アマガミサンポケット 作:冷梅
「ごめんね七咲」
「……何がですか?」
「――――色々とさ」
「……そうですか」
現在この屋上に居る人間は純一と七咲の二人。 そんな状況ならば周りを気にすることなく、存分に話し合うことが出来る、という主人の考えは見事に刺さっていた。
「早速だけど、話を聞いてもらっても良いかな?」
「……はい」
ありがとう、と一つ落とし呼吸を整えてから純一は口を開いた。
「こう言ったら身も蓋もないけど、ここ最近七咲は僕の事を避けてるよね?」
「それは……その……」
「分かってる。何か理由があるんだろ?」
「はい……」
「今日はその事について話をしに来たんだ。――――僕が誰かと抱き合っている写真を見せられたりしたかな?」
純一の言葉に、七咲は小さく頷く。
目を凝らして良く見れば、小さなその身体は今にも消え入りそうなくらい儚いモノだった。
「……一緒に写ってた方は、何方なんですか?」
「それがね、僕も写真を実際に見た訳じゃ無いから誰だか分からないんだ。七咲ならもしかしたらって思ったんだけど、知らないみたいだね」
「……すみません」
「謝らないでよ。七咲は何も悪くないじゃないか」
「……その写真の人は、輝日東の制服を着ていませんでした」
「という事は、他校だね。ありがとう、助かったよ七咲」
そう言って、純一は優しい笑みを浮かべる。
七咲のこの証言のお陰で、事件は解決に向けて大きく前進したと言えるだろう。
「……誰に見せられたか訊かないんですか?」
「訊きたいところだけど、多分七咲の知らない人だろ?」
「……それは、そうですね」
「うん、だから今は良いよ。忙しいのに、時間を割いてくれてありがとう」
「――――先輩」
扉へと足を進めた純一に対し、七咲の数日振りの呼称が届いた。
「……今起こっている事件が収まったら、話を聞かせて貰ってもいいですか?」
「うん、わかった」
純一が屋上から去った事により、七咲は独りベンチに腰を掛けていた。
自然と零れていく溜息に、七咲は頭を深く抱える。
また一つ、自身の中に渦巻く負の感情が強くなった気がする。 深い霧の中に迷い込んだ様な、そんな気分。 一体自分はいつからこんなにも弱くなってしまったのか。 そんな事ばかりが何度も頭の中に浮かんでは沈み、また浮き上がると言った事を繰り返している。
今校内で広まりつつある純一の噂は、恐らく嘘なんだろうと、七咲は理解し初めていた。 自分も含め、他の部員等多くの人間から信頼されている塚原が橘純一の人間性を諭し、その噂を否定した。 噂が信じるに値しないモノに変わるには、それだけで充分だった。
それでもまだ、七咲の気持ちの整理は付いていなかった。 純一の顔を見る度に、七咲は自身の胸の奥をギュッと摘まれる様な感覚を覚えていた事がこれに起因する。 暖かくて優しい、そんな不思議な感覚の正体に七咲は気付き始めていた。
* * *
七咲と別れた純一が向かった先は丘の上公園。 2年前の出来事が頭を過ぎり、気が付けば足はここに立っていた。
この公園は純一にとって、思い出深い場所だ。 良い思い出も、悪い思い出も兼ね備えたそんな場所。 最近訪れた際は森島と一緒であり、
――――こうして、あの時のことを思い返すと……やっぱり胸が痛むな……
脳裏を過ぎるのは、森島との出会いの前日。
純一にとって、強いトラウマを植え付けられたクリスマスの前日の事。 周りの友人の助力を得て、漸く掴み取った中学での最初で最後のチャンス--果たしてそれは成しえなかった。
訪れる黄昏時が、いつもよりも淡い光を放っている様に感じられた。
――――でも今は違う……この場所で、あの時の事を思い出せる。
きっと自分独りのままでは、あの時のままであっただろうと思う。 梅原、桜井、棚町、主人らの助力があって今の自分が形成されている。 自分は本当に周りに恵まれた、と純一は心の底からそう思った。
日は既に沈みかけ、森島が以前に言っていた遠方に聳える山々の姿は見えなくなった。
時間も時間なので、そろそろ引き返そうかと思ったその瞬間――――
「あれ? 橘くん?」
「え……君は……」
「久しぶりだね。あれ……もしかして覚えてない? 中学で同じクラスだったんだけど」
「……覚えてるよ、久しぶりだね蒔原さん」
まさかこのタイミングで出会う事になるとは、露ほども考えていなかった。 心臓の動悸は激しくなるが、頭は急速に冷えていく。
純一はとにかく冷静になる事に務めた。
「どうかしたの? テンション低いね」
自分にトラウマを植え付けた元凶とも言えるその存在が目の前に居る。 それを前にして、気持ちを盛り上げて会話を行う事が出来るほど純一は大人では無かった。
「橘くん輝日東に入ったんだ。制服、似合ってるよ」
「……ありがとう。蒔原さんは輝日南なんだね」
「うん、家が近いからね。そう言えば今大人気の「激はじ」のロケ地がね――――」
純一のそんな気持ちとは裏腹に、蒔原の言葉は止まることを知らない。
最高視聴率30%と、今クールNo.1ヒットを誇っている「激愛はじめました」――――通称「激はじ」のロケ地がここ丘の上公園だという話や、中学3年生時の担任が結婚した事、妹である美也についてと次から次へと会話が生まれてくる。
――――どうして蒔原さんは、僕と普通に話が出来るんだろう。2年前、僕は彼女にクリスマスデートをすっぽかされて……フラれたのに。
「……橘くん、訊いてもいいかな?」
嫌でも意識してしまう過去により、気持ちはどん底まで沈んでいた。 そんな時、雰囲気の変わった蒔原が初めて純一と向き合ってその質問を声に出した。
「ねぇ、2年前のあの日、橘くんはどうして待ち合わせの場所に来てくれなかったの? 私ずっと待ってたんだけど」
「……え?」
「え? じゃ無くてさ。私、あの日結構長い間待ってたんだけど」
頭を何か硬いもので殴られた様な、そんな衝撃に襲われた様な感覚を感じた。
――――これは一体どういう事だ?
「約束をすっぽかすなんて、ちょっと酷く無いかな?」
「ちょ、ちょっと待って! 僕はずっとこの公園で、日が落ちても、雪が降り始めても待ってたよ!」
「え、この公園で? でも当日になって、橘くん待ち合わせ場所変えたよね?」
「……待ち合わせ場所を変えた?」
一体どういう事だ、と純一は顎に手を当て思考を巡らせる。 蒔原と自分の言っている事が見事に噛み合っていない。 それに、蒔原が先程言った「待ち合わせ場所を変えた」と言う言葉が引っかかる。 その日のデートプランは事前に、時間を掛けて入念に考えてあった。 それを当日になって変更する等、考えられる筈が無かった。
「あの日の朝にね、貴方から「待ち合わせ場所を変えたい」って伝言をクラスの子から聞いて、ずっと映画館の前で待ってたんだ」
「……そんな事情が有ったんだ。それじゃあいつまで待っても、会えない訳だ」
「……でもね、あの日橘くんと会わなくて良かったとも思ってるの」
「……それはどうして?」
「ほら、私が居たグループにマリって子が居たでしょ? あの子が橘くんとの約束を聞いてた見たいで、貴方の事を冷やかす為に皆を引き連れて私に着いてきてたんだ」
「ははは……それは、笑えないな」
「それに関しては……ホントにごめんなさい」
――――もう何が何だか解らない。
そんな心境だった。
約束を破られたと思えば、誰かの伝言によるすれ違いで。
でももしそれが無ければ、自分はクラスメイトの女子たちに笑われていたかもしれない。
考える事を放棄してしまいたい。 切実にそう思ってしまう程、純一の心は酷く疲弊していた。
「誰が貴方を嵌めたのか、訊かないの?」
「……今更訊いても仕方無いよ」
「橘くん、貴方変わったね」
「……そうかな?」
「うん。今の橘くん、付き合ってみたいかも」
「という事は、あの日僕はやっぱり振られてたんだ」
「もう……そういう所は変わってないのね」
「僕は弱い僕のままだよ。周りのお陰で、こうして立っていられるんだ」
「そっか。橘くん――――お互い、良いクリスマスに成るといいね」
蒔原が去って行った後、純一は辺りを見渡し大きく息を吐いた。 辺りは既に暗くなっており、商店街を飾るイルミネーションが煌めきを見せ始めていた。
「今ここで、君とは会いたくなかったよ……蒔原さん」
いつもの声色とは違い、弱々しかったその言葉は吹き抜けて行った風によって掻き消され、その姿を消した。
「激はじ」 主演ザッキー。 エンターブレインはもしかすれば預言者たちが集う場所なのかもしれない。。。
先に述べさせて貰います。
全国の七咲ファンの方、誠に申し訳ございません。