アマガミサンポケット 作:冷梅
――――来週から忙しくなる。
そんな俺の勘は当たっていた。
創設祭実行委員、思っていたより大変な仕事だ。 どのイベントでも全員が楽しめることが究極的な目的だが、その根底には如何に3年生を楽しませることが出来るかと言うポイントがある。
特に輝日東高校の一大イベントである創設祭は、3年生が卒業式を除いた場合、最後の行事の場になるので尚の事力が入ったものになる。
体育祭と違い、創設祭は1年と2年の二学年で実行委員を担い、事を円滑に進めていく必要がある。
必然的に、人一人当たりにかかる負担は大きくなるということだ。
つまり、どういうことかと言うと――――
「主人くん、今日も部活に行かなくていいの?」
そう、ここ最近部活に出れていない。
と言うのも、絢辻は去年も創設祭実行委員をしていたということもあり今年の創設祭実行委員長に任命されている。 その為、彼女が執り行う仕事量は他の委員と比べて多い。 高橋先生からの頼みもあって、俺はそのフォローに回っているといった感じだ。
因みに塚原先輩は去年の実行委員長だ。 あの人も文武両道を体現している凄い存在である。
「俺が出なくても夜長さんが居るし、椎名も居るからな。練習は上手く回るだろうし、1時間は出るようにしてるから大丈夫だ」
「あまり野球の事は分からないけど、主人くんの練習に差し支えが出るなら無理しないで良いからね?」
「大丈夫だって、その分夜に身体を動かしてるからさ」
軽く頷くと絢辻の口はそれ以上動かなかった。 動いているのは資料を纏めるのに使う物くらいだ。
ぶっちゃけた話、絢辻の仕事を熟す速度は尋常なものでは無い。 俺のサポート何て要らないのでは、と思うくらい仕事が出来る人だ。
それでも俺が部活を削ってまで実行委員の仕事に拘るのは理由がある。
「それにしても……ふふっ、本当にキーボード苦手だね」
「……うるさいな。誰だって苦手な事はあるんだよ……」
そう、俺はタイピングが苦手だ。
初めてこの作業を始めた時、それはもう絶望したものだ。 頭ではスペルを分かっているのに、文字に起こせないそのもどかしさに。
だからこれは、俺のちょっとした意地だ。
こうした機会を貰ったんだ。 だったらせめて、人並み以上まで上達したいという思いがある。
俺の我儘で部活に迷惑をかけている事だろうが、今まで自分なりに奮闘してきたつもりだ。
これくらいは見逃して欲しい。
人の良いアイツらだ、きっと笑って許してくれるのだろう。 椎名からは何発か拳が飛んでくるだろうが。
キーボードと格闘する事30分、漸く資料を纏め終えることが出来た。
「ほい、各クラスや部活の出し物のリストを軽く纏めてみた」
「ありがとう、今年は数が多いから準備も大変そうね」
「あぁ、全くだ」
プリントアウトが終わった資料に目を通すと、その出し物の多さに思わず笑みが零れる。
去年の創設祭に参加していない為、どんな屋台が並ぶが楽しみであり個人的には「水泳部のおでん」に期待している。
寒空の下で食べる温かい食べ物は最高だ。
そういえば今年は椎名たちがカレーの屋台を出したいと申請に来ていた。
何でも「カシミール」の味を再現すると言っていたが、あれは奈津姫さんだから出せる味だと言うのに。 あまり期待せずに待つことにしようと思う。
他にも茶道部が甘酒を販売することや、1年A組――――純一の妹の美也ちゃんが居るクラス――――が劇を行う等とそれなりに楽しくなりそうだ。
* * *
資料を纏め終えた後は、資材の確認が待っている。 絢辻の話によると、やや建付けの悪い扉の奥にそれらの資材は眠っているらしい。
「去年先輩から教えて貰ったんだけど、ここのドアを開けるには少しコツが必要なの」
ドアノブを少し下に押し込みながら、それは開けられた。 成程、ドアノブが錆び付いて内側が馬鹿になってるんだな。
部屋の中は資材倉庫というだけあり、特有の埃っぽい匂いが立ち込めていた。
「へぇ、ここが資材倉庫ね」
「クリスマスツリーに使う電飾とか、創設祭に使うものを管理してる場所なの」
「見た感じ、そう見たいだな」
「ええ。基本的には、年に1回しか使われないわね」
絢辻の言葉に耳を傾けながら辺りを見渡す。
大量のダンボールが置いてあることから、それなりの数の資材があることが分かる。
扉を閉めようと、ドアノブを手に取ると絢辻から言葉が発せられた。
「あ、閉めないで。ドアノブが壊れてるみたいで、中から開けられないの。先生には話してあるんだけど、まだ治ってないみたい」
「さっきの様子からしてそうみたいだな」
確かに、中から開けられないと言うのは非常に不味い。 外に出る経路が無いからだ。
何か止めるものを、と視線を動かすと丁度手頃な木材が目に付いた為それを下にはめておくことにした。
これによって、空気の入れ替えに窓を開けて扉が閉まってしまうといった事は無くなる筈だ。
「じゃあ右側のチェックをお願いね」
「了解っと」
気が付けば絢辻は手馴れた手つきでエプロンを身に纏っていた。 制服に埃がつかないよう注意を払ってのことだろう。
それを見習って少し肌寒いが、制服を窓に掛けカッターシャツ姿になり作業と向かい合った。
それにしても、絢辻のエプロン姿か。
これは、滅多に見れない代物である。 さり気なく目に焼き付けようと後ろを振り向くと、目的のモノでは無く絶対領域と呼ばれるモノに目が行ってしまう。
大丈夫、俺は紳士だ。
決して、疚しいこと等考えてはいない。
自分の事ながら、変な事を考えたと頭を振ってから作業に集中するのだった。
* * *
その後順調に作業は進み、無事に今日の目標は達成することが出来た。
2人での作業と言うこともあってか、必然的に絢辻との会話は増えることになった。 その中で絢辻の家と俺の家はそこまで離れていないことが解った為、一緒に下校することにした。
家が近いなら同じ小中でもおかしくは無いが、別地区の学校にも近いという理由で俺とは別の学校だったらしい。 確かに、輝日南はこの辺りのモラル校である。 絢辻の様なタイプはそっちの方が色々と都合の良いだろう。
「今日の部活は良いの?」
「身体を休めるのも練習のうちさ」
「ふふっ、じゃあ明日は今日の分も練習しなきゃね」
「2倍とは手厳しいな」
これと言って何も無い。
そんな取り留めのない話をしながら歩みを進めて行く。
歩き初めてどれくらい経っただろうか。
気付けばいつもの坂を抜け、商店街へと辿り着いていた。
まだ小さい頃、ここは今ほど活気溢れる状態では無かった。
朧気な記憶を探っていき、辿り着いた先にあった答えは夜長さんの存在だった。
まだ数年の付き合いであるが、彼がどの様な人間であるかは分かっているつもりだ。 維織さんに、准さんに、世納さんについても同様だ。
ちょっとした事から始まったこの関係は、人生に置いて間違いなく誇れる大切なモノだ。
「さんせっと」に足を運ぶと気が和む理由が解った気がする。
そんな事を頭に思い浮かべながら歩く事少し、前方から何やら
「あれ、詞ちゃん?」
「え、絢辻が……2人?」
「はぁ……間違いでは無いわね」
思わず目を見開いてしまった。
目の前に居る女性は、今俺の隣に立っている絢辻詞と
そう思える程にこの2人は似ていた。
「やっぱり詞ちゃんだ、男の子と一緒だなんて隅に置けないなぁ」
見れば見る程そっくりである。 先程の絢辻の「間違いでは無い」と言う発言からして親族である事は間違いなさそうだ。
「えっと、どちら様?」
「……
親族と言うのはビンゴ。 目の前に居る女性は絢辻の姉か。 しかし、先程の絢辻の言葉は普段と同じだが、どこか違和感を感じたのは何だったのだろうか。
「初めまして。詞ちゃんの姉の、絢辻
「どうも、絢辻……こほん、詞さんと同じクラスの主人公です」
「よろしくね。いつも詞ちゃんがお世話になって、る?」
「まさか。その逆ですよ、逆」
「そうなんだぁ」
何というか、絢辻と違ってお姉さんの方はほんわかしている感じがある。 森島先輩と同属性と言ったところか。
「
声のトーンがいつもより低い気がする。
これがさっきの違和感の正体かもしれないな。
「ん、お夕飯のお買い物。頼まれちゃって」
「
笑顔を見せる縁さんに対し、絢辻の表情はどこが影がある。 ほんの数分前まで会話していた人とはまるで別人の様に感じた。
「……ごめんね主人くん。私ちょっと用事思い出して」
「そっか、気をつけてな」
「うん、今日は色々とありがとう。明日はちゃんと部活に行ってね」
「ああ、分かってるさ。じゃあな」
「主人くんも気をつけて……
「詞ちゃん、歩くの速いよぉ」
他人様の家庭に無闇に干渉することは避けるようにしているが、どうやら2人の姉妹仲は宜しくないらしい。
とは言うものの、縁さんの方は絢辻に対して明るく接していた。
つまり、縁さんは絢辻の事を嫌っていない。
あの態度を取る理由、何かがあるのは絢辻の方か。
そこまで考えたところで、一度息を吐いて思考を切り替えることにした。 理由も知らない俺が幾ら考えを立てようと、それはあくまで想像止まりに過ぎない。
そうは思いつつも、先程絢辻が見せた普段とは明らかに違うあの声色は気になるモノがある。
普段の絢辻からは想像出来ないような、黒いものを。
ここまで考えてまた息を吐き出した。
俺はまだ、絢辻がどんな人間なのか知らない。
人には誰だって何かしらがある。 今回のモノも、少なからずそれが関係しているのかもしれない。 それを詮索するのは、不躾な事だろうと思う。
こういうモヤモヤした気持ちを吹き飛ばすには、身体を動かす事が一番だ。 頭の中を運動に切り替え急いで家に戻り、スポーツウェアに着替えてから河川敷へランニングに向かった。
* * *
「おい、主人。これは一体どういう事だ?」
「いや、えっと椎名さん……俺に言われてもだな」
眉を吊り上げながら、笑顔で語りかけてくる椎名からは相変わらず恐ろしい。
「いいや、お前に言うね。部活をそっちのけで実行委員として活動しているんだからな」
「う……痛いところを……」
「とにかく、貸出申請書は出してあるんだ。他のクラスは合って、ウチのクラスの分が無いのはおかしいんじゃないのか?」
「んー、何かの間違いじゃないのか?」
「しばくぞ」
絢辻のやつは一体どこをほっつき歩いて居るんだ。 今日の放課後は手伝って欲しいと頼まれていたから会議室にやってきたものの、そこに絢辻の姿は無く、代わりに有ったのは各クラス等の代表者の姿であった。
昨日遅くまで練習メニューを考えていたせいか、頭が働かず絢辻の言葉に適当に返事を返してしまったが、まさかそれが原因でこうなっているのか?
「電源タップが2個じゃ足りないって。せめて3個! 後、場所も別のところがいいんだけど!」
「ははは……俺に言われてもな」
「主人先輩!」
「……今度は何だ?」
「パンフレットの印刷部数って何部ですか? 印刷所から問い合わせがあって」
「……はぁ」
駄目だ、絢辻じゃないと手に負えない。
と言うか確実に人手が足りていない気がする。 集まってくれた人には申し訳無いが、今日のところは引き返して貰うように頼んだ。 この際に用件を紙に記入して貰い、それを提出して貰ったから絢辻にそれが伝達されれば早急に対処が出来る。
本当に、絢辻しか機能していない創設祭実行委員会に頭が痛くなった。
聞いた情報を元に、絢辻が居るであろう場所に足早に向かった。
鼻腔をくすぐる独特の塩素の匂い。 プールに絢辻の姿はあった。 但し、薫と田中――――2人のおまけ付きだ。
「絢辻さん、痛い痛い!」
「準備運動はしっかりやって置かないと」
「絢辻さんの鬼……」
「貴女が怪我をしなくて済むなら、鬼にでも悪魔にでもなるわ」
「嬉しいけど嬉しくないよそれ!」
準備運動か。 確かに、それは重要だ。 しっかりと身体をほぐしておかないと怪我の原因に繋がるからな。
準備運動も終わったみたいだし、頃合はここだな。 絢辻たちの元へ歩み寄ると向こうから声を掛けてくれた。
「あら主人くん、どうしたの?」
「ちょっと創設祭の事で話があってな。水着何か着て、何してるんだ?」
「水泳の補習よ。体育でね、陸上と水泳の補習をしてるの。担当の先生が陸上を見ているから、私は代理としてこっち」
「へぇ、相変わらず凄いな絢辻は」
「ふふっ、水泳は得意じゃ無いんだけどね」
絢辻の用事は水泳の補習の手伝いか。
本当に良く働く人だ。 一体いつ休んでいるのやら。
「あ、何よ公。アタシ達の水着姿でも拝みに来たの?」
「バカ、なわけ無いだろ。用があるのは薫じゃなくて絢辻の方だよ」
「あ、それで話って?」
とりあえず先程まであった事を絢辻に話した。 てっきり溜息の一つでもある落とすのかと思ったら、絢辻は嫌な顔一つせずにこれを受けてくれた。
「絢辻さんをサポートする為にアンタも実行委員してるんでしょ? しっかり働きなさいよ」
「……うるさいな、俺が一番そう思ってるよ。それより、何でお前が補習何だ?運動神経は悪くないだろ」
「棚町さんは休みが多かったから。田中さんは泳ぐのが苦手みたいだけどね」
「薫、お前ちゃんと学校に来てたよな?」
「水泳は嫌いなの。髪が濡れるから」
「お前な……」
薫の水泳嫌いの理由がまさかの子供じみたもので思わず肩を落としてしまったが、こうしては居られない。
「じゃあ、俺は先に戻って資料を纏めておくよ」
「うん、お願いね。終わったら直ぐに向かうから」
実行委員会の本部に戻り、絢辻の趣意を伝えた後である程度の資料を持って教室に向かった。 こういう作業をする時は周りが静かな方が確実に捗る。 その為図書館と言う選択肢もあったが、あそこはあそこで人が集まるので距離の近い教室で落ち着くことになった。
作業を始めてから幾分が時間が経ち、喉に渇きを覚えた。 そう言えばさっきから何も口にしていないなと、鞄から財布を取り出し自販機の元へ向かおうと席を立った時――――視界に黒いものが映った。
気が付いてしまった以上、ソレが何かを見届ける義務が発生する。 それ程手間と言う訳でも無いため、ソレの元に移動し拾い上げた。
「黒い……手帳?」
軽い罪悪感を感じながらも、これが誰の持ち物かを特定する為に中身を拝見させてもらうことにした。 表紙に名前が無いからとは言え、他人の物を勝手に覗くは良心が痛むものがある。 そんな気持ちとは裏腹に、手帳をめくる手は止まらない。 非常に几帳面に、小さいながらも綺麗な字で埋められたそれは、俺の好奇心を刺激するのには充分すぎるものだった。
何頁めくっただろうか。 漸く、ヒントに成りうるモノを見つけた。
――――創設祭実行委員
今月の中頃の欄に、そう記されていた。
このクラスで創設祭実行委員をしている人物と言えばそれはもう1人しかいない。
答えは出たと、手帳を閉じようとした瞬間――――扉が開き、水着姿の絢辻が姿を現した。
「着替えもせずに、どうしたんだよ?」
「ちょっと忘れ物をして……その手帳」
「ああ、これか。やっぱ絢辻のだったか」
「……もしかして、中身も見たの?」
「名前が無かったから、持ち主を調べる為にも軽く見させてもらった。勝手に覗いてすまん」
沈黙が流れた。 物音一つしない静寂が辺りを包み込む。
「えっと、絢辻?」
絢辻の表情はとても暗いものになっていた。
視線は冷たく、こちらの言葉に反応が無い。
肩にかけられていたタオルが床に落ちても、それにも反応を示さない。 一体どうしたと言うのだろうか。
依然重苦しい空気を纏ったまま、大きく溜息をつき、どこか呆れた様な表情をする絢辻は、俺が今まで見てきた絢辻詞では無かった。
「絢つ――――」
重い沈黙が続いた為、それを破ろうと声を出そうとしたその瞬間。
絢辻がこちら側に踏み込み、素早い手付きでネクタイを掴み首元を引っ張ることで顔と顔の距離を縮めた。
「見ちゃったんだ」
「……は?」
滴る水滴が音を立てる。
この雰囲気、本当に自分の知っている絢辻詞なのかと困惑せずには居られない。
にわかに受け入れ難いこの事実が、身体を硬直させていた。
「……絢辻?」
「勝手に喋らない」
氷の様に冷たいと言えばイメージしやすいだろうか。
いつもの温和な声ではなく、以前実の姉である縁さんに対して使っていた口調――――棘のあるモノに絢辻の声色は変わっていた。
閲覧、ありがとうございました。
感想、批評お待ちしております。