春の日差しが暖かく降り注ぐ春休み。
俺は当たり前のように小町にパシられていた。
なんでも駅前にあるたい焼きスイーツたら言うものをご所望らしく、受験も終わり見事に合格した我が妹の頼みならばと喜び勇んでパシられているのである。
人通りはそこまで多くないものの、家を出た時の俺のやる気は何処へやら。遠くはないとは言え、春休み怠惰の限りを尽くしていた俺にはキツイ距離でして。
よりにもよってパンクしてる自転車を自宅に置いて、徒歩でやって来ていた。
小町も付いて来てくれたら八幡的にポイント高かったのだが、妹殿は俺の代わりに怠惰に過ごしておくからと言って家から出てくれなかったのである。
大丈夫かしら小町ちゃん。あのままニートになったりしないかしら。ニートは一家に一人で十分なのよ?
いや、一人も要らないか。そもそも俺はニートじゃないし。
目的だったたい焼きスイーツの屋台でついでに自分のやつも確保し、更についでに本屋でも寄っていくかと駅前の広場を歩いていると、なんだか妙に人集りが出来ている場所を見つけた。
普段ならそんなもの構わずに我が道をゴーイングマイウェイなのが俺なのだが、聞こえてしまったのだ。
聞いた事のある声で、にゃーっと言う鳴き声が。
そんなん気になるに決まってる。
なんとか人集りの中を掻き分けてその最前列まで進むと、俺の予想は当たってしまっていた。
「にゃー」
「にゃー」
「にゃー」
「......にゃー。ふふっ」
所謂『猫の集会』と言うやつである。
一体なんの目的があるのか、そこいらの野良猫が集まってはただ座ったり寝たりするだけの、謎の猫コミュニティ。
なるほど確かに、ここ近辺では珍しいそれを見かけてしまっては人集りも出来るというものだろう。
しかし、理由はそれでは無かった。
さらに言うと、恐らく猫が集まってる理由もちょっと違う。
猫の集会の筈なのに、そこに混ざっている人間が一人。
にゃーにゃーと猫達と共鳴している、絶世の、と枕詞をつけても過言ではない美少女。
残念ながら俺の知り合い、どころかかなり深い関係性にあるやつだ。
「にゃー」
「にゃー」
「にゃー」
「......にゃー、にゃー」
いや、あいつマジで何やってんの......?
あれか、最近プロムの準備やら卒業式の準備やらで忙しくて猫欲が高まっていたのか。
猫欲ってなんだよ。
まあなんにしても。
恐らく彼女は、今自分がここまで注目されている事に気がついていないだろう。衆人環視の中で鳴いてる姿は見た事ないし、彼女自身も努めてそう言う姿をあまり見られないようにしていた節もある。
さて、今の俺には二種類の選択肢があるわけだ。
一つは、何も見なかった事にして立ち去る。
もう一つは、彼女に声を掛けてこの状況を知らせてやる。
ではこの内のどちらの選択を取るかと問われれば、俺は問答無用で前者を取らせてもらう。
俺には帰りを待つ妹がいるんだ。生きて帰るにはスルー一択。幾らあいつとそう言う関係であったとしても。
しかしそう簡単にいかないのが世の常である。
ふとした拍子に顔を上げた彼女、雪ノ下雪乃とバッチリ目が合ってしまった。
「......あっ」
「よ、よお......」
そして同時に周囲の状況を把握したのだろう。その顔は急速に赤らんでいく。
雪ノ下の足元の猫達は、遊んでくれていた彼女の異変に気がついたのだろうか。心配するように彼女の足をスリスリと。
て言うか猫めっちゃいるんだけど。今更ながらその数を数えてみるも、十匹を超えたあたりでやめる。この辺りってこんなに野良猫いたっけ?
そして雪ノ下の異変に気付いたのは勿論猫だけでなく、集まっていた人達も皆一様にして頭の上にハテナマークを浮かべていた。
俺としては今すぐにでも退散したいのだが、挨拶をしてしまった以上そうもいかない。
果たしてこの後どのような行動に出ようかと悩んでいると、突然立ち上がった雪ノ下がこちらにテコテコと歩いてくる。
え、ちょっと待ってストップストップ! こっち来んな!
「付いて来なさい」
「は? いやなんで」
「いいから」
「はい」
文句は一切受け付けないとばかりにキッと睨まれた。怖い。
そのまま俺は雪ノ下に服の袖を摘まれ、美少女に連れていかれるゾンビという構図が出来上がってしまった。
気分は出荷される豚である。
脳内でドナドナが流れ始めた。
「では言い訳を聞こうかしら」
近くの公園まで出荷された後、雪ノ下が発した一言目がそれだった。
言い訳ってなんだよ。
「いいか雪ノ下。それは既に何かしらの罪を犯したやつに対する言葉であり、俺はまだ何もしていない。なんなら妹のためにここまでやって来た奉公者であり、褒められるような事はしても言い訳をしなければならないことなんて何もしてない」
「相変わらずのシスコンなのね......。はあ、ごめんなさい、少し取り乱していたみたい」
心底疲れたような表情を浮かべ、雪ノ下はベンチへと腰を下ろした。
スッと端に寄った事から、俺もここへ座れということだろう。
お言葉に甘えて(言葉にはしてない)、ベンチの空いたスペースへと座る。
が、比企谷八幡痛恨のミス。
このベンチ、思いの外小さく、雪ノ下との距離はそこまで離れていない。て言うかめっちゃ近い。今にも肩と肩が触れてしまいそうだし、なんかいい匂いしてくるし。
「あなたは、どうしてあんな所に? 長期休暇なのをいい事に家で怠惰の限りを尽くしていると小町さんから連絡があったのだけれど」
「待て、何故小町からお前にそんな連絡が行ってるんだ」
「あら、何かおかしな事かしら?」
「いやおかしいでしょ......」
なんで雪ノ下に八幡情報リークしちゃってんの小町ちゃん......。
「さっき言った通り、小町にお使い頼まれたんだよ。たい焼きスイーツが食べたいんだと」
「ああ、あの屋台の」
「おう。んで、お前は何故あんな奇行を?」
「......野良猫を追いかけていたらいつの間にかああなっていたのよ」
えぇ......。視野狭窄にも程があるでしょ君......。そんなんでよく車に轢かれたりしなかったな。
つかまず周りの視線に気づけ。お前もぼっちの端くれなら視線には敏感なはずだろ。
「最近はあまり猫動画も見れていなかったから......。猫カフェにも行けていなかったし」
「ま、つい最近まで忙しかったしな」
「ええ、本当に。だから久しぶりに猫を見かけて、存分に堪能していたのだけれど、誰かさんのせいでそれも台無しね」
「そりゃ悪うござんした」
マジで猫欲高まってたのかよ。
しかし、そうだとするなら随分と悪いことをしてしまった気になる。雪ノ下の猫に対する愛は元から知っていたし、最近忙しかったのなんて更に理解している。
「さて、この罪はどう償って貰おうかしら」
「罪に問われるのかよ......」
「当たり前よ」
一体どこのなんて法律に抵触してしまったのだろうか。個人的には雪ノ下さんの可愛らしい姿が見れたので役得ではあったんですけどね。ええ。あんな姿を見れるのなら法律を犯すのも吝かでは......、いや待て落ち着け流石にそれはない。
さて、ではどのような方法で償おうかと考えるも、何故か頭に思い浮かぶのはたった一つ。
それ以外にないと言うのなら仕方がないか、なんて誰に向けてかも分からないような言い訳を心の中でしつつ、隣の彼女へ向かって口を開いた。
「じゃあ、うち来りゅか?」
「お、お邪魔します......」
「ああ、まあ、どうぞ......」
カッチカチ。二人ともカッチカチ。
錆びた機械とまでは言わなくとも、なんとなくぎこちない動きで二人して我が家のドアをくぐる。
いやまあ初めて彼女をうちへ招くわけだし、雪ノ下も初めて俺の家に来るわけだし、そりゃそうなるよねって。
あの公園で家に誘った所、意外や意外、雪ノ下は二つ返事でOKした。
勿論家には小町がいるだとか、うちならカマクラをもふり放題だとか、色んな言い訳はさせてもらったけれども。そんな言い訳が無意味なほどにほぼほぼ即答だった。
マジでどうしよう。いや、目的は決まっている。雪ノ下にカマクラをもふらせる。
それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、俺も、恐らくは雪ノ下も、そんなのはただの建前に過ぎないと理解している。
ただ、折角だからもう少しだけ、一緒に居たかったなんて。
そんなこと思っても口に出来ない俺たちだから。
「あ、お兄ちゃんおかえりー」
「おーう。帰ったぞ小町ー。あ、雪ノ下いるから」
「ひょえ?」
廊下の向こうから聞こえてきた声に適当に返すと、なんか変な声が返ってきた。でもそんな声も可愛らしいから流石は小町!
その数瞬後にドタバタと聞こえて来て、驚きに目を見開いた小町が玄関口へ現れた。
「ゆゆゆ雪乃さん⁉︎ なんで⁉︎ え、なんで⁉︎」
「こんにちは小町さん。お邪魔させてもらうわね」
「駅前で拾ったから連れて来た」
「いやそんな捨て猫拾って来たみたいなノリで言われても!」
実際猫と戯れてたところを連れて来たので捨て猫みたいなもんだったが、それは言わぬが花だろう。言ったらどうなるか分からないし。
「取り敢えず落ち着け。落ち着いてカマクラを確保して来るんだ。今すぐに」
「り、了解であります!」
未だ冷静になれていないのであろうが、小町は俺の言う通りカマクラを探しに行ってくれた。
こんな事になるんなら、事前に連絡しておくべきだったかもしれない。
「んじゃまあ、上がってくれ」
「ええ......」
雪ノ下を連れて二階のリビングへと上がる。
後ろではマジで借りて来た猫のように縮こまった雪ノ下。
なんか今日は猫づくしだな......。
「取り敢えずソファにでも座ってろ。いまお茶淹れるから」
「あなた、紅茶淹れられるの?」
「ティーバッグになる上にお前の紅茶には負けるけどな」
雪ノ下がソファに座ったのを確認して、キッチンへ向かう。
普段コーヒーしか飲まないからティーバッグはどこにあるのやらと探していると、またドタバタと足音が聞こえて来た。
出来ればもうちょっと慎みを持った歩き方して欲しいんだけどなぁ......。
「お待たせしましたー! はい、こちらカマクラになります!」
「あ、ありがとう......」
お前は居酒屋の店員かってくらいテンション高い声でリビングへと突入して来た小町が、そのままソファに座っている雪ノ下にカマクラを渡す。
流石の雪ノ下も小町の謎の勢いに圧されて困惑気味だ。
「なあ小町、紅茶のバッグってどこにあったっけ?」
「へ? お兄ちゃん紅茶飲むの? いつもコーヒーなのに?」
「雪ノ下の分だよ」
言うと、ああ成る程ねー、なんて納得したような声でティーバッグを探し出す小町。
それを尻目に、リビングで一人にしてしまっている雪ノ下は大丈夫かと見てみれば、既に視線がカマクラに固定されていた。しかもめっちゃもふもふしてる。カマクラもうみゃー、と声を上げてなすがままにされているようだ。
「小町やっとくから、お兄ちゃんは雪乃さんの隣に座ってて」
「いや別に隣じゃなくても」
「いいから」
こう、なんと言うか、なんで女性の言葉って謎の重みがあるんだろうね。
今日二度目の同じ言葉を前に、俺はまたしても何も言い返せず言われるがままにリビングへと足を向ける。
ソファの上には勿論雪ノ下とカマクラが。居なかったら怖い。
そーっと雪ノ下に近づいて、心の中でだけ失礼しますと一言添えてから、その隣に腰を下ろした。
「......にゃー」
「......っ」
無視。
マジか。雪ノ下さんマジか。この距離まで接近して無視ってお前、流石に悲しくなっちゃうぞ。
呼び掛けたら応えてはくれるのだろうが、それでは面白味がない。ではどうしようかと考える。
手を握ってみる? いやいや、雪ノ下の両手はガッチリとカマクラに持っていかれてる。
なら肩を抱き寄せる? 小町がいるから無理。なんなら小町がいなくても無理。
ならばと思い、30センチほど空いていた互いの距離を、殆どゼロになるまで詰め寄ってみた。公園のベンチが可愛く見えるくらい。だって肩同士が当たってるし。いやでもこれ結構恥ずかしいな。
が、雪ノ下は無言。
そろそろ本気で泣きそう。
「はいはーい、お待たせしました雪乃さん! 安っぽい紅茶ですがどうぞどうぞ!」
「......あっ。ありがとう小町さん」
紅茶と買ってきたばかりのたい焼きスイーツをお盆に乗せて運んできた小町には反応を示したが、しっかり隣に座ってる俺にはなんの反応も無かった。下手したらちょっと恥ずかしがる姿が見れるかにゃーとか期待してたのに。
あと小町、そのたい焼きスイーツ雪ノ下のじゃないから。俺のだから。
「では小町は少し早めで少し長めの夕飯の買い物に行ってくるであります!」
「は?」
何言ってるのこのかわい子ちゃんは?
まだ昼過ぎだよ? 14時にもなってないよ? あと絶対少しじゃなくてかなり長めになるだろお前。
「勿論雪乃さんもご一緒しますよね⁉︎」
「いいのかしら? ご家族の方に迷惑ではない?」
「大丈夫です! 両親は二人とも仕事で帰ってくるの遅くなりますから! 家族への挨拶はまた後日と言う事で!」
「なっ......!」
「ではでは〜」
最後にわりかし大きめの爆弾を投下して、小町は家を出て行った。
家族への挨拶って......。ちょっと気が早すぎるでしょ......。ほら、雪ノ下さん顔真っ赤にしちゃってるよ? かく言う俺も似たり寄ったりだが。
小町のせいでなんだかリビングには変な雰囲気が。
互いに一言も発さず、カマクラのうみゃーっと唸る声だけが響く。
そんな折に、すぐ隣に座っていた彼女が唐突に立ち上がった。
「......どうした?」
「......いえ、その」
立ち上がった際にカマクラから手を離したようで、我が家の愛猫はタタタッと何処かへと走り去ってしまう。
正真正銘、二人きり。
それを遅まきながらも理解してしまい、妙な高揚感が胸を打つ。
俺の前に立ったまま動かないでいた雪ノ下は、暫く何事か逡巡していると、決意したように一つ頷きをした。
「......失礼するわね」
「え」
それだけ言った後、雪ノ下は俺の膝の上に跨ってきた。
所謂、対面座位である。
文字通り目の前に、雪ノ下の整い過ぎている美しい顔が。
膝の上に乗られたと言うのに、まるで重さを感じない。もしかしたらそれは、密着されたことによって更に感じてしまっている彼女の柔らかさとかサボンの香りとかが影響してるのかもしれないが、そんな事を考える余裕なんてあるはずもなく。
余りにも唐突過ぎるその出来事に俺が何も言えないでいると、それをいい事に、雪ノ下はちょんと小さく唇と唇を触れ合わせて来る。
「ゆ、雪ノ下......?」
「はふぅ......」
別にキスすることに抵抗がある訳ではない。恥ずかしいことに変わりないが、何度か口づけを交わしたことくらいはある。
しかしこうも突然されると困惑するし、その後、俺にひしっと抱きついて来られると困惑を通り越して驚愕する。
「ど、どうした? なんかあったのか......?」
滅多に甘えて来ない彼女が、こんな風になんの抵抗もなく甘えてきた事なんて覚えが無い。
だとすれば、また何か自分一人で溜め込んでしまってるのではと不安にもなる。
けれど、俺の問いかけに対する答えは、そんな不安になるようなものなどでは無く。
「じゅーでんちゅーよ」
舌ったらずな声で、俺の顔を見上げながらそう言った。
目はトロンと蕩けきってるし、頬もだらしないくらいに緩々だ。
本当にお前は雪ノ下雪乃かと、何も知らないやつが見たらそう問わざるを得ないような表情をしている。
あぁ、ヤバイな、これは。
ちょっと洒落にならない位可愛い。
小町や戸塚以上の天使なんて存在しないと思っていたのに、まさかここで出会えてしまうとは。
「充電なら、仕方ないな」
先述した通り、ここ最近は忙しかったのだし。完璧超人である雪ノ下にもそう言うのは必要だろう。例えば猫とか、パンさんとか。
まさか俺すらも雪ノ下の充電に一役買えるとは思ってもいなかったが。
「あら......。ふふ、随分と気前のいい充電器さんね」
「残念なことにこの充電器を使うような物好きが一人しかいないからな。これくらいはサービスしてやるよ」
俺からも抱きしめ返してやると、本当に嬉しそうに微笑んでくれる。
胸元からスンスンと鼻を鳴らす音が聞こえるのが何ともむず痒い。それを聞こえないようにと更に強く抱きしめて髪を撫でてやれば、ふふっ、と彼女の笑みがまた深くなる。
「安心する匂いね」
「人の匂い嗅いで安心するとか、雪ノ下もついに猫化が進んできたか?」
「馬鹿ね、そんな訳ないでしょう。好きな人の、比企谷くんの匂いだもの。安心するに決まってるわ」
抱き締め合った状態で良かった。そうでもなければ、この真っ赤な顔を見られていただろうし。
お返しと言わんばかりに、俺も雪ノ下の首筋に顔を埋めて匂いを嗅いでみる。行為そのものを見たら完全に変態のそれだが、しかし、不思議と俺も心地良さに包まれた。
「俺も、雪ノ下の匂い好きだぞ」
「......変態」
「いや、なんでだよ......」
なんで君は良くて僕はダメなんですかね。
しかも変態的な行動を取ってしまっているのが事実だから否定もできない。
「少し、眠ってもいいかしら?」
「このままで?」
「このままで......」
「分かった。お疲れ様、雪ノ下」
「......うん」
常よりも幼い口調を最後に、雪ノ下は俺の胸元ですうすうと寝息を立て始めた。
長い黒髪を優しく撫でながら、どうか今この時が彼女にとって心休まる時間であることを願い、俺の意識も落ちていった。
この後帰ってきた小町にめっちゃ写真撮られたのはまた別の話。
勿論バックアップ含めて全部デリートした。