山道を歩く。最低限の舗装がなされた地面はコンクリートの上を歩くよりも足腰にダメージを与えてくる。高校三年間の自転車通学で鍛えられた俺はまだしも、常人より体力の少ない彼女にとってはかなりの苦行となっているのではなかろうか。
「大丈夫か?」
「え、ええ。あなたに心配されるほどではないわ」
振り返った先にいる彼女は強がってみせるが、顔には疲労の色が濃く出ている。そんな強がる必要もあるまいに。
本当にキツそうならおぶって連れて行こうかと言う考えが一瞬よぎったが、普通に恥ずかしいから却下。
「取り敢えずカバン寄越せ。俺が持っといてやるから。それだけで大分違うだろ」
「うら若き女子大生のカバンで一体何をしようと言うのかしら、この男は」
「何もしねぇし......。お前を思ってやっての提案だろうが」
「私を、思っての......」
ちょっと、なんでそこだけ抜き取ったの?いや別に嘘を言った訳ではないんだけどさ。ただ改めてそんな風に繰り返されてしまうと気恥ずかしさと照れ臭さで死にたくなるからさ。
「......いいから、貸せ」
「あ......」
こんな事で時間を無駄にしたくないので、無理やり彼女のカバンをひったくってから再び歩き出そうとする。
が、一歩目を踏み出した時にグイッと後ろに引かれる。
「なに、どしたの?」
「いえ、その......」
見れば服の裾を引っ張られたようだった。以前から何度か助けを求めるように裾や袖を引っ張られる事はあったが、果たして今度はどうしたのだろう、と思っていると。
彼女は徐に手を差し出してくる。
「暗くて、逸れるかもしれない、から......」
そう言った彼女はそっぽを向いたため、その表情は窺い知れない。
確かに、この山道には電気などの人工的な光は一切なく、月明かりのみが唯一の光源となっている。だからと言って前の道が見えないほど暗い訳ではない。月明かりを遮る雲は無く、更に言うとここは一本道なので逸れる可能性も皆無だ。
結論、ただ暗いのが怖いだけですね。可愛いじゃねぇの。
「ま、逸れたらダメだしな」
誰に言うでも無く、言い訳じみた言葉を口にして、彼女の手を取る。
さて行軍再開だと意気込んで再び山道を歩き始める。時折風に揺られた草木がカサリと音を立てるのだが、その度に繋がれた手からビクッと反応してるのが伝わってくる。流石にビビり過ぎで氷の女王は何処へやら。腕に抱きつかれたりしないだけマシか。
そうして歩く事数分で目的地に到着する。
山道を抜けた先にある小さな原っぱ。草原と言えるほど広くも無く、広場と言えるほど綺麗でもないその場所が、俺たちの目的地だ。
「本当にここであっているの?」
「あってるよ。ほれ、上見てみろ」
俺が首を上に向けるのに促されて、彼女も空を見上げる。
そこに広がっているのは満天の星空。
地球から何光年も離れていると言うのに、それでも光を届ける星々が、遮るものも無くこの目に映る。
その中でも最も特筆すべきなのは天の川だろう。膨大な恒星の集団、織姫と彦星を会えなくしている川、まあ解釈の仕方は色々とあるが、実際にこの目で見てしまうとそんなものはどうでも良くなる。
「綺麗ね......」
隣から感嘆の声が上がる。
繋いでいない方の手を夜空に伸ばす彼女のその横顔は、俺の見たことがない表情だった。
彼女がこのまま夜の空に吸い込まれていってしまうのではないか。そんなあり得るはずもない事を思わず考えてしまうような。
つい、彼女と繋ぐ手に力が入る。
「痛いわ、比企谷くん」
「......悪い」
でも、この手を離してしまうと、もう二度とそこに届かなくなりそうで。
ダメだな。雰囲気に充てられて変な事を考えてしまう。思考を切り替えよう。そうだ、夏の大三角はどこだ。「君の知らない物語」ごっこやって見たかったんだよな。
「星には、手は届かないのね」
折角思考を切り替えたと言うのに、未だ空に手を伸ばす彼女の声でバカな思考が全部吹き飛ぶ。
「そりゃ届いたら怖いだろ」
「見えているのに届かないと言うのは、どうにももどかしいわ」
それは、一体何に対する発言なのか。
言葉の通り、空に輝く星々か。
その星に負けない程の輝きを放つ彼女の姉か。
それ以外の何かも彼女の目には映っているのかもしれない。
「見えてるだけまだマシだろ。見えないものを無理矢理見ようとして、そこに勝手な幻想を抱いて手を伸ばす方がよっぽどバカだしな」
「それは誰のことかしら?」
「さあな」
クスリと笑って伸ばしていた手を下ろし、その掌を見つめた彼女は尚も言葉を続ける。
「でも、そうやって届かないものばかりを見て、大切なモノを見落とすの。それが大切なんだとも気づかないままに」
「なんか見落としたもんでもあるのか?」
「さぁ、どうかしら。でも......」
見つめていた掌を、今度はこちらに伸ばしてきた。驚いて後ずさる間も無く、彼女の手が俺の頬に添えられる。
「今はあなたに手が届く。それだけで私は充分だわ」
「雪ノ下......」
「あなたはどう?私のことがちゃんと見えてる?そこに、手は届く?」
頬に触れられた手が震えているのが分かる。
俺を見つめる二つの瞳は揺れている。
きっと、不安なんだろう。今まで色んなものを見てきて、それら全てに手が届かなかった彼女だから。ようやっと届いたそれが、自分の一方的なものでしかないのではないかと。
「これだけ近くにいるんだ。届かないわけがないし、見えないわけがないだろ」
口をついて出るのはそんな捻くれた言葉だけれど。きっとこれも届いてくれるだろうと、そう願って彼女の伸ばす手に自分の手を重ねる。
「ふふ、相変わらずの捻デレさんね」
「だから、その変な造語辞めてくれる?」
どうやらちゃんと届いてくれたらしい。
スッと離れていく彼女の手の感触に一抹の寂しさを覚える。
「さぁ、改めて天体観測を始めましょう。あなたに星の事をみっちり教えてあげるわ。いつかは居場所の出来た比企谷くんもあそこに仲間入りするのだから」
「『よだかの星』かよ懐かしいな」
寂しさは覚えるものの、それだけだ。
彼女は手を伸ばせば届く距離にいる。いつだって、その手を掴む事が出来るのだから。
だから今度は二人で見つけよう。二人で手を伸ばそう。
「雪ノ下」
「なぁに?」
「......愛してるぞ」
「っ......!私も......私も、愛してるわ八幡」
そうしたら全部大丈夫だ。