アマガミサンポケット   作:冷梅

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12月-②

  遠前神社。

 

  山の中腹に本堂を構え、長い石段を登っていって漸く姿を現す場所だ。

  少し前にも二人はここを訪れており、相変わらず寂れてるわね……と、絢辻がそう零した。

 

「ここに来たってことは、大事な話があるんだろ?」

「今日は察しが良いのね」

 

  主人は辺りを見渡しながら、いつもと変わらない様子でそんな言葉を絢辻へと投げかける。 そんな主人の様子に、軽く笑いながら絢辻は振り返り主人の目を見て言葉を発する。

 

「ここは、スタート地点。箱の中の猫の正体を、貴方が知った場所」

「絢辻がドジったお陰でな」

「……煩いわね。ねぇ、これ覚えてる?」

「絢辻の手帳だろ?」

 

  鞄から手帳を取り出し、互いに良く見えるように掲示する。 二人にとって、この手帳は大きな鍵だ。 この手帳によって今の関係は形成されている。 加えて大きな衝撃を与えられた主人にとって、それを忘れるということは出来るはずも無かった。

 

「もう、あたしには必要無いと思うの」

 

「前に進むには、邪魔なのよ」

 

  絢辻はそう言葉を紡ぐとおもむろに、コートの外ポケットからライターを取り出し手帳に火を付けた。

 

「……良いのか?」

「うん。こんなものよりもっと大切なことがあるって、分かってきたから。こうした方が、言葉よりもシンプルだし」

「……そうか」

「あたしの言いたいこと、貴方にはまだ全て解らないと思う。でもきっと、貴方なら解ってくれる筈。あたしの事をもっと知ってくれた時にね」

「絢辻がそう言うなら、俺はその時を待つさ」

「うん。だから、覚えておいて。“ここがあたしの出発点”って事を」

「……ああ、分かったよ」

 

  手帳を燃やしたというのは、絢辻なりの覚悟の表明なのだろう。

  その覚悟を前にして、“はいそうですか”と流す程主人の性格は淡白では無かった。

 

「さて荼毘も済んだ事だし、後始末をしましょうか」

「ちゃんとそこも考えてたんだな」

「当然の事よ。火事を起こすなんて、洒落にならないわ」

「違いない」

 

  その後二人で手洗い場に向かい、備え付けてあった柄杓と木桶を用いて火の始末を行ったが、その作業を主人一人で行うことになったのは想像に容易いことだろう。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

  一夜が過ぎた次の日。

  今日の体育も男女が合同で行われるという事もあり、梅原たちのテンションは高くなっていた。

 

「共学の良いところはここだよなぁ!」

「お、おい、梅原……」

「ボスもそう思うだろ?」

「まぁ、うん。思わなくは無いな」

「ダメだこりゃ……」

 

  A組は兎も角、B組から向けられる視線に純一は頭を抱えていた。

 

「とは言え、合同と言っても俺たちは校庭で持久走で女子はドッジボールだ。梅が期待してる様なことは無いさ」

「それを言うな……! 全く、“ゴリ”の野郎手抜きしやがって。足を捻挫して見学してるマサに、測定を任せて自分はふけるとはな。教師の風上にも置けねぇやつだ」

 

  デスクワークに追われ、今日の授業に出席していない教師に対して梅原が毒を吐く。 その教師は見るからに体育会系の人種であり、上背もある筋肉隆々のその姿がゴリラの様だと言うことから“ゴリ”という、本人からしても決して嬉しくない渾名を付けられている。

 

  閑話休題(それはさておき)

 

  準備体操も終わり、持久走が始まった。 いつもはゴリが測定している為、野球で培ってきたスタミナを発揮し上位グループで走り切るが、この日はゴリが居ないという事もあり、橘や梅原たちのペースに合わせて主人も走っていた。

 

  校庭のトラックを走り始めて3周目。

  主人は視界に写った光景に違和感を覚えた。

 

「……内野が一人って、そんなに戦力差があるのか?」

「……気が付いたか」

「梅は気付いてたのか?」

「まぁな、とは言ってもついさっきだけどさ。最初から絢辻さん独りだけっぽいぜ」

「……っ、そういう事か!」

 

  梅原の指摘を受けて、主人は事を理解した。

  思えば今日の昼食の時、絢辻は一人で食事を取っていた。 つまりは、そういう事なのだろう。

 

「――――梅、純一。悪い、先に行く」

「合点! 頑張ってな!」

「……無理はダメだからな」

「解ってるさ!」

 

  主人のギアが上がり徐々にペースが早まって行く中で、女子によって行われているドッジボールにも動きが生まれていた。

 

「ほらほら、どうしたの? もうへばっちゃった?」

 

  15人対1人――――多勢対無勢と言う試合は絢辻にとって余りにも部が悪く、現に息は上がり始めていた。 しかしその様な状況でも――――絢辻の眼は決して下を向く事はなく、闘志は高まり続けていた。

 

「まだやる気充分と言った様子ね。棚町さん、やっちゃって!」

 

  外野からのボールを受け取った棚町に対し、チームを束ねる田口は当てるように声を掛ける。 棚町の運動神経は絢辻に負けずとも劣らないものがある。

  その棚町がボールを持ったことで絢辻は身構えるが、直ぐにそれは解かれることになった。

 

「アタシ止めた。このチームつまんないもん」

「え?」

「てことで、アタシこっちのチームに入るね」

「ちょっと! 棚町さん!」

 

  計算外だ、とばかりに田口の顔に動揺が現れる。 絢辻を独りにして、昨日のお返しとばかりにいたぶるを事を考えていたからだ。

 

「そんなに慌てちゃってどうしたの? もしかして、アタシが居ないと絢辻さん一人に勝てないとか?」

「そ、そんな事ないわよ!」

「ほら恵子! アンタもこっち来なさい! 良いよね? 絢辻さん」

「……ありがとう棚町さん、田中さん」

「いいのいいの、さぁ試合はここからよ!」

 

  棚町、田中の二人の加入はとても大きい。

  田口らは執拗に絢辻を狙い続けるが、そうはさせまいと棚町、田中の二人が立ち塞がる。

 

 とはいえ、数に大きなある事には変わりない。 圧倒的なまでのビハインドを背負った絢辻たちは、着実に溜まっている疲労に苦しめられていた。

 

「ご、ごめん……! 当たっちゃった」

 

  早々に離脱してしまった田中に続き、活躍を見せていた棚町も遂にやられてしまった。 絢辻がここまで残れているのは間違いなく棚町の助力があったからだ。 だからこそ、彼女のここでの離脱は大きかった。

 

  ――――疲れが足に溜まってきてる。まともに動けるのも後数回か。

 

  追い込まれても、持ち前の分析力は失わない。 体に熱は灯るが、頭の中は常に冷静を保っている。 自分の体のことは、自分が一番分かっていた。

 

「もう、いい加減に、しなさいよっ!」

 

  中々当たらない絢辻に対して、痺れを切らせた田口は自らそのボールを投じた。

 

  ――――っ! 不味い、足が……

 

  投じられる瞬間に、コースを読みその場から離れようとするが地面に足を取られ、滑らせてしまう。

 

  万事休す。

 

  覚悟を決め、捕球体制に入ろうとしたその時――――見慣れた背中が目の前に現れボールを受け止めた。

 

「ぬ、主人くん……」

「ちょ、ちょっと主人くん! どうして男子の貴方が女子の授業に混ざるのよ!」

 

  それは本来、ここに居る筈のない主人の姿。

  田口が捲し立てるのも無理のない話。 本来であるならこの様な行為は厳重注意処分を受けることになるだろう。 しかし、今はそれを判断する体育教員がこの場に居ない。 それを踏まえた上での田口らの今回の行動だったが、主人がこの様な形で絢辻のフォローに入る事など考えもしなかった。 いや、考える事は誰であっても不可能だっただろう。

 

「ちょっと通りかかったら、ボールが目の前に飛んできたから反射的に受け止めただけだ」

「ふふっ、歩く時は周りを良く見た方が良いわよ。勿論、走る時もね」

「これから気を付けるさ」

 

  主人と絢辻の二人が会話を交わしていると、梅原と橘の二人もその場に合流する。

 

「公! さっきのタイム学校新記録らしいぜ!」

「ハァ……ハァ……相変わらず、公の体力は凄いな」

「格好良い! 格好良いよ公!」

「そりゃどうも。さてと、課題も終わって暇だし俺たちも交ぜて貰おうか」

 

  主人らの参戦により、絢辻陣内に活気が生まれ始めた。

 

「……くっ! そんなにしたいならアンタたちだけでやればいいじゃない!」

 

  男子生徒の参戦により、完全に勝ち目の無くなった田口たちは早々に切り上げその場から去っていった。 棚町は一人詰まらないといった様子だが、主人らはひとまず緊張を解いた。

 

「流石にこの面子に対して、バカはしないみたいだな」

「野球部が居るってだけで、女子からすれば難攻不落みたいなもんだからね。純一、アンタも公を見習いなさい!」

「う、煩いな薫!」

 

  相変わらずの夫婦漫才に場の空気も和やかなものになる。

 

「ありがとう主人くん」

「これくらい大したことないさ」

「ふふっ、大した自信だこと」

「事実を言ったまでだ」

 

  実行委員二人の仲が、また1つ深まった。

 

「香苗ちゃん、A組の人たち」

「うん、落ち着いたみたいだね」

 

  隣接されたコートで試合を行っていたB組の伊藤香苗も、事が収束したことに安堵を覚える。 クラスは違えど、仲が良いことに越したことは無いからだ。

 

「香苗ちゃん、誰か見てるの?」

「み、見てなんか無いわよ! ほ、ほら桜井も投げて投げて!」

「んー、私苦手なんだよね〜」

 

  珍しい桜井の感性に、柄にも無く狼狽する伊藤。 この時見ていた人物が誰であるか、桜井は何れ知ることになるがそれは先の話。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

  悪い知らせはいつだって唐突に訪れる。

 

「ごめんなさいね、主人くんは部活があるのに」

「いやそれは構わないんですけど……」

 

  ホームルームの終了後、創設祭の担当である高橋から呼び出された絢辻と主人の二人は手渡された一枚の書類に目を通していた。

 

「これは、どういう事ですか?」

 

  大きく書かれた『クリスマスツリーの設置について』と言う文字に対し、絢辻が疑問を投げ掛ける。

 

「……この間、1年生が怪我をしたでしょ? あれが問題になってるみたいで……設置は市の方で行うらしいの」

 

  1年生の怪我……と、主人は思考を巡らせる。 怪我が起こったのはつい最近。 主人と絢辻が学校での作業を早く切り上げ、喫茶店「さんせっと」にて談笑しながら資料を纏めていた日だ。

  その1年生と翌日に対話をしたが、軽い捻挫という事もありすっかり頭の片隅に追いやってしまっていた。

 

「こう言っちゃあれですけど、市が動く程の怪我じゃないと思うんですけどね」

「ごめんなさい主人くん。決定事項らしいの……対応はおって連絡するわね」

 

  高橋が職員会議の為、その場から去って行く。 こうして会議室は二人だけとなり、空気には重いものが残る。

 

「あの三人が、ツリーが中止になると言っていたのはこういう理由(わけ)ね」

 

  絢辻の言葉にはっとなる主人。

  思えば昨日の放課後に、田口がその様な事を口にしていた。

 

「ということは――――」

「ええ。これは誰かが意図的に仕組んだってことよ」

 

  高橋の様子からして、1年生の怪我の事はあの資料を見てから知ったのだろう。 担当の教師でさえ知らない様な小さな事件を建前に行動出来るとするならば、この騒動の犯人は凡そ推測できる。

 

「……動くのか?」

「皆頑張ってくれているのに、こんなことは絶対に許されないわ。――――直接叩く」

「はぁ……止めても行くんだろ。だから止めはしない」

「そう……ありがとう主人くん」

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「ねぇ主人くん。あたしとデート(・・・)しない?」

「……すまん、良く聴こえなかった」

「デートしましょう、ホ・テ・ル・ま・でっ」

「…………」

 

  赤らんでいる空と日に照らされて主人の頬色は隠されているが、一度点った熱は中々引いてはくれない。 この時主人にとって幸いだったのは、窓から射し込んでくる夕焼けの光が、顔を照らしていたことだろう。 そうでなければ今頃絢辻にその紅潮具合を弄られていただろうから。

 

「あれ? どうかしたの?」

「……それって、本気で言ってるのか?」

「あたしが嘘をつくとでも?」

「そうは思わないけど……あんまり手持ちが無くてだな」

「大丈夫大丈夫。ほら、さっさと行きましょう。モタモタしてると遅くなっちゃう」

「あ、バカ! 引っ張るなって! 心の準備がだな!」

 

  こうして本来ならば力関係は反対であろうという、女子高校生に引っ張り回される男子高校生という図が出来上がった。

  辺りに人が居なかったことが幸いし、主人の精神がより一層深く傷つく事はなかったが。

 

「ふふっ、それにしても貴方は本当に面白い反応をするわね」

「……絢辻の人が悪いからだろ? 初めからツリーの件で市の関係者との話し合いって言ってくれれば良かったのにさ」

「でもそれじゃあ主人くんの面白い反応が見られないでしょ? 一体、何を想像してたのかしら?」

「……煩いな。信号も変わったし、早く行くぞ」

 

  やりにくいとばかりに、足早に目的地に向かう主人。 普段は飄々とした性格の主人だが、こと恋愛に関しては小学生並みの精神年齢の持ち主である。 そんな主人に対して、先程の含みのある絢辻の言葉は刺激が強すぎた。

 

「さてと、それじゃあ行ってくるわね」

「えっと、俺はここで待っていたら良いのか?」

「そうね、会議室に呼ばれたのはあたしだけ(・・・・・)だし」

「……そっか――――ん?」

 

  絢辻の言葉に違和感を感じた主人は顎に手を当て、先程の言葉をもう一度脳内で再生する。

  そして、気が付く。

 

「……俺の存在要らなくないか?」

 

  何とも言えない敗北感に身を包まれ、息を吐き出しながら肩を落とす。

 

「もう、そんなに露骨に落ち込まないでよ――――主人くんが近くに居てくれるって思えば、あたしは頑張って戦える。これじゃあダメ?」

「これは、喜んで良いのか?」

「当たり前でしょ。主人くん、行ってきます」

「ああ、頑張ってな」

 

  主人はその場に残り、絢辻は指定された会議室へと足を進める。

 

  二人にとって、勝負の時間が始まった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「失礼致します」

「初めまして……。君が輝日東高校の生徒さんだね」

「はい。実行委員長の絢辻詞と言います。本日は創設祭に用いるクリスマスツリーの件でお話をさせて頂きたく――――」

「話は聞いているよ」

 

  食えない男……と、絢辻は心の内でそう毒告ぐ。 見るからにして、高校生など相手にしていないと言った様子だ。 こういう相手に長ったらしい話は必要無いと、単刀直入に本題に入り始める。

 

「では、単刀直入にお伺い致します。この件での市の決定は、どういった経緯なのでしょう?」

「というと?」

「先日の事故は、確かにこちらの落ち度です。ですが、これによる決定。今までの市の対応からすると、随分と早く横暴なものだと思いませんか?」

「…………おかしいな」

「何がです?」

「今日は設置の引き継ぎの話し合いだろう?」

 

  そう言うと男は急須を手に取り、湯呑みに緑茶を注ぎ始めた。 あくまでも主導権は自分が握るという明確な意思表示だ。

  だったら、ここは踏み込むと絢辻は挑発的な言葉を選ぶ。

 

「はい。ですから、結論としてそのお話が無くなれば問題ない(・・・・・・・・・)ですよね?」

「…………」

「申し訳ありませんが、生徒によるツリーの設置が中止になった経緯、ご説明して頂けますでしょうか?」

「ふむ、そうだな……」

 

  注いだお茶を喉の奥に流し込んでから、男は言葉を紡ぎ始める。

 

「事故に対する決定と考えれば、早いのも妥当じゃ無いのかな?」

「ですが……私や担当教員から事情を訊かずに決定してしまうのは、少々性急過ぎるのでは無いでしょうか?」

「事は早い方が良いだろう。市の責任問題にもなり兼ねないからな」

「随分と責任感がお強いのですね」

「当たり前だ。そうでなければ私は市議会議員等していない」

それです(・・・・)

「……何が言いたい?」

 

  絢辻の短くも力強く言い放ったその一言に、男の顔にシワが生まれる。

 

「今回の件、あたしには貴方のその偏った独断による決定としか思えません」

「……どういう意味かな?」

「そのままの意味です」

 

  男の視線は強いものになるが、絢辻はそれに動じることなく会話の主導権を握って行く。

 

「この件は私の管轄だ。市議会議員としての決定なら、独断であっても構わない筈だが?」

「――――他に理由がある独断でもですか?」

「…………」

「あたしを甘く見てもらっては困ります」

「甘くなどは見ていない」

「そうですか。では、市長への面会をお願い致します」

「市長は多忙だ。そんな時間は無いだろう」

「そうですか……残念です」

「……っ!」

 

  ふと嫌な予感が男の頭を過ぎった。

  そして、その予感は的中することになる。

 

「では、代わりに貴方の“ご令嬢”に直接話をさせて頂くことにします。それでよろしいですね?――――黒沢議員さん」

「なっ……!」

「こう見えてもあたし、学校側からの信頼には自信があるんです。当然、生徒からもね……」

「……どういうつもりだ?」

「交渉のつもりです。貴方の力が一般生徒にまで届くと思ったら大間違いですよ」

 

  当初とはうって変わり、話の主導権は絢辻が握っている状態だ。 この状況に黒沢議員も、絢辻の要求を飲まざるを得なかった。

 

「……話は解った。君の言う通りにしよう」

 

  しかし、男も絢辻の倍の年月を生きてきた人生の経験者だ。 ここで簡単に引くようならば、市議会議員等務まっていない事だろう。

 

「だが、条件がある――――良いかな?」

 

  このまま絢辻のペースで話を終わらせてしまうのは面子の丸潰れだと、男は粘りを見せる。

 

「――――という訳だ。君に、これが呑めるのかな?」

「はい、呑めます。となると結論ですが、最初に申し上げた通りに白紙になりますね」

「……君は一体何者なんだ?」

ただ(・・)の女子高校生ですよ」

 

  絢辻が会議室から去って行った後、末恐ろしいな、と男は椅子に深く腰掛け息を吐く。

  丁寧な言葉の中に時折現れていた好戦的な口調。

 

「ただの、高校生か。とんだ女狐だな」

 

  あれだけ表裏の使い分けが出来る人間は、この社会に置いても希少な存在だ。

  それが幸か不幸か定かでは無いが、異質ながらも強い光を放っている事は確かだと言えるだろう。

  娘である典子が目の敵にする訳だと、再び茶を注ぎながら男はそう思った。

 

  場面は移り、ホテルロビー近くの自販機の前。 ホテル備え付けの自販機の前には幾つかソファーが用意されており、腰を落ち着けて購入物を飲食することが出来るようになっている。

 

「お疲れ、絢辻」

「……ありがとう、主人くん」

「ほら、飲むだろ?」

 

  手渡されたいつもと同じ銘柄の缶コーヒーを受け取り、絢辻はそっと主人の隣に腰を降ろす。

 

「話はどうだった?」

「上手くいったわ。明日には、高橋先生から連絡が貰えると思う」

「そっか」

 

  二人の間に沈黙が流れる。

  どことなく、重い雰囲気だ。 元来主人は、重苦しい雰囲気を苦手としている。 彼の飄々とした性格からすると肌が合わないのだろう。

 

  だから、自分から切り出していく事にした。

 

「何があったんだ?」

「何って、何も――――」

「嘘だな。さっきからずっと震えてるんだよ、絢辻」

 

  その言葉に絢辻の表情は強張りを見せる。

  主人も、初めて見る絢辻詞の弱った表情だった。

  その表情を見て、主人は悟ってしまった。 悟らざるを得なかった。 絢辻詞と言う一人の少女を駆り立てていたモノが崩れたと言うことに。

 

「独りで抱え込みすぎだ。絢辻は独りじゃないだろ?」

「主人くん……」

「俺は絢辻を貰っているんだ。だったら、支えないとな」

 

  姿勢を変え正対する様に座り直し、そっと絢辻の背に手を回してそのまま胸を貸す形を取る。

 

「……ねぇ主人くん」

「何だ絢辻?」

「少し泣くから、このままでいて」

「――――ああ、そのつもりさ」

 

  何分か経過した頃だろうか。

  絢辻はゆっくりと身体を起こし、主人の目を見つめる。

 

  ――――相変わらず、不思議な人……こんな感覚は初めてね。

 

  本当に良く人を見ていると、心底思う。

  外見だけでなく、内面までも見ることが出来るのは中々出来ることではない。

  そんな彼――――主人の安心感に当てられ、先程まで己の中に取り巻いていた負の感情も払拭されてしまったように思う。

  それが嬉しくて、恥ずかしくて。

  絢辻は微笑みを浮かべ、主人の顔を見上げながら訊ねる。

 

「いつまで背中に手を回してるつもりかしら?」

「え゛?」

 

  絢辻詞が正直になるには、まだ少し時間がかかりそうだ。

 

 

 




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この間から色んな書き方を試しているので、よろしければ感想・批評等頂けると嬉しいです。

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