転生者は平穏を望む   作:白山葵

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第57話 ~ 決着 ~ ★★

「西住流に逃げるという道は無い」

 

 廃校になった学校の廃墟。

 その中庭の中心。

 

 …みほと対峙する。

 

「こうなったら、ここで決着をつけるしか無いな」

 

 Ⅳ号のハッチから、私を見据える妹は…黒森峰を去った時の顔ではなかった。

 一呼吸置き、真っ直ぐな目ではっきりと言った。

 

「受けて立ちます」

 

 私は、みほに向かって「逃げる」と言う言葉を、あまり使わなかった。

 試合中、撤退や後退。

 その様な言葉も、出来うる限り避けたかった。

 

 それは、みほが黒森峰を去る時も…。

 

『隊長! 我々が行くまで待っていてください!』

 

 エリカから無線が入る。

 

「……」

 

 悪いが、待つ事はできない。

 確かにここで援軍を待ち、物量で叩くのが定石だろう。

 

 ――が。

 

 悪いが、私情を挟ませてもらう。

 

 駆動音を響かせ、一度に動き出す。

 旋回をしながら、距離を伺う。

 

 ……。

 

 1、2回、旋回して、みほは校舎の間を走っていく。

 

 ……。

 

 何故だろうか。

 

 今…。

 

 今、この時。

 

 あの隆史がいた、最後の夏を思い出した。

 あの夏祭りの夜の事は、お前には内緒だが…な。

 今、その隆史は、お前の横にいる。

 私が頼んだのもあるが、それは羨ましいなと、妬みにも近い感情があるな…。

 

 みほ。

 

 事件のトラウマは、お前だけではない。

 私にもある。

 隆史は過保護だと笑うが…考えてみれば、あいつに言われたくないな。

 

 …まぁいい。

 

 あの事件の後、お前を必要以上に…なんというのか、保護しなければと…守ってやらなければと…。

 西住流としてではなく、姉として…ただ、姉として…。

 お前を守ってやらなければ、ならなかったのに。

 

 お前には言えないが、黒森峰の隊長として…西住流の次期家元として…。

 私は、そのプレッシャーに潰れかけていた。

 挙句、お前を追い出してしまった。

 

 ただ…お前を守ってやらなければ、ならなかったのに。

 

 そう思っていた。

 

 疑問もなく、そう。

 

 

 それが私の傷。

 

 

 異常な程の過保護。

 できうる限り、隠してきた傷。

 それは、脅迫を受けているかの様な…必死になる程の…傷。

 

 お前にも分かるだろう。

 無意識にだが、漏らしてしまった私の弱音。

 隆史との電話で、潰れかけた…いや、白状してしまえば、もう…潰れていたな。

 

 そんな私が出してしまった一言。

 

 タスケテ

 

 それを拾い上げ、即日、駆けつけてくれた、熊本港で久しぶりに見た…隆史の顔。

 

 ……

 

 …………

 

 うれしかった。

 

 ただ、うれしかった。

 

 言えば、私の気持ちは分かるだろう。

 

 言わないがな。

 

 言えるはずがない。

 

 

 

「次弾、装填。急げ」

 

 …

 

 ……

 

 大洗での…例の男が関係している事件は、お母様より聞いていた。

 深く、昔の傷を抉る様な事件。

 

 それでも尚、お前は私の前にいる。

 私と対峙している。

 

 戦っている。

 

 戦えている。

 

 隆史だけじゃない。

 お前はお前の友人を作り、もう一度、戦車に乗っている。

 

 …隆史のお陰で、私はもう傷は癒えた。

 

 お前はどうだろう?

 

 はっ…。

 

 我ながら、うまく言葉が繋がらない。

 他人が聞けば、良く意味が分からないだろう。

 

 結局の所、私が聞きたいのは一つだけだな。

 

 もう一度、初めの場所。

 

 廃学校の中庭に戻り、対峙する妹に聞きたい。

 また戦車に乗り……潰れかけた妹に聞きたい。

 

 

 みほ…。

 

 

 お前の戦車道は見つかったか?

 

 

 

「「 撃て!! 」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「なに、難しい顔してんのよ」

 

「……尾形さん。いい加減、気配消して背後を取るのやめて下さい」

 

 観客席より少し離れた場所。

 娘達が対峙する姿を大画面から眺めていた。

 先輩…。

 昔から私に気がつかない様に、背後を取るが好きだった。

 それは、現在進行中で。

 

「あと、いい加減その着ぐるみ脱いだらどうですか?」

 

「いやぁ~ちょっと気に入っちゃって!!」

 

「…島田流の娘が、用意した物ですか」

 

「これいいわね! 見た目の割に動きやすいし!! もう不審者は、ほとんど狩り尽くしたわ!!!」

 

「…殺していないですね?」

 

「個々の生命力は知らないわ! 自己責任よ! 弱ければ死ぬんじゃない?」

 

「…恐ろしいことをサラッといいますね」

 

 私の横に着ぐるみのまま座り、そんな事を宣う。

 この人は、見た目とは違い、細かい手加減ができる人だから…まぁ大丈夫だろう。

 

 ……。

 

 昔…言っていたわね。

 手加減…どこまで壊せるか、分かって調整できる方が面白いと…。

 拷問とか得意そうですね…昔から。

 

「いやぁ~…結局。あの3人、昔からずっと一緒よね」

 

「…隆史君は、一度転校してしまいましたけど」

 

「それでも、最後には一緒になってるしねぇ…感慨深いわね!」

 

 着ぐるみの頭を外し、腕を組みながら私の横に座った。

 汗一つかいていないその顔は、どこか懐かしそうだった。

 

 建物という名の壁を使い、狭めた視界を利用し…右往左往、動き回っている。

 決勝戦の全体的な流れを見ても、やはり改めて思う。

 みほの戦い。

 …やはり西住流ではない。

 

 どちらかと言えば、島田流に近い動き。

 それが余計に私を苛立たせていた。

 

 …今までは。

 

 すでにその苛立ちは無い。

 素直にあの子達の試合を見る事が出来ている。

 

「やるわねぇ、みほちゃん。後手に回ってるけど……まほちゃんの動きに、ちゃんと着いていっている」

 

「……」

 

 あの子が、川の上。

 戦車の上を飛び続ける時、私は手を握り締めていた。

 手の中は、汗で湿るほどに。

 爪の跡がつくほどに。

 

 そこで気がついた。

 無意識に声が漏れる…

 

「…すでに私は、みほを…許してしまっていましたね」

 

「んぁ? あぁ、勘当するって言っていたわねぇ」

 

「勘当…その時一度、隆史君に怒られましてね…そのお陰かもしれませんね」

 

「隆史? あぁ!! あんたの所に乗り込んだって話ね!」

 

 面白そうに笑っている先輩。

 私に意見する…特に、隆史君が私に対して敵意を剥き出しにしたのが、余程愉快らしい。

 後で、聞いた事を後悔していた。

 私も見たかったと…趣味の悪い。

 

 …ふっ。

 

 彼のお陰で、勘当する事を、踏み止まる事ができた。

 本当にあの時、みほを勘当をしてしまっていたら…大洗での、あの時…あの誘拐事件。

 私はあの子に、会おうともしなかっただろう。

 そもそも行く事も無かった。

 

 …怯え切った娘に何もできなかっただろう。

 気がつく事すら無かっただろう。

 壊れかけた娘を…私が見捨ててしまう事になっていた。

 

 あの時…あの場に行けて、本当によかった。

 

『 大洗学園、ポルシェティーガー、八九式中戦車、走行不能!! 』

 

 あと一輌。

 大きな音量のアナウンスが入る。

 

「…ま、正直に言うとね」

 

「……先輩?」

 

「あんたは、隆史に感謝してるって前に言ってたけどさ」

 

「えぇ…まさか転校までしてくれるとは…思ってもみませんでしたから」

 

「本当は私の方こそ、あんた達に感謝してんの…隆史を良い方向に変えてくれた」

 

「…え」

 

 遠くを見つめる目で、私を見ないように…真面目な口調で話し始めた。

 

「あの馬鹿息子…ちっちゃい頃、まったく笑わない子だったの」

 

「…そうなのですか? 私は良く笑う子だと思っていましたけど」

 

「まほちゃんと、みほちゃん。あの子達と会ってから変わったのよ」

 

 あの事件の後、変わっていったって事…でしょうか?

 

「物心が、付き始めた辺り…子供の振りをした子供みたいな感じが強かった。普段は泣かない、笑わない…子供らしく我侭すら言わない」

 

「……」

 

 私と初めて会った時は、普通に笑っていたと思いますが…。

 

「一番気味が悪かったのが…理解していたのよ…大人の会話を。何より上下関係を」

 

「…上下関係?」

 

「人の立場というものを理解していた」

 

 家族の中、子供としては、親が上に当たる。

 そういったものを理解していたと、それらしい事も言っていたと嘆いている。

 会話もなにも接客をするようだったと。

 

「私が怒ったりしたら、すぐに謝る。なにも言わない…全て受け入れる…一度、恐怖を感じたわ」

 

「恐怖?」

 

「…話す言葉が、初めから全て敬語だったの」

 

「……」

 

「テレビも見ない子だったから、どこで覚えたかしらないけど…私に対しての謝り方が…『すいません』だったわ」

 

「す…」

 

「私が耐え切れないで、一度手を挙げた事があったんだけど…」

 

 躾としてではなく、そんな子供に先輩自身、追い詰められていた。

 育児ノイローゼにまで、なりそうな時に一度感情的になってしまったと嘆いている。

 

「しほ。あんただったらどうする?」

 

「な、なにがですか?」

 

「殴られた子供が、その殴った母親に対して…………うすら笑いを浮かべたのよ?」

 

 背筋に悪寒が走る。

 その子供が、隆史君だと思うと余計に…。

 

「その私を見る目…下から上を目だけで見る…卑屈な人間の目だった。あれは、諦めた笑い」

 

「……」

 

「まいったわ…。本当にどうしていいか、分からなかった」

 

 先輩が一度、意気消沈…鬱気味になっていた時期があったけど…その時か。

 

「成長するに従って、冗談を言ったり、愛想笑いは、する様になったのだけど。4、5歳の子供が…愛想笑いよ?」

 

 それでも待望の男子。

 殴ってしまった事を反省し、根気よく…手探りでも息子と向き合うと、多少は良い方向に変わってくれたと、少し寂しそうこちらを見る。

 

 しばらくして、自分を鍛えたい。

 そう言い、先輩を…母を頼って来た時は、泣くほど嬉しかったと、懐かしそうに言っている。

 …母の様になりたいと言ってくれた時は、それはもう狂喜乱舞したそうだ。

 

「そんな子供。周りの大人も子供も…近づく事もしないわよね」

 

「……」

 

「ま、そんなんで、誰か他人と接してもらおうと…あんたの所に連れて行ったのよ。…あの事件の日にね」

 

 同い年位の友達を作らせたかった…。

 それは始まりだった。

 

 娘達と知り合ったのが切っ掛けで、そこからは段々と、今の様な性格に変わっていった。

 多少、過保護気味な性格になってしまったと、笑いながら言っている。

 

 …この人も、子育てで苦労していたのか。

 

「…だから、本当に感謝してんのよ? 息子の初恋相手には」

 

「……」

 

 その言葉は対応に困りますね。

 

 カッと笑い、思い出話はここまでと、その着ぐるみは立ち上がった。

 

「ほら。決着、つくわよ」

 

「……」

 

 二人の娘が、向かい合っている。

 

 会場内…周りも見守るかの様に静かになっていた。

 

 …

 

 みほの号令と共に、Ⅳ号が動きだした。

 

 距離を測る。

 

 みほが…Ⅳ号戦車が、大きく旋回。

 

 ……

 

 履帯が切れ、転輪もむき出し…。

 

 火花を散らしながら、ティーガーの後部に最短で回り込……なるほど。

 

 グロリアーナの時と同じか。

 

 ……。

 

 二つの戦車が黒煙に包まれる。

 

 その煙は中々、晴れない。

 

 …………。

 

「さ、そろそろ私は行くわ」

 

「…はい」

 

 熊の頭部を付け、背中を向ける。

 しかし、なぜ先ほどの話を今したのだろう…。

 

「ま、私が今回…過去の犯人とやらを、見つけないように祈ってて」

 

「見つけないように?」

 

「ちょっと私も今回、感情的になっててね…」

 

 背筋が凍る。

 

 本気の先輩…尾形 弥生を見たのは…久しぶりだった。

 この彼女を知っているのは…千代と私だけ。

 だから分かる…この人は、本気で言っている。

 

「…みほちゃん達のこの試合に、ケチをつけたくないし……何より」

 

 会場中に大きな音量のアナウンスがまた入る。

 その直後、大きな歓声が会場内から溢れてきた…。

 

 

 

「……そいつに加減できそうにないしね」

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした!」

 

 沙織さんがそう言って、お辞儀した相手…。

 

 ボロボロになったⅣ号戦車。

 

 今でもまだ信じられない。

 

 …勝った。

 お姉ちゃんに…勝てた。

 

 必死だった。

 

 終わってみれば、必死すぎて現実感があまりない。

 

 ………。

 

 河嶋先輩に泣かれ…。

 

 会長に抱きつかれ…。

 

 遅刻データを消してもらった麻子さんも喜んでる。

 

 ……。

 

 優勝…。

 

 これで廃校は無くなり、まだ大洗にいられる。

 

 日も傾き、見るもの全てがオレンジの色に染まっている。

 

 なんだろう…やっぱりちょっとまだ、信じられないや。

 

 切っ掛けは兎も角…。

 

 

 友達も出来て……隆史君が来てくれて…。

 

 …戦車道に復帰して…。

 

 

 ……。

 

 

 思い起こせば、止まらない。

 一緒に闘ってくれって、笑い合って並んでくれている皆を見て…。

 

 色々合って、色々思って、色々喋って。

 

 …一緒に戦車に乗ってくれて。

 

 楽しかった。

 

 もう楽しかった思い出しかない。

 

 戦車が…やっぱり好きだったんだなと…実感できる。

 

 

「よし! んじゃあ、行くよぉ!」

 

 あ、そっか。

 会長の声で、我に帰った。

 閉会式…でも…。

 

 …でも、隆史君がまだ帰ってこない。

 会場にはいると会長から、教えてもらっていたけど…まったく顔を見ないなぁ。

 相変わらず携帯は電源を切っているみたいだし…。

 それだけが、ちょっと寂しい。

 

 

「あっ! ちょっとだけ…すみません」

 

 背中を向けている、お姉ちゃんの元に走る。

 話したい…声を掛けておきたかった。

 

 

「ん? エリカがいないな」

 

「あ~…副隊長は、まぁ察してあげてください」

 

「…分かった」

 

 撤収準備の最中。後ろをから声をかけると昔と変わらない、厳しい顔でこちらを振り向いてくれた。

 

 

「お姉ちゃん…」

 

 

 向かい合ってみれば…言葉が出てこない…。

 

「……ぅぅ」

 

 相変わらず真っ直ぐ私の目を見てくる。

 

「……」

 

 …ど、どうしよう。

 

「…優勝おめでとう」

 

「え…」

 

「完敗だな」

 

 笑った…お姉ちゃんが…。

 黒森峰でもあまり笑う事が無かったお姉ちゃんが。

 やさしく笑ってくれた。

 

 差し出された右手を繋ぐ。

 

 ちょっと…握手は気恥ずかしいけど…嬉しい。

 

「みほらしい戦いだったな…西住流とは、まるで違うが」

 

「そうかな?」

 

「そうだよ」

 

 …お姉ちゃんの目が、私から私の横を見ていた。

 

「あ…」

 

 後ろを見てみると、沙織さん達が心配そうに見守っていてくれた。

 

 …戻ろう。

 

「じゃぁ、行くね」

 

「あぁ…」

 

 一言二言。

 それしか話さなかったけど…よかった。

 お姉ちゃんと話せて…。

 

 あ、これは言っておこう。

 

 見つけたんだ。

 

 見つける事ができた。

 

 皆と一緒に。

 

 

「お姉ちゃん!」

 

 振り向きながら、ちゃんと言っておこう。

 

 

「やっと見つけたよ! 私の戦車道!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 …負けた。

 

 

 

 あの子に負けた…。

 

 目から溢れてくる物を拭いながら、座り込み…車の横にもたれ掛かる。

 まるで隠れる様に…。

 

 止まらない。

 

 溢れるモノが止まらない。

 

 目が熱く…拭っても拭っても。

 

 

 ……。

 

 なにも…なにも出来なかった!!

 

 ただ、私は焦ってしまっただけ。

 

 私情に駆られ、冷静な判断が出来なかった。

 

 何ができた?

 

 もっとできたはずだ。

 

 後悔と自責の念で潰れそうだった。

 

 結局試合後も…こうやって逃げ出してしまった。

 

 隊長の顔を…見れなかった。

 

 あの子の能力は、分かっていたはずだ。

 

 何が、叩き潰すだ。

 

 何が、叩き潰すだ!!!

 

 …。

 

 車を殴っても意味がない。

 

 ただ、痛いだけ。

 

 観客達も優勝校を見に…閉会式の会場に脚を運び始めている。

 

 人もまばらになる中、そんな会場の隅で…そんな私は何をしている…。

 

 隊長達は、撤収しただろうか。

 

 …初めにいた、ガードの方達も…隊長達の方に行っているのか…見当たらない。

 

「……」

 

 ジープのドアに手をかけ、立ち上がる。

 

 目の周りが腫れた様な熱を帯びている。

 

 

 …こんな顔で戻れるか。

 

 しかし、いつまでもこんな所にいても仕方がない…。

 

 まだ…目から溢れてくる…。

 

 

 

 

 

 

 

 

「みぃ~~~~~~つけたぁ」

 

 

 

 

 

「っ?」

 

 車の正面から、声を掛けられた?

 夕日が逆光になり、黒い影しか見えない。

 

 …男?

 

「やぁ~やっと出てこれたよ。隠れているだけってのも、結構疲れるもんだねぇ…」

 

 隠れる?

 

「お誂え向きに、一人になってくれて本当に助かるよぉ?」

 

 …誰?

 

 き…気持ち悪い。

 

 嫌悪感が先走った。

 

 なに!? こいつ!?

 

「あれぇ? ぁぁあ! そっかそっか。負けちゃったのが悔しくてぇ…こんな所にまで来たのかぁ」

 

「…誰ですか、貴方」

 

「あらあら、泣いちゃってまぁ…ソソルネ!!」

 

 ぐっ。

 手で目を拭う。

 馴れ馴れしく喋りかけてくる男…。

 私の言葉を無視し…ゆっくりと近づいてくる。

 

「まぁいいやぁ…ねぇ。逸見 エリカちゃぁん」

 

「…なんですか。近寄らないで…ください」

 

 ケタケタと、笑っている男。

 私が反応すると、一々嬉しそうに笑う。

 …私の名前を喋る口が、気持ち悪い。

 

 なぜ私の…あぁ…黒森峰の副隊長だしね…知っていても変じゃないか。

 ……ハッ、副隊長ね…。

 

 何が副隊長よ…。

 

「君さぁ…せっかくガードしてくれている人達とぉ…離れちゃダメだよぉ?」

 

「!?」

 

 こいつ!?

 

 え!?

 

 うまく思考が働かない。

 

 自身の嘆きすら飛ばし、一気に現実に引き戻された。

 

「ばぁかだよねぇ? 本人達なんて、ガード固くて手なんて出せるわけねぇのにさぁ…」

 

 何をいってるのよ。

 なんで知ってるのよ!

 よろよろと、肩を左右にふらつかせて近寄ってくる…。

 

「…初めから狙いは、エリカちゃんだったのにさぁぁぁ。ばぁぁかだよねぇ?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 今回の騒ぎ…こ…こいつから…!?

 

 な…なんで、私?

 

「周りの無能のセイデェ? 可哀想にねぇ?」

 

 ビニール袋から…棒状の物と…なにか、機械の様な物を取り出した。

 

 …目が慣れてきた。

 

 男の顔が分かった。

 

 …気持ち悪い。

 

 爬虫類のような目…。

 ニヤついた口。

 

 やせ細り、頬骨が少し…浮いている。

 

「近づかないで!! 人を呼ぶわよ!?」

 

 まだ周りに人がいる。

 助けを呼ぶのも簡単だ。

 

「呼べばぁぁ?」

 

「…え」

 

 走ってきた。

 

 そのまま棒状の様な物を振り上げ、車のサイドミラーを叩き落とした。

 鈍い音がして、地面に転がる…。

 

 少し…掠ったのか…髪に触れた感触があった…。

 

 いきなりの事に、呆然としてしまう…。

 

「ほら? 呼べば? 命の危険だよ? 呼べよ!? ほらぁぁ!」

 

 フロントガラスを今度は、叩く。

 蜘蛛の巣上のヒビが広がった…。

 

「…なっ」

 

「ね? 人なんてこんなもんだよぉ? いっぱい人が見てるよね?」

 

 周りを見渡す…。

 何があったかと、数人の人が見ている…が、誰もこちらに来ない。

 通報してくれているのか…携帯をかけている人が何人かいるだけ。

 

「凶器を持った奴になんてさぁ…誰も近づかないよ? ほらね?」

 

 地面に座り込む…。

 違う…腰が抜けた…。

 

 本気の殺意…本気の男の暴力。

 

 ……。

 

 なんで……?

 

 なんで私?

 

 最初から、私を狙っていたと言っていた。

 

 

 怖い…。

 

 

「いいよぉ? あんま時間無いけど、答えてあげるぅ…」

 

 私の思考を読み取ったかと思うほど、軽い調子で返答があった…。

 

 カチカチと歯が…なり始めた。

 

「ヒッ!?」

 

 座り込んだ私の顔の横に、その棒状の物を当ててきた。

 殴るわけでもない…。

 だけど…冷たい感触が…怖い。

 

「みほちゃんとまほちゃん」

 

「…え」

 

「それと、君の大好きなぁお兄ちゃんのせいだよ?」

 

「……なっ…」

 

 その呼び方は…なんで…え?

 

「簡単に言うとね? その3人の代わりなの。可哀想にねぇ?」

 

「…代わり…え?」

 

「当てつけだよ? アテツケェ!!」

 

 ガツンと…私の横の…車体を殴った。

 

 金属音がぶつかる音が…耳を刺す。

 

「あの三人のだぁぁいじな、君がさぁ。どうにかなっちゃったらさぁ…すっごく気持ちがイイトオモウノォ」

 

 ケタケタと笑っている。

 コンコンと、車体を叩きながら。

 

「こんなぁ…大事な日にさぁ…。みほちゃんの優勝記念!! この…忘れられない日にさぁ…どうにかなっちゃったらぁヵか!」

 

 振り上げた。

 

「一生…のぉ…記念になるとぉ…思うのぉ?」

 

 ニヤついた顔で。

 

「ごめんねぇ。一般人なんぞ、どうでもいいけどさぁ…ガードしてくれていた人達が戻ってきたら面倒だからさぁ…ちょっと早いけど…まぁいいや」

 

 気がついたら、一定の距離を取った人に囲まれている。

 

 でも…誰も助けてくれない。

 

 ただ、見ているだけ。

 

 ま、そうか…親子連れもいる…。

 

 普通なら…通報するか…逃げるか…。

 

 私も逃げればいいのに…。

 

 そんな考えが頭を過るが、現実は違う。

 

 体が強張り、歯が鳴り…目の周りが熱いく…痛いと思う程に見開いてしまっている。

 

 完全な硬直状態…。

 

 熱い目に…その視界に男の振り上げた…黒い棒が映る。

 

 

「はい、サ ヨ ウ ナ ラ」

 

 

 男が笑いながら呟いた瞬間。

 

 

 …視界が、赤に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その赤が、波をうって揺れている。

 

 私と男の間に割って入った、大きな影。

 

 その影は、大きく動く。

 

 息を切らしているのが分かる。

 

 私の視界を遮り、夕陽の色と重なり…赤一色。

 

 その影が動く。

 

 …ドンッと、力任せに何かを叩く音。

 

 同時に…機械音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

『 やぁ! ベコだよ! ボクと力の限りハグしようよ!! 』

 

 

 

 




閲覧ありがとうございました

思いの他、重い内容…シリアスすぎちゃった。
決勝最後は、大洗視点ではなく、別視点で書きたかったので、名セリフとか言わせれなかった…。

そんな訳で……

次回 最終回



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