激動の最中にある帝国で彼が憂うものとは?お茶会?
バハルス帝国 城内 一室
寒い季節を感じさせる薄暗い昼下がり。
頑丈な城壁にビュウビュウと冷たい風が当たる音は室内であってもどこか冷たく寂しい気持ちにさせられる。
染みや傷一つない白い壁に囲まれた室内に、魔法によって灯された美術品のようなシャンデリア。
職人によって丁寧に作られた調度品の数々が室内をより高貴に、より特別な部屋としての価値を上げている。
その部屋の一角に置かれた脚の高い丸テーブルには金具に固定された丸いガラス瓶が縦に二つ。
上には炒った豆の粉末が、下には水が入っており。その間をガラスの管が通っていた。
牛頭の賢人が考えたという「サイフォン」と呼ばれる装置だが……これが何とも非効率な装置なのである。
人にもよるだろうがこれを見た大体の人間が思うのは、それマジックアイテムでよくないか?だ。
わざわざ酒から抽出した液体燃料を使うランプに火を灯す。これで下に設置された水を温めるわけだが。
これさえも魔法を使えば簡単にお湯にすることが出来る。そう無駄な手間だ。
しかし、ここにいる彼はそう思っていない。
金の髪をかきあげランプをガラスにかざす、深い海を思わせる青の瞳がガラス瓶に映り込む。
身に包むアダマンタイトの全身鎧は暗い昼下がりであっても美しく黒光りしていた。
ゆらゆらと揺れるランプの火を見つめる美男の騎士。
帝国四騎士の一人、ニンブル・アーク・ディル・アノックはサイフォンの完成に微笑んだ。
(良いものを買った)
バハルスの帝都アーウィンタールの市場は現皇帝の手腕の元、大いに発展した市場である。
市場には珍しい特産品や希少なマジックアイテムなども流れてくるが、このサイフォンもその一つで発見したのもたまたまだ。
店頭に並んだ見慣れないこれを見て何に使うのかと興味を持ったのがきっかけで、話を聞ければそれで満足。
だったのだが、この国では圧倒的な有名人で間違いなく上客なニンブルに商人も懇切丁寧な営業を惜しまず。わざわざ実演してまで使い方を説明したのだ。
ニンブルがまず驚いたのはこれが飲み物を淹れる為の装置だということだ。
そして彼もまた例に漏れず、それマジックアイテムでよくないか?という疑問が浮かんだが――実演の最後には気持ちは逆転していた。
じっとガラス瓶を見つめるニンブル。小さな泡を出しながらゆっくりと水が湯へと変わってゆく。
慣れてくるとこの待つ時間もサイフォンの楽しみに思えてくる。
ランプによって沸騰したお湯が、どういう理屈かはニンブルにも説明は出来ない(商人も分からなかった)が中に設置されたガラスの管を通り「逆流」するのだ。
初めはそういう魔法なのかと疑ったのだが、そういう仕組みはなく。自分達が「てこ」を使うように説明できる原理が働いているようである。
逆流したお湯はガラスの管を通り、粉末の下に敷かれた布からじわじわと浸透する。
「ふぅ……」
これだ。この瞬間がたまらない。ニンブルは思わず息を漏らした。
サイフォンから広がる奥深く香ばしい豆の香り! 自分がこのサイフォンを買う決め手になった理由だ。
この豆は「マキャティア」にも使われる素材だが、普段飲んでいるマキャティアの香りに比べたら雲泥の差だ。
お茶が趣味のニンブルにとってこのサイフォンは画期的発明だった。
商人はこれを「コーヒー」と呼ぶ淹れ方だと言っていたがニンブルはサイフォンを手に入れてからはずっとこのコーヒースタイルだ。
あっという間に上のガラスは黒い液体で満たされ、それを確認するとニンブルはランプを外す。
すると液体は布に濾されながらゆっくりと下のガラスに戻っていった。
ポタポタと布から垂れる黒い雫を静かに、そしてゆっくりと眺めるニンブル。
(これが私の唯一の癒しの時間ですね……)
ここ数か月の帝国の激変はそのままニンブルの仕事にも表れていた。
まず単純に騎士が減り、その分のシワ寄せが四騎士である自分にも及んでいる。
先程も市場で税関を通さず不法にマジックアイテムを売っていた商人を捕まえたばかりだが、この程度の仕事は中堅騎士の仕事である。
マジックアイテムを取り扱う商人は商品の関係上、高位の魔法を使える者が多く、鍛えられた騎士であっても侮れない。それは事実だ。
実際捕まえた商人は元冒険者の魔術詠唱者で、戦った手応えでいえば白金級だろうか。
確かに普通の騎士には骨の折れる相手ではある。市場という場所で緊急性があったから手を貸したがあれくらいなんとかして欲しい。
(先の大虐殺のせいで騎士の質の低下が酷い……。あの程度の魔術詠唱者一人に私が呼ばれるとは……)
愚痴を言っても仕方がない。それにあの光景を見て戦えなくなった者を臆病者と罵れるほどニンブルは鬼にはなれない。
誰が悪いのか言えば、それは間違いなくあの悪魔、いやあのアンデットだ。
溜息が思わず漏れる。
「――ったく老人みたいな空気だしやがって。『激風』が泣くぞ!」
いきなり肩を強く叩かれたニンブルはハッと我に返る。
ああ、そうだその為にわざわざコーヒーを淹れたのだ。
振り向くと同じ四騎士の一人「雷光」バジウッド・ペシュメルが立っていた。
「らしくねーぜ、ニンブル。簡単に背中を取られるなんざ」
「ああ、バジウッド殿。いや、また腕を上げられたんじゃないか?」
「まぁな。俺という人間の出来ることはそれだけだし、それくらいしないとな!」
なんとも強気で大胆な発言だがそれこそがバジウッドという戦士であり、それに見合う働きが出来る男なのだ。
実際にこのところのバジウッドの戦闘における意気込みは凄い。
「あの」あとであっても、何かと暗く覇気のない騎士団に激を飛ばし、率先して指揮を執っている。
この逆境にある帝国で陛下ですらどこか諦めの境地でいる中で彼だけは前向きに物事を進めようとあがいている。
それはニンブルにはない彼の資質であり、同時に彼こそバハルス帝国四騎士の筆頭であることの証なのだ。
「さっさと『お茶会』を始めましょう」
ニンブル達の更に後ろから顔を半分隠した女性が不機嫌そうな顔でニンブル達に着席を促す。
彼女こそ四騎士の紅一点。その戦闘力の高さで選ばれた「重爆」レイナース・ロックブルズ。
彼女の顔の右半分は呪いにより膿を分泌する醜く歪んだものへと変えられてしまっていた。
そしてその呪いのせいである種の人生の地獄を味わっている。
部屋の中央にある長テーブルの席にいかにも気だるげに着席するレイナース。
地の育ちが良いのもあるだろう。鎧を身に纏ってるとは思えない程静かで丁寧な所作を見せる。
対してハイハイとレイナースの対面にどかりと座る育ちの悪いバジウッド。
ニンブルは立ったまま給仕をする。
騎士でありまた爵位を持つニンブルがわざわざしなくてもいいことだが、お茶が趣味のニンブルにしてみればいい気晴らしだ。
先程仕上げたコーヒーを注ぐべくいつも通り「四つのカップ」が置かれたティーセットを取り出す。
帝国の刻印が刻まれた由緒正しい王城のカップ。貴族を表すエンブレムの入った白いカップ。
平凡な器だが取っ手にだけ小さく花の細工が施されている可愛らしいカップ。
そしてただただ大きく量だけは入る武骨なカップ。
内一つは永遠に使われることはないのだが。
ニンブルはコーヒーの入った王城のカップと花細工のカップをバジウッド達に渡すと自身も自らの家のエンブレムをあしらったカップで嗜む。
完璧だ。この一杯の為に今日を生きてると言ってもいい。
豆のコクと口に広がる豊かな香りは普通のマキャティアには出せない味だ。
「いただくわ」
顔をハンカチで抑えながら飲むという変わったスタイルだが、彼女の事情を知れば仕方がない。
そして一口飲むとミルクと砂糖をありありに入れ、いつものマキャティアに戻してしまう。
「相変わらずお前の淹れるマキャティアは真っ黒だな」
コーヒーだと何度言ったところで変わらなかったので何も言わない。
バジウッドは差し出されたコーヒーをいつも通り惜しげもなく一飲みする。
ふぅとため息を漏らすニンブル。
こういう時、意外とお茶の味を褒めてくれるヤツがいたのだがと武骨なカップを見る。
「――そうか、そいつはご苦労様だな。で、その商人は?」
「今下の階で取り調べてますがね、どれだけ余罪があることやら。――そちらの任務はどうでしたか?」
『お茶会』とは月に二度行われる四騎士同士の集まりである。
大まかな内容は皇帝ジルクニフから命じられた任務に関する進行具合の報告、他国の情勢など、四騎士同士がお互いの情報を共有し合ういわば定例報告会議であり、これもまた仕事の一部である。
とはいえ、お茶会は王国との戦争期間中を除き最初にあらかた情報交換をすませ、後はニンブルの淹れた美味しいお茶を飲むだけ終わる四騎士限定の井戸端会議のようなものであり。だからこそお茶会などと呼ばれるようになったのだが。
今回のお茶会の本題は今まさに任務を終えたばかりのバジウッドとレイナースの報告だ。
「一応の成果はあったが……あの野郎とんでもなく強かでな。お前が行った方が良かったんじゃないか?」
「そこは陛下の判断ですので。私は正しかったと思いますよ」
先程までバジウッド達もある容疑のかかった商人の邸宅へ向かっていた。
その商人はニンブルが捕まえたケチな商人とは訳が違う。それこそ四騎士にしか任せられない相手だ。
四騎士二人と大勢の部下の騎士達を引連れ、取り調べを行った商人「オスク」はもちろんただの金持ちの商人というわけではない。
彼は帝国内で圧倒的人気を誇る闘技場を取り仕切る実質的なオーナーであり、その闘技場で圧倒的な強さを誇る武王の雇い主でもある。
特にこの武王の存在が厄介で、闘技場の王者というのは伊達ではなく。戦士という区分においては帝国内で最強。
帝国の軍事力である騎士において選りすぐりの四人である四騎士であっても「四人で戦って」負けるという恐るべき化け物なのだ。
そんな武王の雇い主であるオスクを取り調べるのである。万が一を考えれば彼ら二人でも足りないくらいではあるが――。
対モンスターに置いては冒険者並みのスペシャリストであるレイナースに、戦闘においてミスはないバジウッド。
彼らならいざという時も対応し全滅などといった最悪の状況も防げるだろうという陛下の判断だ。
(レイナースに限っては陛下の考える全滅の外でしょうが……)
彼女もそれは分かっているだろうし、そう考える自分は仲間として最低だ。
やはり心が疲れてるとろくなことを考えないな、と心の中で自嘲する。
「それで一応の成果というのは?」
思考を切り替え話を続ける。バジウッドは苦い顔をすると溜息と共に吐き出した。
「認めたよ奴さん。『魔導王』との繋がりを認めた」
「――やはりそうでしたか」
これが今回の捜査の目的だ。とある会談中に起きた帝国最大の悲劇!!
『魔導王の乱入』はほぼ確実に闘技場関係者に裏切り者がいる。それが皇帝ジルクニフの見解だ。
失意と諦めの表情から次第に恨みと怒りの顔に変わっていく陛下の姿は隣で見ていて同情を禁じ得なかった。
任務を下された時もほぼ怒声といっていいほどの声量で陛下の憎しみで新たな呪いが生まれるのではないかと思ったほどだ。
「あっさりとな。まぁ奴らの言い分としてはそこまでは読めなかったと、利用されただけだと」
「その言い分が通ると? で、どうしましたか? まぁお二人の様子からして戦闘は無かったようですが」
陛下は徹底的にやるとおっしゃった。例え魔導王から脅されてやらされたとしても、例え魔法で操られていたとしても『関係ない』と。
「まぁな。そもそも武王と闘り合うつもりはなかったさ、勝ち目無いしな。そう、ようは商人のオッサンただ一人
「暗殺ですか」
それがもっとも効率的な手だろう。今回の一件のケジメとしてはそれが最低限の決着だ。
仮にニンブルが任されていてもそうしただろう。
「そばに武王を置いていたが、最初の一撃の速さだけでいえば俺の方に利があった……だがな、もう一人の用心棒の『ラビットウーマン』が厄介でな、俺の重心が少し変わっただけで反応しやがる」
「ラビットウーマンでなくて『ラビットマン』じゃなくて?」
「女だからラビットウーマンだろ?」
レイナースの訂正にニヤリと笑うバジウッド。冗談を言ったつもりである。
「…………超つまんない」
「報告にあった『首狩り兎』という傭兵でしょうね」
強引に話を戻すニンブル。武王が肉体的に強靭であっても暗殺を止めるにはまた別のスキルが必要であり、武王の戦い方からしてそれを持っているとは思えない。
そしてその推理は当たっていて、恐らくオスクはこういう時の為に首狩り兎を雇っていたのだろう。
「だな。まぁやろうと思えば無理矢理やれただろうけどよ。その時は全滅を覚悟するしかないな」
「
悪びれず発言するレイナース。いつものことなので呆れるだけだ。
「まぁ、さすがに俺も部隊を潰す訳にはいかんからな。かといって手ぶらで帰るわけにもいかねぇし。いっそのことフールーダ爺に空から焼き払ってもらおうと陛下に伺ったところ――」
「そうですね。いかに武王であろうと武器の届かぬ距離からでは――」
「伺ったところ……粛清は無しになった」
思わず両手で頭を抱える。なんとなくバジウッド達の雰囲気で察しがついていたとはいえ、はっきりと言われるとやるせない気持ちが浮かび上がる。
「何故です? 陛下はやると決めたらやる方だ」
そう我がバハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは必要であれば容赦なく『それ』をする。
『鮮血帝』と畏怖と畏敬の念を込め呼ばれているのは相手が貴族であろうが、親族であろうが帝国の為ならば容赦なく粛清することができる人物だからだ。
(それを一介の商人相手にためらうなど……)
バジウッドも肩と表情だけで同意する。だがジルクニフが粛清を無しにする以上、それ以上の損得があるのも事実だ。
その事実をバジウッドから聞かされる。
「オスク商会はもうすでに帝国の商人組合を抜けてやがった。今奴らは魔導国の商人だ」
「馬鹿な!!」
烈火の如く怒りが湧いてくる。あいつらのせいで我が国の命運は切れたのだぞ!
あの商人がどういう意図で魔導王に協力したか知らないが結果だけみれば奴は帝国を売ったのだ。
(最初からそれが目的だったのか!? 魔導国に取り入る為に我らを売ったのか!!)
怒りに頭が支配されたニンブルだったが、商人の行いを考えれば考えるほど本来の理知的な自分が冷静に語りかける。
(そう、あの恐ろしい魔導王のすぐ傍であの虐殺を見た私はその怖さを知っている)
そうなのだ。敵対することで逃れられぬ死が待っているならば魔導王の近くで生きていくことは――。
ドン、とテーブルを叩くに音に我に返るニンブル。
「まったくだ!! やっぱ強引にでも取り調べのときぶっ殺しておけば良かったぜ!!」
「そ、そうですね!! まだオスクが屋敷にいるうちに決着を――!!」
「馬鹿ね。その時は魔導国との戦争開始よ、そしてあっという間に魔導国の支配下だわ……」
レイナースの言葉に思わずしんとなるバジウッドとニンブル。
バジウッドは分かりやすく咳をするフリ。ニンブルもサイフォンの片付けをしようと背を向ける。
「…………なに?」
今、バハルス帝国内では一部の者にしか知られていないが大規模な緘口令が敷かれていた。
それは帝国全体を揺るがす重大で抗うことのできない凶事に関すること。
――皇帝ジルクニフ、バハルス帝国の魔導国属国への申請。
そう、もうすでに帝国は魔導国の支配下であると言っても過言ではない。
事実上帝国の魔導国に対する敗北宣言であり、今現在も皇帝ジルクニフは自ら率先してその申請書類を作っている。
皇帝自ら属国への申請書類を作成するなど悪趣味な喜劇のような話だが、少しでも国を守る為に今も真剣に行われているのだ。
その直接の原因が先程問題になった会談であり、だからこそその一因となった商人を吊るし上げようとしたのだが……。
バジウッドもニンブルもジルクニフと魔導王との会談に直接居合わせた為、その事情は知っている。
またジルクニフによって選ばれた信頼の置ける臣下もその事実を知らされていた。
が、その中にレイナースは含まれていない。
今回の捕り物も魔導国に通じて帝国に不利益を起こした商人としか説明されてないはずだ。
彼女は四騎士の座に座ってはいるがそれはあくまで自身へのメリットを考えてのこと。
当然ジルクニフへの忠義は無く。ジルクニフもまた彼女の戦闘力にしか興味はなく、お互いそういう取引で引き入れたのだ。
実は今まさに帝国が瓦解しようとしていることを彼女が知ればどうなるか。最悪出奔の可能性も出てくる。
(今はまだ困るんだよなぁ……! いずれそうなるにしてもせめて貴族連中を押さえてからでないと……!)
(これまで陛下は騎士の圧倒的武力を背景に改革を推し進めてきた……! 先の惨劇で大幅に武力低下をしている以上ここで更に四騎士を失えば……)
ジルクニフもレイナースの動きは懸念していたが今の状況で彼女一人に手を焼くわけにはいかず。ほとんどニンブル達に丸投げしていた。
そしてニンブル達もそのことを持て余しており事態を見守りながら現状を維持していたのだった。
「そ、そうですね! 魔導国と繋がりがある以上下手なことはできませんからね!」
「だな! あの国を侮る奴がいるとすれば何もしらない子供か、また『どうしようもないくらいの大馬鹿』くらいだ」
ハハハと少しやけくそ気味に笑う。誤魔化す為とはいえ事実は事実なので泣けてくる。
何故こんな目に帝国が合うのか。魔導王に呪いあれ! ……効かないのは知っているが。
じーーとニンブル達を見るレイナース。
「あ~~魔導国といえばレイナース。お前、帰り際に商人からアイテムを貰ったろ? 魔導国産のヤツ」
やや強引に話を変えるバジウッド。
ナイスですと心で親指を立てるニンブル。
「……ええまぁ。これから扱う新商品の売り込みですって」
なんとも図々しい奴だがそれが商人という人間なのか。怒りが再燃するが今は話題を変えたい。
レイナースは鎧に取り付けた道具袋から小瓶を取り出す。
「これは……ポーションですか?」
小瓶の形は普通のそれだが中の色は全く違う。初めて見る『紫』色のポーション。
ポーションは戦士職をしていれば誰でも一度は使ったことがある回復薬。
大抵の傷を癒してくれる心強いアイテムだが、ニンブルが知っているポーションは青色だ。
このポーションの色は何というか毒々しささえ感じる。
「『解呪薬』と商人は言ってたわ」
……もの凄く胡散臭い名前だ。
毒や麻痺に効く薬なら知っているが呪いに効く薬など聞いたことがない。
「そりゃまた……そんな薬出来るものなのか?」
「……大抵のポーションは薬草と魔法で生成するのだけれど、高級品は魔法をそのまま錬金術で封じて生成しますの。つまりこの薬品に溶け込んでる魔法が呪いに効くものならあるいは――」
「詳しいですね」
まぁねとハンカチで右顔を拭くレイナース。なるほどな、と小声で呟くバジウッド。
にわかに信じがたいが有り得るものらしい。――しかし。
「わざわざレイナースに渡すところが……自信があるのか、あるいは罠か」
「本当に飲むのかコレを……」
外見はどうみても劇薬で、渡してきたのは帝国を裏切ったあの商人。極めつけはあの魔導国のアイテム。
ニンブルであったら迷わず捨てるが……。彼女はその人生の全てを呪いの解呪に捧げている。
「『本物』ならね。いくら私でもあの男の話を鵜呑みにしないわ。〈道具鑑定〉、あと〈付与魔法探知〉が使える薬師で調べてからよ。呪いは解けてもアンデット、なんて笑えないもの」
「私もです。死ぬときくらいは普通に死んでいたい。そうだ! いい薬師を紹介しますよ。私の家の御用達でね、いい腕ですよ?」
万が一を考えると自分も付いていった方がいいだろう。
レイナースは断ろうとする雰囲気を見せたが眼で警告する。
仮に本物だった場合の彼女の行動は分かっている。
完治なのか治療レベルなのかは知らないが効くと知ってしまった以上、彼女は迷わず魔導国に行くだろう。
この国に未練なく、四騎士の肩書を捨てて。
(貴方の人生です、好きにすればいいでしょう。しかしだからといって辞め方というものがあるだろう?)
しばらく睨み合った両者だがレイナースはしぶしぶ了解の合図を肩で送る。
「ハハハハ、まぁ俺は偽物だと思うがね。仮に俺が死ぬときは嫁さんのケツで――ああああ!!」
品のない台詞の途中で突然叫び声を上げ立ち上がるバジウッド。ストレスだろうか。
「なんてこった今日は結婚記念日だ! 最近忙しかったからすっかり忘れてた!」
((それは何番目の?))
などと野暮なことは言わない。彼は妻と愛人合わせて五人の女性と住んでいるがそれぞれきちんと愛している。
何番目などとの順番はないのだ。
「陛下への報告は済んでるし、後の仕事は後から出来る! それじゃあとよろしく!」
よく出来る体育会系サラリーマンの如く帰宅するバジウッド。
ああいう意外にまめなところが夫婦生活を長く続けるコツのようだ。
「夫婦生活というのはこういうことの積み重ねと聞きますが……私に結婚は無理そうですね」
現在進行形で姉と妹に結婚しろと責め立てられているニンブル。
貴族という立場もありいつまでも独り身というわけにはいかないのは分かっているが、だからといってすんなり出来るものでもないだろう。
(むしろ妹の嫁ぎ先の方が心配だ)
「あれは特殊すぎるとは思うけど。――フフ、そうね、結婚。そもそも私には縁がない話でしたわ」
ハンカチで顔を押さえながら口元に怖い笑みを浮かべるレイナース。
(これはしまったな)
地雷を踏んでしまった。彼女はその顔の呪いのせいで婚約者に結婚を破棄されている。
「人なんて見た目でしか人物を把握出来ない愚かな生き物ですわフッフッフッ――ハァ。もう一杯いただけます?」
バーで酒を催促するようなお替りに溜息のニンブル。
だが仕方がない。安易に結婚の話題をするべきじゃなかった。
サイフォンの置かれたテーブルまで移動し、再びコーヒーの準備を始めた。
豆を取り替えている最中にそういえば話の途中だったと、背中越しに質問する。
「それで先程の話の続きですが、結局オスクはどうなりましたか?」
「帝国を出ていくわ、拠点を魔導国に移すそうよ。武王も魔導王の配下に置かれるようでね、それについていく形だわ」
作業を止め思わず振り返るニンブル。
「武王ごと? それで陛下はなんと?」
「さっき話した通りよ。手を出すなと、あの陛下のことだから違う形で報復するとは思うけど。フフッ……私の婚約者と同じようにね」
婚約者の件はともかく。今の陛下があの魔導王を相手にそこまで行えるかは怪しいところだ。
確かにジルクニフの策略はこの帝国においてあらゆる人間を意のままに操れるだろう。しかしこと魔導王に関していえば全ての事柄が後手に回っているといえる。
だがそれを責められる人間がおれようか。鮮血帝の更に上をいく神算鬼謀を具現化したような存在などただの悪夢だ。
「魔導国はますます手をつけられなくなりそうですね」
「そうね、帝国はもうダメかも。貴方も身の振り方を考えれば?」
「私が、ですか?」
不意の一言に不愉快な心情を隠さずレイナースを伺う。
彼女の忠誠心のない発言はいつも通りであるがそれに自分を含ませるとはどういうつもりなのか。
「怖いんでしょ魔導王が? 本当は逃げたくて堪らない」
歯に衣着せぬ侮辱的な発言。しかしニンブルはそれを言い返さない。
押し黙り再びサイフォンに向かい作業を続ける。
「……誰も貴方を責めないわ。あの惨劇を魔導王の傍で見て逃げ出さなっただけでも立派よ。でもつまんないプライドなんか捨てて、私のように素直になるべきね」
沈黙のままランプに火を灯す。しばらくすると温められたお湯がコポコポと逆流を始めた。
豆の入った器に浸透し黒く濁っていく。
あの惨劇の始まりもこんな色からだった。動かない王国兵士の頭上に現れた黒い球体。
そこから地に零れ現れる羊の化け物。そして再びの虐殺。
(そう私は怖い。魔導王が魔導国が……)
コーヒーを淹れながらあの時と同じことを思う。
魔導王の力の前では己の持つ四騎士の肩書や貴族の位など全ては無力、無価値であると。
(それでもだ――)
それさえも捨て去ってしまったら自分に何が残るというのだろう。
妥協とか、消極的選択と揶揄されようがニンブルが今だこの帝国で四騎士を続けていく理由はそれだ。
魔導王が恐ろしくとも、帝国が魔導王の属国になろうとも、自分という人間は死ぬまで終わらない。
ならば与えられた役割で精一杯やるしかないのだ。それが貴族として生まれ、騎士という生き方を選んだニンブルの矜持。
(そして合間に
自嘲気味に、だが誇り高く。
『激風』は静かに笑う。
「帝国四騎士ニンブル・アーク・ディル・アノックは、たとえ『臆病風』と笑われようと帝国に尽くしますよ」
レイナースの問いに答えるように呟くと花でも摘むように華麗にランプの火を指で消した。
時間をかけて丁寧に作った一杯だが結局甘いマキャティアになるのだろう。
今日何度目かの溜息をつくとニンブルは両手にカップを持って長テーブルに運ぶ。
「出来ましたよ――と。……これは」
テーブルには誰もいない。そしてテーブルに置かれた例の小瓶も無くなっていた。
「……本当にどこまでも自分に素直な
これは気を抜いていた自分の失態。しかし焦らない。淹れたばかりのコーヒーを飲む。
高位の魔法が使える優秀な薬師は帝国でも限られている。この短い時間でならば行けるところは更に絞られるだろう。
まずは騎士たちに伝達して、と段取りを考えている脳裏でバチリと稲妻が走る。
「いや――まさか!?」
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
・・
・
外で気絶をしている見張り役を尻目に急いで部屋の中に入る。
「ここに女の騎士が来なかったか!?」
取調室の椅子に座っている男はニンブルの剣幕に驚いた。
今日市場で捕まえたマジックアイテムの商人は何が起きているのだと怪訝な顔で質問に答える。
「あ、ああ来たぜ。武器突き付けてきて、いきなりアイテムを鑑定しろと言われてな。で、やった途端引ったくって飲みやがった。勿体ないと思ったぜ、なんたってあのポーションには第――」
「それはいい!! それで女は何処に行った!?」
「し、知るかよ男のとこだろ? 愛しのアイなんとか様とか言ってたし! ったく羨ましいぜあんな『美人』に言い寄られるなんて――はぁ憎いねぇ」
アダマンタイトの高級な鎧が傷付くことも忘れ膝から盛大に崩れ落ちる。
首も美しい金髪が床に着きそうになるくらい項垂れる。
さっきまでの覚悟はどこかへ吹っ飛び、部屋に戻ってお茶がしたいと脳が現実逃避する。
バハルス帝国四騎士『激風』ニンブル・アーク・ディル・アノック。
彼の
というわけでニンブルさんメインのSSです。
四騎士のエピソードは前から一つは書きたいなぁと思い練っていました。こういう感じになりました。レイナースの萌え萌えエピソード希望。
アニメもまた始まってオーバーロード熱いです。新刊新刊早く来い~~。
誤字多すぎましたね。報告ありがとうございます。