にほほ笑んだ
「話?レンフレッド。お前に話すことなんか何一つないなぁ。それに結構楽しんだし。」
踵のない足のまま無理やり窓に寄りかかりながら立ち上がる。全員が警戒して一歩下がったそしてその瞬間。
パリィッン!!
背後でガラスのようなものが割れる音がした。振り返ると部屋の外にかなりの量のガラス片が散らばっている。そしてほぼ同時に僕の頬を冷たい風が撫でていった。
慌てて振り返るとそこに窓ガラスはなかった。あるのは大きな窓枠だけ。そして...
「セト君。愛してるよ。」
気味の悪い笑顔を僕に向けたまま男は窓枠の外へ身を投げた。その目は最後まで僕を見つめていた。
これはきもい