八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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あなたに恋する事が出来て。

「ひ、比企谷君!」

 

 週末の放課後、部室へと向かう道すがら。

 背後から突然声を掛けられた。

 知っている声だ。そして、振り返った先に居たのも、俺の知っている女子生徒だった。

 知り合い、なんてものよりも少しだけ深い関係だと俺が勝手に思ってる女の子。

 名を、雪ノ下雪乃。

 

「よお、雪ノ下」

「はい、こんにちは。比企谷君」

 

 けれど、俺の知っている雪ノ下ではない。

 一週間前までの彼女なら、そんな屈託のない笑みを浮かべたりはしていなかった。

 

「これから部室へ向かうのですか?」

「そうだけど......」

「なら、ご一緒してもいいですか?」

「......まあ、行き先は同じだしな」

「はい!」

 

 一週間前までの彼女なら、ここで罵倒の一つでも挟み、俺がそれに軽口を返し、なにも言わずとも共に部室へと向かっていたのだろう。

 いや、そもそもこうして廊下で会うこと自体無かったはずだ。彼女は、当たり前のように、いつも一番にあの場所で俺たちを待っていたから。

 雪ノ下を連れて部室までの道を歩く。

 一般的な男子生徒ならば羨むべきシチュエーションだ。

 けれど、俺はそれどころでは無かった。

 

 ただ、俺の知ってる彼女に、帰って来て欲しかった。

 

 

 

************

 

 

 

 話は先週の休日まで遡る。

 奉仕部の備品の補充にと、雪ノ下と由比ヶ浜の二人に荷物持ちとしての任を賜った俺は、待ち合わせ場所である駅前のモールに向かった。

 本当は家でゴロゴロしていたかったのに、小町に追い出された結果だった。

 ギリギリまで粘っていた為、待ち合わせの時間に十分程遅刻してしまった。

 それが、その時の最大の後悔。

 休日の駅前は人で賑わっており、勿論車通りも多い。

 俺がそこに到着した頃には、妙な人集りが出来ていた。そもそも駅前でこんな人集りができること自体が珍しい事だ。

 遠目からそれを眺めて、さっさとお叱りを受けに待ち合わせ場所まで行こうとした時。

 その人集りの隙間から見えてしまった。

 コンクリートの地面に乱雑に散らばった黒い髪の毛を。

 地面に倒れ伏した雪ノ下と、その隣でしゃがみ込んで泣きじゃくる由比ヶ浜。そして、雪ノ下の腕に抱かれた小さな黒猫。

 車に轢かれかけた猫を雪ノ下が助けようとしたこと、その結果雪ノ下自身も轢かれはしなかったが、その際転倒してしまい意識を失ったこと。それを、救急車を呼んでくれた目撃者に教えて貰った。

 その後病院で無事に意識を取り戻した雪ノ下は、いくつかの検診を受けた後に面会を許され、病室に向かった俺と由比ヶ浜に言ったのだ。

 

『あなた方が、比企谷君と由比ヶ浜さん、ですか?』

 

 そこにいたのは、俺たちの知っている雪ノ下雪乃ではなかった。

 駆けつけていた陽乃さんが医者から聞いた話では、車に轢かれかけ転倒した際の脳への衝撃による記憶障害が原因で、一時的に別人格とも呼べる存在が出て来ている。との事らしい。

 その後少し彼女と話しているうちに、雪ノ下の状態がより分かって言った。

 本人曰く、元の人格の記憶はあるらしい。しかし、記憶と言っても映像を目の前で流されるようなもので、どちらかと言えば記録に近いとも言っていた。

 故に、今まで雪ノ下がどのような人生を送っていたかは知っていても、そこにある雪ノ下の感情までは理解していない、と。

 また、今の自分がいつ消える存在か分からない、とも。

 同一人物ではあれど、同一の存在ではない。

 なんともややこしい話だ。ともすれば、SFの世界に片足を突っ込んでるかもしれない。

 だから、病院を出た後、由比ヶ浜と二人で決めた。

 彼女は紛れもなく雪ノ下雪乃だ。でも、彼女が存在している限りは、俺たちはこれから、今ここにいる雪ノ下と向き合っていこうと。

 

 怪我自体は大した事がなかったとのことで、数日の検査入院を経た後に退院。学校はどうするのかと危惧していたが、本人たっての希望で通常通り登校する事となった。

 校内でこのことを知っているのは俺と由比ヶ浜、あとは陽乃さんから説明された平塚先生くらいのものだ。

 登校初日こそ俺も由比ヶ浜もどこか心配していたのだが、部室で見かけた雪ノ下を見る限り、問題なく学校生活を送られているようだった。

 先週と今週は三人で色んなところへ出かけた。

 今の彼女には思い出と呼べるものが何もないから。それを作ってあげたいと、由比ヶ浜が言い出したのだ。

 ディスティニーランドにも行ったし、猫カフェにも行った。雪ノ下の家でお料理教室も開催された。

 楽しかった。確かに、楽しい時間ではあった。

 それでも、俺の心はどこか満たされていなかったのは、事実だった。

 

 

************

 

 

「やっはろー!」

 

 雪ノ下と二人で部室へと到着すると、間も無く由比ヶ浜もやって来た。

 一体由比ヶ浜が、今の雪ノ下に対してどう思っているのかは分からないが、それでも二人のやり取りは以前となんら変わりのないものに見える。

 つまり相変わらずのゆるゆりでさらに雪ノ下の表情もだいぶ柔らかくなってるからとても眼福です。

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん」

「ゆきのん、今日もどっかいく?」

「え、今日も寄り道して帰んの?」

 

 思わず難色を示す声をあげると、由比ヶ浜にムッとした表情で見られた。

 いや、だって、ここ最近毎日ですよ? そろそろ真っ直ぐお家に帰らせてくれません? 小町の追求がヤバいから。

 

「むー。ヒッキーは嫌なの?」

「別に嫌ってわけじゃないけどよ......」

 

 由比ヶ浜の思い出作りの提案に乗ったのは俺だし、今更それを反故にするつもりはない。

 でも、ほら、男子高校生のお財布事情って結構悲しいからさ......。

 

「あの、由比ヶ浜さん。私、今日は奉仕部のお仕事がしてみたいです」

 

 俺に詰め寄る由比ヶ浜を宥めるように、雪ノ下は控えめながら声をあげた。

 成る程、確かに今の雪ノ下が来てからと言うものの、部室に集まっては30分もせず遊びに出掛けてたからな。奉仕部らしい仕事なんて何一つしていない。

 

「でも仕事っつってもな......」

「依頼人が来なかったら、基本暇だもんねー」

「あ、あれはどうでしょうか? 千葉県横断奉仕部お悩み相談メールは?」

「そういやそんなんあったな」

 

 やって来るメールが大体スパムだから完全に忘れてた。前にパソコン使ったのいつだったか覚えてないレベル。

 

「でも碌なメール来てないと思うぞ?」

「いいんです。その、やりたい事は、あとそれだけなので......」

「雪ノ下?」

 

 言葉尻は殆ど掠れていて、聞き取れはしなかったけれど。

 でも、その時の雪ノ下は、とても寂しそうな表情をしていた。

 

「あっ、いえ、なんでもないです! ほら、比企谷君。早速見てみましょう?」

 

 一転して柔和な笑みへと変わった雪ノ下に急かされたので、立ち上がって教室の後ろに段積みされている机の上のパソコンを取りに行く。

 若干掛かっていた埃を手で払い、女子二人の前にそれを置いてやった。

 

「ほれ、んじゃ取り敢えず見てみようぜ」

「ありがとうございます、比企谷君」

 

 ......むぅん。雪ノ下に素直にお礼を言われるのはなんかむず痒いな。一週間程度で慣れるもんでもない。

 出来れば元の雪ノ下にもその優しさの一割でいいから分けてあげられないかな。

 

「それじゃあ久し振りに行ってみよう! 千葉県横断奉仕部お悩み相談メール〜!」

 

 なんか勝手に盛り上がってタイトルコールした由比ヶ浜と、それに乗ってパチパチと小さく拍手する雪ノ下。このタイトルコールも久しぶりですね。

 

「じゃあ最初は、千葉県にお住いの『P.N. 剣豪将軍』さんから」

「飛ばせ」

「即答だ⁉︎ ま、別にいっか」

「いいんですか⁉︎」

 

 突っ込みに回る雪ノ下も中々慣れないな......。いや、そもそもこの部室が元からして突っ込み不在みたいなところあったし。なんなら全員でボケ倒してたまである。

 

「それじゃあ次だね。『P.N. お姉ちゃんですよ』さんから」

「飛ばしてもいいんじゃないでしょうか」

「ゆきのんも即答⁉︎」

「こっちのお前も姉ちゃんと仲悪いのな......」

 

 この温厚バージョンの雪ノ下にすら嫌われるって、あの人一体何したの。気になるけど知りたくはない。知ってしまったら最後、何か取り返しのつかないことになるような気がする。まあ陽乃さんだしね。そう思っても仕方ないよね。

 

「その、別に仲が悪いと言うわけではないんですけど......」

「けど?」

「最近、姉さんが少々鬱陶しいくらいにくっ付いてくるので......」

 

 そういった雪ノ下の表情は、酷く沈んだものとなっていた。

 いや、マジで何したのあの人......。

 

「と、取り敢えず読んでみようよ!」

「まあ無視するわけにもいかないしな。てか無視したら後が怖いし」

 

 由比ヶ浜に続きを促すと、最早雪ノ下の意見など無視して読み上げ始めた。

 

『大変なの比企谷くん! 雪乃ちゃんが凄い久しぶりに私のことをお姉ちゃんって呼んでくれてるの! ねえ凄くない⁉︎ あの雪乃ちゃんだよ⁉︎ 羨ましいでしょ!』

 

「......」

「......」

「......えっと、どうしよっか?」

 

 余りにもアレな内容のメールに、思わず言葉を失ってしまった。

 お悩み相談メールに妹を自慢するメール送って来てどうすんだよ。てかそれが許されるなら俺もバシバシ送るっての。送った後に二人から軽蔑の視線で見られるまであるぞ。

 

「まあ、何かしら返すしかないわな。見ちまった以上は......」

「そ、そうだね......」

 

 由比ヶ浜と二人、チラリと雪ノ下を盗み見る。

 その顔は少し赤く染まっていた。

 家でお姉ちゃん呼びしてる事がバレて恥ずかしがってるのだろうか。なにそれ可愛いなおい。

 

「ね、ねえゆきのん」

「......なんでしょうか」

「あたしの事もお姉ちゃんって呼んでみて?」

「うぇっ⁉︎」

 

 何言ってんのこのアホの子......。ゆきのんが出してはいけないような声出しちゃってるぞ。

 が、しかし。由比ヶ浜の気持ちも分かってしまう俺だった。

 元の雪ノ下はいつも頼れるお姉さんと言った感じだったが、今はなんかこう、守りたくなる妹的サムシングを感じる。

 ......今だったら俺も頼めばお兄ちゃんって呼んでくれるかな。

 いや、それは無いな。うん、無いわ。同級生の女子にお兄ちゃんって呼んでくれ、なんて言うとかただの変態だし。

 

「ほら、ほら!」

「え、えっと......」

「諦めろ雪ノ下。そうなった由比ヶ浜にもう言葉は通じんぞ」

「うぅ......」

「さあ! ゆきのん!」

 

 カムカムと両手を広げる由比ヶ浜に、雪ノ下は全力で恥ずかしがり頬を真っ赤に染めながら、上目遣いと言う必殺技を持ってして口を開いた。

 

「ゆ、結衣お姉、ちゃん......」

「......っ!」

 

 絶句。

 そのあまりの破壊力に、開いた口が塞がらない。

 待て、これ由比ヶ浜をお姉ちゃん呼びしてるのを聞いただけでもヤバイのに、自分がお兄ちゃん呼びなんてされた時には......。いやいやいや、俺にはもう小町という唯一にして絶対の妹がいるじゃないか! 浮気、ダメ、ゼッタイ。

 俺が冷静になる為に脳内小町アルバムを開いていると、由比ヶ浜はそれよりも早く復帰したらしく、なんかプルプル震えたかと思ったら思いっきり雪ノ下に抱きついた。

 

「ゆきのーん!」

「きゃっ! 由比ヶ浜さん......⁉︎」

「こーら、由比ヶ浜さんじゃなくて、結衣お姉ちゃん、でしょ?」

「ゆ、結衣お姉ちゃん......」

「うんうん。お姉ちゃんがよしよしして上げるからね〜」

 

 唐突に始まったゆるゆり劇場。大変眼福ではあるのだが、その、目のやり場にも困るので、あんまり組んず解れつしないでいただけません?

 目のやり場に困るので、自分の席へ戻って本でも読もうとすると、ガハマさんがいきなり、よし! とか言って立ち上がった。

 

「今からモール行こう! お姉ちゃんが欲しいもの買って上げる!」

「えぇ⁉︎ そ、それは流石に悪いですよ!」

「妹がお姉ちゃんに遠慮しちゃダメだよ! そうと決まれば急がば回れ! 早速行こう! ヒッキーも!」

「俺もかよ......」

 

 いや別に構わんのだけども。どうせ帰りは二人で雪ノ下を家まで送るのがここ最近の恒例だったし。

 結局、雪ノ下は混乱したまま、由比ヶ浜はテンション爆上げのまま、俺たち三人は駅前のモールへと繰り出したのだった。

 あと由比ヶ浜、急がば回れじゃなくて善は急げな。そこ回っちゃったらダメだろ。

 

 

 

************

 

 

 

 

 終始テンションの高かった由比ヶ浜に、モール内と言わず千葉付近のあちこちへと連れ回され、帰る時には既に日も暮れていた。

 体力のない雪ノ下と超インドア派の俺は既に疲労困憊だ。

 

「あー、楽しかった」

「お前よく体力持つな......。雪ノ下を見てみろ、死にかけたぞこいつ」

「そ、そんな事は......」

 

 どうやら負けず嫌いな所も元の彼女から譲り受けてしまっているようで。

 明らかに顔色が悪くなってるのに、頑なに認めようとはしない。

 

「ご、ごめんねゆきのん。疲れちゃったかな?」

「大丈夫ですよ、結衣おね......、由比ヶ浜さん。確かに疲れましたけど、楽しかったですから」

「うぅ......。ゆきのーん! またいつでもあたしの妹にしてあげるからね!」

 

 いやそこかよ。

 なに、お姉ちゃんポジ気に入ったの? こいつそのうち小町を妹にするとか言いそうで怖いな。うちの妹は例え女子にだとしても渡さないんだからね!

 

「いつでも......。はい、いつでも、また......」

 

 引っ付く由比ヶ浜を離すでもなく、寧ろ雪ノ下からも抱きついて、呟いた。

 今日の彼女はどこかおかしい。一体なにがどのように、と聞かれれば答えに窮するが、それでも、時折彼女の表情が歪むのは見て取れた。

 

「どうでもいいけど、もうマンション着いてるからな」

「あ、本当ですね。では、由比ヶ浜さん」

「うん。ばいばい、ゆきのん」

「ええさようなら」

 

 その微笑みは、俺の知っている氷の微笑ではない。でも、確かに温かさを感じる微笑みだ。

 由比ヶ浜に別れを告げたあと、雪ノ下は俺に向き直り、

 

「比企谷君も、さようなら、です」

「おう。またな」

 

 別れの挨拶を告げて、マンションへと入っていった。

 それを由比ヶ浜と二人で見送るのをここ数日ずっと続けていた。

 後は由比ヶ浜を家の近くまで送ってやるのが俺の最終ミッションだ。しかし由比ヶ浜は歩き出す素振りを見せず、その代わりに口を開く。

 

「ヒッキーはさ」

「ん?」

「ヒッキーは、ゆきのんがこんな風になっちゃったの、自分のせいだとか思ってるでしょ?」

 

 なんの脈絡もなく、そう問われた。

 由比ヶ浜は俺を見ておらず、未だ雪ノ下が消えていったマンションの方を向いている。

 その言葉にはどこか責めるような刺々しさがあり、そして、それに答えを返すことが出来なかった時点で、彼女の言葉を認めているようなものだった。

 

「それは、ダメだよ。それだけはダメ。多分、ヒッキーがちゃんと時間通りに来てたら、ゆきのんは事故に遭わなかったんだと思う。それで、いつも通りのゆきのんと、いつも通り部活の時間を過ごしてたんだと思う」

 

 由比ヶ浜の言う通りだろう。

 もし、あの日。俺が家でうだうだせずに待ち合わせの時間通りに来ていたら。

 雪ノ下は車に轢かれそうな猫を見かけることも無かっただろう。そうなれば、雪ノ下だっていつも通りに生活できていたはずだ。

 だから、俺のせいで、なんて思ったこと、あるに決まってる。

 しかし、その考えはダメなのだと、由比ヶ浜は否定した。

 

「ヒッキーのそれはね、()のゆきのんを否定する事になっちゃう。確かにゆきのんが車に轢かれかけた事は無かったら良かったのかもしれないけどさ。それだと、今ここにいるゆきのんは、存在しなかったんだよ?」

 

 今、ここにいる、雪ノ下雪乃。

 毒舌や罵倒なんかとは縁遠いような温厚な性格で、冬の冷気を思わせる雰囲気は春の陽気へと変わり、俺たちと少ない日数ながらも、思い出を共有した、彼女。

 その子の存在ごと、否定しているのだと。

 由比ヶ浜はそう指摘する。

 

「だから、ちゃんと二人を見てあげて。どっちか一人じゃなくて、ちゃんと、二人とも、見てあげててね」

「......ああ」

 

 短い言葉で返すしか無かった。他に、言葉が見つからなかったから。

 

「じゃあ、あたし帰るね。今日は、一人で大丈夫だから」

 

 俺の返事も待たずに、由比ヶ浜は立ち去った。

 もう俺以外に誰もいないここで、マンションを見上げながら、こう思わずにはいられなかった。

 

 それでも俺は、元の雪ノ下に戻って欲しい。

 あいつの事が、誰よりも好きだから。

 

 

************

 

 

 その時が近づいているのは、なんとなくだけど理解していた。

 

 私が出て来てから二週間が過ぎ、その短い間で、比企谷君と由比ヶ浜さん、二人と沢山の思い出を作った。

 本当に、沢山。

 パンさんに会いにいったり、猫と遊んだり、由比ヶ浜さんに料理を教えてあげたり、ちょっとだけだけど、奉仕部の仕事もした。

 いずれ消える私には、眩しすぎて直視できないようなものだった。

 昨日、二人に送ってもらった時、ちゃんと別れの挨拶をすることが出来て良かった。

 いや、ちゃんと出来たとは言えないけれど。

 でも、泣き出さなかっただけマシかもしれない。

 この二週間で、大好きになった二人。

 料理が下手で、少し頭が悪くて、けれど、とても素直で可愛い女の子の由比ヶ浜さん。

 いつもやる気が無さそうな態度で、目がちょっとアレで、けれど、不器用ながらも優しさを見せてくれた比企谷君。

 多分、この二人それぞれに対して抱いている好意はベクトルの違ったものだろう。

 私は、()の記憶を有していても、感情まで理解できている訳ではない。

 でも、理解してしまった。出来てしまった。

 自分がいずれ消える存在だと分かっていても、彼に、比企谷君に、恋してしまった。

 この気持ちを彼に告げるのは、きっと狡いことなんだろう。卑怯なことなんだろう。

 自分の気持ちに嘘を吐くことなんて簡単なことだ。怖いことから逃げ出すのだって、安易なことだ。

 私は私で、虚言を吐かないわけでもなければ、壁にぶつかるほどの強さも持ち合わせてはいない。

 なのに。

 だと言うのに。

 何故か、私はこの場所に来ていて、LINEのアプリから、彼へと通話を掛けていた。

 そこで漸く気がつく。

 私は、どこまで行っても、雪ノ下雪乃なのだと。

 

 

************

 

 

 

 昨日の雪ノ下との別れ際。そして由比ヶ浜の言葉。

 そのどちらも脳裏にこびりついて離れないうちに、二日ある休日のうちの一日は既に半分以上経過していた。

 太陽は沈み始め、空はオレンジに染まった頃だ。

 そんな時に、寝転んでいたベッドの枕元にある携帯が響いた。

 休日に俺に電話が来るなんて珍しいことで、しかもそれがLINEの無料通話となると更に珍しいことで、その相手もまたまた珍しいやつで。なんだか珍しい尽くしだ。

 一体何の用かは知らないが、取り敢えず電話を取る。

 

「もしもし」

『......もしもし』

 

 電話の向こうから聞こえてきた声は、どこか覇気のないものだった。

 綺麗な鈴の音のような声はどこへやら、雪ノ下雪乃は、少し聞いただけで消沈しているのだと分かるほどの声色をしていた。

 

『その、ごめんなさい。いきなり電話をかけせてしまって......。迷惑でしたか?』

「迷惑ならそもそも電話を取ってねえよ。なに、なんかあったか?」

『いえ、その......。最期に、比企谷君の声を聞きたくて......』

「は?」

 

 その言葉に、どこか違和感を覚える。

 こいつは今、最期と言ったか? 脳内に不安が過ぎる。昨日の記憶が、何度もリフレインする。

 その言葉の意味を問おうとするも、向こうから更に声が続く。

 

『多分、比企谷君も今の言葉で分かったと思いますけど、私はそろそろ消えます。その前に、あなたの声がどうしても聞きたかったんです』

「おい待て。ちょっと待て雪ノ下」

『それと、伝えたいこともありました。本当は言わずに消えようと思ってたんですけど、私は、虚言は吐きませんから。それは、自分の気持ちに対しても同じです』

「待てって!」

『待ちません!』

 

 つい強めの口調で言えば、更に大きな声で返された。怒号と言っても過言ではないほどの力強い声。

 耳に響いたされに、つい黙ってしまう。

 

『ちゃんと、聞いてください』

「......分かった」

 

 由比ヶ浜に昨日言われたばかりだ。ちゃんと、見てあげてくれ、と。

 それに、本当に最期だと言うなら。

 しっかりと聞くべきだ。彼女の言葉を。

 

『比企谷君。私は、あなたの事が好きです』

「......っ」

『返事は、しなくても大丈夫です。分かってますから。あなたが誰を好きなのか。その代わり、幾つかお願いを聞いてくれますか?』

「......言ってみろ。内容による」

『ふふっ、そうですか。まず、通話が終わったら部室に来てください。私は今そこにいるので』

「ああ......」

『それと、多分眠っているので、起こしてください』

「ああ......」

『最後に......」

 

 聞こえてくる声は、徐々に涙まじりの掠れたものへと変わっていく。

 それを一言一句聞き逃さぬよう、電話口に耳を傾ける。

 

『いつかまた、()を助けてあげて下さい......』

「......分かった」

 

 嗚咽が漏れるのが聞こえた。

 鼻をしゃくりあげる音も届いた。

 今すぐにでも部室へ向かいたい。

 けれど、彼女の話はまだ終わっていない。

 

『......私は、幸せでした。短い間だったけど、あなたがいて、由比ヶ浜さんがいる、あの時間を過ごせて。あなたに、恋する事が出来て......』

 

 俺だって、楽しかった。

 雪ノ下と、由比ヶ浜と、三人で色んなところに遊びに行って。

 俺たちの知ってる雪ノ下じゃない。今の雪ノ下と築いた、大切な思い出だ。

 

『だから......。さようなら、比企谷君』

 

 その言葉を最後に、通話は切れた、

 きっと、そう言った彼女は笑っていたんだろう。顔は見なくとも、なんとなく、声の調子で分かった。

 

「......馬鹿野郎っ!」

 

 急いで制服へと着替え、家を出る。

 廊下で出くわした小町に何か言われたかもしれないが、それも無視して、俺は自転車を学校へと走らせた。

 

 

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 

 

 私は、ちゃんと伝えましたよ。

 

 逃げも隠れもせず、自分の気持ちに嘘を吐かず。

 

 だから次は、あなたの番です。

 

 大丈夫。私にも出来たんだから、あなたにも出来ます。

 

 だから、怖がらないで、彼にちゃんと伝えて下さい。

 

 あなたも、雪ノ下雪乃なのだから。

 

 

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 

 とても、とても長い夢を見ていた気がする。

 けれど、それが一体どんな夢だったのか、イマイチ思い出せない。

 唯一頭に残っているのは、主語もなく具体性のかけらもなければ、果たして誰からかすらも分からない言葉。

 次は、あなたの番だと。

 未だ朦朧としている意識では深く思考することも出来ず、しかし。

 

「雪ノ下」

 

 頭の上から降って来た優しい声を聞いて、意識が覚醒した。

 

「比企谷、くん......?」

 

 制服姿の比企谷八幡だ。

 私の部の部員で、友達ではないけれど、私の、好きな人。

 周囲を見回すと、どうやらここは奉仕部の部室らしい。

 

「私、部活中に寝てしまったの......?」

「いや、今は部活中じゃねぇよ。ついでに言うと学校のある日でもない。そんな日に呼び出すもんだから、ちょっとはこの部活の企業形態を改めて欲しいもんだ」

 

 この憎まれ口は紛れもなく比企谷くんね。

 と言うか、奉仕部は一介の部活であって企業では無いのだけれど。

 

「別にあなたを呼び出した覚えはないのだけれど。そもそも、どうして私はここに? 確か、あなた達と比企谷くんのお友達を買いに行って......」

「おい、俺を備品扱いやめろ。あと部の備品を友達扱いもやめろ。可哀想だろうが、備品が」

「自分ではないのね......」

 

 呆れてついコメカミに手を当ててししまう。

 そんな私を見て、比企谷くんは笑っていた。

 

「何かしら?」

「いや、その格好を見るのも二週間ぶりだなと思ってな。一応聞いとくけど、お前なんも覚えてないの?」

「覚えて、とは?」

「......まあ、説明してやるよ」

 

 私の傍に立っていた彼は、定位置の椅子に腰を下ろし、説明とやらを始めた。

 曰く、私は猫を助けて車に轢かれかけたらしい。その時の影響で、別の人格が現れたらしい。比企谷くんと由比ヶ浜さんは凡そ二週間の間、その別の私と過ごし、つい先ほど、私が目覚めたと言う、らしい。

 

「俄かには信じられないのだけれど......」

「ま、普通はそうだわな」

「......車の前に飛び出したのは覚えているわ。けれど、その先の記憶がない事も確か。......信じるしかないのかしらね」

「証人が欲しければ由比ヶ浜か平塚先生を呼ぼうか? お前の姉ちゃんも一応知ってるけど」

「いえ、大丈夫よ。そもそも姉さんを呼んだらまたややこしいことになるじゃない」

「違いないな」

 

 その二週間の記憶は、今の私には無い。

 私が覚えているのは、あの言葉だけ。

 それが、もし、その時の私からの言葉なのだとしたら。

 

「ねえ比企谷くん」

「なんだ?」

「伝えたいことが、あるの」

「......そうか。まあ時間はあるし、聞いてやるよ」

 

 次は、私の番だから。

 

「私、あなたの事が---」




この作品のifストーリーである、別人格のゆきのんが消えなかった未来のお話を渋に投稿しております。気になる方はそちらを是非。
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