「比企谷くん」
長机の向かいから声が届いた。
没入していた本の世界から浮上し、あちらへと目をやる。しかし彼女の視線は文庫本から逸れることはなく、未だ文字を追っている。
「どうかしたか?」
由比ヶ浜の居ない部室で、彼女から話しかけて来ると言うのは珍しいことだ。別に全くないというわけではないのだが、お互いに本を読んでいるのなら干渉し合わない。彼女の揶揄いが始まってからも、それは変わらなかった。
つまり、こうして話しかけて来たからにはなにかしらの用があるという事だろうか。
「つかぬ事を伺うのだけれど......」
こうして言葉を探すように辿々しく話す、と言うのもまた珍しいことだ。
その鈴が鳴るように綺麗な声で、余計なことまでつらつらと喋っては俺のガラスの心を破壊すると言うのに。いや、最近はその限りでもないか。どの道俺の心臓に悪い事には変わらないが。
やがて彼女は語るべき言葉を見つけたのか、漸く文庫本から視線を上げて俺と目を合わせる。
そして、いつもの凛とした表情と声で、なんでもない風に問うて来るのだ。
「あなた、私のことをどう思っているのかしら?」
「は?」
あまりにも斜め上からの質問に、思わず間抜けた声を出してしまった。俺史において20本の指に入るくらい間の抜けた声だった。結構あるなオイ。
いや、そんな事はどうでも良くて。
「聞こえなかった? ついに聴覚、いえ神経系にまで腐敗が進んでしまっているのかしら」
「聞こえてたから。つーかそこまで腐ってたらもう手遅れだろうが」
「......そうね」
「おい、なんで悲しそうに目を伏せた。まだ手遅れじゃないから。え、手遅れじゃないよね?」
「それで、質問に答えてくれるかしら?」
「んぬっ......」
上手く話を逸らせたかと思ったのだが、そんな事はなかったらしい。まあ、雪ノ下相手にそんな事ができるとも思っていないが。
俺のうめき声が面白かったのか、クスクスと笑みを見せる。そんな悪戯な笑顔を何度見た事だろう。
彼女がどう言う意図を持ってそんな質問を飛ばして来たのかは分からない。そもそも、考えて分かるようなものでもない。ならば素直に答えるべきなのかと言えば、そも俺にその気がない。答えるべきだとしても、答えるわけにはいかない。
「あなたは、私のことを、どう思ってるの?」
「......っ」
けれど、その吸い込まれそうな程に澄んだ瞳に見据えられると、沈黙すると言う選択肢は奪われてしまう。
「......その、なんだ。お前のことは、凄いと思ってるよ」
「それだけ?」
クリッと小首を傾げて、まだ続けろと促して来る。待て待て、ちょっと恥ずかしいから待て。そんな事しても可愛いだけだから。
「あー、後は、あれだ。可愛い、とか......、綺麗だ、とか......」
「つまり?」
「............お前のことが好きってことだよ」
観念して吐き出した言葉は、対面まで届いたのかは分からないほどに掠れていた。けれど、クスクスと嬉しそうに笑う彼女を見る限り、聞こえていたようだ。
全く、いきなりこいつは何をおっ始めているのやら。バレンタインであれだけの事をしてくれたのに、こちらからは好きとかそう言う言葉を全く言わなかった俺にも原因の一端はあるのだろうが、それでも急過ぎる。
「やっぱり、そうして改めて言葉にされると嬉しいわね」
「そりゃ良かったよ」
幸せそうに微笑む雪ノ下を見ていると、なんだかもうそれだけで俺も満たされてしまう。けれど一方的に揶揄われた感は否めないので、一応反撃はしておくとしよう。
「んで、お前は俺のことどう思ってんの?」
「そうね......。好き、ではないわね」
えっ。
マジで?
「ふふっ、好きではなく、愛してるわよ、八幡」
「......そうかよ」
「ええ、そうよ」
......雪ノ下め。不意打ちでそういう事言うのは本当卑怯だろ......。
いつになったら、こいつに一矢報いる事が出来るのやら。いつかの未来、そんな日が来ればいいなと思いながらも、当たり前のようにこいつといつまでも一緒にいる事を考えている事に、俺はなにも違和感を覚えなかった。