アマガミサンポケット 作:冷梅
翌日の朝。
いつもより早く登校した僕は、教室に鞄を置くなりその足で3年生の教室へと向かった。
森島先輩が休んでいる今、頼れる人物は一人だけだ。
教室に着くと、それに反応して3年生が数人僕の前に立ちはだかる。 その中には、校内で有名な3年生――――御木本久遠先輩の姿もあった。
「お前……何しに来たんだ?」
「塚原先輩と、話をさせて下さい」
「森島の次は塚原ってか? ……自分が何してるのか分かってるのかよ」
「僕は噂されている様な事はしていません」
「じゃあ何でそんな噂が流れんだよ! 火のねぇ所に煙は立たないって言葉を知らねぇのか!?」
御木本先輩は激昴と同時に、言葉より早く僕の胸ぐらを掴みあげる。
「だから、こうして……動いてるんじゃないですか」
胸ぐらを掴む手に、更に力が込められるがここで引く事は出来ない。 僕にも、僕なりの意地がある。
「……チッ、時間かよ」
睨み合うこと数十秒間。
予鈴が鳴り響いた事により、その手は離された。
とはいえ解放されたは良いが、目的の塚原先輩から話を聞くことは出来ずに時間が流れてしまった。 初めから上手く行くとは思っていなかったが、実際にそうなると中々来るものがある。
去り際に教室の中を眺めると、塚原先輩と目が合い、そして直ぐに外されてしまった。 この分では昼休みも変わらない事だろう。
そうなってくると狙うところは一つだけになる。 気は進まないが、正直これしか打つ手が無い。
「部活が終わるまで、待つしかないよな」
これまでにも何度もしてきた事だ。 今更2時間程度待つ事など造作もないと思う。 時間を潰すのは公たちの手伝いを一人離れてひっそりとやればいい訳だし。
そこまで考えて、急いで足を走らせた。
慌てて居たからはっきりと確認していないが、下駄箱が荒れていた分机も同じ様子、もしくは酷くなっているかもしれない。 そんな状態を高橋先生に知られでもしたら、大問題になることは間違いない。
それはそれで、避けるべき事なんだろうと思う。
* * *
「ありがとう公。片付けておいてくれて」
「礼を言うなら梅や薫、田中にだ。俺は三人程動けてないさ」
公の言葉に薫、梅原、田中さんを順に見渡すと三人とも笑顔を浮かべて『気にしない』と一言だけ答えてくれた。
本当に、僕は友達に恵まれている。 そう思った。
「で、どうだったんだ?」
ホームルーム終了後、粉末状になっているプロテインに自前のミネラルウォーターを注ぎながら公が静かにそう言の葉を落とす。
「……全然ダメだったよ。胸ぐらを掴まれて、それで終わり」
「そうか。想像は付いていたが、厳しいな」
「ホント、参っちゃうよ」
「でも、動くんだろ?」
「うん。昼休みはどう足掻こうと無理だと思うから、放課後にしてみるよ」
「それが賢明かもな」
その後時間は移り昼休みが訪れたが、予想通り七咲、塚原先輩とは会話を交わすことは叶わなかった。 それでも二人と視線は合うので、一応認識はされているらしい。
それだけ分かれば、充分だ。
放課後。
淡い夕焼けは姿を消し、黄昏時が姿を現す。
そろそろ頃合だろう。
「大将、行くのか?」
「うん。梅原は先に帰っててくれ」
「ああ。無理はすんなよ」
「分かってるよ」
この時間でもそれなりの人数がまだ校内に残っており、すれ違う人々の視線を嫌でも感じさせられた。
この分だと学校中に噂は広まっているんだろうと思う。 どうして人間はこんなにも噂と言ったものが好きなのだろうか。 そんな事を考えつつも、自分も立場が逆であれば興味を示しているだろうなと想像出来てしまい何とも言えない気持ちにさせられてしまった。
「何て、馬鹿な事言ってる場合じゃないよな」
視線の先に映るのは一人の水泳部員。
塚原先輩の姿が、目の前にある。
「塚原先輩。少し、お時間を頂けませんか?」
「……君か」
「待ち伏せする様な真似をして、すみません。でもこうでもしないと」
「私と話せないって訳ね。でも……今は、話したくないんだ」
「塚原先輩……」
「着替えてくるから、そこで待ってて」
「は、はい! ありがとうございます!」
最後までプールサイドの掃除を行っていた先輩はすれ違った部員とは違い、まだ水着姿のままだ。 幾ら暖房の効いた屋内とは言え、真冬に濡れた水着姿で過ごす等自ら風邪を引きたいと言わんばかりの行動だ。 創設祭が近いこの時期に、そんな事はさせられない。
「……お待たせ」
待ち始めて5分後。 塚原先輩が着替えを終え、案内されるまま部室へと入室し椅子に腰を掛ける。
「……正直に言って、君とは話したくない」
「……はい」
「ここで私が貴方を相手にしない事は簡単に出来るわ。でも、それじゃあ真実は解らない」
「……聞いてくれるんですか?」
「そうじゃ無ければここに入れてないわよ」
塚原先輩はそう言うと目を閉じ、大きく息を吐き出してから言葉を発した。
「……今流れてる噂は、真っ赤な嘘なのよね?」
「そうです」
「信じていいの?」
「はい、信じて下さい」
「嘘だった場合、貴方はどうするのかしら?」
「……先輩方の好きな様にして下さって構いません。僕は、二股何てしていません」
静寂が辺りを包み込む。
壁に掛けられている時計の針の音が、普段よりも大きく思わず焦燥に駆られる。
一秒が長い。 これ程一秒が長く感じたのは、以前のクリスマス以来かもしれない。 いやその時よりも、今回の方がキツいモノがある。
「……嘘じゃないみたいね」
「この状況でシラを切れるほど、僕の肝は据わってません」
「分かった。橘くんを信じるよ」
「あ、ありがとうございます! 塚原先輩!」
「でもその前に、一つ訊かせて」
「橘くんにとって、はるかの存在は何?」
先輩が僕にとっての何か、か。
正直に言って、考えた事も無かった。
だからここは、思う事をそのまま伝えよう。
それが僕の本心なのだから。
「……先輩と僕はどこか似ています。月並みな表現ですけど僕にとっての――――運命の人。一方的な、都合の良い想いですが、そう思います」
「……君らしい答えだね」
「僕は、クリスマスが嫌いです。でも、森島先輩のお陰で、それと向き合えているんです。――――僕は、先輩が欲しい」
「あら、言うじゃない」
塚原先輩は心底愉快そうに表情を緩める。
我ながら随分と恥ずかしい事を言ったものだと、顔中を熱が覆ったのを感じた。
「……はるかはね、貴方が他の女の子と抱き合っている写真を見せられたらしいの。それが原因で、その日の内に早退しちゃって今に至るって訳」
「成程。それで一昨日姿が無かったんですね」
「そういう事。もう一度聞くけど、それは間違いなのよね?」
「……僕が他の女性と付き合っている様に見えますか?」
「無いね。橘くんははるかにゾッコンだもの」
「恥ずかしい話ですが……まぁそうです」
良かった。
塚原先輩は信じてくれたみたいだ。
問題なのはその写真。 今は携帯一つで、電話やメールと言った機能が使える時代だ。 合成写真の一つや二つ、簡単に作れるのかもしれない。
「橘くん」
「何ですか?」
「頑張ってね」
「ありがとうございます、塚原先輩」
純一が水泳部の部室を去った後。
物影に隠れていた一つの影が動き、光の前に姿を見せた。
「――――そういう事らしいわよ、七咲」
「……私はまだ、信じられません」
「確かに昨日の今日だし、難しいかもしれない。でもね七咲。私が言うのもあれだけど、私以上に貴女は彼がどの様な人間かを知ってる筈よ」
塚原の言葉に七咲の表情が悲しいものへと変わる。
彼がどの様な人間か、言われなくてもわかっている。 それでもやっぱり、拭えないモノが心にあった。
「……お先に失礼します」
「気をつけて帰るのよ」
七咲という一人の少女の中でも、様々な感情が渦巻いていた。
* * *
「今日ちらっと小耳に挟んだんですけど、橘って人が二股してるって本当何ですか?」
創設祭が間近に迫ったある日の放課後。
部活終わりに一人の後輩が耳を疑う様な、そんな話題を口にした。
「今何て言った?」
「えっと、2年生の人が二股してるって……」
2年生の人が二股?
どういう事かさっぱり分からん。
「詳しく教えてくれ!」
「とは言っても……俺も軽く聞いただけなんで。その橘って人、浮気癖でもあるんですか?」
「いやいや。アイツは確かにドが付くほどの変態だが同時に紳士でもある。そんなやつが二股をするとは思えないし、第一する度胸も無い。万が一する様なら、とっくに縁を切ってるさ」
純一が二股か。
おかしな噂が流れているものだ。 これまで一緒に過ごしてきている純一に、森島先輩以外の恋愛対象が現れれば直ぐに気が付いている。
「この噂は広まってるのか?」
「3年生に兄貴がいるやつが放課後に言ってたんで、明日には広がりそうですね」
「上絡みか……そうなると、厄介だな」
純一のやつも大変だ。 この忙しい時期に、一癖も二癖もありそうな事件に巻き込まれるとは。
やっぱり動くしか、無いよな。
* * *
昼食を取りながら、先日後輩から聞いた話を思い出していると味噌カツ定食のカツが少なくなっている事に気が付く。
「……っ、薫! お前か!」
「アンタが悪いんでしょ。純一が話してるのに、一人で難しい顔しちゃってさ」
「……あぁ、そうか。すまん純一」
「大丈夫だよ……何か考えてたんだろ?」
「ちょっとな」
何か違和感を感じたが、この際もうどうでもいい。
純一の話によると、森島先輩は純一が他の女性と抱き合っている写真を見せられ噂を信じてしまっているらしい。 確かに、モノを見せられてまで話を聞かされたとなると、信じてしまうのも仕方の無い話だ。 特に先輩はそういうネタに弱そうときた。 そこに付け込まれた形になったみたいだな。
「七咲、ちょっと良いか?」
「主人、先輩……」
食べ終えた定食のお盆を下げ、浮かない顔をして歩いている七咲を見かけたので声を掛けたのだが思わぬ客が現れてしまった。
「野球部の主将も、七咲にちょっかいを出しに来たんですか?」
制服を着崩し、髪には整髪料が僅かだが付いている様に見える。 生活指導の方に掛からないギリギリのラインを攻めているんだろう。
目の前に居るこの人物が、以前に後輩が言っていたマセガキで間違いない。
「はぁ、異性が話し合っている度にちょっかいを掛けるなと制しているのか?」
「それは、してないっすけど……」
「だったら首を突っ込んでくるな。別に七咲に頼まれた訳でも無いんだろ?」
「……だからって黙って見ているのは」
「煩いな。はっきり言ってやるよ。今俺は、七咲と話がしたいんだ。お前と話すつもりは無い」
「…………」
「俺に文句があるなら、まずは純一に対してしている嫌がらせを辞めろ。解ってるんだよ、お前の
ここまで言ったところで漸くその1年生は黙り込み、下を向いてしまった。 初対面であろうが、関係無い。 別に間違った事は言っていないのだから。
「と思ったが、もう時間だな。今日部活はあるか?」
「……いえ、今日は水質検査があるので休みです」
「それは良かった。じゃあ、放課後。屋上に来てもらえるか?」
「……分かりました。では、失礼します」
七咲との会話を終え、教室に向かって歩いていると後ろから強い視線を感じた。
「絢辻、居たのか」
「ええ、貴方のお宝本の整理をね」
「なっ……!」
「それを終えてから、昼食を取ってたんだけど。まさか1年生を誑し込んでるとは思わなかったわ」
「誰が誑し込むか!」
「ふふっ、冗談よ。この話はね」
「……と言うと?」
「ええ。お宝本は今頃どこにあるかしらね」
さぁ、と全身から血の気が引いていった気がする。 この日の放課後は、週に一度のゴミ処分の日だ。 業者によってそれらは処理させるが、ゴミ袋の数は数知れない。
つまり、お宝本を見つけ出すのはほぼ不可能だ。
「マジかよ……」
すまん純一、梅。
取引は当分、出来そうに無い。
* * *
放課後。
指定された通りに七咲は屋上を訪れていた。
寒空の下、先輩を待たせるのは失礼だと真面目な七咲は急ぎ足でこの場に向かって来たが、彼はそれよりも早くその場で待っていた。
「こうやって、二人で向き合うのは久しぶりだね七咲」
「橘、先輩……」
その場に居たのは約束をした主人では無く、今輝日東を騒がせている橘純一の姿がそこにあった。