日本の首都圏を襲った大雪。交通網は大打撃を受け、会社や学校は軒並み休みになり、そして晴れ間が広まった時には、一面の銀世界。いえ、銀世界と言うよりもあれは一種の世紀末のようでもあったわね。
普段なら滅多に雪の降らない千葉もその例に漏れることなく、二日間の臨時休校を挟んだのち登校。総武高校はその色を真っ白に変えていた。
現在昼休みであり、久しぶりに由比ヶ浜さんとじゃんけんで勝負した結果無様に負けた私は、自販機へ向かうべく、雪に彩られた校内を歩いていた。
雪は嫌いではない。私自身の名前に漢字が使われていると言うのもあるが、私は雪の日の静謐な雰囲気が好きなのだ。
一年の頃の部室や自宅から一人で眺める雪は、私の心を落ち着かせてくれた。
けれど残念なことに、今年の雪は静かに見れることも無さそうだ。先程も由比ヶ浜さんが「寒いなら無理しなくていいからね!」と大きな声で気遣うように言ってくれたが、心配するくらいだったら勝負の提案をしなければいいのに。
そんな騒がしい彼女と見る雪も、私の心を落ち着かせるものに変わりはなかったのだけれど。
数分前のことを思い出してつい笑みが漏れてしまう。こんな風に思えるだなんて、いつかの私は想像していただろうか。
やがて自販機の近くへ辿り着くと、その奥、テニスコートの辺りに人影を捉えた。
この寒さのせいなのか、いつものアホ毛は弱々しくへたり込んでおり、しかし猫背の方はしゃがんでいても健在なようで。
彼は、比企谷八幡は、テニスコートがよく見える保健室裏で、腰を下ろしてなにやら満足気に笑っていた。
その顔が、妙に幼く、それでいて可愛らしく見えて、不意に胸をときめかされる。
なんなのかしら。なんなのかしらあの純粋無垢の少年のような笑顔は! 途轍もなく可愛らしいじゃない! あの瞬間だけは猫と同じくらい可愛かったわよ⁉︎ その癖目は腐ってるってどういう事なのよ!
比企谷くんの笑顔を脳内画像フォルダにタグ付けお気に入り登録で保存した後、自販機に向かっていた足をあちらに向ける。
その気配に気がついたのか、顔を上げた彼と目が合った。残念ながら先程の笑顔は消えていたけれど、まあ当然でしょうね。寧ろあの笑顔を正面から向けられてしまったらどうなるか分かったものではない。もしかしたら浄化とかされてしまうかも。
「こんにちは」
「......おう」
「こんな所で奇遇ね」
「......そうだな」
「寒空の下一人でお昼を過ごすだなんて、もしやあなた、本当にマゾヒストだったの? ただでさえ人間関係が絶対零度なのに、それ以上自分を冷やしてどうするつもり?」
「いや、マゾヒストじゃないから......」
おかしい。比企谷くんの返しにいつものような捻くれた言葉が混ざっていない。しかもどこか気まずげに視線を泳がせているし。
「何故視線を泳がせているのかしら? もしかして、一人なのをいい事に何か疚しいことでも......」
「してない。断じてしていない。と言うか別になにもないし。視線も泳いでねぇし」
そう言う比企谷くんの目がまた明後日の方向に逸らされる。もうそれだけで自白して自爆しているようなもの。
ふと視線を下へズラすと、彼はその両手で何かを隠している様だった。気になって覗き込んで見るも、それに合わせる様にして動く彼の体。
「一体その腕の中になにを隠しているのかしら?」
「なんも隠してないから。はよどっかいけ」
「そう言われて素直に退くとでも? 部員であるあなたが校内で犯罪を働いていたとなっては、部長たる私が見逃すはずないでしょう?」
「なんで俺が犯罪を犯した前提で話を進めてるんだよ」
「いいから、その腕をのけなさい」
「断固拒否する」
ふむ、あくまでも隠し通すと言うのね。
こうなれば致し方ない。あまり使いたくない手段ではあったけれど、小町さんから伝授されたあの技を使う時が来たようね。
「デスクトップ左上の『雪景色』というフォルダ」
「なっ......⁉︎」
「あなたならなんのことか理解できるのではなくて?」
ニッコリ笑って言うと、比企谷くんの顔から血の気が引き真っ青になっていく。
実は小町さんから聞かされたのはそれだけで、そのフォルダの中身がなんなのかは知らない。けれど、比企谷くんに言うことを聞かせたい時はこれを脅しの材料に使ってくれと言われた。
小町さんは中身を知っていた様だけれど、どうせ如何わしい画像などが詰まっているに決まっている。男性がそう言ったものを持っているのは当たり前かもしれないので軽蔑はしないけれど。
全く、言ってくれれば私が幾らでも提供してあげるのに。
如何わしいものは、その、少し恥ずかしいけれど......。
「......なにが目的だ?」
「その腕で隠しているものを見せてくれたらいいのよ。そうしてくれたら言いふらすような真似はしないから安心して?」
「くっ......。本当だろうな?」
「ええ。虚言は吐かないわ」
心底嫌そうな顔をしながらも退けられる彼の両腕。右の腕はそのまま顔まで持っていかれ、何故か恥ずかしそうに目を覆っている。
果たして、彼が必死に隠していたものとは。
「雪だるま?」
小さな雪の玉を二つ重ね、木の枝や雑草などで装飾された、俗に言う雪だるまと呼ばれるもの。
ただ、それが一般的な雪だるまと違っていたのは、誰が見ても一目瞭然だろう。
「これは、私、かしら?」
問うと、比企谷くんは無言で首肯を返した。
頭の部分には木の枝が幾つかつけられており、そこに小さな雑草を二つ括りつけている。これは髪の毛だろう。それと少しつり上がったような目。
なるほど、確かに私の特徴を捉えている。しかも無駄に器用に作っているし。その雑草、どうやって括りつけたのよ。ご丁寧に色も赤だけれど、それって最早雑草じゃなくて花弁を千切ってつけてたりしない?
なんにせよ、この雪だるまは永久保存版ね。ええ。なんなら家に持ち帰りたいまであるわ。
「だから見られたくなかったんだよ......」
そっぽを向いてしまった比企谷くんの顔は赤く染まっている。
まあ、本人のいない所でその人を模した雪だるまを作っているのを見られるのは、確かに恥ずかしいかもしれない。勝手に作られた側は怒るかもしれないし、折角頑張ったのに直ぐ壊されてしまうかもしれない。
けれど残念。私はそんなことはしないわ。
「ちょっと横にズレなさい」
「は?」
「いいから」
「お、おう......」
彼の隣に腰を下ろし、周囲の雪を搔き集める。それなりに積もってくれていて助かった。そうじゃないと、立ち上がって別の場所から雪を集めて来なければならなくなる。
素手で触れていたので少し、と言うかかなり手先が冷えてしまうけれど、そこは目を瞑りましょう。
まん丸な雪の玉を二つ作り、その辺りに落ちている木の枝で目を作る。ちょっとタレ目気味にしたら、いい具合に彼の腐りが再現された。仕上げに雑草を引っこ抜いて頭頂部に取り付けると完成だ。
「......なにこれ?」
「よく出来ているでしょう?」
「うん、いや確かによく出来てるけど。え? なに、これ俺?」
「それ以外のなにに見えるの?」
「それ以外のなににも見えないから聞いてるんだろうが」
ふふっ、またちょっと顔が赤くなってる。可愛いわね。
比企谷くんが作った、私を模した雪だるまと、私が作った、比企谷くんを模した雪だるま。
その二つを隣り合わせに置いて、ちょっとご満悦な私。
いいわね。非常にいいわ。これは是非写真にして残しておかなければ。
「あっ」
「今度はどうしたよ」
携帯、部室に置いたままじゃないっ......!
雪ノ下雪乃、一生の不覚だわ。まさかこのタイミングで携帯を置いてくるだなんて......!
いえ、今この場にいるのは私だけではない。つまり、彼に撮って貰っておけばいいのよ!流石だわ、ナイスアイデアよ。
「比企谷くん、あなた携帯は持ってるわね?」
「まあ、勿論持ってるけど......」
「貸しなさい」
「なんで」
「いいから貸しなさい」
「......お前今日どうしたんだ?」
言いながらも素直に携帯を差し出してくれる。相変わらずパスワードによるロック機能なんて使っていないようで、受け取った彼のスマホのカメラアプリを起動。
パシャリと、可愛い雪の妖精達を写真に収めた。
後はこうして......。
「はい、ありがとう」
「写真撮りたいんなら自分の使えよ」
「部室に置き忘れたのよ。それと、私のアドレスを登録しておいたから、後でその写真を送って頂戴」
「いや、なに勝手に」
「返事ははいかYESよ」
「どっちも同じなんだよなぁ......」
私から受け取ったスマホの画面をしげしげと見つめる比企谷くん。なにをそんなに訝しんでいるのかしら。
そんな様子を見ていると、私の視線に気がついた彼は、なんでもないと首を横に振る。
「そう言えば、俺たち連絡先すら知らなかったんだなって思っただけだよ」
「......あっ」
そう。そうだ。私達は互いの連絡先を全く知らなかった。電話番号やアドレスはおろか、LINEの友達登録ですら。
それを、今、勢いに任せて。
あぁ、ダメよ私。ニヤけるのは我慢しなさい。あと左手も、ガッツポーズはまだしてはダメ。
ともあれ、念願の彼の連絡先。私が一方的に登録しただけだけれど。写真を送れと約束したのだし。
「まあ、そのうち送るわ」
「なるべく早目にね」
「へいへい。それよりちょっとこっち来い」
言われるがまま立ち上がって、歩いていく彼の後ろについて行く。私が来た方向と同じ方に歩いて行くと、自販機の前で立ち止まった。
100円玉と10円玉を入れて彼が購入したのは、黄色と黒のスチール缶でお馴染みの、あのコーヒー。
「ほれ」
「......?」
それをこちらに差し出されたが、その理由がよく分からなくて首を傾げてしまう。
自分で飲むのではないの?
「お前、素手で雪触ってただろ。これであっためとけ」
「......まさか、自分が飲む前に私と言う美少女に触れさせて」
「ちげぇよ。て言うか自分のは別で買うっての」
最後まで言い切る前に言葉を被せて遮られた。そんなつもりはないと分かっていても、つい口に出してしまう。いえ、別に私としても、あなたが飲むマックスコーヒーに私の指紋とか体温とかを移すのも吝かではないのだけれど。
吝かではないのだけれど、ではないわよ。丸っ切り変態のような考えじゃない、これ。
「......ありがとう」
「おう」
ここは素直にお礼を言った方が良い。彼に対して貸し借りが云々だなんて、今更だし。
受け取ったマックスコーヒーで暖を取りつつも、そのスチール缶を睨み付ける。
飲んだことはないけど、色々と大丈夫なのかしら? ほら、味とかカロリーとか。
プルタブを開き、ゴクリと喉を鳴らせる。まさかコーヒーを飲むのにこんなにも覚悟を必要とする時が来るだなんて。
「いや、そんな身構えんでも普通に飲めよ。美味いぞ?」
「分かってるわよ......」
小さく息を吐き出し、缶を握る手に自然と力が加わる。不味い、と言うことはないのかもしれないけれど。
しかし先ほどの雪だるま製作の影響故か、体が冷えて来たのも事実。もう一度心の中で覚悟を新たにして、マックスコーヒーを喉へと流し込んだ。
「......甘い」
「だろうな」
「甘過ぎるわ......」
「それくらいが丁度いいんだよ」
私の反応を見て愉快そうに笑っている彼の顔は、さっき見た少年のようなものではなく、心底意地の悪い笑顔だった。けれどまあ、彼の笑顔が見れただけでも、このコーヒーを飲んだ価値はあっただろう。
ちびちびとスチール缶の中身を空けていると、昼休み終了のチャイムが鳴った。
次に彼と会えるのは放課後の部室。それまでに、メールで写真を送ってくれていればいいのだけれど。
でも彼のことだから、写真以外になんて書けばいいのか、なんて悩んでしまうのでしょうね。そんなところがまた可愛らしい。
「そう言えばお前、何しにここ来たの?」
「由比ヶ浜さんにじゃんけんで負けた罰ゲームよ」
「え、お前それ、由比ヶ浜は......」
「......あっ」