みさここ離別世界線の美咲視点です
いつのまにかサラリーマンになっていた。普通の大学に入って、普通の大学生して、普通に就職した結果だ。
立ったまま寝る通勤電車も、少年ジャンプを読むおっさんにも慣れっこになっていた。
あの頃からしたら、まさかと思うじゃん。もう慣れたよ、慣れた。
もしも誰かが「世界を征服しに行きましょう」って言ってくれたら、履歴書もスーツも全部燃やして、今すぐ手作りのボートを海に浮かべるのに。
こういう日に限って、あんたからメールは来ないんだもんなぁ。
あたしはあんたがそう言ってくれるのを、ずっと待ってたんだよ?
『こころはさー、進路とかどうすんの?』
『もちろん世界を笑顔にしに行くわ!』
『……そう、なんだ』
そう言ってのけたこころは、とても輝いていて。
普通の人間のあたしじゃ、邪魔になってしまうんじゃないかって思って。
それが怖くて、あたしは。
『あたしは、普通の大学生になって、普通に生きるから。……応援してるよ』
世界征服なんて、無理だもの。サラリーマンより忙しいもの。別に偉くなりないわけではないもの。
「もしもし、あ、あたしだけど最近なにやってんの?」
「いやちょっと最近迷路にはまってしまって、すぐに抜け出せると思ってたんだけど、なかなかそうもいかなくて、あ、でもさっき道を聞いたら交差点に出るたび左に曲がれば大丈夫だって言ってたから、もうきっと、きっと、すぐよ」
「なんだ、早くしてよ、みんな待ってるよ」
って言ったところで電話は切れて。
もう彼女は帰ってこないんだってことが、はっきりとわかった。
もうやめた、世界征服やめた。
普通のあたしは、今日のごはん考えるのでせいいっぱい。
もうやめた、二重生活やめた。
今日からは、そうじ洗濯目いっぱいだ。
『それでは御社を志望した動機をお聞かせください』
『はい、私が御社を志望致しましたのは……』
もしもあんたが、世界征服しに行こうって言ったら、履歴書もスーツも燃やしてすぐにでも太平洋にくりだしたよ。
なのにそういう日に限ってあんたはメールをよこさないし、貸したCDも返ってこないままだ。
あたしはあんたがそう言ってくれるのを、ずっと待ってたっていうのに。
でも世界征服なんて無理だし、サラリーマンより忙しいし、偉くなりないわけでもないから。
知りたくない、何も知りたくないんだよ実際。
『ハッピー! ラッキー! スマイル! イェーイ!』
いくら知識がついたって、1回のポエトリーリーディングにはとてもじゃないけど勝てないよ。
果てが無いくせに時おり夢をちらつかせてくる人生や、1日限りの運勢や、どうにも抵抗できない運命みたいなものをいっしょくたに抱え込んで宛名のない手紙を書き続ける人間の身にもなってみてよ。
「もしもし、あたしだけどみんな待ってるよ?」
「あー、ごめんなさい、言われた通りに交差点に出るたびに左に曲がってるんだけどなかなか抜けられなくて、でも大丈夫よ、きっと、すぐだわ」
「いやあんたそれってさ、思うんだけど……」ってところで電話は切れて、結局何も伝えられない。
『ふん、ふん、ふーん! ……って感じでどうかしら!』
『あー、つまりここは楽しげってことだから使う言葉は……』
詩や歌にするのはとても簡単なのに。
『……じゃあね、こころ』
『……美咲も、元気でね』
直接言葉で伝えることが、こんなにも難しいことだとは知らなくて。
『どうなってるんだ、君!』
『……申し訳ありません……』
それなのに知らなくていいことばかり増えてしまって、自分の1番近くにある風景がこんなにも霞んでしまっていることに気が付きもしないなんて!
「人生がもし流星群からはぐれた彗星のようなものだとして」
こころは言ったんだ。
「私達はもうどこから来たのかもわからないくらい遠くに来てしまったのかもしれないわね」
「そしてどこへ行くのかもわからない」
あたしは付け加えた。
「まっくらな宇宙の中でどこかに進んでるってことだけがはっきりわかる」
人生はきっと、流星群からはぐれた彗星のようなもので、行き着く場所なんてわからないのに命を燃やし続けるんだよ。
だから、だから10年後のあんたは今のあんたを余裕で笑い飛ばしてくれるって。
10年後のあたしは今のあたしを笑い飛ばしてくれるって、間違いないよ。
そうでしょ、こころ?