アマガミサンポケット   作:冷梅

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12月-⑩

 吐き出す息は白く染まり、冬の空へと溶けていくその様をじっと眺める。 季節が移ろうのは随分と早い。 正門に背を預け、少し前まではうんざりするほど暑かったのに――――そんなことを思いながら悴む両の手を擦り合わせて温めた。

 

「悪い、遅くなった」

 

 背後からの声に振り返れば、そこにはいつもと変らない見慣れた彼の姿があった。

 ここ輝日東高校では校則として、“ 如何なる部活動も下校時は制服を着用するように ”と定められている。 それは当然彼も例外では無くて。 野球用の練習着では無く、輝日東高校の制服に身を包んでいた――――ただし、頭部に被る野球帽を除いて。 そのアンバランスな格好に思わず苦笑いする。 そんな彼はほら、という声と共に制服のポケットから取り出したモノを手渡してくれた。

 

「パンダココア?」

「……間違えた、こっちだな」

「そんなに気を遣ってくれなくていいのに」

「珈琲は得意じゃないんだ」

「そういう意味じゃないんだけど」

「どういうことだよ」

 

 プルタブを開け、どこか恥ずかしそうにパンダココアを飲む彼の姿に口角が上がるのを感じる。

 

「えっと、絢辻?」

「あら、どうかしたかしら」

「いや、ちょっとな」

 

 主人くんへと視線を向けると、こちらの様子を窺うような表情が見て取れる。 彼は相変わらず、人の変化に敏感だ。

 

「野球帽と制服、合わないなって思ってね」

「……そんなにおかしいか? まぁ、鞄に仕舞うと形が崩れるからってのもあるんだけどさ」

「ふふっ、拗ねなくてもいいのに」

「おい、こら」

 

 軽い拳骨が優しく優しく頭へと落とされる。

 それを受けた流れに身を任せ、そのまま彼の胸元に身体を預ける。

 

「――上手くいったんだな」

「……ええ」

 

 ここ最近、連日にわたって輝日東高校を騒がせていた事件は終局を迎えた。 話を速やか且つ内密に済ませるためにと、あたしは上崎さんに接触を試みることに。

 結果は重畳、いつしか彼がして見せた手紙を用いた方法は事を上手く運んでくれた。

 

 ――――とは言ったものの、自分のとった行動が決して褒められるべきもので無いことは充分に理解していた。 他にも方法はあったはず。 結果的に事件は解決し、事なきを得た形になった。

 けれども、理由はどうあれ上崎さんを傷付けたことには変わりない。 例え大義名分が有るとは言えども、あの行動は悪手だった、とそう思う。

 

 これでビンタの一発でも貰っていれば、少しは胸の蟠りも溶けて無くなっていただろうか。

 そんな考えが脳内に巣食って離れない。

 

 上崎さんはあたしを罵倒することも無く、寧ろお礼を言ってその場から去って行った。 すれ違った際の上崎さんの様子はというと、どこか清々しささえ感じられる、そんな面持ちだったように思う。

 

「一番大事なところを引き受けてくれたんだ。絢辻がそこまで抱え込む必要はないと思うぞ」

 

 言葉と共に、そっと頭を撫でられる。

 大きくて、少し硬くて、暖かい彼の手は心地良い。

 

 ――――あぁ、全く本当に。

 

 以前の自分と比べると、随分と弱くなった気がする。

 でもこれはきっと、そう悪いことではなくて。

 猫を被っている私でなく、素の絢辻詞になるという事だろう。

 

「主人くん」

「どうした?」

「――ありがとう」

「……ああ、どういたしまして」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 先程手渡された“創設祭実行委員”と書かれた緑色の腕章に目を落とす。 指示にあったよう左腕に付けようとするが、付け慣れていないからか中々思うように付けることは適わない。

 

「ズレてるじゃない、しっかりしなさいよ」

「案外難しくてさ」

「はぁ。仮にも委員なのだし、自覚を持って欲しいわ」

「……面目無い」

 

 苦言を呈する絢辻の手付きは案の定素晴らしく、先程自分が付けた時よりも様になって見えた。 視線を戻すと、捉えたのはやや得意げな表情を浮かべた絢辻の姿。

 

「ありがとう」

「っ……別に、気にすることないわ」

 

 最近になって気付いたことだが、絢辻は意外と真っ直ぐな好意に弱い。 頬を赤く染めそっぽを向くその姿は中々乙なものだな、と内心喜んでいると、それに気付いた絢辻が足を踏み付けてきた――――それもそこそこの強さで。

 抗議の視線を送るが、ここで反撃をするとイタチごっこが続くような気がしたため咳払いを一つ。 こんなことをしている場合では無い、と絢辻に進行を促す為だ。

 

 委員の活動で使用してきた会議室は既に実行委員の面々で満たされており、中には梅原や棚町、田口らと言った委員では無いものの手伝いに来てくれている人達もいる。 一同を見渡した後、絢辻はその端正な顔立ちに柔和な笑みを浮かべた。

 

「みんなの協力もあって、無事に今日という日を迎えることが出来ました。本当にありがとう」

 

「そう言って貰えるのは嬉しいが、礼を言うにはまだ早いんじゃないか委員長(・・・)?」

「そうだよ、終わるまで取っておかないとね」

 

 梅原や田口の言葉に一同からそうだそうだ、と笑顔で茶々が入る。 梅原は人当たりも良く取っ付き易い為日頃から絢辻と話す機会があったが、驚くべきは田口だ。 一時期は最悪と言って良い程険悪な仲だったのが、今では嘘のように良好な関係になっている。 これも偏に絢辻の魅力の一つなのだろな、と賑やかなその様子を見てそう思う。

 

「創設祭は今日が本番です。忙しい一日になるとは思いますが、それ以上にきっと素晴らしいものなると思っています。現時点で予定に変更は無いので、事前に通達した通り進行する予定です。それでは一足早くですが、私――絢辻詞が創設祭の開催を宣言します」

 

「いよっ! 待ってました!」

 

 梅原に呼応する様に全員から絢辻に対して惜しみない拍手が送られ、開会式の準備のためにと会議室を後にして行く。 残されたのは俺たち二人だけになった。

 

「ホント良い人達ね」

「そうだな、みんなが居なかったらここまでこれてない」

 

 去年より規模を大きくした創設祭をここまで持ってこれたのは、尽力してくれた人たちの努力の賜物だ。 最後の方は過密スケジュールだったが、本当に良くやってくれたと思う。

 

「あたしの為に動いてくれたのはびっくりしたわ」

「あぁ、委員長の件か」

 

 クリスマスツリーの一件により、絢辻は創設祭実行委員長の座を解任された。 絢辻の後任には黒沢という他クラスの女生徒の名前が挙がっており、大人の黒さを垣間見たと、絢辻がそう口にしていたことは印象に残っている。 そんな理由(わけ)で彼女が創設祭を盛り立てて行き、俺たちはそのサポートに当たる、そう思っていたのだが――――

 

『先生、委員長は絢辻さん以外有り得ません』

 

 なんて意見が次々に高橋先生の元に届いた。 実行委員会の総意として絢辻の委員長続投を願う中では、以下に権力を行使しようともそれはまるで意味を成さない。 この様な空気の元で黒沢が耐え抜くことは当然適わず、彼女は副委員長というポストに着くことになり主に雑務の振り分けを担当することになった。

 

 閑話休題。

 

 会議室の戸締りを確認し、廊下を行きながらイベント会場である校庭を目指す。 生徒たちとすれ違う度に、みんなが今日を楽しみにしていることがひしひしと感じられた。

 

「――良い日にしなくちゃね」

「そんなに気負う必要はないさ」

 

 年に一度の――――過去最大規模の創設祭という事もあり、開催宣言を前にして学校内は盛り上がりを見せていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 NOZAKIグローバルシステムの令嬢――――野崎維織は喫茶店「さんせっと」にて、いつもの様にお気に入りの定位置で本を片手に珈琲を飲んでいた。

 読書中のタイトルは「三牧師」。 三教会の三人の牧師が教会の土地を巡って繰り広げる争いを書籍化して刊行したものだ。 この三牧師を語る上で外せないのは膨大な数の登場人物たちである。 その中でも最も維織が好きなキャラの名は「シスター・リョーフ」、素手で鐘を鳴らすという三牧師界一の女傑である。 一人一人が一癖も二癖もある個性的なキャラたちだが、キャラが被ることなく物語の進行も邪魔をすることが無い。 維織は三牧師という作品のこの点をいたく気に入っていた。

 維織の(ページ)をめくる速度が徐々に上がっていく。 物語が遂に佳境に入り始めたからだ。 文字に目を通す程、その世界観に引き込まれていく。 挿絵の効果も相まって、維織はまるで自分がその場に居るような感覚を覚えながら読書に没頭した。

 

 

 

「維織さん」

 

 優しい声色と共に、とんとんと肩に受けた刺激によって維織は目を覚ました。 気付かぬうちに眠っていたらしく、背中にはコートがかけられていた。 夜長朱鷺が普段愛着しているものである。

 

「…………朱鷺くん?」

「そろそろ時間だからさ。気持ち良く寝てたから起こすの躊躇(ためら)ったんだけど、風邪を引くよりいいかなって」

 

 置時計が示す時刻は午後6時30分。 三牧師を読み始めたのが食事を終えた昼下がりであったことと三牧師の頁数を考えると、それなりの時間眠っていたことになる。

 

「……全然気が付かなかった」

「寝落ちってものはそういうものさ。ほらこれ」

 

 夜長から手渡された蒸しタオルは程よい熱さで心地良く、微睡んでいた維織の意識はこれによって覚醒した。

 そして、それによってあることに気が付く。

 

「もしかして……今日、輝日東の創設祭?」

「正解だ、維織さん」

 

 首を傾げながら問う維織に対し、夜長は笑みを浮かべる。

 

「公くんが招待してくれたんだ。みんなで来てくださいってな」

「そう……なら早く行こう」

「そんなに慌てなくても創設祭は逃げないよ。准ももうすぐ戻るだろうし、それから行こう」

「分かった、私は車を呼んでおく」

 

 携帯を取り出し、おもむろに通話を始めた維織を流し目に、夜長は髭を剃るべく店の奥へと進んで行く。 こと自分に関してはズボラな夜長の為に、「さんせっと」では日用品が幾つか常備されており、それは髭剃りも例外ではない。

 随分と変わったものだと、洗面台に映る自身の姿に彼は笑みを零す。 風来坊として各地を放浪していた時は身嗜(みだしな)みに気を使うことなど無く、気の向くままに生きてきた。

 しかし、その生活もここ遠前町に来てからというもの変化してきている。 「ブギウギ商店街」の人々、「さんせっと」の人々――――とりわけ維織や准と言った存在は夜長にとって特別な存在であり、変化の要因となっていた。

 

 洗顔を終えて店内に戻ると、そこには準備のため「さんせっと」を後にしていた夏目准の姿があった。 どうやら無事に準備を終えて戻って来たらしい。

 この店のマスターである世納を含めて談笑していた三人だったが、夜長を視界に入れた途端にその場で停止し、中でも准は鳩が豆鉄砲をくらったような表情を浮かべていた。

 

「どうしたんだ? そんなにきょとんとして」

「え、えっと……夜長さんだよね?」

「何で疑問形なんだよ」

 

 以前にも同じやり取りをしたことを思い出し、夜長は苦笑いする。 准がこの様に取り乱すのは新鮮なことで、普段玩具にされている分の返しが出来たな、と内心でほくそ笑んだ。

 小さな勝利も、勝利には変わらない。

 

「普段からそうしてればいいのに」

「維織さんにもそう言われたけど、どうも落ち着かなくってな」

「ホームレスの(さが)だね」

「やめろ、その言葉は俺に効く」

「でも服装はダメダメだね。折角の創設祭なんだし服装は整えて行こうよ。公くんも薄汚いホームレスの知り合いだとは思われたくないだろうし」

「そんなに俺の事が嫌いか……」

 

 淡々と准が言い放った言葉は、その場にいる維織や世納の心境そのものだった。 茶色のテンガロンハットに同色のコート、首元には黄色のスカーフ、緑のポロシャツに藍色のチノパンと言う服装に今でこそ慣れた面々だが、出会った当初はそれはもう不審者を疑わなかった。 維織や准と出会っていなければ、この服装のまま各地を放浪していたに違いない。 そう遠くない未来、怪しい人物として警察のお世話になる可能が十二分に存在した。

 

 項垂(うなだ)れる夜長には目もくれず、准は従業員控え室へと入っていき、やがて両腕に衣類を束ねて戻って来る。

 態度には出さない様務めているが、この日の為に用意した衣類たちだ。 准は緩みそうになる表情筋と格闘しながらも会話を進めて行く。

 

「はい、これ着てみてよ」

「いや、まじか」

「まじだよまじ、減るものじゃないし」

 

 ボソボソと呟く夜長を控え室へと無理矢理押し込み、准は満足気な表情を浮かべる。 将来服飾関係の道に携わりたいと考えている准からすると、夜長の普段の服装はとてもじゃないが見逃せるものではなかった。

 

「おお〜、見違えるね。 流石私のセンスってところかな!」

「いや、准……正直変わりすぎて自分が怖いんだが」

「似合ってる、自信を持って」

「二人の言う通り良く似合っているよ。私は普段のウエスタン風も好きだが、こちらもカジュアルで良いと思うよ」

 

 三人が賞賛するほど、それくらいに夜長の風貌は変わっていた。 冬らしいグレーのクルーネックニットに、白のロング丈Tシャツを合わせたレイヤードスタイル。 手に抱えるチェスターコートは暖色系を取り入れてベージュにし、パンツは黒のスキニータイプ。首元にはスヌードを巻くことによって寒さ対策と服装へのアクセントも怠らない。 上背もあり、引き締まった体をしている夜長にとって、このYラインシルエットと呼ばれる服装の相性は良く、様になっていた。

 

「迎えが来た……行こう」

 

 店外を眺める維織の言う通り、店前に一台の自動車が到着した。 丁寧にワックス掛けされているその黒い車体は一目で高級車であることを周囲に悟らせる。

 メルセデス・ベンツ・プルマンW220。 NOZAKIの所有する自動車である。

 

「……まじか。こんなのどこに停めるんだよ」

「停めない。近くまで送って貰うだけ」

「あはは。生徒に見つかったら夜長さん大騒ぎになるね」

「洒落にならん……」

 

 一行を乗せたメルセデスは輝日東高校を目指し、遠前町の道を往く。

 創設祭の開催まで、もう少し。

 

 

 

 

 

 

 

 


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