八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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酔いデレゆきのん!


酒は飲んでも

「お邪魔するわね」

「待って」

 

 今日は土曜日。週休二日制のホワイト企業になんとか就職できた俺にとっては安息日である土曜日だ。休日だ。休む日だ。

 そんな日の夜21時過ぎのお話。大学時代から一人暮らしをしているワンルームに、氷の女王が襲来した。手にはビニール袋と会社のカバンが握られている。今日は休日出勤とか言ってたから、仕事帰りなのだろう。

 確かこいつはそれなりの大企業でバリバリキャリアウーマンしてた筈だったのだが、なんと言うか、こう、今の彼女は未だに結婚出来ない恩師と影が重なる。何故なのか。

 

「どうしたの?」

「それはこっちのセリフなんですけど」

 

 まず施錠はしていた筈だし、こんな時間に男の一人暮らしの家に来るとか非常識極まりないし、ビニール袋からチラホラ見える酒類からは嫌な予感しかしないし。

 突っ込みどころは色々と多いのだが、まず聞かなければならないのは施錠云々の話だろう。ほら、安全第一だし。鍵壊れてるとか言われたら大家さんに文句言いに行ってやる。

 

「鍵は掛けてた筈なんだが」

「あぁ、それなら小町さんから合鍵を譲り受けたわ」

「あのバカ......」

「別にいいじゃない。どうせここ最近の休日はあなたの家で本を読むかゲームをするかなのだし」

「だからっていいわけじゃないんだよなぁ......」

 

 そもそもそれはちゃんと事前に連絡あっての事だし。いや、休日にお前ら何してんのとか聞かないで。一応友人と遊んでるってだけだから。一応。

 

「で、何しに来たのお前?」

「一人寂しい休日を過ごす比企谷くんを笑いに来たのよ」

「え、何それ酷い」

 

 いやまあ確かに今日は雪ノ下とゲームとか読書とか出来なくてちょっと寂しいなーとか思ってたり思ってなかったりしてたんだが。

 それが理由ではないだろう事は容易に推測出来る。伊達に長い付き合いじゃないし。

 

「んで、本当のところは?」

 

 問い直すと、雪ノ下は少しムッと眉にシワを寄せたが、観念したようにため息を吐いた後本当のことを話し出した。

 

「分かるものだとばかり、思っていたのね......」

「やめろ雪ノ下、そのセリフは俺に効く」

「冗談よ。少し、仕事でね......」

「なんだ、セクハラでもされたか?」

「セクハラよ比企谷くん」

「なんでだよ⁉︎」

 

 軽口を交わしながらも、雪ノ下はスーツの上着を脱ぐ。まあ、幾ら冬だと言っても室内は暖房も聞いているし、上着を脱ぐのは当たり前だと思うんだが......。その、なんと言うかですね、妙に煽情的と言うか、歳月を重ねて更に美しくなった雪ノ下の無防備な姿にグッとくると言うか。

 なんだか妙な気恥ずかしさを感じて顔を逸らしていると、今度はビニール袋を漁る音がした。袋の中から取り出されたのは缶ビール4本とサキイカと柿ピー。

 こいつ......。

 

「なんかお前、年々ポスト平塚の地位を確立させていってるよな......」

「失礼な男ね。私はあの人とは違うわ」

「うん、失礼なのは君だからね? 平塚先生泣くぞ」

「私はその気になればどうとでもなるけれど、あの人はもうどうしようもないでしょう」

「マジで失礼なこと言い出しやがった」

 

 まあ、雪ノ下の場合は実家が実家だからな。結婚したければ見合い話なりなんなりに乗ったりするんだろう。その意味深な視線は無視するとして。

 平塚先生も実際もうどうしようもないと言うか、そろそろ諦めたらいかがでしょうかと言うか。だって俺らが今25だからあの人は......。いや、辞めよう。これ以上はダメだ。

 

「所で、冷蔵庫にもまだチューハイが残ってたわよね?」

「まあ何個かあるけど」

「なら良かったわ。私一人だけ飲むと言うのもつまらないもの」

「それ全部一人用かよ......」

 

 呆れながらも立ち上がって、冷蔵庫の中身を見る。中にはチューハイが確かに数本置かれており、その他にも軽くツマミ程度になる食べ物ならあった。

 

「雪ノ下、ツマミそれで足りるか?」

「何かあるの?」

「まあ、一応あるぞ」

 

 冷蔵庫からチューハイとそれを取り出し、袋を開いて皿の上に盛り付ける。

 小さな丸型の机に皿を置くと、雪ノ下は少し驚いた表情になった。

 

「なんだよ」

「......いえ、なぜちくわなのかと思っただけよ」

「いいだろちくわ。ツマミにはなるんだし、猫だってよく食うし」

「別に私は猫が好きなのであって猫ではないのだけれど......」

 

 いや雪ノ下の生態はまんま猫みたいなもんだと思うけどね。特に気まぐれな行動を起こすあたりが。あと休日の昼間はよくうちで陽の光に当てられてうつらうつらしてるし。

 

「まあ、一応は頂くわ」

「おう。その代わりそっちのサキイカと柿ピーも寄越せよ」

「分かってるわよ」

 

 チューハイの缶を開けると、カシュッといい音がなった。

 俺も酒は嫌いではない。よく平塚先生に飲みに連れ回されるし。こいつとこうして宅飲みするのも初めてと言うわけではないし。

 雪ノ下の方も缶ビールのプルタブを開け、互いの缶を軽くぶつける。

 

「んじゃ、お疲れさん」

「ええ」

 

 缶を両手で可愛らしく持ちながらも、グビグビと一気飲みしそうな勢いでビールを煽る雪ノ下。持ち方は可愛らしいし相変わらず何かを嚥下する時の喉元は色っぽいのだが、いかんせん状況が残念すぎる。なんで俺、土曜の夜に美女と缶の酒飲んでるんだろ......。

 

「で? 今日は何があったんだよ」

「あら、聞いてくれるのね」

「聞かなくても喋るくせに何言ってんだか」

「なら早速聞いてもらおうかしら」

 

 そこからは雪ノ下の愚痴のオンパレードだった。どうも今日の出勤は、昨日終わらなかった会議の続きとやらだそうで。司会の議事進行が悪いだの、明確な数字が出ているのに結論を渋るだの、上の連中は相変わらず低脳のゴミどもばかりだの。

 昔のこいつからはおよそ想像もつかないような発言ばかり。こうして誰かに愚痴るくらいなら、直接本人に言いに行きそうなものだったのに。

 これも、社会の厳しさってやつなのかね。学校と違って上下関係のハッキリした会社と言う組織では、さしもの雪ノ下もその猪突猛進ぶりを発揮できないらしい。

 

 暫くは雪ノ下も意気揚々と愚痴を零していたのだが、それも開始一時間くらいまで。

 超ハイペースでアルコールをどんどん摂取していくこの美人OLさんは購入して来た缶ビール4本に飽き足らず、冷蔵庫にあった俺のチューハイやハイボールにまで手を出したのだ。

 その結果今の彼女は頬が紅潮して目もトロンと虚ろになってるし、しかもほぼほぼ無言で酒を煽るしこいつがここまで酔ってるのも初めて見るもんだからなんかもう見てて怖くなって来た。まあ、俺の倍くらい飲んでたらそうなるよね。

 そう言えば会社からこのまま来たみたいで晩飯もちゃんと食ってなさそうだったし、空腹も今の彼女の状態の一助になってるかもしれない。

 

「......雪ノ下?」

「......」

「おーい」

「......なにかしら」

「いや、なにかしらじゃなくて、お前もうそんくらいにしとけ。流石に飲み過ぎだ」

「......いやよ」

 

 この子どんだけストレス溜まってたの......。

 そのストレスの捌け口が俺への罵倒かお酒ってもう色々とダメすぎる。

 いい加減手に握ってる酒を没収してやろうかと考えていると、テーブルの向かいに座ってた雪ノ下がスススッとこちらに這い寄って来た。あまりにも脈絡のないその行動に、俺は咄嗟に対応する事が出来なかった。

 

「......っ」

「ふふっ......」

 

 そのまま俺の肩にコテンと頭を預けてくる。

 相変わらず手にはチューハイが握られているし、目も虚ろで正気であるとは思えないのだが。

 何故だか、彼女から距離を取る気にはなれなかった。

 きっと、俺も酔いが回っているのだろう。

 肩にかかる軽やかな感触がどこか気恥ずかしく、普段なら見れないような幼気な笑顔を浮かべた彼女から顔を逸らす。

 

「ひきがやくん......」

「......なんだよ」

「ひきがやくん......、ひきがやくんっ......」

「はぁ......。呂律回ってねぇぞ酔っ払い」

 

 幼子のような口調で俺の名前を只管に呼び、預けた肩に頭をグリグリとしてくる。そのお陰で綺麗な黒髪は乱れ、いつも髪を結んでいるリボンは解けかけていた。

 

「ったく。髪もぐちゃぐちゃになってるし」

「好き、好きよひきがやくん。大好き」

「......っ。話聞けっての。てか、お前それ酔ったら誰にでも言うやつじゃねぇだろうな。やめとけよそう言うの、死人が増えるから」

 

 こんな風に茶化しでもしなければ、平静を保てるはずもなく。

 テーブルに置いていた新しい缶のプルタブを開けて、一気に喉へと流し込む。それで状況が変化するわけでもないのに。

 俺の頬が熱くなってるのは、酒の影響かそれ以外か。

 

「あなた以外に言うわけないじゃない。あなたの前でだけよ。これだけお酒を飲むのも、酔って無防備な姿を見せるのも。こんなことを言うのも」

「......そりゃ光栄なこって」

 

 酔った勢いで妙なことを口走っていると。そう理解してカタをつけるのは簡単なはずなのに。どうしてもそれが出来ない。理由なんて、考えずとも分かるようなものだが。

 て言うか、こいつこんだけ酔ってたら......。

 

「明日の朝には忘れてるだろうしなぁ......」

「わすれないわよ」

「......独り言に口を挟むなよ」

 

 聞かせるつもりなんてない、本当にただの独り言だったのだが、これだけ近くにいれば聞こえるのは当然か。それが判断出来ないほど、俺も酔っ払ってるのだろう。

 

「私、虚言は吐かないと、昔に言ったでしょう? だから、好きよ」

「......」

 

 接続詞が接続出来てねぇぞおい。忘れる忘れないの話じゃなかったのかよ。

 まあ、最初に話を逸らそうとしたのは俺の方なのだが。

 

「本当に......、とても、とても好きなの......。ずっとずっと......」

「......」

「ひきがやくん......」

 

 何も答えない、なんてのは卑怯だろうか。

 でも、卑怯さで言ったらこいつの方が上だろう。酒の力を借りる、なんてまた小説で良く見る古典的かつシンプルな方法だが。

 

「......雪ノ下っ、て」

「......すぅ」

「マジか......」

 

 まさかまさかの、俺の肩にもたれかかったまま寝てやがるぞこいつ。しかもまた随分と安心しきった顔で。

 思わずその寝顔に見惚れてしまったが、冷静に考えて状況はさらに悪くなってしまった。

 幾ら暖房がついた室内とは言え、真冬に毛布も被らず寝るとか普通に風邪引く。

 

「本当に、卑怯なやつだよお前は」

 

 自分の言いたい事だけ言って寝るなんて。俺にも言いたい事くらいあるのに。

 ここで唇の一つでも奪えたらどれだけマシか。だが悲しいかな。俺にそんな度胸はない。

 

「よいしょっ、と」

「んぅ......」

 

 漏れる寝息に心臓をドキバク言わせながらも、なんとか雪ノ下を担いで直ぐそばにあるベッドの奥の方に寝かせる。

 この家がワンルームで良かった。ベッドが別の部屋にあるとかだったら、そこに運ぶまで俺の心臓が持ちそうにない。

 

「......俺も寝るか」

 

 寝てる隙にキスなんて真似は到底出来ないが、その代わり、これくらいは勘弁してくれ。

 心の中で聞こえるはずもない言い訳をして、同じベッドの上で横になる。勿論しっかり彼女との距離は開けて背中を向けているが。

 残念なことに、それも直ぐに無駄な事となる。

 

「ひきがやくん......」

 

 寝言が聞こえた後、柔らかい感触に包まれた。どうやら俺は、このまま朝まで抱き枕にされてしまうらしい。

 大丈夫か俺......。これちゃんと寝れんのか......。

 

「もうなんでもいいか」

 

 多分朝になれば、この酔っ払いからしこたま文句を言われたり説教されたりするんだろうが、それは明日の俺と今日のお前に言ってくれ。

 諦めて布団をどうにか被ると、思いの外睡魔は直ぐにやって来た。

 

 

 

 

 

 

 翌朝

 

「忘れなさい」

「......何を」

「昨日のこと全部」

「あぁ、やっぱ全部覚えてたのか......」

「忘れないと言うならあなたの存在ごと消し去るしかないわ」

「忘れるよ。ちゃんと忘れるから物騒なこと言わんでくれ」

「そう。なら、いいのだけれど......」

「おう」

「......今度は、ちゃんと素面の時に言うから」

「......おう」

「......だから、もう少し待ってて」

「......待ちきれなくなったら、知らんぞ」

「......そう」

 


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